いのちを守るジャーナリストへのエール。

いのちを守るジャーナリストとは、
真実を報道することにより、
世の中を平和に導くために、命を賭けてたゆまない努力する。
そういう仕事をする人、そういう生きざまの人のこと。

尊敬するジャーナリストのひとり、横村 出さんは、その一人だと
私はずっと思っている。
横村さんは、講師をつとめる大学の講座で
「いのちを守るジャーナリズム」という話をよくされる。
なんのために報道するのか?
尊い命を救い、守るため。だから、自分たちは
命を賭けて、真実を見聞し、それをしっかり伝える。
横村さんはまさにそういう生き方をされている。

ロシアで留学、そして記者の時代を経て、
フリーのジャーナリストとして独立。
戦地への取材も何度も行かれている。
身の危険を冒してでも、今行かねばならない。
と何度も戦地に向かわれてきた。
毎回、覚悟をもっての行動だと思う。

この冬に受講していた講座が、最終回を迎えた。
そのテーマは「戦場から読み解く世界~ノンフィクションは何を伝えたか~」
まさか、開講中に、戦争が始まるとは夢にも思わなかった。
結果として、今回の戦争を読み解くのに、
大変参考になるジャーナリストが紹介された。
ウクライナ侵攻がなくても、紹介される予定であったが、
なんというタイミングか。驚かずにはいられない。

紹介されたのは、アンナ・ポリトコスカヤという
ロシア人の女性ジャーナリストのこと、その活動、著作について。
16年前に暗殺されるまで、ロシアの権力(プーチン)を監視、
戦争を取材し続け・・そして書き続けた・・・という方だ。
戦争とは何なのか?権力とは?そのことについて、真実を伝え続けた。
この勇敢なジャーナリストは、さまざまな妨害にも負けず、
戦争をしない世の中になるために、命をなくさない世の中になるために、
真実を伝え続けようとした。
今も、生きておられたら・・と思ってしまう。

横村さんは、同じロシアで同時期に活躍していた
このポリトコスカヤの話を
熱く、熱く語られた。いろんな思いがこみ上げられていたことと思う。
その様子を見ながら、
ああ、こういう人たちこそが、真の報道人。
いのちを守るジャーナリストだ。
と強く思った。今さらながらの勉強であるが、
彼女の著作の翻訳本を探し、入手。

今回の戦争はメディアとしてはSNSがキーワードのようだ。
時代とともに報道の在り方も変わってきているが、
この機会に、改めて戦争と報道について考えたい。
そしてプロの発信について、敬意をもって接したい。
もっとも、発信できない状況にさせられてしまっている
という現実があるが・・。

過去も現在も、命をかけて伝えてきたジャーナリストたちの
働きに報いるためにも、戦争は終わってほしい。やめてほしい。

いのちをまもる仕事。本当に誇り高き職業であると思う。




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お祈りください。

マリアさん。日本に住むロシア人だ。
仕事で出会い、何度かお会いし、仕事のことでずっと応援、エールを送り続けてきた。
日本人と結婚して、旦那さんの地元にともに移り住み、実家の会社を手伝ってきたがその旦那さんは病死され、マリアさんと子供さんたちが残った。
マリアさんは、今は亡き夫の思いを受け継ぎ、一生懸命その会社経営を奮闘している。そんな彼女をいつも応援してきた。

今回の、ロシアのウクライナ侵攻を見るにつれ、ウクライナの人々への心配は
もちろんのこと、同時に、マリアさんのことがだんだん心配になってきた。
彼女は大丈夫だろうか?仕事なんか手につかないぐらいの状態ではないだろうか・・。家族もいじめられたりしていないだろうか、、、。

何度かメールをした。返事が来ないので、何度もした。
すると、返事がきた。

「うちのことを、心配してくれてありがとう。
今はとても不安な時期ですが、イエス様の平安を癒しを受けています。
ロシアの国民の皆さんが、プロパガンダにやられて、だまされている。
お祈りください。」

というメッセージ。
彼女の祈る姿を思い浮かべ、何とも言えない気持ちになる。
そう、自分でどうすることもできない今、祈る。

マリアさんの祈りが届くように、私も祈る。
ウクライナやロシアの人々の気持ちを思うと、たまらない。

怒りと悲しみと 情けない気持ちと・・・。
一刻も早く、世界の力で、より良い道に進めるように。


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気が付けば、約束いっぱい。

ある事業者さんから、「今年、開店して5周年になります!」と聞き、
開業されたときにお会いして、いろんなアイデアを出し合ったり
こちらの応援もしていただいていたことを懐かしく思い出す。
「じゃ、お店で今年5周年のコンサートやりましょうか。」と
声をかけて2か月が経ち、もう3月になった。
あ、約束まで時間がないと焦って連絡する。
近日打ち合わせをする予定。

また、ある方には、必ず新しいサービスを試してみるからと約束。
それは、小さな本づくり。
落ち着いたら親たちがお世話になっている施設に演奏に行きます。
と、これも約束している。でも、コロナが落ち着かず、まだ開催の
メドは立たず・・・。他にも何かあるかもしれない。

とにかく、約束が多い。
いいことだと思うと、約束をしてしまう。
その代わり、口約束で終わらせない。
ちゃんとやる。
約束はひとりではできない。
相手も心待ちにしてくれていることが全体だ。

「ぜひお会いしましょう!」と再会の約束をしている人も多くいる。
会える時に、実行していかねば。会えなくなるときが必ずある。

どんな人とも交わした約束は、果たしたい。

そういえば、「指きりげんまん」と言う言葉もずっと聞かないが、

なんだか懐かしくて、久しぶりにしてみたくなった。


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今、出来ること何でも。

キエフという町は、必ずいつか訪れたいと思っていた。
日本でいえば、京都のような古の都。
だから両都市は姉妹都市になっている。
四条通りの南座近くに「キエフ」と言う名のレストランがあることを
懐かしく思い出す。
その憧れの町は、この1週間の間、日に日に心ない攻撃で破壊されていく。
この古都にご縁ある世界の多くの方から見たら、この無残な状況、
悪夢の日々はどんな風に見えるのだろう。
悲しみを通り越し、憎しみも芽生え、
もしかしたら、発狂する人もいるかもしれない。
想像するだけでも、寒気がする。
ウクライナ人だけでなく、ロシアの国民にとっても、大悲劇だ。

今、できることをしなければ。
祈っているだけでもダメだ。
さすがにそう思えてくる。
そう、ウクライナの人にとって役立つ具体的なことをした方が良い。
直接知り合いやツテがなくても、できることをする。
たとえば、寄付。
多額な金額でなくてもいい。少しでもいい。気持ちを行動に。
自分ができることで行動することはとても大切だ。
ウクライナ大使館の公式サイトにその情報も出ている。
もっと早く気づくべきであった。

それぞれができることをする。
但し、いのちを大切にした応援が良い。

それにしても、この高度情報化社会で、今ごろ、
時代が100年戻ったような、
血を流す戦いがあることは、断じて許せない。

人間は、結局、進歩していないのではないか。・
歴史に学べていないのではないか。
今こそ、歴史に学ぶ。ということを次の世代に伝えなければ。
これも、今自分たちがすべきことだ。

早く停戦を。今日も祈る。

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感謝の1周忌に。

早いもので桜の季節になれば、母の旅立ちから1年になる。
この1年、季節を一巡しながら、
1周忌を節目に、母が生前お世話になった方に何かできないかと
考えていた。

そして、その実行を決めた。
地元で、母と一緒に活動してきた仲間の皆さんに集まっていただき、
ミニコンサートを行う。
~母がお世話になりました。感謝のコンサート。~

コロナの心配があるため、人数を絞って、「ぜひ、やりましょう!」
相談した人も、気持ちよく快諾。早速会場のこと、人集めは
任して!といってくださる。
ずっと考えていたことが、ひとつ動き出す。

小さな親孝行をできる限り続けていきたい。
そのひとつが、この1周忌のミニコンサート。

どんな気持ちで、どんな風に・・。
まずは自分が元気いっぱいでなければならない。
母と父が上から見守ってくれる。
二人と一緒に、地元の人たちに感謝を伝えるとしよう。

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音楽の中の神様に。

毎日、おかげさまでやることがたくさんあるので、
何かと集中する時間に助けられる。
今の自分の気持ちが、忙しさのなかに避難している感じだ。

しかし、忙しさの合間に、
ふと、ウクライナの幼子の泣き顔が浮かんできたり、
ポーランドなど西側に避難しようとしている人々のこの上ない
悲しみにくれた表情、
そして未明からの銃撃、爆発音と光る稲妻・・などが蘇る。

すべて映像で見たものであり、自分がそこにいるわけではないのに
とてつもない恐怖心と、怒りが湧いてくる。
人間は何なんだ?
もう世の中は、地球は終わってしまうのではないか・・
と、そんな風に思える瞬間もある。
とにかく、もう
早く終われ、早く終わってほしい。
と心からの祈りを捧げる。

私の場合、何の神様に祈るのか?よくわからなかったが、
最近は、音楽のなかにこそ、
わたしの神様がいるのではないか。と思うようになってきた。
あるピアニストが演奏についてそんなことを話しているのを
聞いて、そうだ、と とても共感、納得したのだ。

だから、音楽とともに祈る。

武器ではなく、楽器を。
銃声ではなく、歌声を。

本当に戦場で音楽を聴かせたい気持ちになる。

今は静かに祈るのみ。
とても歯がゆいけれど・・。



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出せる場所でありたい。

企業で働く人の相談や面談という機会が多い。
研修や講座ももちろんやりがいがあるが、この寄り添い型の
コミュニケーションはとても好きな仕事のひとつだ。

とはいいつつ、聞く仕事は以外とパワーが要る。
相手の話を受けとめることが前提になるので、それなりに
自分の容量を空けておかねばならない。
いろんな情報がいっぱい入ってくるため、それを入れて咀嚼して
そしてより良い方向へ導くアウトプットし、すっきりしていただく。
単に聞き手であるだけで終われない。
10人の話を30分づつ聞き続ける。
ひとりひとりにとっては、1回きり。
大切に向き合う。

心の窓が開くと、人はなめらかに話し始める。
人見知りなんですよ~といいながら、よく話す。
「話していいんですか。」と何度も確認する人もいる。
心の窓の開き方は、人それぞれだ。
とにかく、いっぱい話して、聞いてくれるとうれしい。

吐き出したいけど、吐き出せないことも多い。
そんなとき、距離的に近すぎることもなく、
また客観的に見てくれている、自分と利害関係にはない、
そんな人が聞いてくれると、安心して話せるようだ。

数時間のこのセッションを終えると、なんだかお腹いっぱいになったような
気がしてくる。
食後のエスプレッソが欲しくなる。

今日会ったそれぞれの人が、
今日はいい日だった。と思ってくれていたらうれしい。

そう、時に、真面目な人、悩める人、言えない人たちの
出せる場所であれば
いい。

・・・今日から3月がはじまる。
早く無意味な、戦争が一刻も早く終わってほしい。
祈りを込めて、今自分ができる小さなことを重ねていこう。



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ささやかな願いは・・・

あたたかい週末となった。
今日で、もう2月もおしまいだ。
カレンダーを1枚めくると、一気に春になるのだろうか。

地元のさくらの木のつぼみが膨らみつつある。
ああ、あと1か月もしないうちにも、
この界隈は例年通り桜一色になり、華やかになる。
通り沿いに提灯が飾られ、さくら祭りらしくなる。

桜の木々は川の堤防に並んで立っているため、
そこで座ったり、宴会をしながら花見をする人はいないが、
通行しながら、散歩がてら、地域の方々が花見を楽しむ。
年に一度、華やかになるこの界隈。
そう、ここは幼稚園の頃から慣れ親しんだ道。

昨年、母が亡くなった後に知った、父の名前が入った提灯。
こんなところに参加していたんだ。
みつけた人から教えていただき、現地で提灯を探して、写真を撮って、
施設にいる父に持っていって見せた頃を思い出す。
母が亡くなったあと、元気をなくしている父を少しでも
元気づけようと思ったのだのが、昨日のようだ。

さて、その父も秋に旅立ってしまった・・・。
でも、それとは関係なく、また桜の季節がやってくる。
自然は人の人生を越えて存在し続け、四季の移ろいを見せる。

ああ、父の提灯、今年も飾ってもらいたい・・・。
この堤防を通るたび、桜の木を見るたび、
そんな気持ちが募り、どうしても
提灯が処分されないようにしなければと思い、
おそらくその祭りを担当しておられるであろう自治会のご担当者に向けて
お手紙を書き、公民館のポストに投函した。

今年もこの提灯を飾ってほしい。提灯だけでも、ずっと花見させて
あげたい・・。そんな気持ちだ。
早くそのご担当の方から連絡が来るように祈っている。

今年から桜を見るのは、これまでと違う気持ちだ。
どの場所でも桜を見るたび、親を思い出すのだろう。
ちょっとたまらないが・・・。
それよりまずは、提灯を・・・。昨年のように飾ってもらえますように。

以下の写真は最近の桜の様子(上)と、昨年みつけた提灯(下)

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「ひまわり」に平和の願いを。

今、世界中で「ウクライナ」という言葉が、コロナ以上にヒット
しているかもしれない。
まさかの事態になってしまい、ウクライナの皆さんのことが
気の毒でならない。
なぜ、避難しなければならないのだろう。
また、ロシア兵も気の毒だ。なんのための戦争?
罪なき人々が傷つき、命をおとすことも・・・。
バーチャルな世界に目が向きがちなこの時代に、
超リアルな恐ろしい世界。戦術や武器は最新鋭かもしれないが、
今の時代にも、こんなことをするのだ・・・。
時代が戻った気すらする・・。
そして、
本当にいわれなき戦争というものが、存在するのだと、
まだ現実を信じることができないほどだ。
想像するだけで、身がすくみ、ものすごい恐怖を感じる。


そのウクライナ・・・。私の記憶でもっとも鮮明なのは、あの
映画「ひまわり」。
あのヘンリー・マンシーニの名曲中の名曲が流れ、広がる広大な
ひまわり畑。その場面を観た瞬間から、この映画に引き込まれて
いく。それぐらい印象深く、ひまわり畑のことがずっと気になる。
そんな名画であった。

映画を観てから、あのひまわり畑はどこなんだろう?と調べた。
ウクライナという地名はずっと頭に残っていた。
映画ができたのはもう半世紀以上前、時代も変わった。
改めて撮影地を調べてみると、
どうやら、旧ソ連時代のウクライナのヘルソン州というところにある
ひまわり畑だそうだ。キエフから500キロぐらい離れたところ
にあるそうで、今も夏には観光客が訪れる名所だそうだ。
そのひまわり畑も今は戦地となっているのだろうか?
今朝のニュースで、ヘルソンという地名が出て、まさか・・。

あの映画自体、悲しい戦争での別れを描いたものであり、そのひま
わり畑の下には、戦士した兵士たちが眠っていると、確か映画で
言っていた。かなしいひまわり畑だ・・・。

そんなことが絶対に、二度と起きないように。
昨日、その名曲を実家のピアノで、心を込めて弾いた。
どうか、早く終わりますように。早く平和が戻るようにとの
願いを込めて・・・。

まだ、今の季節はまだ咲いていないだろう。
平和に夏のひまわりを楽しめるように、終息してほしい。

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定年後、さらに輝く。

組織で働く人には、この節目が必ず訪れる。
最近も何名かの方より、定年退職をされるとの報せをいただいた。
本当に「長年お疲れ様でした!」の一言に尽きる。
会社の新陳代謝のためには、定年も必要なしくみである。
何十年もその日まで、その日のために会社に尽くす、と言う
人生の先輩を多く見てきた。
つとめあげて、卒業。定年は会社人の卒業だ。

この定年後のお付き合いはさまざまだ。
定年とともに年賀状も途絶え、連絡先もわからなくなり・・
という方もいる。仕事の上で出会ったつきあいは、定年とともに
全てリセット。そういう考え方もある。
きっと定年後は、何十年続けた仕事とまったく関係なく、
まったく新たな人生を進まれているのだろう。
ふと、今はどちらにお住まいだろうか?お元気かな?と思い出すこともある。

また、だんだんと連絡が途絶えていく場合もある。
仕事で頻繁に会っていたけれど、環境が変わることで、共通の話題も少なくなって、次第にご無沙汰・・・。
今年こそ会いましょう。と年賀状や久しぶりのメールで書いたものの、
なかなか会えずじまいで時間を重ねる・・。このパターンもある。

一方、定年されても関係が切れず、おつきあいが続くということもある。
その場合の多くは、定年されるまでに、定年後の計画をしっかり立てて、定年を第二の人生のスタートとして、新しい仕事や活動をしながら、元気に活躍されている方である。
組織の縛りや、かつての肩書がなくても、培ってきた経験、キャリアで充分社会に貢献できるという生き方をされている。
ブラボーである!
専門領域や豊かな人脈を生かし、
地域やその専門領域でいきいきと発信されている。
もっとも、こういう方は勉強熱心でもある。変化への対応も柔軟だ。
いつまでも学び、人と関わり、自分の人生を豊かに生きておられる。

今は70歳を軸に、まだまだ活動できるという時代。
もちろんその人次第だと思う。
定年とともに、病魔に襲われる場合もある。
そうならないように、常に健康管理に気を配り、定年前も、その後も
自分らしく生きられるようにするための備えが必要だ。

今週は、新潟で定年後、肩書も新たに、さらにいきいきと活躍されている
方と再会し、いい生き方だな~と刺激をいただいた。
その方は、「災害と食事」がライフテーマ。
研究、現場の経験、そして講演、執筆。
その報告を久しぶりにきいて、定年後、より自由に輝いて活動される姿を
改めて、素晴らしく頼もしいと思った。

定年後、素敵に生きるには、もちろん現役時代の積み重ねが大切だ。

お手本となる先輩たちが、周囲にいてくださって、ありがたい。
肩書きが変わっても、年齢を経ても、ずっと続く関係。これが最高。

自分には定年がない。自分で節目を作りながら、最期まで生涯現役で
楽しく、元気いっぱいに生き抜きたい。



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