生涯最高の上司へ感謝と、祈り。

この写真は23年と半年前の京都駅のホームでのショット。
私が会社員をやめた日、有志でお食事会をしてくださったあとの、京都駅で
の大切な1枚だ。
このあと、東京行きの夜行列車に乗る私。皆さん万歳をしながら、見送ってくださった・・・。
この写真の一番左が当時の上司。部下の勝手な退職を最後まで「冗談やろ」と言いながらも最終日、送別会を主宰していただいた。
「この人は、きっと明日も会社に来るはずです」
というようなジョークを言いながら、退職を認め?祝って?くださった。

入社して、この日まで約13年お世話になった。
そして退職して後、23年も、ずっとずっとお世話になった。京都の応援団として、私の自営の道を力強く応援してくださった。本を出版するといえば、校正を手伝ってくださり、ライブをするといえば、京都でも東京でも、そして明石、新潟までお仲間と連れだっておいでいただき、とくに京都でのライブは事務局のようにお手伝いいただき、CDを出すといえば、まとめて買っていただき、知り合いに配ってくださったり、また節目節目ではお祝いの祝宴を企画してくださった。そして、80歳を越えても、時々「今度、いつ来るの?」とショートメールをいただき、互いに都合があえば京都の町中でお会いし、だんだん食事の回数は減ったが、フランソワやホテルオークラでコーヒーをご一緒し、尽きない話をした。いつも私の話を聞いて、「おーっほっほ、そりゃ愉快、そりゃ愉快」と
そんな反応。これを見ていて、こちらも面白かった。
会うときは笑い話だけでなく、参考図書の紹介、その時々の記事のスクラップやご自身が書かれた冊子、新しいお店情報など教えていただき、ときには店舗調査も一緒に・・・。
あの八百一本店ができたばかりのとき、ご案内いただいたことも懐かしい。
「こんな町中のビルの上で、野菜つくってはるんですなあ~」
そして、いつも京の名品を手土産に持たせてくださった。
ああ、ほんまもんの京都人はこうやっておもてなしをされるのだな~。
「これ、ちょっと」さりげなさがカッコよかった。物々交換も楽しいプチイベントであった。思い起こせば、京都のいいもんは、この方からすべて教えていただいたといっても過言ではない。

本当に最高の上司、応援団であった。
コロナに加え、体調不良とのことで、ここ2年ほどなかなかお会いすることが難しかった。だんだんメールも手紙も最後の方は電話もおぼつかなくなった・・・。一昨年の夏に奥様が付き添いでお出かけになり、三人で京都の宝ヶ池でランチとティータイム。
地下鉄の駅の改札で、ご夫妻に見送っていただいたのが昨日のよう・・・。

昨日、1枚のはがきが届く。
2月22日に90歳で亡くなられていたことを知る。
この1年半、ずっと京都へ行くたびに気になっていた。大丈夫かな。どうされているかな・・・と。
とても悲しい。なんといっても、京都の応援団と言う以上に、私にとっては、京都のお父さんのような存在であった。とくに仕事の面では、本当にお世話になった。
私を音楽ではない世界で独り立ちできるようにしてくださったのはこの方のおかげだ。20代のとき、マーケティング国際組織(MCEI)で賞をいただいたとき、本当に喜んでくださって、今は亡き水口健次さんとお世話になった方々と一緒に乾杯したことを思い出す。そう、水口さんも上司も大学の先輩であった。
東京で仕事をする機会をいただいたのも、この方のおかげであった。
「東京でもマーケティング部門作ろうと思うけど、東京に行きませんか?」
いつも、いつも新しい挑戦をさせていただいた・・・。

今、人生折り返しをすぎ、自分を支えてくれた人たちとの別れが増えていく
ことを実感する。
正直、心身に沁みる。痛いぐらいだ。
だんだん会えなくなって・・・思い出だけが増えていく・・ことになるのか。
まさに、これが人生か。これも学びか。

最高の上司に今、改めて感謝を伝えたい。
001さま、本当に本当にありがとうございました。
どうぞ、安らかにお眠りください。
コミュニケーションの仕事を教えてくださってありがとうございました。
世界観を楽しみながら広げ、そしてつねに知的であれと刺激を与え、
自立の道を歩むことを、そっと背中で教えていただき、ありがとうございました。思い出がありすぎて、たまらない。
でも、元気に走り続けなければならない。教えていただいたことを胸に。

写真はグラン・ルー15周年のときいただいたバラのブーケについていたメッセージカード。本当に粋な上司であった。

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さいごの315。から1年。

3月は、どうも落ち着かない月になってきた。
年度末のバタバタではなく、内面的な起伏との戦いという意味において。
昨日、ホワイトデーは母と電話で話した最後の日であった。
いつもと様子が違うと、お世話いただいていた近所の人から電話があって、
母に電話をする。
確かに前日私と喧嘩するほどの元気さはなく、
「大丈夫、大丈夫。うん、うん。」
という言葉のみ。
そして、翌朝、まったく電話に出てこないので、近所の親戚に様子を見に
行ってもらったら、救急車を呼んでいただく事態に。
私が母に会ったのは、病院の救急センターの中。もう目はうつろで、
普段とは全く違う状況になっていた。
管につながれ、必死に呼吸をしていた。ただ生きるんだとがんばっていた。

それが3月15日。
もう会話に応じることができない母の手をにぎり、
「がんばって、がんばって」
と声をかけ、検査が終わる夜まで待機・・・。
細菌性髄膜炎の疑いから、入院。
病室へ入るのも、今回が最初で最後になった。
医師からは、重篤な状況なので、万が一を覚悟するようにと言われた。
気持ちと関係なく、すべてが何かに押されるように、コトが進んだ。
そういう時がきたんだという、雪崩のような状態。
生きた母に会った最後の日。3月15日。

長年ずっと応援してくださっている人生の先輩が
人生は楽しい思い出が多い方がいい。
でも、実際は半々かな。
との言葉をくださった。

確かに楽しい思い出もたくさんあるが、
懐かしさとは、楽しいことばかりではなく、悲喜こもごもの感情である。

今となれば、3月はやはり、別れの季節か。
3月15日。あたたかい母の手をぎゅっと握っていた去年の今日。
母からの卒業の日だったかもしれない。
人生でもっとも長かった1日。
時は経ったけれど・・・。

私はおかげさまで、元気に生きている。
だから、心の中の母と対話して、今日も前へ・・・。
あのあたたかい握手を前進の約束として・・・。

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岐阜新聞ロビーコンサートは休止となりました。

本日3月14日に開催予定であった、岐阜新聞ロビーコンサートは、まん延防止措置延長のため休止となりました。

次回は5月9日の予定です。今度こそ、コロナも収束して、
予定通り開催できますように。
お申込みいただきました皆さま、大変申し訳ありませんでした。
次回、お待ちしております。

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今こそ、Harmonyの力で平和を。

今、世界中でウクライナのことを心配する人々が、現実を見守り、ある人は
祈り、ある人はSNSで訴え、ある人はデモに参加して・・・・とそれぞれが
できることをしている、しようとしている。
母国で多くの人が血を流すなかのパラリンピック参加。ウクライナの選手たちは平和のために全力を出し切り、結果、多くのメダルをとった。このメダル獲得は単純にうれしいだけの感情ではないはず。このメダルは重い意味がある。(無事に帰国できるのかも不安になるが・・・。)

世界のリーダーのパワーのなさには、あるいはパワーを発揮できない複雑な
現状は、本当にいらいらするが、世界はこんなもんかとも思ってしまう。
言葉で人を動かすことができないのか・・。

そんななか、先日ウクライナの町で、
キエフの交響楽団が演奏をしている映像をみかけた。
ベートーベンの第九を弾いていた。世界に向けて、平和を訴えた。
多くの人々が集まって聴いていた。
言葉が通じなくても、あのメロディを聴けば、きっと軍人も手をとめるだろう。
言葉多い交渉より音楽の方が、人の心を動かせるのでは。

ヨーヨーマさんも、大使館の前で、チェロを演奏されたようだ。
ピアノは持ち運びができないため、同じことはできないが、私も同じ気持ちだ。

最近、ピアノを弾くときには、まず最初に
ウクライナを思い出す名画「ひまわり」のテーマ曲や、
チャイコフスキーの馴染の曲を祈りを込めて弾く。
観客はいないけれど・・・。

音楽の力が、世界に役立つといい。心からそう願っている。
音楽は、harmony。そう、調和、協和、響きあうこと。

世界中に美しい響きがこだまするように。
私は、何もできないけれど、歌い、弾き、祈りたい。
一刻も早く、この悪夢が終わるように。



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呼ばれて、追いかけて、、。

先日亡くなられた石原慎太郎さん。いろいろ賑やかな半生と思っていたが、
基本は作家、最後まで作家だったのだ。もちろん政治家でもあったが、今から思えば表現者、そして賛否があろうがその想い、言葉を行動にしてしまう、なかなかいない貴重な方だったと思い、著作を読んでみたいと興味が沸いた。
生きているうちにその魅力に気付かずに、うるさいじいさんとしか思っていなかったので、申し訳なかったと思いつつ・・・。

さて、その見事な生きっぷりを支えたのが、どうやら奥様。
夫婦であるというだけでなく、真のパートナーでおられたようだ。石原さんご自身、支えられていたから、怖いものなしで戦えたのだと思うと、本当に幸せな人生だ。
その奥様が、亡くなられた。
まだ旦那さんが亡くなったばかりなのに・・・。

すぐ呼ばれたのか、追いかけられたのか、それとも、お二人とも生きている間から、そういう約束になっていたのか・・・。

息子さんたちにとっては、大変お寂しいことだと思う。決して他人事と思えない。
でも、きっと仲の良かったご両親であったから納得もされているだろう。
呼ばれたり、追いかけたり・・。
なんだか、とてもいい人生の終わり方だと、改めて思う。

生まれてくるときも、亡くなるときも人間一人‥と言うが、でも愛する人が
すぐ来てくれたら幸せだ。それが一番の極楽、天国だろう。
石原夫妻と、自分の両親のことを重ねながら・・・。
寂しさは未だ癒えぬけれど・・。

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ピンチのときほど、専念、没頭。

日本で暮らすロシア人の知人と、ZOOMで面談することに。
彼女のことがこの二週間ずっと気になり、仕事の合間に、
短時間でいいからと約束。
モニター越しに見る彼女は一見、元気そう。良かった。
電話よりもやはり顔が見えるのは良い。

しかし、話をきいていると、ロシアの情報統制、プロパガンダは
本当にひどいようだ。彼女の地元に住む家族、親戚の例をとって
そんな様子を語ってくれた。
しかもその情報操作は昨日今日始まったことではなく じわじわと
計画的に・・のようだ。

一切、「戦争」という言葉は言わない。特別な軍事対応なのだ。
まだ自らへの負の影響も気づいていない人が多いが、そのうち
生活をする上で、おかしいと気づくことも出てくるだろうとのこと。
ロシアで暮らす親、親戚のことは当然気になる。
本当は日本にでも連れてきたいのだろう。
彼女は日本に住むロシア人、ウクライナの人々と情報交換をしながら
一緒にがんばっている。そして、アメリカの仲間ともSNSでやりとり
しながら、心の安定を保っているように感じた。
彼女は敬虔なクリスチャンであるので、神様を信じ、毎日を過ごす。
そして、
「こうして、仕事があるから、余計なことを考えないで済む。この
ことはとてもありがたい」
という言葉にとても共感。
そんなわけで、今自分がどうすることもできない心配はそこそこにして、
今、自分たちができること・・・目の前の仕事の相談を受けることに。
「あのー、仕事の相談、いいですか?」
「いいよいいよ」
そう、自分たちでどうにもならないことについて話していても
前に進まない。
また私が今彼女にできることは、仕事での応援だ。
今、自分たちができることをやるのみ。

ピンチのときほど、仕事があってありがたい。
そんなことを、今回も痛感。
彼女も大変前向きで本当に良かった。
早く、悪夢から目を覚ませる日が来るように。

ウクライナがんばって!
状況を正しく知る、ロシアの人々も心痛めながら、
願っている。

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自然には感情がない、人間は?

今日であの東日本大震災から11年を迎える。
今も忘れない。銀座のカフェで打ち合わせしているとき、その店のシャンデリアが今にも落ちてきそうに大きく揺れて、これまで感じたことのない恐怖を感じた。都内の様子がじわじわと変わっていった。夕食のアポイントもキャンセルとなった。
そのあと、すべての交通機関がストップしたのか、1時間ほど歩いて帰宅した。
途中、普段見ないような人の波を見た。ものすごい数のビジネスマンたちが皇居の周りを歩いていた・・。会社支給らしいヘルメットをかぶっていた人もいた。
そしてなんとか自宅に戻り、本棚から、食器棚からあれこれ散乱して・・・でも、そんなのことよりも、テレビで見た映画のような津波に衝撃を受けた。
あれからいろんなことがあった・・・。
あれから、人間は謙虚になるのかなと思っていた。
大自然に対して、地球に対して・・・。

被災された大船渡の知人は、かもめ飛ぶ青い空の下、静かな海を見て
「いやー、自然には感情がないんですよ。今は、何ごともなかったように、何なんだと思いましたよ」
今もその言葉を忘れることができない。
そう、人間は感情があるけれども、海には・・・。
と感じたあの大惨事から11年。

人間にも感情がないのよ。

と言いたくなることが起きている。

天災も人災も、避けることは難しい。
でも、出来る限り、避けて生きていきたい。
運しかないのだろうか?努力ではどうにもならないのだろうか?

東日本大震災と今のウクライナのことで共通しているのは原発のこと。
最後はその不安が残る。
その不安と付き合ってきた福島の人々の11年・・・。
本当に言葉にならない。
災害がない社会を目指すことができないことが、心苦しい。

被災された皆さま、そしてまだ行方不明でおられる方々に
祈りを捧げたい。
愛する、大切な人は失いたくない。
それが生きる糧になるのだから・・・。
そして、被災を乗り越え、力を合わせて乗り越えてこられた皆さまに
心から拍手とエールをおくりたい。

3月11日。忘れてはいけない。

今日を思って創った「レクイエム11」を心で弾きながら・・・。

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桜を迎える準備。

先日このブログにも書いた、地元の川沿いのさくらまつりでの父の提灯の話題。
やっと、まつりの責任者の方(町の自治会長さん)と連絡がついて、
父の名入りの提灯は、今年も飾っていただけることになった。
そのやりとりとしているうちに、新たなアイデアが浮かんだ。
「あの、提灯って、新しく作ってもらえるんですか?」
「今年の春のは、もう間に合わないなあ~。来年なら、また声かけて
もらったらできるよ」
「そうですか。では、来年は父と母の名前を入れた、提灯をつくらせて
もらって飾らせていただけたらと思いますが、よろしいですか?」
「いいですよ。来年なら。またそのときに打ち合わせしましょう」
と電話を切った。
提灯といえば、岐阜は提灯の町だ。そんなことすっかり忘れていたが、
美濃紙とともに、提灯や和傘はわがふるさとの伝統産業だ。
だから、提灯を飾るのは、ちょっとした親孝行にもなる。

今年は、父の名前の提灯を探せるさくら祭り。
そして来年は、父と母の名前入りの提灯を飾って、地元のみなさんに
「あれ?」と思い出してもらいたい。
長崎の精霊流しや京都のり火とは時期も内容も違うが、父と母のことは、
華やかに咲いて、散り往く桜とともに、この町で生きた二人のことを
思い出し、旅立ちを見守るそんな行事ができれば・・・。

桜が咲く季節に向けて。何かと新しいことを始めていこう。
前向きに生きていくためには、常に新しいことを仕掛けるのが一番。
そして、悲しみや寂しさを、嬉しさや楽しみに転換する力を身につけて
いきたい。

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重い言葉。軽い言葉。

最近の世界情勢を見ながら、思うことがある。
言葉の役割、言葉の重さ。

ウクライナでは、毎日多くの方が国外に避難。
すでに、15万人以上の人が西の隣国に移っているようだ。
なぜ、自分が避難しなければならないのか?
何ひとつ悪いことはしていないのに・・。なんで?

ある避難中の女性の涙ながらの言葉が心に刺さる。
「ただ、生きたいだけなのに・・・」
こんなに重い言葉はない。
この短いセンテンスから、いろんなことを想像しながら
もし自分だったら・・と思う。

20年ほど前のチェチェン戦争のことを
取材し続けたアンナ・ポリトコフスカヤが記した
本のなかで、毎日毎日爆音に悩まされる日々、
その惨状を耐えてきた男の子が
「耳が聞こえなかったら良かったのに・・」
と普段の会話と同じようなつぶやきのような口調で言った
という記述がある。
(先日のジャーナリズムの授業でこの事例を知った)

子供がさらりとこんなことを言うなんて。
この一言も重い。重いどころじゃない。
耳が聞こえなかったら、爆音に悩まされることがないというのだ。
聞こえない方がいいときがある。
見えない方がいいときがある。
知らない方がいいときがある。
この一言から、そんなことを思ってしまった。

一方、この厳しい戦場とは、別世界の豊かな、
一見平和なわがニッポン国。
若者も女性も男性も、暇さえあれば、スマホを見ながら
おそらく命にかかわらない、たわいもない
やりとりをしていると想像できる。
ここでは、上記のような、重い言葉はおそらく、あまりない
だろう。

平和なときの言葉は軽く
極限の世界、危機的な現場での言葉は、重い。

今混乱する西の国で、ある意味、もう少し軽い言葉が交わされる、
そんな日常に早く戻れたらいい。

そして平和すぎるわが国に生きる私たちは、
自由な人生を生きられるこの現実に感謝し、
この事態をしっかり理解し、自分が何をするべきかをしっかり
みつめ、行動したいと改めて思う。

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サイテーの人は・・・

パソコンを開き、最初に出てくるように設定してある
NY TIMESの電子版のトップには、ここんところ毎日
必ずといっていいほど、ウクライナの人々の悲痛な表情や
悲惨な爆撃の様子などのとにかく、ショックな写真が出て
くる。このことに慣れてはいけないが、
とにかく毎日、見るたびに胸がつぶれそうになる。
その中でも、大人も子供も(とくに子供が)泣いている
写真を見るとき、あるいは、その写真に写っている背景に
泣いている人の姿が想像できるような現場の写真を見るとき
悲しみが移ってくると同時に、怒りがこみ上げる。

人を泣かせることを、平気でする人は、サイテーだ。
ロシアの兵士たちは、やりたくてではなく、やむなく
人を泣かせることをし続けている。

でも、ロシア兵も泣いている。
その兵士を泣かしているのは、指令を出している人だ。

こんなことを平気でし続け、すべてを破壊し続けている
非道な人は、ほんとうにサイテー。

本当に妄想に過ぎないが、人を泣かせて平気と言う人自身
には、感情があるのだろうか?
誰かにちゃんと愛されているだろうか?
孤独な人生だから、こんな大きな誤りを犯している
のではないかと思ってしまう。
なぜ、そんなことをするのか、冷静にみつめたい。

それはそれとして、
とにかく人を泣かせる奴はサイテー。
やっぱり、
人を喜ばせることができる、人が笑う仕事がしたい。
そんな生き方がしたい。

世界から涙が消えてほしい。

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