マザーテレサの言葉が蘇る、酒屋さんの行動。

ウクライナ。なぜこんなことになってしまったのか。
すでに、報道に飽きてしまった人も多いかもしれない。
それも理解できるが、でも、この世界でとんでもない悪行が止まることなく
100日以上も続き、毎日犠牲者が出ている国があるということを
忘れてはいけないし、もちろんウクライナだけでなく、他の地域での紛争も
然り。
戦う双方の庶民が、結局は傷を負い、代償を払うことになるのだ。

そんなことを毎日思っている。
自分が今しているささやかなことはといえば、今は戦地への医療支援の
ささやかな足しになれば・・と自分のCD販売をチャリティにと呼びかけたり、
平和に心を寄せる曲を演奏したり・・とそれぐらいだ。
コロナも収まってきたから、もっといろんなことをやらねばと思っている。

そんな矢先、新潟の応援している酒屋さんからDMが届いた。
夏に向けてのギフトのお便り。例年届く。
ああ、今年ももうそんな季節か・・。

そのDMの裏を見たら、なんとこんなメッセージが。
なるほど、そう来ましたか!
さすが!この気持ちと行動力が大好きだ!共感120%!

このように、規模は小さくても地道に平和を願い、
行動している人たちがいる。
この願いの星たちがたくさん集まって、現地に届いてほしいと思う。

派手でなくていい、地道にそれぞれができることをやる。
他人事ではなく、自分ができることとして。

ふと、マザーテレサの言葉を思い出した。
「わたしたちの働きは、大海のなかの一滴にすぎません。
もし、その一滴がなければ大海となりません」

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豊かな心さえあれば。

この春、生活と仕事の基盤であったふるさとの実家と
お店を火事でなくされてしまった知人のこと。
気になって、気になって早くお見舞いをせねば・・と
思いながら、メッセージを贈ったり花を届けたり・・
そんなこんなで3か月。
この6月から、ふるさとを出て、娘さんたちと以前
棲んでいた町で、新たな生活をスタートされた。

このタイミングでやっと会えた。
火事ですべて燃えてしまうなんて・・・。
大切な思い出の品がなくなってしまうなんて・・・。
創造するだけでも、耐えられないこと。
なんて声をかけようか・・・。
手あたり次第に、喜ばれたい、元気になってもらいたいと
食べるモノからCDから、いろいろ持っていった。

待ち合わせ場所に着いたら、
彼女は以前と同じように明るく元気に現れた。
「今尾さーん」
その一言で、ああ、変わっていない。大丈夫だ。
その優しい笑顔に、こちらもくしゃくしゃの顔で応えた。

それから、今回のいきさつや、今の心境をお聴きした。
「まあ、わが人生はそういう運命だったのかなと。
でも、そのおかげで本当にいい方に恵まれて
よくしていただいて。いろいろあったけど、これが
いい転機になったらと思えて・・・。
ものは無くなってしまったけれど、こんなに元気だし。
これから、新たにがんばります。」
なんと前向きなことか。と感動した。

そして。いろんな話をするなかで、
「ものはなくても、たとえ貧乏でも心が豊かが一番。
そうであれば、幸せを感じることができる」
という共感の結論に達した。

そして、
人から愛される人になる。
そのことは、生きていく上でもっとも大切なこと。

運命を受けとめ、さらに努力する。

人生にはどんな運命が待ち受けているかわからないが、
何があっても逃げないで前に進むことが大切だという
ことも学ばせてもらった。

彼女の新たなスタートを心から応援し、
一緒にできることがあれば、喜んでする。
まずは、少し休んでもらって・・。

何度も何度も固い握手をして、元気に分かれた。
梅雨のはじまりのはずなのに、とても清々しいひととき
であった。

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交わす言葉が、遺す言葉になる。

どんな言葉を人になげかけるか。
その一言が最後のセリフになることもある。
意図せず、人は無意識に言葉を発し、また聞いているが、
あとになれば、それがやたら重い意味だったりもする。
生きているときは、動き続けているから
とくに印象に残らなくても、あとになると
とても心に響く一言だったことに気づくこともある。

この1年余り、母との会話を思い出すことが多い。
最後の言葉は
「やっぱ、長生きせなあかんな。
昌子さんと喧嘩せなあかんで」
これを思い出すと、今も泣けてくる。
これが、まさに私にとっての遺言となった。

今思えば、母の最後は、心に残る言葉ばかりだ。
「レッツゴー。レッツゴー。おもしろいな。で、なんや、それ」
トイレにちゃんと行くようにという意味で、「レッツゴー」という言葉を
連呼したら、笑顔でマネをしていた。
そうこうしている間に、トイレにレッツゴーではなく、
父と一緒に天国へレッツゴーとなってしまったから、笑えないが。

まだまだ母が残した言葉は無数にある。
どの言葉を思い出しても、泣けてくる。

言葉はすごい。言葉は永遠なのだ。

そう形がなくても、残っているのだ。
とくに、言葉は重要だ。
どんな言葉を遺すのか?意識して伝え、また耳を傾けたい。

いつ、遺言を発することになるかもしれない。
私にとっての遺言とは、世間でいうそれとは違う、
本当に人生のラストワード。
それは、今日かもしれず、誰に向けてかもしれず。
だから、大切な人とのコミュニケーションをしっかりとりたい。

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慣れてはいけない。

ロシアの侵略戦争がもう100日にもなるという。
もう、戦争しているのが当たり前のような、半ば慣れた状況に
なっていないだろうか?報道もその状態が当たり前と、なんだか
麻痺してきていないだろうか?
実はそのことは1か月たったあたりから気になっていた。
痛々しい現実が当たり前のように思われていないだろうかと・・・。
最初、ショックを受けていた人も、戦場の無残な様子に慣れてきて
他人事のように、思えてきていないだろうか。

つい、最近のこと。ゼレンスキー夫人がアメリカの番組の
インタビューに出演されており、まさにこのことを憂いていた。
「お願いですから、この戦争に慣れないでください・・・」
何度も何度も口にされていた。
恐怖の毎日を送っている人にとっては、本当に生きるか死ぬかの
瀬戸際がずっと続いているのだ。
そのことに思いを寄せ、応援をしていきたい。

戦いを長期化させ、関心を退けようというのも手口なのだろうか?
と思うと、心から怒りが沸いてくる。
慣れると関心が薄らぐのが人間・・・。
戦争に慣れてはいけない。
こんなもの、絶対あってはいけないことだ。
早く終わらせてあげてほしい。

戦地が戦車の展示会場のようだ、と言っていた報道関係者が
いたが、そんなことはとんでもない。
この事態を第三者は、ビジネスに利用しているのだとしたら、
許せないし、嘆かわしい。
慣れてはいけない。
非常事態のなか生きている人達の状況に思いを馳せよう。

慣れていいことと、悪いことがある。

今、この世界情勢に対しては、決して慣れてはいけない。
異常、非常が続いてしまっているという悲劇を
かみしめ、早くそれが終わるように、自分ができることを
しなければ・・と思いつつ、祈り、応援し、小さなことしか
できないが・・。

決して、慣れてはいけない。

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情報を見る人、素材を見る人。

実家の後片付けは、残った人に託された仕事のひとつ。
本人たちが、どこまで断捨離できていたかによって、
その仕事の労苦?ボリュームは異なるが、
自分の場合は、おかげさまで、まあまあパワーを費やす
ことになってしまったが、モノが多いということは、思い出も
多いというとらえ方をして、両親の人生を寿ぐ?気持ちで
そして、チョット宝探しの気持ちに切り替えて、
後片付けを続けている。

真夏になるまでにと、3回目の大きな片付けDAY。
専門業者さん4名に来てもらって、事前にチェックした
さまざまな荷物を仕分けし、トラックに積み込んでいく。

私に与えられた役割は、そのものの情報を見ること。
これは捨ててよいのか、とっておくのか?
まあ、ほとんど前者であるが、それでも今は捨てられない
というものも少なくないため、やはりすべて目を通すことから
始まる。そして、その上で、業者さんは素材別に分別して、
トラックに積み込む。

例えば、あるアルバムを見る。私が見るのは、これは誰が写って
いるとか、いつのもの?といったチェック。
業者さんは、これは紙とプラ、金属に分けるか?
リサイクルに回すか?というチェック。
同じものを見ても、見る目が違う。役割が違うとまったく違った
見え方になるのが、面白い。
そして、見るより、仕分けしていく方が断然に早い。

そんなこんなで、5名でまる一日かかって、トラック1台がいっぱい
になる。
「もう、満車になりましたので~」
荷物を詰め込むだけ詰め込んで、おしまいとなる。
父母の思い出は、トラックに乗って次の工程に向かう。
半ば、「いってらっしゃい!」の気持ちで、トラックの出発を
送る。

一部残ったゴミは、自分たちで処分することになるが、3回目のトラック
による搬送が終わり、実家は、かなりきれいになった。
「新築のときみたいに、すっきりしたね」
新築時の時のことを知っている妹が横で、感動している。

私は、ひとつ仕事が片付いた安堵と、なんだかかなり捨ててしまった
ので、複雑な気持ちにもなる。

心のなかで、
「ごめんね。でも、仕方ない。誰かがいつか捨てなきゃいけなかったから。
ごめんね」
と両親に詫び、理解を乞う。

片付けはまだまだ終わらない。
一番のクライマックスは、家自体をどうするかのタイミングだ。
それまでは、まだまだぼちぼち、両親の想い出を辿りながら
わが人生の将来も考える心の旅をさせてもらう。

それにしても、この片付けの専門業者、大変多忙であるそうだ。
高齢化社会は、この業界にプラスの影響を与えている。
そして、今回の経験は、私にとってこの業界の人たちと出会い
関わり、世界が広がったという点でとてもいい勉強になった。

そして、何より今回の経験を通じて得た教訓は、
「モノより思い出が多い人生を!」

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「異」を大切に、楽しみ、育み合う。

普段の仕事では、30代から60代までの方との対話が多いだろうか?
この世代と言っても性別から、業種、職種によって話す内容も、もちろん
異なる。
さらに、70代の方々は人生の先輩として、まだまだお元気な現役
の方も多く、敬意と感謝を込めながらのありがたい交流をさせて
いただいている。
本当に、人生のお兄ちゃん、お姉ちゃんといった存在だ。

そして、この1~2年は、80代以上の方との交流も増えてきた。
親が亡くなってから、親のお友達とのおつきあいも大切にしている。
父母の代わりに、顔を見に行き、世間話をする。
退院されたと聞けば、快気祝いとして花やお菓子をもって
寄らせていただく。
大した話をするわけではないが、その世代の方々と関わっていると、
親と話しているような気持ちになってくる。
だから、この親世代の皆さんのことも大切にしなくてはと思えてくる。

そんななか、つい最近、アルゼンチンタンゴの番組を眺めていて、現地のカフェで
働く人や、歌手、観光ガイドさん、タクシードライバー、レコード店の人・・
のことを思い出し、無性に会いたくなってきた。
そういえば、ブエノスアイレスのレコード店に、自分のCDを預けたのは
もう数年も前のこと。あ、あの店、どうなっているかな?
時々 ブエノスアイレスの写真を送ってくれる元銀行員のタクシードライバーは
お元気なんだろうか?
と異国でのコミュニケーションが走馬灯のように思い出されて、胸がいっぱいになる。
彼らから与えられたことは、本当に大きかった。
交流の恵みは時間の長さや回数とは比例しない。

と、目を閉じれば、地球儀とともに、日本地図とともに、そして年表とともに
色んなコミュニケーションを思い出し。懐かしくなり、抱きしめたくなる
思い出たち。

普段何気なく話している人達とも、いつか懐かしく思い出したり、ふと
特別な感情になることもきっとあるだろう。

これからも、さまざまな「異なる」人達とのコミュニケーションを、
もっともっと重ねていこう。自分と違うところが多い分だけ、
理解し合えると、歓びもひとしおだ。
人は、みな、それぞれ「異なる」。
だから面白い。だからいつも新しい。

「異」を受け入れ、認め、学び、そして育みあう。
そんな人生は、とても楽しい。
さあ、今日はどんな「異」なる出会いが?

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みたらし王子のおもてなしタイム。

朝から面談をし続け、時間が足りず、お昼時間も人と会う。
もともと平日はとくに、ランチをとらないことにしているため、
お昼時の仕事はまったくへっちゃらであるが、面談相手にしてみたら
「お昼ぐらい休んだら?」と言う声も聞こえそうであるが、相手が
その時間でも会いたいと言ってくれたら、アポを入れることにしている。

今回、そんななか、お昼でも会いたいといってくださる男性社員。
では、12時半から20分ぐらい話しましょう。と言う感じで軽く
約束。

時間になると、その人はコンビニの袋らしきものを持って応接室に
入ってこられた。そして
「これ、今コンビニで買ってきたんですけど、どれがいいですか?」
と袋の中の商品を出しながら、見せてくれる。

みたらしだんご、わらびもち、抹茶プリンが入っていた。
「へ?わざわざ買ってこられたん?」
「はい。今尾さん、お昼食べないと聞いたので、これぐらいやったらと
思って。一緒に食べましょう。どれがいいですか?」
とすすめてくれる。
「え?わざわざ買ってきてくれはったんですか・・・。」
「今尾さん、和菓子が好きやと聞いたので・・・」
「へ?誰がそう言ってはったんですか?」
社内の人にきいたら、そう答えてくれたそうで、彼はわざわざ
和菓子をセレクトしてくれたのだ。
正直、和菓子を食べる習慣はないが・・。それでも、なんだか彼の
その気持ちがたまらなくうれしくて、
「じゃ、みたらし、いただきますね。これ、もらっていい?」
「どうぞ、どうぞ~。じゃ、ぼくはわらび餅」
と言って、お互い和菓子を一口ほおばり、話をして、また一口。
和菓子が子供の頃から苦手な私であるが、このみたらしは、
タレがきらきら輝いて、もちもちしすぎないさっぱり感で
なんだかとってもおいしく感じた。
会社からコンビニはそんなに近くないはずなのに、わざわざ
この15分か20分の面談のために、私のためにスィーツを買って
きてくれたとは・・・。

なんだか、とってもうれしく、ほんわかした時間。
そんななか、仕事や人生に関するプチ相談。
和菓子が前にあるせいか、会話もまろやかで、まさに和みの世界。
心素直に話せる感じ。
相手もよく、話を聞いてくれる。

和菓子やお茶をいただく瞬間、外されるマスク。
ああ、この方はこういうお顔だったんだ~。
もう何年もマスクをしている顔しかしらないため、
新鮮な感じもした。
「もっと成長したいんですね。人から頼られる人になりたいと
思うんです。」
「いい目標だと思う。じゃ、そうなれるように努力して。
そうそう、上司にもそんなこともしっかり伝えて、自分をよく
理解してもらうようにしたら?」
などなど、会話も弾む。

わずかな時間ではあったが、いい時間を過ごさせていただいた。
あわただしく、御礼もそこそこに、次の面談に入ったが、

帰り道、電車を待つ時間、ずっとあの和菓子スィーツを
彼がテーブルに並べる様子がくりかえし思い出された。
どんな気持ちでコンビニで、あの3品を選んだのかな・・。
どれが好きかなと思って探してくれたのだろう。

「いつも、いただいてばかりですから・・・」何もしていない
のに、そんな風に気にかけていただけるとは。

みたらし王子から、思いがけぬ
いいおもてなしの時間をいただいた。

最近、そんなうれしいおもてなしを、いろんな方から
いただいている。
本当に幸せだ。

普段見せない顔を見せてくれる。
そんな瞬間を大切に、本気の、本音のコミュニケーションで
相手に感謝をしながら、そして勇気づけることができたら、
本当にうれしい限り。

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この瞬間を生きる!ミルバのバラ

両親が旅立ってから、よく花を買うようになった。
祈り、お供えというだけでなく、自分の癒しのためにである。
常に何かちょっと飾ってみる。
くらしのなかのオアシスだ。
バラがシンボルのデパートの花売り場の前を通ったら
「今日はローズの日」ということで、バラを安価に提供
していた。1本売りも安くしてくれるようだ。
そこで目に飛び込んできたのが
このオレンジのバラ。名前は「ミルバ」である。
もしかして、あのイタリアの歌手が由来?そうミルバは
先日もここに書いたが、母と同じく昨年亡くなったイタリアの
歌手。まさに情熱と愛の歌い手。
確かにこのバラも情熱を感じる色だ。
早速1本買ってみる。
きれいなオレンジ。レトロな色合いと感じる人もいるかも
しれないが、私はこの1本から生命を感じる。
真っ赤な赤とは違う、炎のような生きる力・・・。

花言葉を調べてみると、
「今この瞬間を生きる」という意味だそうで、まさに
今の自分にピッタリの言葉であり、見ていて元気も沸いて
くる。
あのつややかな伸びある声のミルバのことを思い出しながら、
私も今という瞬間を
精いっぱい生きていこうと改めて心に決める。

バラには、実にいろんな種類がある。
ぜひいろいろ試して、それぞれの思いに包まれ、
できる限り、美しく年を重ねたい。

ミルバなラビアンローズを!生き続けたい。

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四半世紀をともに、の感謝。

グラン・ルーは来年開設から25周年を迎えるが、その時間を
ずっと寄り添い、助けてくださった大切な存在がデザイナーさんである。
脱サラをして、こんなことをしようと思っていると打ち明けたのが
34歳の今ごろだ。
ご自身も会社づとめから、独立して仕事をする人であったので、
私の決断に共感を寄せてくださって、まずはグラン・ルーのロゴづくり、
そして名刺、毎年の年賀状、ホームぺージ、CDのジャケット、各種チラシ
オリジナルグッズ、カレンダー・・・と、グラン・ルーに関わる
デザインはすべてお願いをしてきた。このブログのヘッダーもそのひとつ。
今から思えば、打ち合わせや製作は、時間を問わず、早朝から夜中まで
おつきあいいただいた。公私ともに私という人間をご理解いただき、
その想いをカタチにしてくださった。
5年前、東京を離れてからも、変わらず関係は続いている。

ありがたいのは、この間に使ってきた写真をはじめとしたデータ類も
共有、保尊してくださっており、何かあればこちらから言わなくても、
グラン・ルーのコンセプト、歴史、世界観を理解されているので、
ここにはこんな色、こんなレイアウトが良いのではと私が求めることを
先に提示してくださる。一から説明しなくても良い、そして新しい提案を
いただける。こうだといいのではないか?いつも私の見え方を客観的に
考えてくださっている。そう、分身のような存在だ。

グラン・ルーの世界観は彼女とともに、彼女がいたから見える化
できたのだと思う。いろんな提案も数えきれないほどいただいた。
ライブにも駆けつけてくださり、いつも応援してくださった。
私の挑戦を楽しみにしてくださるので、真っ先に報告したい人の一人
である。
家族の変化、親の死・・・。うれしいことから、悲しみまで・・・。
さまざまな気持ちを共有しながら、激励いただきながら、進んできた。

ブランディングには時間がかかる。
そして見える化することで、はじめてわかる。
見えなければ、何もない。
デザインの仕事は、思いをカタチにすること。
私の想いを見える化する上で、デザイナーさんの存在、関係は
一番大切である。

お付き合いを30年以上重ね、四半世紀、一緒に健康で仕事ができること。
自分のことを、常に見守り応援していただけることは、本当に
嬉しい。
最近、25年に向けさまざまな取り組みを見直し、新しい挑戦を
するにあたり、改めて、デザイナーさんの存在に思いを寄せて
いる。
私が仕事をする限り、最後の最後まで、グラン・ルーのデザインは
このままお願いしていきたい。
クリエイターとして、人として、共感し合える仲間がいることは
本当にありがたい。
いい仕事は、信頼から生まれる。仕事にもパートナーは不可欠だ。
今改めて、生涯のおつきあいを願っている。
グラン・ルーを一緒に回していただける仲間を大切にしたい。

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今年もできたよ。みんなでつくる美術館

昨日、都内のオフィスのエントランスラウンジにて、
障がい者アートの展示を行った。
作品は、新潟の提携先から責任者が持って駆けつけ、
その企業で働く皆さんと一緒に飾り付けを行っていく。
どの作品をどこに飾るか。をみんなで考え、
上から吊るしたり、イーゼルに乗せて、バランスを
見ながら、調整していく。作品・作家紹介のPOPも取り付け
よく読めるかどうかも点検。
「もっと左」「もっと右」「これぐらいかな」
みんなが様々な意見を言いながら、どうしたら
見る人にとって、より見やすいかを真剣に考える。
スタートから約90分で、展示は完成。
みんなでプチ達成感の歓びを胸に、笑顔の記念撮影。

障害をもつ人も、そうでない人も一緒になって
力をあわせてつくるミニ美術館。
これから、しばらく会社のエントランスを華やかに
してくれるだろう。
そこで働く人にはもちろん、来社されるお客様にも
アートな時間を、しばし楽しんでいただきたい。

今回は、作品横にホワイトボードを設置し、皆さんに
自由に感想を書いてもらう予定。
それを撮影記録して、あとで作家さんたちにもお見せする。
これもみんなでつくる美術館らしい、素敵なアイデアだ。

そんなこんなで、MOSごと美術館が2022年もスタートした。
毎年、違った形で表現できていることが、うれしい。
実は、今回の展示作品を活用した、アートフルな店舗が原宿にある。
オフィスとお店、両方で作品たちを見比べてみると、これまた違う感動が。
空間が変わると、アートの楽しみ方が膨らんでくる。

※この作品展示「MOSごと美術館」の2022年企画は
6月1日より㈱モスフードサービス本社のエントランスでスタート。
こちらでの展示作品を活かした店舗が、表参道にて絶賛営業中です。https://www.mos.jp/shop/detail/02404/


こちらは、表参道原宿のモスバーガーの店内
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