真剣に向き合う。

若い人との対話が増えている。
とくに社会人になったばかり20代の方とのやりとり。
自分に子どもがいないせいかもしれないが、
ある意味、とても新鮮であり興味がある。

この人たちが、これからどうやって一人前になっていくのだろう。
学校を出たからといって、一人前ではない。
自立して生活できるようになって、社会の一員となって何等かの
役割を担ってこそ、ひとりの大人である。

まもなく新入社員を招き入れる季節。
企業側もその受け入れに準備を整える。
手厚く交流して、内定通りに入社いただき、そこからが本番だ。
採用も大変な仕事であるが、早々に退職したいということに
ならないようケアも必要だ。
上司や周囲の人が、その人の状況、変化を見てしっかりコミュニケーション
することが大切だ。

その人ががんばって仕事を続けられるかどうかは、本人の問題もあるが
周囲の責任も大きい。
上司に何でも相談できる関係、そしてその上司も部下の悩みを聞き入れ、
解消したり、問題解決に向けてできることを一緒にしよう!と取り組む姿勢が
こそが大切だと思う。

その結果、100%思うようにならなくても、少しずつでも改善できるよう
まず自身ができることをし、周囲にも働きかけ環境を改善できるように動いて
みるなど、上司が自分のために動いてくれたということも部下にとっては
励みになったりする。

真剣に向き合えば、きっと伝わる。

真剣に聴き、真剣に一緒に考え、そしてできることをすぐ行う。

上司と部下の関係性は、組織を強くする一つの大切な節。

そこにはやはりコミュニケーションが欠かせない。





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心を込めて、魂込めて。

長崎でのコンサートが1週間後に迫ってきた。
いつもどおり、練習も、集客や演奏以外の準備もままならず
カウントダウンに突入。
ここまできたら、やるしかない!
と自分を追い込むところまで追い込む。
でも、集中できる時間がない、なんとかせねば。
本番前はいつもこんな感じ。

そんななか、小澤征爾さんが亡くなったのが2月6日と
のことで、追悼番組をやっていたのを知る。
そのなかで、「はじめて聴くお客さんにも、心を込めて
演奏すれば、必ず伝わる」と、学生たちに教えておられ
る様子を知り、思わず立ち止まる。
そうだ。どんな状況であっても、心を込めてやりとげる。
心がまっすぐであれば、かならず伝わる。
小澤さんの指揮は、全身からまさに心が透けてみえる
ような表情豊かなものだった。
アウトプットとしてのオーケストラの音色は、まさに
指揮者の心そのものを表現していた。
だから、世界中にファンが集い、弟子たちが慕った。

地元でもない、知人も少ない長崎でコンサートをやる
意味は、ここで愛と平和を自分なりに伝えることに
ある。私の気持ちを、伝えるためにやる。
ここでやりたい。このタイミングでやらねば。と
思ったのだから、それをやればいい。

お客様がたとえ、ひとりでも、百人でも、心を込める
ことは変わらない。むしろ、少なければその分、
ひとり一人に伝えることもできるかもしれない。

長崎に初めて行ったあの日。そこから出会ってきた
方々も足を運んでくださる。
これを機会に、わざわざ県外から足を運んでくださる
方もおられる。
何というしあわせなことだ。

今回はおいでいただく方皆さんに、心からのバレンタイン
の贈り物を届けたい。

そして、長崎でやってよかった。とお客様も自分も思えるように。
そのゴールをイメージしながら、
本番に向けて、そろそろ切り替えていく。

心を込める。魂を込める。
やはり、ここにいきつくのだ。

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いい仕事。

働く。「人が動く」と書く。
生きている間、元気な間、動いて何かしら社会のお役に立つ。

仕事。こちらは「事に仕える」と書く。奉仕する、お役に立つ
ということ。

一般には、これらを行うことにより、報酬をいただく。
ボランティアなど、報酬を得ることを目的としない仕事もあるが、
多くは働くことで報酬を得て、生活する。
生きていくために、働かねばならない。
だから、給料は大切だ。

どうせならば、少しでも高い収入を得たい。
これは誰もがそう思うことだろう。
でも、要求するだけではそうならない。
その報酬に見合う、期待に応えた仕事をしなければ
価値ある仕事をしなければ、と思う。

どうせやるなら、成果を生み出す仕事をしたい。
どうせやるなら、相手に喜んでもらいたい。

結果は後でついてくる。

現実には、こんな給料じゃやってられない。と転職していく
例もあるが、
ひとり一人が自分の能力や個性を活かし、
その職場で役立ち、結果満足のいく収入を得られる・・。
そんな状況になればよい。

雇用とは改めて大変難しい課題だ。
人を雇うとは、その人の生活がかかっている。
成果を上げてもらいながら、生活を支え続ける。
経営側にとっても、従業員側にとっても、いずれも
真剣勝負。
双方の理解と感謝。

どうせ仕事をするならば、一緒に未来に向かえるように。
そんな職場づくりは、やはり日ごろのコミュニケーションから。

ああ、いい仕事ができた、いい会社で働けた。
いい人に働いてもらっている。

と毎日実感できるといい。
それは受け身では実現できない。
自分からそう思えるように心得、自分から動くこと。
そう、自分から動くことが、本来の仕事。


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すべては出会うために。

わが人生は、本当に出会いに恵まれていると思う。
そして、気が付けば、出会うべして出会っている人との
関わりのなかで生きている。

自分が独立したばかりのときだったか、当時30代半ばで
今と違う勢いで猛烈に活動していた頃、当時50代後半の女性の方から
「最近名刺の整理をしているのよ。
もうこの年になると、人付き合いをそろそろ絞っていこうと思う。
たくさんの人と出会わなくていい。本当につきあいたい人との交流だけで十分」
そんな話を聞いたことを、今改めて思い出す。
人脈を広げることが大切と思っていた自分にはかなり新鮮な言葉であった。

確かに若いころは、いろんなところへ顔を出し、名刺交換をして
いわゆる「人脈づくり」活動を無意識にしていた時もあった。
サラリーマンから作家に転身したNさんからは、いつも
「今尾、死ぬまで営業だから」と言われたことも同時に思い出す。
会う人会う人にいつも、自作を紹介した手作りビラを名刺とともに渡し続けて
いたNさん。Nさんは営業しながら、書き続けた。
そう、Nさんは生涯人脈づくりを続けた。書く営業マン。あんな人は見たことが
なかった。そういう先輩に刺激を受けて私もがんばった30代。

そして、月日が経ち、当時の出会いを懐かしく思うとき、
大切な人たちとは、出会うべくして出会ったのだと確信する。
長くご縁が続いている人とのことは、とくにそうだ。

あの方との交わりがなければ、その出会いはなかった。
あの場に行ったのは、あの人に会うためだったのでは。
あの仕事をしたのは、あの方に出会うためだったのだろう。

最近、そんなことを繰り返し思う。

生きるとは、心が通い合う人との出会いを求め続けること。
この人のそばにいたい、見守りたい、一緒に仕事をしたい。
ずっと話したい。もっと会いたい。応援し続けたい・・・。
そんな人に出会うために、日々、旅しているような、わが人生。

昨日もそんなことを感じる出会いに恵まれた。

人生は観覧車のように、二回り目になって、改めて
人生は出会いのためにある。と強く思う。

多くなくていい、いい出会いは自然に現れる。

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顔が浮かんだら、即。

お世話になってきた方々の人生の先輩たち。みなさんの年齢を
思うと、70代後半から80代という方が多くて、何年か
ご無沙汰していると、お元気なのだろうか?と心配になって
くる。
そんなことで、年賀状も途絶えた方で、連絡先が分かる方に
時間があるときに、連絡をしてみる。

すぐ電話に出られ、元気な声を聴けたらうれしく、また留守電や
ショートメールに返事があれば、安心もする。
いろんなことがあって、コミュニケーションが一時中断していても
時間が経てば、物事の見え方が変わって、当時理解できなかったり、
距離を置いていたことが、変わって見えてくる。
時間とは不思議なものだ。

「今度、いつ東京に来るの?」「近いうちに、台湾へ行きますね」
と、必ず再会の話がお約束となる。
懐かしい人、愛する人たちに、今会っておかなくちゃ。

会いたいとき、会わねばと思うときに後悔しないように。

約束いっぱいの日々。絶対果たさねば。
時間のやりくりは大変だけれど、楽しみのひとつ。

顔が浮かんだら、会いに行こう!

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省の時代。

先日の陥没事故。被害に遭われた方の救出が遅れていることを思うと、心が痛い。
なぜ、そのタイミングでそんなことが起きるのか。被害の影響拡大も驚きだ。
現地の皆さんの暮らしが早く日常に戻れるように心から願う。

このことは、他人事ではない。自分の周囲でもいつ、なんどき、何が起きることやら。
見えないところで、歪みが出ている。そんなことまで考えてこなかったが、
日常生活は、見えないところで支えられている。
電気、水道、ガス、通信・・・。これらが使えて当たり前と思っているが、
そうではない。ということを改めて意識せねばと考えさせられる。

インフラの老朽化。安心安全な日本はどこへ行ったのか?
毎日、どこにでもリスクがあると思ってしまう。
ちょうど、年度末に向けて、さまざまな工事が地元の道路でも行われている。
浸水を防ぐための水道管の工事など、まさにインフラを整えるための工事が
行われている。そのこと自体はとてもありがたいが、だからといって局地的な
工事だけでは、いざといった時に間に合わないかもしれず、税金を払う側もしっかり
このことに関心をもち続けること、注意を払うことが大切だと考えさせられる。

この十数年。自分が生まれ育ってきた時代は、日本がいろんな意味で成長を遂げた
華やかな時代であった。本当にありがたく、感謝しかない。
しかし、その繁栄は永遠のものではなく、今は見直しをしなければ、次代の人が
生きられない事態になっている。

省インフラという言葉があるそうだ。
省とは省みるということ。
省エネという言葉も以前よく使われたが、見直し無駄をなくしていくこと。
インフラもそちらの方に進むべきだという考え方。なるほどと思う。
大きな新しい建造物を作ったり、ダイナミックな富の象徴のような建造に目を
向けるよりも、あるものを修繕しながら、長きにわたって使えるように工夫して
いくこと。

いけいけどんどん。の時代の反省。
もちろんいいこともあり、恩恵を受けてきたけれど、
省みて改善していくことは本当に、切実な課題。

今回の事故から、学ぶことは多すぎて・・・。

まず、足元から気を付けること。
いろんなリスクが多くなるが、自分を守れるのは自分しかいない。
省の時代。改めて考えねば。

改めて、現場からの一刻も早い救出と復旧を遠くからで申し訳ないが、
心から祈っている。

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オンも、オフも伝わるコミュニケーション。

とくにビジネスにおいては、日々いろんな人とのコミュニケーションが前提になり
仕事が成り立つ。
もちろんプライベートでもコミュニケーションはとても大切であるが、気心知れた
人とのつきあいと、そうではない相手とのかかわり方は、まったく違う。

自分を知らない人に、自分を知ってもらうこと、理解して、好きになってもらう
こと。そこから仕事もうまく進むことになる。
仕事も結局「人」と「人」の関係性からである。

技術職であれば、パソコンに向かい考え構築していく仕事であるので、日頃人と
話をしたりすることは少ない。
コロナでさらに会議はオンラインが主流となり、対面でのコミュニケーション
機会は減少。

そんな環境で育った学生たちも、リモートでの講義が多く、学生同士での
交流も少ないまま社会人に・・・。

ということでリアルなコミュニケーションの経験が少ない若者が多い今日。
チャットやLINEでのやりとりが主流であるが、ビジネスの場面では
メール、電話、対面での対話など相手に合わせた受発信が大切であることを 
ひとつづつ伝えていけたらと思っている。

世代を、環境を、業界を越え、まさにボーダレスで、オンでもオフでも
通じ合える関係が増えていけば、さらにいい変化が生まれるはず。

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平和だから〇〇ができる。

Valentineが近づき、あらゆる売り場でお祭り感が高まっている。
昨日、街中を歩いていて、なんと路面店の肉屋さんでバレンタイン
商品を販売していたのは驚いたが(ハート形に切り抜いた牛肉の
ギフトセットという不思議な商品)、チョコレートだけでなく、
こんなところにまでバレンタインが浸透していることに日本の
平和ぶりを感じる。

デパートでは平日でも、チョコレート催事に行列ができている。
コロナ後、再び過熱している様子。
ここで販売されているチョコレートたちは、どれぐらいもともとの
意味どおり贈られているのだろう?
自分のために購入されている方も多いのでは・・。
とにかくお正月の次の催事「ショコラ〇〇」。
イベント名は各社違えど、一年でもっとも集客を期待できるイベント
としてすっかり定着している。

これらを見ても、本当に平和だ、平和すぎると思う。
いつまで、こんな幸せな甘い時間が続くのだろう・・・。

そう思っていたら、通販雑誌の表紙のタイトル上に
「平和だから買い物ができる」とのコピーが目に飛び込んだ。
そう、平和だから…確かにそうだ。
平和であれば・・・。子どもであれば学校にも行ける。
友達と遊ぶことができる。家族でひとりで旅ができる・・・。
そこに行くまでに平和だから自由にものが作れる、売ることが
できる、楽しく暮らすことができる、次はどうしようかと考える
ことができる・・・など、いろんなことが連なってくる。

平和であることを、意識せず毎日暮らしていることが多いが、
今改めて、平和でいられていることに感謝をして、
ひとつひとつの行動に感謝したい、丁寧に過ごしたい。

平和でない人たちが世の中にたくさんいる。
そのことを忘れてはいけない。

平和だからできる。
このことが続く一生であってほしいが・・・。


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「生きててよ」

大切な人たちとの再会の時間は、心の栄養であり、生きる力になる。
昨日、仕事の合間に、久しぶりにお会いできた人たち。
いずれも四半世紀、それ以上のおつきあい。
20代。30代の自分を知っていただいている人もだんだん
指折り数えるほどになる。年々減っていく。
自分のことを変わらないね。という目線で見守り、何の遠慮もなく
何でも話しあえるのが、うれしい。何とも言えない安心感。

ひとたびお会いすれば、話題は次々と湧いてきて、あっという間に
二時間が経つ。

「あ、こんな時間。行かなくちゃ」
名残惜しいが、今日はこれで。とお開きになる。

最後に硬い握手を交わし、お互いの元気を誓う。
「生きててよ」
今回、帰り際にそう言われたのが、大変印象的であった。
そんな言葉はこれまでなかった。
生きているのが当たり前と思っていたから。
でも、これからは、そうとも限らないから、
「生きててよ」
また、ぜひ絶対に会おう。という願いを込めて。

いつが最後になるか‥と考えたくはない。
また会う。会える。その日まで、どうぞお元気で。
東京で得たご縁もいろいろあるが、どれも
大切に紡ぎ続けたい。

大好きな人たちへ、
「生きててよ」

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変化を自ら楽しめる人に。

生きていく上で、変化はつきものだ。
環境が変わる、状況が変わることにより、自らも変わらなければならない。
そんなときも多くある。
ときに、変わりたくないこともあるかもしれないが、
なかなかそうはいられない。

生きるということは、変わるということ。
毎日違う時間を過ごしていること自体、変化しているようなものだ。

同じ毎日を生きているような感覚になることもあるかもしれないが、
同じ日を同じように生きるということは、決してない。

一方、時に大きな変化が外的環境からもたらされると、特に予期せぬ
ことであれば戸惑ったり、悩んだりすることもあるかもしれない。

そんな時は、そんなもんだと思うようにする。

そして、変わるチャンスをもらったのだと受けとめるようにする。
そして、どうせなら人から言われる前に、自分で変化に向き合う
ようにしたい。

昨日までラッキーな時間を重ねていても、今日はどうかはわからない。
とにかく何があってもおかしくない、どんな状況でもタフに
乗り越えられる自分でありたい。

今、時節柄、さまざまな見直しがされる時期である。
新しい人が入ってきたり、送る送られる、そんなこともある。
どんな変化がふりかかってきても、自分が主体的に変化を楽しみ
それをきっかけに成長できるようにしたい。
受け身になるより、自から発する人へ。
人からもたらされる変化より、自分から変わる方が面白い。

人生主役は自分。
周囲といい関係をつくりながら、自分らしく
変わることを楽しもう!
ときに葛藤も内なる成長のために歓びとしよう。

自分の目指す方向に向かい、日々を楽しむ。

と、今日もそんな思いをもって、変化の旅へ。


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