創業者冥利につきる

テレビというメディアは、すでに「オールド」という冠が
付けられており、またさまざまな面から問題も指摘され、
苦境に立たされていると思うが、そのなかでも、週末など
になれば、家族だんらんの夕食時間いわゆるゴールデン
タイムにはテレビを見ながらくつろぐという家庭もある
ようだ。
先日オンエアされた番組は企業が自社商品を紹介し、
専門家がそれについてジャッジ?するというもので、
人気番組らしい。翌日、録画したものを見た。
個人的には人様の商品を他人が評価するという企画自体
あまり好きではないが、どのように取り上げられるか、
なぜこういう番組がうけるのかなという目を持ちながら
勉強させていただく。

結果的には、番組で取り上げることにより、その後の
反響は大きく、結果、お店の売り上げに貢献するので
とても良い。テレビのおかげで!となるわけだ。
番組の中で取り上げられ、その商品のこだわりが、
しっかり伝わることで、新たなファンづくりに
つながることもある。という点で納得。
今なお、まだテレビには一定の影響力があるのだとも
思った。

その後、番組づくりに協力された企業の方と「見ましたよ!」
と会話した。
すると、「とにかく、創業者や長年取り組んでこられた
先輩たちの顔に泥ぬるわけにいかないので、がんばろう
と思いました。ただ、それだけです」
との答えに、感動した。

会社につとめ、長年仕事をしてこられた方が何十年
経った今も、創業者のことを思って仕事をされているとは!
そして、メディアを通じてそれを社内にも発信されているとも
思った。視聴者への影響だけでなく、社内のモチベーション
アップに貢献する取り組みだ。
自分は素晴らしい会社で働いているいう誇りを持った人は
多くおられたと思う。

イズムが生きている。
番組での取り上げられ方以上に、それに取組む社員の
皆さんの根っこにある熱き思いに触れ、だからいいものが
つくれるのだと改めて思った次第。

創業者冥利につきる。
きっと創業者は、あたたかく見守っておられることだろう。

時代が変わっても、精神を受け継ぐということは企業の
たゆまなき発展にいかに大切かということを学んだ。

どんなことにも、どんな思いで取り組むか。
やっぱり、そこだ!

イズムを大切にしたい。大切に生きたい。


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人生はミルフィーユのように。

ふと、自作の「人生は観覧車のように」の中の歌詞で
「人生はミルフィーユのように、重ねて重ねて綴っていく」
というくだりを想い出した。

ほんとうにそうだな~。20年ほど前につくった曲なのに、
今改めて、納得、実感のフレーズだ。
人生は毎日、毎時、毎分、毎秒の積み重ね。
薄い薄いミルフィーユのような時間と経験を重ねていく。

いきなり立派な形ができあがるのではなく、1枚づつ
薄い皮を重ねていくのみ。
それは地道な取り組みである。
そして、しかもその1枚はとても繊細で壊れやすい。
丁寧にそっと扱わないと壊れてしまう。

人生はときに大胆に進みたいけれど、
細心の注意をはらって、丁寧に丁寧に時間を、出会いを
重ねていくことも大切だ。
油断をしたり、傲慢になってはいけない。
力づくでは、良好な関係、理想の人生、世界はできない。

今日もさまざまな方との出会い、交わりがある。
瞬間瞬間を大切にしたい。
相手を尊重したい。

人生はミルフィーユのように。
丁寧に生きよう。

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重要文化財を守り、維持する仕事


旧香港上海銀行長崎支店記念館。ほんとうに何度前を通っても
中に入っても、長崎の歴史とロマンを感じる特別な空間だ。
大浦天主堂の坂下、そして海外からの客船を迎え入れる港の前に位置している
ということも、この建物が誕生した当時の国際都市長崎を想像させてくれる。
余韻の消えない翌日、この建物を管理するスタッフからメールをいただいた。
許可をいただいたので、以下に紹介させていただく。

昨日は素晴らしいコンサートを開催していただき、誠にありがとうございました。
今尾様の心のこもった演奏が本当にキラキラと美しく輝くひと時で、
私たちスタッフも忘れられない時間を過ごすことができました。
さっそく貴ブログを拝読させていただき、とてもあたたかな気持ちになりました。
11年ぶりに長崎でコンサートを開催してくださったことを本当に嬉しく思います。
重要文化財を維持していく意義や私たちの使命についてもあたらめて捉えることが
できました。今回のコンサートの中で今尾様からいただいた大きな贈り物に心より
感謝申し上げます。スタッフ全員で共有させていただきますね!
これからも多くの方々に親しんでいただける地域に開かれた館づくりをめざして
いく所存です。
今尾様が「心のふるさと」と大切に想ってくださる長崎の、ひとつの場所であれる
ように。またぜひ当館をお選びいただければ幸いです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これを読んで、改めてこの場所をコンサート会場に選んでよかったと思った。
ここがなければ、長崎での開催という発想にもならなかっただろう。
紹介してくださった歴史文化博物館の当時のスタッフに感謝する。

どんな立派な建物でも、時間を経れば、老朽化する。人間と同じ。
でも、こちらの記念館は121年という、人間以上の寿命を保っている。
維持するか、解体されてしまうか?
長きにわたり、必要に応じて修理をしながら、丁寧に保存して
いくには、多くの方々の意志と協力が不可欠だ。
残さねばならない!という気持ちがなければ、いずれなくなってしまう。

今回、このコンサートを行うにあたり、スタッフの皆さんのこの建物に対する
愛着を改めて感じることができた。
使用させていただくには、いろんなルールがある。ひとり一人、一組一組がそれを
守らなければ、建物の老朽化はすすむ。また避難経路なども計画された設計ではない
ため、収容人数にも制限がある。細かな取り決めを守って、使用が認められる。
他の会場とは違う緊張感をもって取り組ませていただいた。

演奏後、
「この子も喜んでいます。このピアノは弾く人によって違う音を出すんです」
と、グランドピアノを片付けながら、そんな風に語ってくれたスタッフ。
ピアノを家族のように言うのが、微笑ましかった。
「また、ぜひやってくださいね。使っていただくことでこの建物が維持できます」

そう、使わないと老朽が進む。それは、巷の空家も同じことであるが、
後世のために残しておかねばならない歴史の足跡としての文化財であれば、
なおさらのこと、うまく使い維持しながら長く保存し続ければならない。

重要文化財を守り、維持する仕事。なんと誇り高き仕事か。
細心の注意と配慮をもって。建物への敬意と愛情と、そして訪れる人々への
丁寧な対応が求められる。
長崎のホスピタリティは、わたしにとって、他の町とは一味違う深い趣がある。

今回また新たな出会いをいただいた。そして、ここで再び、そんなに間を空けずに
またやらなければ。と新たな意欲も湧いてきた。

地元の人には「ホンシャン」の愛称で呼ばれている。
また、近いうちに会いに行く。

この素敵な文化財の詳細はこちら
http://www.nmhc.jp/museum_hsb/

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心きらきら、ながさきバレンタイン。

愛と平和を伝えるバレンタインコンサート。
長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館をお借りし、予定どおり開催することができ、
地元長崎の方、県外からお出かけいただいた方々にお集まりいただいた。
あの衝撃の大雪の日の開催から9年ぶりである・・・。今回は晴天好日となり、本当に
よかった。

今回は2部構成でトークを交えて演奏。
1部のテーマは「生まれて、生きて・・・。」
悲喜こもごも、さまざまな時代、場面での愛を描く世界・日本の名曲を
中心にお届け。平和な日々、平和な世界を祈って・・・
2部のテーマは「オリジナル曲を中心に ~長崎から愛する人へ」
演奏した自作曲は、
人生は観覧車のように、夜のグラン・ルー、みず・つち・ひと、
あじさい日記、そらいろ日記、黒いひまわりなどなど・・・。
とくに長崎での久しぶりの演奏ということで、長崎でうまれた「そらいろ
ワルツ」やフランシスコザビエルへの敬愛を込めた「フランチェスコの夢」
と戦争の終結を願う「黒いひまわり」には熱が入った。
長崎でぜひとも演奏したかったレパートリーである。

集まっていただいた皆様には、楽しんでいただき、あたたかい拍手をいただいた。

ザビエルが初めて日本を訪ねたときのように、私にとって長崎はそんな場所であった。
誰も知らない、異国のような・・・。それが今となっては心のふるさとのひとつ。
お世話になっている長崎の皆さんに聴いていただけたこと、
新潟、横浜、岐阜、愛知、山口から遠路はるばる県外からも足を運んでいただけたこと、
自分の企画に集まってもらえるとは、なんと幸せなことか。

また、長崎で気になっているド・ロ様プロジェクトや、原爆体験を語り継ぐ永遠の会など
の資料を配布し、皆さんに長崎の皆さんの活動をお伝えすることができたことも今回の
開催の意義のひとつとなった。
ド・ロ様の教えを現在に伝える活動をされている赤窄シスターにも駆けつけていただけた
こともとてもうれしかった。
この季節ならではの桃カステラ、いちごを皆さんにお届けしながら、私なりの長崎バレン
タインは無事終了。

この会場の管理スタッフからも気に入っていただき、またぜひここで続けてやってほしいと
言っていただけたことも、心強く、長崎でのご縁がまたひとつ広がったと実感する。

迷いは常にある。でもやる意義を思い、前を向いてやればいい。
ザビエルのことを久しぶりに近くに感じられたこともうれしかった。

愛と平和を今日も。
自分が生きる意義を考えるにも、よいきっかけを与えられたバレンタインコンサート。

「今尾さんの演奏は、明るいのに歌詞が切なくて・・・。でも皆さんの気持ちが引き上げられていきますね。ろうそくの明るさではなく、キラキラした明るさ・・を感じました」
と、言ってくださったスタッフの一言が、今朝も忘れられない。

「またね!」 コンサートを終えて、帰りに撮った一枚。幸せなバレンタイン、長崎での
思い出、またひとつ。

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愛と平和を伝えるバレンタインに。

9年ぶりの長崎でのコンサート。会場の準備はおかげさまで、
ゆうべのうちに完了した。いよいよ、本日開催となる。

ザビエル縁から、気が付けば
この港町は心のふるさとのひとつになった。
一言でいえば、空と海の美しさと、歴史ある町の奥深さと、そして
人びとの優しさ。
すべてが一体となって私のなかで、ゆるぎない存在感をもつ。
悲しさと優しさと美しさがひとつになると、こういう世界になるの
かと思う町。

昨日は今日配付する資料を受け取るために国立長崎原爆死没者追悼
平和祈念館にも足を運び、隣接する原爆資料館も久しぶりに見学。
20世紀の長崎の悲しくつらい歴史に触れ、改めて今年はどういう
年であるべきかを考えさせられた。
それもあって、今日のコンサート。
愛と平和をこの長崎で願い、おいでいただける方とともに、
心豊かな時間を過ごせたらと思う。
そして、わざわざ足を運んでくださる方、応援くださっている
方に長崎を通じた、またこれからも続く、繋がり続けたい長崎縁を
今日をきっかけにまた育みはじめたい。

父母が参加した大雪となった1回目のハプニングコンサートも
懐かしく思いながら、
等身大の自分で、思いを存分に表現したい。

そして、続けること。
長崎との縁は、生きる限り途絶えることなく。

岐阜を訪ね、信長と交流し、日本の歴史を綴り伝えたルイスフロイスも、
この長崎で人生を終えた。
ザビエルとあわせてその存在に感謝し、自分らしいバレンタインに
したい。

無事会場設営もリハーサルも終えた。

おいでいただける皆さんに笑顔でお帰りいただけるように。


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自分の最後の仕事。

経営者の会話を思い出す。
この取り組みは自分の最後の仕事になるでしょう。
という言葉を聴いて、50代の経営者もそんなことを
考えるのだとしみじみ・・・。
そう、考えなければならない年齢、時期なのかもしれない。

自分がその役割を終えたあとにも、会社が続いて
いけるように、とそんなことを思いながら始める
新たな事業。そこには重い責任と熱き思いが重なる。
10年後、20年後、30年後・・・。
会社は社会とともに存在する。時代の変化とともに
成長発展していかねばばらない。
どんな風にバトンを渡していくのだろう。

と、そんなことを思いながら、今の仕事を
精一杯取り組む姿には、頭が下がる。
経営者とは、常に今のことだけでなく、
先のことも見据えながら生きていかねば
ならない役割。

自分の人生だけでなく、人の人生も背負っていく
この仕事・・・。
働く一人一人も、そのことを忘れずに
一緒に働く縁を大切に、前進してほしい。

と、昨日のある経営者との会話をふりかえり
改めてエールを送りたくなった。

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たまには自分に感動。

何年も聴いていなかった10年以上前にリリースした自分のアルバムを
久しぶりに聴いてみた。
ファーストアルバムは13年前の、東日本大震災の直前であった。
ひと昔前の自分の曲、演奏・・・。
若いなあ。力いっぱいだなあ。と以前の演奏をそう思った。
でも、歌詞を聴いていると、なんだかあの頃から今と変わらない
人生観、死生観をもっていたような気がしてきて、これが自分なのだ
としみじみ・・・。
もちろん40代にもなれば、立派な成人であり、いろんな経験も
して、人生を少しは語れるようになってはいるだろう。
でも、今でも、その歌詞に共感できるとは、若き日の自分の感性
に驚く。
人生に向き合う姿勢、不変なるものを表現したいという思いは当時
からもっていたのだろうか?
音楽を一度捨てて、哲学の方に進んだことも、関係あるのかもと
も思った。
いつの間にか、人は、人生は・・・をいつも意識し、生きるように
なってきた結果、それらが作品にも出ているのかとも。

人はいつ、自分の才能に気づくのだろう。
今回、改めて過去の自分の作品を聴き直すことで、
ああ、これで悔いなく人生終わることもできる。
とも思った。

時々、自分の過去を振り返り、足を止め、これまでの歩みを
かみしめたい。
そこで生まれたさまざまなアウトプットにも目を向けたい。
自分に感動できるのは、とても幸せなこと。

感動は自分の生きた時間のなかにもある。

いい曲つくったね~。と自分を褒める。
そんな自画自賛、しあわせな時だ。

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どの時代も輝いて

14日に開催する長崎でのコンサートの準備も大詰め。
と言いたいところであるが、カウントダウンになり、
やっと動き出した感じ。
一番の課題はこれに集中する時間をつくること。
これが一番難しいが、せめて移動中は音を聴いて
耳を馴らす、音程正しく声を出しやすくする。
最新のアルバムを聴いて、ついでに、過去のアルバム
も聴いてみる
実は自分の演奏を聴くのは緊張する。
ここは良くない、ここは、あそこは・・とついつい、
今さらのダメ出しをしてしまうのと、自分の声を聴く
のはどうも恥ずかしい気もして・・・。
でも、今回はなぜかすんなりと自分の演奏に耳を傾ける
ことができた。

へえ、こんな風につくっていたんだ。オーケストラみたいな
バイオリンとピアノのハーモニーに、ああ、こういった
曲をつくっていた時代があったのだ。と自分の作品に
感動する。
あのときは、ポルトガルへ行き、ザビエルたちが出航した
港まで出向き、思いを馳せてザビエルへの思いをその夜
リスボンのレストランでメロディを譜面に描いた。
と、そんな瞬間のことがくっきりと蘇ってきた。
そして、バイオリンを演奏していただい当時交流のあった
Mさんのことが急に懐かしくなり、果たしてお元気なのか?
と十年ぶりぐらいにか、メッセージを入れてみる。
まだ返事はないが・・・。

こんな風に昔のアルバムを辿りながら、昔の自分に出会い直す。
その時代、その時代で、自分なりにがんばっていたんだな。
と思うと同時に、これらの作品はすべて自分が生きた証し。

自分が亡くなったあとも、このアルバムを聴いてもらえれば、
自分がどんな人間であったのか、どんな生き方をしていたか、
の片鱗は掴んでいただき、少しはなつかしく思ってもらえる
のかもしれない。

と準備をしないこの時期に、昔の自分の演奏に浸りながら
今の自分と重ねる時間。
このひとときも、大切だ。

コミュニケーションクリエイターとアーチストのスイッチが
切り替わる瞬間でもある。

さあ今日はさらに追い込みをかけるとしよう。
長崎のあの会場にいる気分で、リハーサルをする。

わが人生。決して優等生とはいえない、、むしろ不良であるが・・・
それぞれの時代で自分らしく輝いていた。
そして今のことも、あとで振り返ったときにきに、
そう感じられるといい。

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災い転じて、吉雪になって・・。

雪の影響は、今朝も続いている。
新潟や北陸をはじめ、大雪が降った地域の皆様には
心からお見舞いを申し上げたい。
物流が滞り、店の営業にも影響が出ているところも多い。
店頭に商品がない、提供できないなど、ほんとうに
人力やITの力だけではどうしようもできないこともある
ということを改めて知らされる。
早く、普段の生活に戻れるようにと、今朝も自宅や
出勤先で雪下ろしから1日をはじめる仲間たちのことを
思い、頭が下がる。
雪国の人が忍耐強い、というのは雪と共存してきた
からだと思っている。
寒さに耐え、大雪に耐え・・・。
春のおとずれを待つ・・・。
この季節は本当に過酷である。
今週の長崎コンサートにも、新潟の方から
「除雪の仕事があるので、残念ですが、行けません・・・」
との声もいただいた。
そう、除雪は冬の通常業務だ。
ましてや、週末からの雪の影響でその仕事量も増えて
いることだろう。

生前大変お世話になった新潟の方が、
雪はわたしたちに、吉をもたらすもの。
ということで、「吉雪(きっせつ)」という名の
自社ブランドを立ち上げられたという話を懐かしく
思いだす。
大雪との戦いは大変だけれども、それがもたらす
恵みも大きい。
美味しいお米、お酒、野菜・・・。
新潟の食がおいしすぎるのは、雪のおかげともいえる。

あたたかい缶コーヒーやペットボトルのお茶を
両手で包みながら、
「寒いっすね!」
と雪の日に、一緒に移動した新潟の仲間たちの
顔が浮かぶ。
雪という共通ワードで仲間意識も高まっていた気がする。

現実的にはさまざまな被害もあって、
心配も多い週明けであるが、どうぞみなさん、
元気にこの冬を乗り越えていただけるように、と
心からエールを送りたい。

雪は不思議な存在だ。
見ている分には美しく、音もなく・・・。
でも、気が付けば・・・。

いろんな教訓を得られる存在だと思う。

吉雪。今朝もその人のことを思い出す。
今朝の新潟、空から見たら、こんな感じだろうか。

雪解けの季節を待ちわびながら・・・。

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信長に聴かせるYOUR TANGO

雪が降った日の空は、厳しい寒さながらもとても美しく、そのまま日が落ち
て濃いブルーに包まれるのが心地よい。と、そこに華やかに現れた信長の像。
これは岐阜駅の広場にある金ピカ像である。そのスポットがいつのまにか、こんな豪華なステージになっていたのか。昼間は気づかなかった。
岐阜の伝統工芸品である美濃傘や提灯などが大胆にディスプレイされ、時間ごとに色が変わるライティングで、気づいた通行人が思わずここに寄って、写真を撮る。
ちょうど、好きな色に変わった瞬間にスマホを向けた1枚がこれ。

実はこの時、来週行うコンサートの構想を考えながら、自作の「NOBUNAGAの夢」を聴きながら歩いていたのだ。
信長が生きていたら、この曲を聴いてもらいたかった。何と言うだろう。
と勝手に想像しながら、歩いていたところにこのスポットに遭遇した。

最初は遠目に見ながら駅を目指していたが、思わずこの像に向かって歩き出した。
この銅像の下まで歩いていき、広場に立つ信長の前で、この曲を一緒に聴く。
「どうですか?信長さん。こんなタンゴどうですか?」
など、問いかける。音で描いた信長像が、このビジュアルにマッチ
していることを面白く感じた。
誰かが考えた信長のイメージと、私が考えた信長のイメージ。
それぞれが描いた世界が、うまくシンクロするのがとてもいい。

いつかここでも、NOBUNAGAの夢を演奏してみたい。
小さな夢がまたひとつ。

信長TANGO ライブ演奏はこちらから
https://www.mahsa.jp/creation/

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