続けられることへの感謝。

どんなことも、当たり前ではない。
と改めて思う。
何気ない日々の暮らしのなかで、
たとえば、毎朝、香り豊かなコーヒーや紅茶をいただけること。
それが美味しいと思え、静かに1日のはじまりを感じることができること。

目覚めれば日課としてやっていること、そして1日の活動を営む。
気が付けば1日が終わる。それを日々繰り返している。
もちろん毎日違う1日である。
1日を無事に過ごすということ。
やって当たり前、やれて当たり前と思うかもしれないが、
いろんなおかげがあってできるのだということを改めてかみしめたい。

仕事ももちろんそうだ。
仕事をいただけること、続けさせていただけること。
雇用されていようが、契約という関係であろうが、同じこと。
自分が社会から必要とされていることは、本当にありがたいこと。

年度末が近づくと、さまざまな取り決めを見直す時期にもなる。
普段以上に身が引き締まる。
ある企業さんから、「また1年お願いします」とありがたいお声を
いただいた。
もう20年以上になるが、まだ仕事させていただけるのだ。
と思ったら、ありがたく初心を忘れずがんばろうという気持ち
になってくる。

続けさせていただけること。
一緒に取組ませていただけること。

パートナーとしての存在を認めていただけることは
やりがいや生きがいにつながる。

当たり前のことは 何ひとつない。
事態は常に変化する。
一歩二歩先を見ながら、今日はもちろん、明日もお役に立てるよう
がんばりたい。
と思う。
明日から3月。週末ではあるが、年度末、そして春に向けての
準備がはじまり、日本中が動き出す。

日々関わりをもってくださるすべての皆様への感謝を込めて
新たな心で、謙虚に前に進みたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 続けられることへの感謝。 はコメントを受け付けていません

まだまだ入る、まだまだいける。

コップ一杯の水。
これをどう見るか。と若き日から何度も教えられた。

もういっぱいだ、これ以上は入らない。
いや、隙間がある。まだ入る。

同じものを見ても、人によって、見方によって
受けとめ方と、そこからはじまる行動が変わる。

久しぶりにそれを思い出した。
コップは自分、水は情報、あるいは
水は仕事 と置き換えてみてもいい。

もういっぱいだ!と思ったとたん、あふれることを
恐れ始めたりすることを心配することもあるかも
しれない。
よく、「いっぱいいっぱいだ」と思うのはそんなとき。

でも、コップを変えれば、もっと入る。
大きめの器を探してきたり、ひとつで足りなければ
ふたつ目の器を用意したり・・・。

入るように工夫すればいいし、
果たして、水の入れ替えもときには必要かも
しれない。

コップとは器。
器が変われば、まだまだ入る。まだまだいける。

日々の多忙のなかで、器を変えたり、洗ったりする
こともせずに、いっぱいいっぱいになっている
ことはないかと自問。

水が注がれた一杯のコップを、久しぶりに
そんな風に眺めてみる。

まだまだいける。まだまだ入る。
まだまだ受け入れることができる。

と思った瞬間に、私という器が広がる気がする。

そう、心の器を変えてみると、楽になる。


カテゴリー: Essay (Word) | まだまだ入る、まだまだいける。 はコメントを受け付けていません

発信する人たちの姿勢・生き様を学ぶ

もう何年も、ジャーナリスト横村出さんの講座を受け、
伝える仕事には強い意志と、使命感が必要であることを学ばせて
いただいている。

その講座のなかで、世界で活躍するジャーナリストや作家の存在に
ついても教えていただけることが大変ありがたい。
最近は、スヴェトラーナ・アレクシェ―ビッチというベラルーシの
ノーベル文学賞作家や、ロシアのジャーナリストとして知られる
アンナ・ポリトコフルカヤといった人たちのことに関心を寄せて
いる。
戦争が招くさまざまな困難について、社会について、国について
真実をわかりやすく伝えるために、権力をも恐れず生きてきた
強き人たちである。

発信者とはどうあるべきなのか。
また、伝える仕事とは何か?何に向かうべきなのか?
について、考えさせられる。

書いてあるものを読む、作品を観る、聴く。
私たちは、求めれば良質なアウトプットに出会うことができる。
あるべき世界を描き、そこへ近づくこともできる。
意識しなければ、情報のゴミに埋没し、自分を見失うだけ。

信念をもって生きる人、ブレないで自分の道を切り開き続けて
いる人の生き様をもっと知りたいと思う。

そんなことで、最近、本屋へも出向き、刺激を受ける時間も
もつ。わずかの時間でも多くのインプットがある。
作家と売り場と読者。この関係を見られる空間でもある。
そのなかに、ネットでは得られない、偶然の出会いもある。
売りたい一心の本も多いけれど、そのなかに、きらり光る、
自分の方を向いて待っている本もある。
それを探すひとときも、勉強である。

今は、アレクシェービッチやポリトコフスカヤの言葉に触れ
(といっても訳書であるが)、彼女たちの強い意志や信念を
学びたい。

作家やジャーナリストは書いただけではその仕事を終えない。
読まれてこそ、誰かが語ってくれてこその、仕事である。
瞬間ヒットする作品よりも、長く読み継がれる作品を。

いのちを賭けて仕事をする人たちを心から尊敬する。

どうせ生きるなら、次代に役立つメッセージを遺さねば。
と、そんな気持ちにさせてくれるから。

カテゴリー: Essay (Word) | 発信する人たちの姿勢・生き様を学ぶ はコメントを受け付けていません

評論家より活動家。

ウクライナの悲劇。昨日で三年。各メディアが取り上げている。
長い3年。その間、話題にならなかったことも多かった。
自分の身にふりかかることでなければ、人はずっと注目すること
はしない。他人事である。
たとえば、戦争に行かねばならなくなった息子や夫を待ち続ける
そして戦地で帰らぬ人になってしまった家族のこと・・・。
このことを思うと瞬く間に、戦争は自分事として考えることができる。

早く停戦してほしい。という声と、このまま終わっては亡くなった
人たちに申し訳ないから、勝つまで戦わなければならない。
この両極の声。自分がどの立場だったら、どちらの考えをもつだろう。

今はとにかく、もうこんなことはやめてほしい。
と思うのみ。もっていきようのない怒り、憤りがずっと心の奥にある。

たまに組まれる報道番組の特集で、この三年間で有名になった評論家も
多いと思う。
最初は、わかりやすく語ってくれるものだと感心していたが、
ずっと同じトーンで、どこか他人事のまま話している様子が気になって
きてしまった。
知識人って何だろうとも思い始めた。

何かをしましょう。しなくちゃ。これをしませんか?
戦争を終わらせるために、それぞれができることがないか?
語っているだけでは、何の解決にもならない。ということを
強く思った。

一方、語るだけでなく行動を起こしている人たちも多くおられる。
現地に赴き、人命救助をしたり、医療支援をしたり、国内でも
ウクライナの人たちを受け入れ、サポートする活動をされていたり
さまざまな寄付をしたり・・・。
活動家と呼ばれる方たちがおられる。
いのちを賭けて、真実を伝えようと発信を続けるジャーナリストたちも
いる。

少しでもお役に立てれば。
そんな優しく強い気持で、そして勇気をもって活動、行動する人たちに
目を向け、自分もできることをと思う。

他人事か自分事か。
意識の向け方の違いで、そのアウトプットは変わると思う。

3年の節目。ここからさらにどっちへ進むのか。
不安要素が多すぎるが、得やすい情報に惑わされず、世界をしっかり
みつめ、自分ができることをしていきたい。
たとえ、それがささやかな寄付であったり、平和を願い歌を歌う活動で
あっても、誰かに同じ気持ちを抱いてもらえたり、その思いが伝わり、
じんわり広がれば意味がある。

黒いひまわりではなく、黄色いひまわりが広がる美しい世界がまた
見られるように・・・。


カテゴリー: Essay (Word) | 評論家より活動家。 はコメントを受け付けていません

信頼できる人、信頼される人。

21世紀という時代はどちらに向かうのかと、日々不安な気持ちを
どう打消し、乗り越えることができるかと、もがいている。

企業ではリーダー研修など行って、組織がしっかりあるべき方向に
向かって進めるようにと努力している傍ら、世界のリーダーとは?
と疑問符だらけの昨今。この人たちにこそ、教育が必要だ。
今さらで、手遅れではあるが。

世界はもう変わった。もう自分たちが描いていた理想の社会
にはならない。と、信頼、尊敬する人が最近、そう述べた。
やっぱりそうだ。と共感しながら、憂鬱な気持ちになった。

世界がひとつとなって、お互いに協力できる社会。
人びとが安心して生きられる世界。
そのことが約束されない社会は、あってはいけない。
分断、利己主義を推し進め、自分ファーストで生きようとする
人たちが増えてはいけない。
しかし、世の中の流れは悲しいが、そちらに向かいつつある。

その流れに抗って、せめて自分はと思う。
そのためには、「信頼」できる人、メディアとつきあう。
少しでもおかしいと感じたら、先には関係を深めない、
前に進まないこと。信頼を行動の基点にする。

そして、究極のメディアは、「人そのもの」である。
信頼できる人を媒体として、世界を正しく受け入れる姿勢。
これは意味がある。

コミュニケーションクリエイターと名乗ってきているが、
これからの自分の立ち位置、社会とのかかわり方は
もっと考えなければいけない。
テクノロジーの発展の根幹にあるもの。
そこを見据えながら、しっかり人と人のより良き関係づくりに
役立つ存在にならなければ。

そして、何よりまずは、自分が信頼される人にならなければ。

カテゴリー: Essay (Word) | 信頼できる人、信頼される人。 はコメントを受け付けていません

AIより愛あるクリエイターとして。

東京、京都それぞれの拠点に、長年おつきあいいただき、
今も時々仕事をともにするデザイナーさんがいる。
会社員時代からのおつきあいで、独立後もずっとおつきあい
いただいている。
自分の20代の頃からの様子もよくわかっていていただいて
おり、本当にありがたい仲間である。
自分の思いをカタチにしてくれる人が身近にいてくれるという
のは、プランニングする立場としては本当に心強い。

京都のデザイナーさんは起業して33年。私より5年早い。
若いときからがんばられたな!と 今も変わらず、お元気に
仕事されている様子を見聞きしながら、改めて尊敬する。
最初に当時の勤務先に営業に来られた日のことを今も覚えている。
着々と信頼を重ね、得意先を広げてこられた。
時代の変化に対応して、しなやかに仕事をされてきた。

ひとりで世間と渡り合うのは、なかなかの力がいる。
デザイン力はもちろんであるが、自分らしさを曲げない
こだわりと交渉力、ときには納得いっていなくてもやりきる
対応力。
とにかくあの頃と変わらない。いや、もっと磨かれているし、
自信もある。
二人で、いろいろ京都をモチーフにした仕事をしたなあ。

昨日京都駅で打ち合わせして、本当にありがたい存在だと
思いながら、昔一緒にやった本のことを想い出したら、
出てきた。
平安建都1200年記念出版。
自分がディレクションして、その方にデザインして
いただいた。一緒につくった本。まさに30年前の作品だ。

きっと今この仕事を一緒にしても、こんな感じのデザイン
になるのでは?
彼女の変わらない伸びやかでつややかな感性は今も変わらず。

ともに元気なうちは、生涯現役。
クリエイター同志は、話が尽きない。
仕事に向かう姿勢も 使命感も共通点が多い。

AIがデザインやコピーライティングまでする時代であるが、
自分らしさを磨きながら自分たちにしかできない仕事を。
私たちがするのは、生成ではなく、創作。である。
AIではできない、愛を込めた思いをもった唯一無二の作品を。
そんな思いを語り合える仲間がいることに感謝。

これからも、長くご一緒いただきたい。

カテゴリー: Essay (Word) | AIより愛あるクリエイターとして。 はコメントを受け付けていません

空から応援団のおかげで。

確定申告のシーズン。働いている以上、事業をしている以上、
これは納税者としての義務。
この申告をご自身でされている方もおられて偉いなあと
思いながら、自分は起業した時から、税理士をご紹介いただき、
ありがたく今日にいたっている。
そちらの話は、全部プロにお任せして、自分は本業に専念できる。
これは大変ありがたいこと。
起業以来、唯一アウトソーシングでずっとお世話になっているのは
この業務である。

計算処理を終えた税理士さんより連絡が入る。結果を教えていただき
これで申告に進むとのこと。もちろん了承する。
コロナ前と、後。
それはさほど仕事に影響していないかもしれないが、
手ごたえを感じる昨今。
それはアフターコロナだから、ではなく、きっと見守りのおかげ
だと思う。

両親がいつも応援してくれていると思っているから、
だから存分に力を出せる。
心配することが変わったから、力を発揮できる。
そんな一面もあるのではと思う。

介護をしたり、世話をしたり、いろんな心配事が多い
時もそれなりにがんばっていたが、その時代を過ぎると
吹っ切れる何かがあり、もっともっととがんばれる。
そんな気がしている。

仕事ががんばれるのは、
そういう機会をいただけるからであって、まずは
自分を使っていただける、声をかけてくださっている皆様の
おかげ。
ほんとうに、有難い限り。
それがなければ、仕事はない。
そして、そのリクエストに応えたいとする自分の気力体力。
これもなければ、続かない。

応援していただいているのは、親だけではない。
上司や先輩や かわいがっていただいた皆様にも
見守っていただいている。
年を重ねて、空の応援団が増えていくのは、寂しいことでは

確定申告のシーズン。働いている以上、事業をしている以上、
これは納税者としての義務。この申告をご自身でされている方も
おられて偉いなあと思いながら、自分は起業した時から、税理士
をご紹介いただき、ありがたく今日にいたっている。
そちらの話は、全部プロにお任せして、自分は本業に専念できる。
これは大変ありがたいこと。起業以来、唯一アウトソーシングで
ずっとお世話になっているのはこの業務である。計算処理を終えた
税理士さんより連絡が入る。結果を教えていただきこれで申告に進
むとのこと。もちろん了承する。
コロナ前と、後。それはさほど仕事に影響していないかもしれないが、
手ごたえを感じる昨今。それはアフターコロナだから、ではなく、
きっと見守りのおかげだと思う。両親がいつも応援してくれていると
思っているから、だから存分に力を出せる。

心配することが変わったから、力を発揮できる。そんな一面もあるの
ではと思う。介護をしたり、世話をしたり、いろんな心配事が多い時
もそれなりにがんばっていたが、その時代を過ぎると吹っ切れる何か
があり、もっともっととがんばれる。そんな気がしている。

仕事ががんばれるのは、そういう機会をいただけるからであって、
まずは自分を使っていただける、声をかけてくださっている皆様の
おかげ。ほんとうに、有難い限り。それがなければ、仕事はない。
そして、そのリクエストに応えたいとする自分の気力体力。
これもなければ、続かない。

応援していただいているのは、親だけではない。
上司や先輩や かわいがっていただいた皆様にも見守っていただい
ている。年を重ねて、空の応援団が増えていくのは、寂しいこと
ではあるけれど・・・。


今日は四半世紀以上にわたり、ご指導、応援いただいた
上司の命日だ。
感謝を忘れず、しっかり頂いた教えを胸に、今日もしっかり
がんばりたい。
「今尾ちゃん、がんばってますか~」
にこやかな応援が聞こえてくる。

カテゴリー: Essay (Word) | 空から応援団のおかげで。 はコメントを受け付けていません

やっぱり「アイあい」。

勉強会や研修やコンサートをやったあと、あとで何度も
振り返る。とくに今いちだったなあと思うときは、ずっと
頭の中に残っている。

ある方が
「『反省会』という言い方はよくない、反省
ではなく、ふりかえりですね。」
とよく言われるのを思い出し、そう、確かに反省すると
へこむこともあるので、ふりかえる。何度も振り返る。

うまくいくケースは、結局はお客様の顔がしっかり見えている
とき。
目線が合っているときだ。伝わっているなあと感じる。
自分を見て話しを聴いてくれている。という場合は
コミュニケーションが進む。

固定されたデスクでの研修は、制約があることもある。
講師と受講者の目線が合いづらい。
意識して前を向き続けてもらわないと、目線が合わない。
こういうケースは様子がわかりづらく、しかも
マスクなど付けていると表情もわかりづらい。
相手が見えない、見づらいコミュニケーションは
難しいことに改めて気づく。

しかし、学びも多い。
工場内で仕事をされる場合、マスクだけでなく
帽子や顔を覆う作業着で仕事をされることも多い。
お互い目しか見えない関係の日々。
この環境でのコミュニケーションもなかなか難しそうだ。
しかも現場での仕事が忙しければ、仲間と交流する時間も
とりづらい。

と、自分がその立場に立つと見えてくるものがある。

いろんな制約、環境のなかでも通じ合いたい。

まずは、お互いの存在を理解するということ。
ということは 目でのコミュニケーションだ。
いつも、お伝えしている「アイ愛コミュニケーション」
目があえば、心も通う。
それはやはり基本中の基本。

ふりかえりのなかで、いろんな方向から見直すことで
自分の至らない点や、改善点が見えてくる。
こんなもんでいい。
とは思いたくない。
やる以上は、伝えたい。と思っている。

三歩進んで二歩下がり、そしてまた一歩前に・・・。

カテゴリー: Essay (Word) | やっぱり「アイあい」。 はコメントを受け付けていません

厳しい満点。

何度やっても、これで良かった!と諸手を上げて喜べる。
勉強会でも、演奏会でもそう思えるときは、実は多くない。
それでも、音楽の場合は相手が楽しもうとしてくれているので
演奏中に表情の変化を見ることができ、一体感を感じ盛り上げて
いくことがしやすい。
企業研修のような場合は、受講される人たちの表情が厳しかったり
すると、なかなか盛り上げづらい。
もちろん内容によるので、何度やっても見直しをしていく必要が
ある。

最初の出だしがポイントだ。
つかみをどうするか?

場の空気をどうつくるか、変えるか。

コミュニケーションとはまさに双方向であることを思う。

まずは目を合わすことからであること。

会場づくりも大切だ。

とにかく何かをやったら、ふりかえる。
そうすることで恥ずかしくなったり、こうしておけばよかったと
思うことは多々あるが、そこから逃げてはいけない。
それを乗り越えていくことが成長につながる。

相手が主役。
相手にとってどうか?

何十年やっても、改善点はある。
人間だから、調子がいいときも、悪いときも。
それも受け留め、
ひとつの経験を学びに活かす。
今度はこうしよう!
と気持ちを切り替えて 次に進む。

人に何かを伝えるというのは、ものすごくパワーを要する。
お客様の反応も含め、自分の仕事をしっかり振り返る。

満点はなかなか厳しい。
相手が人間であればなおさらのこと。

一生勉強。これは間違いがない。





カテゴリー: Essay (Word) | 厳しい満点。 はコメントを受け付けていません

今朝はどこにいる?

この1週間、違う町で朝を迎えることが多い。
長崎で、東京で、そして新潟で、京都で、名古屋で。
長崎では、海と山と坂が間近に見え、太陽の光がふり
そそぐそんな優雅な、みなと町の朝。
まさに、朝からギフトをいただいた気持ちになる。

東京に泊まった翌朝は、6時すぎから東京駅に行き、
まだ人の少ない駅で都会の朝のはじまりを観察しながら
電車を待つ。
店の開店準備がこれからはじまる。早朝と深夜だけは
静かな東京駅。1時間もすれば、いつもどおりの喧騒が
はじまる。今日はどれだけ多くの利用者がこの改札を
通るのだろう。ピッピッとICカードが通される音。早朝は
音と音に間隔があるが、だんだんこの間隔も縮まっていく
のだろう。

その後、新潟で新幹線をおりたら、雪どけの朝を迎える。
キーンと冷たい空気に身が引き締まる。
積もっていなくてよかったと安堵しながら、足元に
気を付けて歩く。用心の朝時間。

そして、地元での朝は、まずは自宅で1日の準備。
朝の日課はいろいろある。
それをこなして駅に向かう。
こちらも6時すぎであれば、利用者もまばら。
これから多くの人がここから出ていき、またやってくる。

今日は、まだ静かな時間に京都に移動し、京都での朝を
迎えることになる。
新幹線から近鉄に乗り換え、気が付けば、学生や通勤客
と一緒に京都の人になっていく。

とこのように毎日、日替わりのように各地での朝を
迎え、それぞれ楽しんでいる。

いろんな朝。
そう、目を閉じれば薄暗い冬の朝のパリや、NYの
活気に満ちたストリートも浮かんでくる。

朝はいい。
今日という新たな1日がはじまる。
今日もとびきりの1日にしたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 今朝はどこにいる? はコメントを受け付けていません