「morning」ではなく、「モーニング」。
響きもよいせいか、しっかり日本語になっている。
日本の喫茶店の歴史のなかでも、ユニークなのが東海地区。
喫茶店がもっとも多いエリアで、モーニングの発祥は愛知県の一宮だったらしく、
それも昭和40年代、高度経済成長期の繊維業発達の歴史と関連していると聞き、
へえ!と驚くが納得。繊維業で朝から仕事に忙しい地元の人々の朝のサービスと
して始まったという一説があるようだ。繊維産業は衰退してしまったが、
喫茶店は成長、今に受け継がれている。
コーヒーにピーナッツが付いてくるサービスも東海地区特有のものであるが、
朝の特別サービスであるモーニングこそ、東海地区が誇る喫茶文化である。
モーニングは、そのお隣である岐阜市や名古屋市でさらに発展。
現在、人口当たり喫茶店のもっとも多いエリアは岐阜だと聞き、こちらも納得。
岐阜は喫茶店、そしてモーニング。競争も半端なく激しい。
私の幼少期はこの喫茶文化の繁栄とともにあったと記憶する。
だからか、モーニングには、人並みならぬ思い入れと多くの思い出がある。
「モーニング行こか」近所のおばちゃん、仕事中のお兄さんも、セカンドプレイス、
サードプレイスとして喫茶店をこよなく愛した。
わが家も、子供の頃から家族全員でモーニングに行くのが楽しみであった。
家でけんかしていても、喫茶店にいくだけでちょっとよそ行きになって、
普段のたわいない会話でトーストやゆでたまごを楽しむ。
楽しかった・・・。改めて思い出すと、この懐かしくてたまらない。
わがふるさとは、そんな顔をもつ町でもある。
かといって、今、私は東海地区に住んでいるが、喫茶店のモーニングには
ほとんど行かない。
むしろ、家でモーニングをつくるのが日課のひとつになっている。
フルーツの盛り合わせ、キャロットサラダ、ヨーグルト、そしてコーヒーに本日のパン。
パンは自分で焼く時間はないので、気に入ったいくつかのパン屋で買い求めたもの。
以前住んでいた東京や京都にもお気に入りのパン屋はあるので、朝のパンを求めるのは
モーニング係として大切な任務。
コーヒーも日替わり。グラン・ルーオリジナルブレンドにすることもある。
と書いていると、うちのモーニングはすごいなあ。と思う。
どんなに疲れていても、ニンジンをスライサーでカットしたり、モーニングの用意を
しながら、ランチ用のおにぎりを作ったり・・。これはこれで楽しい。
頭では仕事をしながら、手先だけ喫茶店のママになる早朝。
その「もーにんぐ」つくるのは一人前。
そう、ママは食べない。客人(家人)の分だけである。
つくるモーニングが日課。
グッドモーニング。今日から世間は連休。グッドモーニングコミュニケーション!
笑顔でいい朝をお迎えください。
グッドモーニング・コミュニケーション!
日常風景が提案のきっかけになる。
何気なく見ている日常の風景のなかに、企画のヒントがある。
今回も、改めてそんなことを実感することがあった。
録画している報道番組。民放であるため、どんなスポンサーがついているか
で番組のターゲットや、スポンサー企業の狙いが見えてくる。
そこで流れてきたあるCMが商品広告ではなく、企業広告。
しかも、かなりSDGsを意識した、自らの取り組みをしていることを伝える内容。
なかなかよくできていると思い、しっかり頭の中に刻み込む。
これだと、企業の価値が伝わるな~。正直、商品広告は、一過性であり、
残らないと思っているなか、メッセージが込められたCMは余韻があり、
記憶に残り、企業へのイメージも変わる。
そうか、こういう見せ方はいいな。あの企業でもぜひやるべきだな。
と、ずっと気になっていた自分が抱える課題の解決策が見えた気がした。
この話題を、早くクライアントの担当者に伝えなければ。
早速、対面で会う機会があったため、その例を伝え、今こそ、企業のメッセージを
伝える時期という話をした。
企画書はなし。口頭だけでの提案である。
すると、相手も興味を示してくれて、具体案の提案の機会を与えてくれる。
話してみるもんだな。やっぱり、まずは伝えることからだ。
改めて、提案とは大げさなことではなく、日常風景から、日常の会話からも
はじまることを実感。
日常風景。ここはアイデアソースの宝庫である。
大切にしよう。
ぼーっと見るだけでなく、意識して見る。
そしてひらめいたら即行動。
この仕事スタイル。もっと極めたい。
いいづらいとき、いいづらいことほど。
地元のある知人の戦いを見守っていた。
結果が出るまで、がんばって!なんとか当選して!と応援していたが、
蓋を開けたら残念な結果であった。
どんなショックに思われているだろうかと思うと、かける言葉が
見当たらず、二晩考えた。
でも、そのままにしておくのはいけない。ちゃんと声をかけたいと
思い、少し勇気をもってメールを送る。
とにかく
「お疲れ様でした!」の言葉と、これまでの努力への労いと
感謝の言葉・・・。
言葉を選びつつ、でもこれからもずっと応援し続けているという
気持ちを伝えた。
すぐ返事があった。そのメッセージをとても喜んでくださった
ようで、反省の言葉や、周囲の気遣いについて素直な気持ちを
述べておられた。そして、最後に「ありがとう」と結んであった。
ああ、大変だったな。でもちゃんと次に向かって進もうとされて
いるから、大丈夫だ。
メールを読んで安心し、落ち着いたら食事にでも誘おうと思った。
一方、日々の仕事の場面で。
人に何かを伝えたり、教えたりするときには、
いいことも、悪いことも、そして時には言いやすいことより、
言いづらいことを伝えなければならない。
心の中で気になっているのに、ま、いいか。言うと傷つくかなと
留めておくのは、良いことではないし、親切でもない。
と思い、一瞬嫌われ者になるかもしれないが、ちょっと
勇気をもって伝える。
丁寧に心を込めて、理由も含めて、反応を見ながら伝える。
もちろん、出だしはよく考える。
そうすると、ちゃんとわかってもらえる。
そんなこんなで、言いづらいときや、いいづらいことがある。
それを越えると新たな関係に、ステージに向かうことができる。
言わない方がいい。
本当に言わない方がいいことも、もちろん時にはあるけれど、
本当に相手のことを考えたら、伝えるのが良いことが多い。
関係を大切にしたい人こそ、歩み寄りたい。
そして、自分も言ってもらえる、声をかけてもらえる人で
ありたい。
良い人間関係は、最後はお互いの思いやり、そして「愛」・・。
言葉は残る。
道を歩いていたり、電車移動の途中。ほんとうに何気ない瞬間に、親の言葉が
突然、よみがえることがある。
「わしだって、一生懸命生きているんだ」
こんなことを最期の方に言っていたなあ・・・。思うように動けなくなって、
もどかしかったんだろう・・・。
また、ここには書けないような、思い出すとなんとも言えない気持ちになる言葉が
いろいろと思い出される。そのたびに心が痛む。
学歴のこと、時代のこと、自分ではどうしようもない、変えられない背景。
人はそれを宿命として生きているが、まさに親たちもそうであった・・・と
折々に発していた生々しい言葉を思い出すたびに、親の葛藤を今さらながら
感じる。ああ、そうだよな。
それなのに、自分はもっと優しい言葉を返せなかったのかと少し後悔もする。
自分では果たせなかった音楽の夢を、私に託した重さも、残した言葉とともに
蘇る。いろいろ苦労をかけたのだと、子供の頃の母の働き方を思い出し、
胸がいっぱいになる。
何気ない言葉を思い出すことで、「あの頃」が全部浮かんでくるから、
不思議だ。言葉は情景を引き出し、そのときの心情を想起させる。
母が私に残した最期の言葉は
「喧嘩せなあかんから、長生きせなあかんな」であった。
そう、彼女と私の関係のすべてを言い当てている名言だ。
喧嘩するほど仲が良かった、そうだ。
今は写真を見て話しかけるしかできないけれど、毎日のように
両親の言葉がよみがえり、今だったらこんな言葉を返したのに・・と
思っているこの2年間・・。
言葉は永遠だ。
その人が見えなくなっても、残るのだ。
だから、残っても悔いのない言葉を、日々選び取っていかねばならない。
言葉は相手に影響を与える。
良くもも悪しくも、言葉は残る。
受け取った人が気持ちよく受け止め続けられるように、
あたたかい言葉を残したい。
言葉には、その人の魂が込められている。まさに言霊だ。
手に取る喜び。
ある会社のインナーコミュニケーションのお手伝いをするなかで、
社内報の発刊を提案し、気が付けば半年以上の歳月がかかったが、
準備号を経て、創刊号の作成。予定どおり発刊にこぎつけることが
できた。
監修という役割で企画から編集までアイデアや気になる点をお伝えして、
社内のチームメンバーとミーティングを重ねての発刊。
社内報であるので、ここに画像で示すことはできないが、
A4サイズ裏表のカラー。最小限のボリュームの紙面ではあるが、
無から有への創造は素晴らしい。なかったものをつくるということは
凄いことなのだ。
タイトルも、社内公募にしようと提案し、社内から多くのアイデアが
集まる。その発表や表彰式の様子を紙面にも掲載。
コロナもあって、オンラインミーティングが多かったことに加え、
デザインの確認もモニター越しにチェックを行ってきた。
ほんとうに便利な時代、会わなくてもこんなクリエイティブなことも
できてしまうのだ。
画面で何度も見てきた紙面・・・。
昨日、紙で受けとり、感無量。
やはり、手にとってこそ、わかる存在感がある。
新潟の企業さんが広報紙につかっていた用紙が良いとのことで、
それと同じケント紙を採用、ああ、質感も良く、これならすぐ捨てずに
長く保存しておきたいと思える。
形になったものを手にとって、五感で感じることができる歓びこそ
モノづくりの醍醐味。
画面越しだけでは、存在に触れることができない。この違いは大きい。
メンバーと一緒に、出来上がった歓びを味わいながら2号の企画を
検討しはじめる。
そう、社内報や広報誌は一度つくって終わりではなく、そこから
止まることなく、続いていけねばならない。
毎回、社員の皆さんに手にとる歓びを味わってもらえるように
歓びもつかのま、次のアクションに移る。
手に取る。このことはとても大切だ。
印刷物の存在。そのツールを介してみんながひとつになる。
そんな気もする。
デジタル時代だからこそ、アナログをふれる歓びを大切にしたい。
メンバーのみなさま、大変お疲れ様でした!
各地でパトロール
仕事でお店回りをよくしている。お客さんとしてその店に行き、利用して
気づく点をあとで伝え、提案したりアドバイスしたり・・。
その様を見て、仕事関係の方からは、
「パトロールお疲れ様です。」
と言ってくださり、思わず笑い。なんだか、おまわりさんみたい。
巡回するから、おまわりさん。なんだか微笑ましい。
パトロールという言葉が好きになった、今日この頃。
実家にも時々足を運ぶが、その目的のひとつは防犯上のチェック。といっても
何もできないが、巡回していること自体が、抑止力になったりすることも
あるかもしれないと思い・・・。
さらに、近所に住むお年寄りで、親が仲良くしてもらってきた人の
おうちやお店にもなるべく足を運び、安否を確認する。
これも一種のパトロール。
「元気ですか?どうしてます?」
民生委員でもなんでもないけれど、気になるところは巡回し、確認し、
声をかける。
さらに、引っ越して数年。ご無沙汰の東京でお世話になった方たちのことも
気になってくる。
なんといっても23年も暮らした神楽坂。わが第二のふるさとでも
ある。
当時お世話になったお好み焼き屋のご主人。もう10年ほど前に
閉店されているが、今も細々ではあるが、やりとりは続いている。
父と同じ年齢の方であるので、親近感もある。
時間が少しできたため、電話を入れる。
「お元気ですか?ご無沙汰しています。今近くにいるので、寄っても
いいですか?顔見てすぐ帰ります」
と言って、すぐうかがう。
3年ぶりぐらいの再会であるが、お元気そうだ。お変わりなさそうだ。
よく家族のように一緒にご飯食べたこともあったな~。
「もう86歳だよ。よくこんなに長いこと生きてきたなあと思うよ。」
「神楽坂のお父さんだから、まだまだ元気でいてもらわないと」
少しだけ話して、失礼する。
これもパトロール。
歩いていてどんどんいろんな人を思い出し、その人のお住まいの近く
を通るようにする。
気になったのは、以前住んでいた部屋の大家さん。お店をされている。
寄ってみた。お元気で、久しぶりすぎてとても喜ばれた。
「今、名古屋にいるんですよ」
「へえ?そうなんだー。」
仕事の手を止めて、いろいろ話してくださった。こちら70代後半。
各地でのパトロール。
まだまだいろいろ、行かねばならないところがある。
そして、いつお別れになるかわからないから、
しっかり話して、挨拶もしておくことにする。
もちろん、またお会いする。会いに行くけれど、先はわからないから。
マーサ流パトロール。
これからも各地を巡るとしよう。
理念ありき。
今どきの国内外の政治動向を見るなかで、「現実主義」という言葉に
出くわすことがある。そして、その言葉の意味も気になる。
目の前のことを大切にする、優先することは一見、良さそうであるが、
でも、常に目の前のことばかりに集中すると、本来進むべき道とは違う
方向に進むこともあるし、どこに向かうべきだったのかを見失うこともある。
また本来進むべき道が見えていないのに、目の前のことを優先するのは、
行き当たりばったりになりかねない。そしてやっていることがぶれてくる。
現実を大切にするならば、まずは理念ありき。
どうあるべきか、どちらに進むべきか?の考えがあって、
そのために、今はこうする。次にこうする。
と、具体的に行動を起こすのが良いと思う。
理念とは哲学である。
こうあるべきである。こっちへ進むべきである。こうすべきである。
と、考える習慣を身に着けたい。
そしてそれに向けて、最適な現実の進み方を考え、動いていきたい。
ひとりの人生でも、企業でも、国でも同じこと。
先が見えていないのに、今が良くなることは難しい。
理念があれば、ブレずに生きられる。と信じている。
心の防空頭巾。
生きているといろんな災害、障害に出会う。
カラダも守らなければならないが、同じく心も大切に守らなければならない。
よく心が折れるという言葉を聞くが、心に骨があったのか?と思うこともあるが
いちいち折れていては生きていけない。
災害に備えて、非常食を常備するように、日々のコミュニケーションや対人関係に
おいても、備えをしておくことが必要と思う。
どんな言葉に出会っても、どんなショックなことを言われたとしても、
心を守るための常備はあった方がいいときもある。
デジタル社会になり、人間本来のコミュニケーション力が低下するなか、
備えなしに、いきなり対人関係で苦労したり、思い違いで怪我をすることも
避けたいものだ。
そんななか、心の防空頭巾という発想が浮かんだ。
突然に、いろんな言葉や雑音が降ってきてもそれを被って
それらが止むのを待つ。
そして、ああ、これはこういうことを言いたいのだ、これって、このことを
解釈しているのかなとか、少し距離を置いて聞いていると、傷付くこともなく
丁寧に相手に接することもでき、気持ちよく関係を維持することもできる。
まあ、心の防空頭巾までいかなくとも、雨に傘をさすように、心にも傘を
用意しておくということだ。
相手のせいにするばかりではなく、自分で身も心も守る。
そんな備えもあっていい。
出たとこ勝負で、何も考えずに世間に飛び出せば、そりゃ、事故も怪我もするだろう。
人は誰ひとり、自分と同じではないのだから、違って当たり前。そこからどううまく
つきあえるか?に尽きる。
何事においても、備えあれば憂いなし。怪我もなし。
今日もココロ健やかに穏やかに、元気な1日を過ごしたい。
今どきのフリーマーケット考
京都は「市」がさかんだ。昔からお寺や神社へのお参りには、そういった
楽しみも不可欠で、その名残が今も健在だ。
月に何度か、日や曜日を決めて、さまざまなマルシェが開催されている。
たまたまお天気の良い週末に 偶然みつけ、たち寄った、平安神宮前での
フリーマーケット。
いわゆる骨董業者さんたちが出店しているようなプロの店ではなく、本当に
一般の人の参加、出店がほとんどのフリマ。
子供服100円とか、まあ確かにね~という激安のものから、まあ、いろんな
種類の古着や雑貨、骨董品がずらり。
色のきれいなセーターを見つけて眺めていると、その出展者の人がすかさず
声をかけてくる。
「これ、いいでしょう。色いい。モノもいい」
「で、ちなみにおいくら?他やったら、100円とか200円とか書いてあるけど?」
と冗談交じりに聞いてみる。
「そんな、これは100円とかということにはできないけれど、お客さんがいくら
と言ってくれたら考えますわ~」という交渉になる。そんな、買うつもりはなく
ても、そういうムードになってくるのが、フリマ。
ああ、こうやって値段を決めていくんだ・・・。どうしても買ってほしいオーラ
に負けて、財布を開く。「わかった、もらっとくわ」と、そのときの店主のうれしそうな
顔。かなり値切られたのに、それでもすっきり顔である。
最後には、「私、天神さんも、工法さんも毎月出ているし、また寄って」
とすっかりお友達気分になる会話。名前も聞かず、顔だけで覚えていくそれがフリマ。
他には、なかなか書い手がつかなさそうな衣類があり、その横にちょっと素敵な
アンティークなバッグも。
「これ、いくら?」
「それ、2000円、ついでにそこにある服3枚も一緒にもっていって。込みでいいわ。
私、もう大きい荷物持って帰りたくないので、よかったらもらって」
という感じで、結局はこの人はお金が欲しいのではなく、このものを誰かに
譲りたい、使ってほしい。捨てるに捨てられないモノを託したい。
そんな様子が伝わってきた。
その近くには、あるトランクを広げているお店。そこに雑貨を入れて来たのだろう。
もう少しモノが残っている。
「残ったら、嫁に怒られます~」とトランクに張り紙。全部売らないと家に
帰れないのだろうか?
売りさばき、荷物を減らすために利用するフリマ。
大量なモノを消費してきた人間、最後は何も持っていくことができない。
のであれば、今のうちから、早く人にいい形で渡るように。
断捨離、終活からも、フリマは有効な交換、清算の場である。
まだまだ実家にも、親の残した小物雑貨があるな=。と頭によぎるわが家のこと。
「実家のガレージででも縁側ででも、マーサ市やったら?」
との声に、それもありか。と思ったり・・・。
お金が欲しいのではなく、使ってもらえる人に使ってもらう。そんな
交換の意味が分かり始めた今日この頃。
モノへの執着はこの世限り。むしろ、早めに悔いなく活用できるのがいい。
人に託す。人生、そのことが増えてくるだろう。
それにしても、フリマは普段と違う人生観が学べる。
また、足を運びたい。フリマ。
しかし、売り切って帰りたいあのおねえさん、おばちゃんたちのパワーは
なかなかだ。
やさしく話そう。
ポストコロナ。生のコミュニケーションの機会が増えている。
会議では、まだマスクは外せないが、それでも顔を突き合わせての話し合いの機会は
増えている。
改めて人の声、話し方を耳にする機会が増えてくると、その言葉遣いや声の音量、高さ・・
などに注意が向く。
個別で話す場合、グループで話す場合、相手によって、人は無意識か、意識的にか
その話し方を変える人もいる。
オフィシャル、ビジネスの場面では、社内・社外関係なく、やはり一定の緊張感をもって
きれいな言葉、はきはきとした声、そしてやさしい話し方で伝えるのが良い。
自分の声が周囲にどう聞かれているか、ということを確認することも大切だ。
自分はどうだろう?
多くの話し方に触れることで、自分はちゃんとできているだろうか?と確認する。
言葉はとても重要だ。繊細で、しかも強烈だ。
話し方によって内容まで変わって聞こえてくる。
攻撃的な言葉遣い、強さだけが残る言葉では、なんとも後味は良くないものだ。
一方、やさしく思いやりが溢れる言葉遣い、そして前向きな話し方をすると、後味も
すっきり気持ちいい。
毎日、多くの人と接するなかで、「やさしく話す」ということは相手の心に伝わる
ために、大変重要であることを改めて学ぶ。
わが人生、方言でむき出しの言葉遣いのせいで、よく家族や親しい中で不快な思いを
したことがあった。親との会話では、言葉遣いが原因で伝わらないことで、言い合いに
なり、苦労したこともあった。(今から思えば懐かしくもあるが・・・)
とくに、ビジネスの場面では、聴く人の立場に立って、自分が発する声、言葉がこれで良いかどうかを再点検し、初めから終わりまで、快適にコミュニケーションできるようにしたい。もちろん身内にも同じことだ。
ちょっとした心がけで、お互いの関係性もさらに良くなるはず!
何気なく発している言葉がそれでいいかどうか。改めて見直し、
素敵な対話を心がけたい。