「真善美」を改めて

ふと、日常のさりげない瞬間、普段の風景のなかで、
昔習った言葉などが、よみがえるときがある。

今回の連休、消費を求める人々の列、その雑踏を潜り抜けるときに
なぜか、「真善美」という三文字が浮かんできて、
「しん・ぜん・び・・・か。いいな」と久しぶりにこの言葉をかみしめた。

学生時代に読んだ、懐かしい文字であり、おそらくドイツ哲学者のカント
の時代からの用語。さかのぼればギリシア哲学でもこの考え方はあったよう
であるが、理想の人間の有り様を表現した言葉であると理解している。

つねに、真なるものを目指し、善きことを行い、美しくあれ。
そういった存在であれ・・と。
情報もモノも多すぎて、とかく流されがちになりそうな現代社会において
常に本質を希求することは、迷子の人生にならないために大変重要である。

また、この「真善美」とは他人との比較ではなく、絶対的なものであるべき
であるから、自分なりの道を究めればよい。

雑踏のなかでふと考えることは、時々、普段忘れていたことや、普遍なる
テーマであることがある。
自分しか見えていないときには気づかないが、群衆を目の前に、ふと哲学者的に
俯瞰して見えることがある。
この瞬間を大切にしたい。人混みは苦手であるが、少し距離をおいて眺めるには
いい題材になる。

私は私の「真善美」な生き方を求め続けたい。

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ほんとの「いざ!」には大丈夫か?

連休最終日。明日から本格稼働では遅いと、いつものごとく、先に走り始め、
体調、仕事ペースを整える。
一区切りして、ほっとしたとき、住まいの火災報知器が鳴る。
もっとも心臓に良くない音だ。
「火事です、火事です。6階で家事です。すぐに避難してください」
このアナウンス、過去にも何度か鳴ったことがあり、前回は夜も遅かったため、
かなりうろたえたが、今回は日曜の午後。
雨も降っているのに、家事か?
オオカミ少年ではないが、これまで何度も誤報であったとあとで知らされてきた
ため、今回もそうだろうと思いつつも、心臓がばくばくしてきて、
「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせながら、持っていくものを冷静に
リュックに入れ始めた。冷静にといいつつ、もっと急がねばならないのに、
半分、今回も誤報だろうと勝手に決めて、ゆっくりやっている。これはいる、
これはいらない。母の形見ももっていく?パソコンは?・・・・
そうこうしているうちに10分ぐらい経ってしまう。警報音も聞こえなくなった、
前回鳴った救急車のサイレンの音もないので、やっぱり誤報か?でも?
そにかく、なんだかかなり時間を要している。こんなことやっていたら、火が回って
焼き死ぬぞ。と思いながらも、6階ときいたら、9階はどうしようもないのかも
・・・と生きるか死ぬかを想像しながら、取り急ぎ必要なものを持った時点で
思い切ってドアを出て通路を進み、エレベータホールに行くと、エレベータが
動いている。同じフロアの人も、外に出ようとしているが、あまり緊迫感がない。
なんだ、じゃ、大丈夫
じゃないかな。
それでも、恐る恐る下まで降りる。
1階まで無事降りると、普段会ったことのない方が
「誤報だったようですよ」
と親切に教えてくださり、お互い良かった良かったと安堵・・・。
そのときになって、背負ってきた荷物の重さがずっしり感じられた。

と、結局今回も家事でなく、本当に良かったが、なんで、いざというとき、
私はゆっくりしているんだろう。
焦ってもろくなことがないと、これまでの経験から思っているのか。
とにかく、いざ!というときに迅速でない自分に改めて、驚いた。

と同時に、自分は荷物をまとめて下に降りようとしているのに
火災報知器に反応せず、の住民の方もおられたようで、
いざ!というときにみんな大丈夫なのか、誤報が基本と思っておられるのか
そこも心配になった。
誤報が続くと、それに慣れてしまうのだろう。

地震も怖いが、家事も怖い。津波も怖い。雨も怖い。
そして・・・。
怖いことばかりの中で、いろんな経験を経ながら、日々生きている。

この連休で、一番刺激的だったのは、この誤報事件だったかも。
無事に部屋に戻り、普段の生活に戻ったとき、当たり前は、
当たり前ではないことを、痛感。
無事な瞬間を生き続けられるだけで、十分幸せである。

これからも、なんとか無事に生きていきたい。
それにしても、「いざ!」のときは、結構頼りない自分を改めて知り、
もっと強くならないとと思った次第。

一方、地震と雨で被害が増えている能登の方のことが頭をよぎる。
いつ何時、わからない。
真剣に、「いざ」について、考えよう。

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生涯現役でいるための努力、精進。

もう40年以上昔の話。山口百恵はじめ、多くのアイドルがそれぞれのタイミングで
引退をした。惜しまれて・・永遠に人々の記憶に刻まれ、伝説となった。
スポーツ選手は体力あっての仕事であるため、体力の限界とともに引退する選手が多い。
現役選手のあとは監督としての活躍という道もあるため、比較的長いスポーツ人生を
過ごされる方も多い。
仕事によって、個人によって引き際はいろいろであるが、歌手という仕事の期限に
ついて、考える今日この頃・・。

近年、昭和の歌謡曲、ポップスに再び脚光が集まり、歌番組も増えている。
早朝から演歌など流すのは正直、勘弁していただきたいが(汗)、
それ以外の時間の歌謡番組もちらほら・・・。
昭和40~50年代に活躍し、大ヒットを飛ばした歌手が、今、再びステージに
立ち、当時のヒット曲を歌うという番組に出会うと、思わず手をとめ、耳を澄ます。
懐かしく、集中してその曲を鑑賞。
すると、あれ?昔となんか違うな?何かが違うのである。
その歌手もあれから、30歳か40歳年を重ねている。
もし昭和50年に20代でヒット曲を歌っていた人も、今や70歳を越えることになる。
そりゃ、見た目も変わるし、声も変わる。
そして、男性歌手の声の変化よりも、女性歌手の変化を著しく感じる。見た目も声も・・・。

昔感動したあの曲を、今の風貌、声で聴きたいか。
ああ、お元気でがんばっておられるな~。と思う反面、昔の方が良かったと思ってしまう
こともあるかもしれない。ちょっと複雑な気持ちになる。
年を重ねることでの円熟味もあるが、苦しそうに歌う往年のスターを見るのはちょっとつらい。
でも、半世紀以上も、元気に頑張り続けている姿を見ることで、元気をもらえることは
ある。

とにかくスターも年をとり、自分もしかり。
時は流れるということだ。

さて、今からでも遅くない。ボイストレーニングをがんばらなければ。
声が命といっても過言ではないこの仕事
しゃべりも、歌も声が資本だ。
そして、姿勢。表情。見た目も大切だ。

さて、老いても声が素晴らしい。菅原洋一、布施明、松崎しげる、にしきのあきら、HIROMI GO・・・。見た目も変わらない。どんな努力をされているのだろう。

今からでも遅くない。

いつまで現役で?長ければいいというものではないということをしっかり受けとめて
生きていこう。

そのためにトレーニング、努力、挑戦を続けるとしよう。

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目が覚める瞬間と教訓。

休日、映画を見た余韻で少しまどろんでいたら、
突然襲った大きな揺れ。
映画の世界にさっきまでいたせいか、これが現実なのかどうか、すぐにわからなかった。
でも、確かに揺れている。
テレビのスイッチを入れると、あの震災を思い出す緊急速報の音。しばらくすると画面は
緊急時のフォーマットになりベタ帯に地震情報が映し出される。

さっきまで気持ちよく、止まった時間を楽しんでいたのに、一気に現実。
今回も石川の方が震源と知り、最近、こちら方面の地震が多く、その周辺が地元という
知り合いの顔が浮かぶ。あ、○○さんのおばあさん、大丈夫かな・・。
新潟にも被害は及んでいないだろうか。
こちら名古屋は幸い、瞬間の揺れで済んだけれど・・・。

世間は連休の後半を迎え、それぞれの休日のクライマックスを楽しんでいる頃。
遠出している人、帰路につくひと、それぞれの思い出を胸に・・・コロナとともに
過ごした3年間にできなかったことを取り戻そうと、気兼ねなく非日常を過ごしていた
矢先のこの地震・・・。

被災された方には、心からお見舞いをお申し上げたい。
まだまだ被害が増える可能性もある。

自然は人間界の暮らしやカレンダーとは関係なく、自らのペースで動き、
人間を脅かす存在。恐ろしい。やっぱり感情はない。

予期せぬ、あの揺れの瞬間、自分では何もできないと思った。
「あ、やば、怖い怖い・・」
と、じっとすくんでいた私。
さっきまでどっぷりはまっていた映画の世界もどっかへ飛んだ。


気を抜くな。いつ来るかわからないぞ。
目が覚めた瞬間。

それにしても、ほんとうに突然やってくる。
天災、事故は、忘れたころにやってくる。
忘れてはいけない・・。
気を付けようがないけれど、
備えて楽しむ。なかなか慣れることはできないが、
それが必要と、改めて気持ちが引き締まる。

ふと、防災士の知り合いの顔が浮かんだ。
被災経験からさまざまな学習と対策が生まれた。
経験が教訓になる。
自分はまだ経験はしていないけれど、事例を見ながら学習し、
想像から教訓を得ることはできる。

とにかく、自分事として備えることに尽きる。

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心の旅を誘う周年事業

今週は、ちょっとした旅に出る時間を楽しみとしている。
心の旅、そしてタイムトラベルである。
たまたま、いつも利用する楽譜店で探し物をしているとき、
この楽譜出版社の75周年の記念品の案内をみつけ、即反応した。
今なら、限定で条件付きで記念出版された楽譜をいただけるとのこと。
どんな記念出版なんだろう?
実はこの出版社の楽譜は高校のときから、今にいたるまで
最優先で選択し、利用している。
ドイツのヘンレ社。
このグレーブルーの表紙の色も知的でとても気に入っているが
なんといっても楽譜自体が、原点版に忠実というところが良い。
余計な解釈を加えていない、というところが最大の特徴。
気が付けば、ショパンの楽譜をはじめ、多くのクラシック曲の
楽譜はこちらのブランドを愛用してきた。
本場ドイツに行ったときは、安価で購入でき、とてもうれしかった
のが昨日のようだ。
さて、今回の心の旅、タイムトラベルとはこの記念出版本に
掲載されている世界の名曲を順に弾き続けていくことだ。
同社が編纂した各作曲家バッハからガーシュインまで。
なんと古典から現代までの著名な作曲家の名曲17曲を厳選。
タイトルは「PIANO ALBUM」、なるほど、これは確かに
アルバムだ。
入門から中級の曲ばかりで、まあ、旅がしやすい。
シェーンベルクやラフマニノフなど弾く機会がなかった作曲家の
メロディや和音に触れることができ、新たな体験、世界に出会う。
1948年に生まれた会社。戦後まもなく誕生した背景も興味深い。
この会社、ビールがおいしいミュンヘンに本社があるようだ。

今年のGWは、これ1冊で世界旅行。
なんとも心豊かな旅か。
混雑もせず、パスポートも要らず、コロナも心配なく。
こんな旅行なら、いつでも何度でも、行ける。
これが、本当の贅沢な旅。
ヘンレ社。これからも原典を大切に、後世に、世界に、クラシック
音楽のすばらしさを伝え続けてほしい。心からの感謝と祝意を込めて。
表紙の写真は、ピアノ楽譜台のイメージとしてお許しいただくとしよう。

こんな素敵なアニバーサリーがある。
ファンが喜ぶ、最高の企画だ。

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若い人が主役。次代を生きる人へ勇気を。

先日の統一地方選挙では、市長選や市議選で、20代の方の出馬、そして当選が
実現し、今、被選挙権の年齢の見直しについての議論も出始めている。
その報道を横目に見ながら、なるほどと思い、若い人の中にもちゃんと世の中を見て
行動しようとしている人がいることに、安堵し、頼もしく思い、また応援しなくちゃと
いう気持ちが高まる。

若者にとっては、このコロナ禍を通じて、いろんな政治的な問題、矛盾が自分たちの生活に
ふりかかってきて、このままでいいのか?という思いになってきたのだと思う。
また、ネット社会でもあり、いつでも海外の情報も入手でき、それなりのお勉強をしている学生には、世界の中の日本のありようも見えてきて、首をかしげ、このままでは・・と思うことも大ありだと思う。

もし、今、自分が学生だったら、同じように思い、そして行動しなくちゃと思って何かを
しはじめているだろう。
今の自分であっても、何かしなくちゃと思うほどだ。ましてや若かったら、じっとしていられないと思う。

それだけ、今は危機的な状態である。
私たちはまだいい。あと四半世紀も生きるかどうか。(生きたい気持ちはないが)
それよりも、その先まだまだ生きる人たちが、自分たちが生きやすいように、世の中を
変えていかなければならない。

現在の社会については言いたいことはある。でも、言っているだけでは変わらない。
せめて、若い人たちが頑張れるステージをつくっていかなければならない。
世の中の根幹を変える、ルールを変えるのはやはり政治の力。
そこに若者がどんどん入っていかなければならない。

諦めてしまう若者が増えたり、ネガティブな方向へ進んでしまう人が増えないように、
大人たちが、若者主役の光ある社会の可能性を示していかねばならない。

いつまでも、いい歳をしたおじんたちが、しがみついている姿は、若者から見たら
どう映るだろう。

次の世代は若者へ。大人はその応援、サポートをしていかねばならない。
と、この連休、いろいろ考えることは多い。

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歌もいいけど、縦書きもいい。

先日、歌詞集をご注文いただき、お読みいただいた方から感想が
届いた。

♪詩集ありがとうございます。

じっくりと時間をかけて読みたいと思っていたら

昨晩になってしまいました(;^ω^)

お返事が遅れてすみません。

読み終えた後、マーサさんの歌声を聞きながら床に就かせていただきましたww

詩はこの縦書きな感じと行間がいいですよね♪

聞き覚えのある歌詞ですが、曲を聴いている時とは別の気持ちになります。

昔の事を思い出し、心が落ち着きました。

忙しくても、心を落ち着ける時間というのは意識してでも作った方が良いですね。

心が軽くなります。♪

と、いった内容で、いただいたメールは朝早かったおかげで、1日テンションが
上がりっぱなし。ああ、良かった、作ってよかった。とそんな気持ちになることができた。

そう、聴く行為と、読む行為は違う気持ちをもたらしてくれる。
この方は私のコンサートへもおいでいただいたことがある方であるが、
この歌詞集を読んでから、CDもお聴きいただいたようだ。

自分の言葉と音楽で、眠りについていただける。とはなんとありがたいことか。

自分がしたいことは、人々が1日元気に過ごせることのお手伝い、そして、安らかに
眠ることができるお手伝い。
元気だけでなく、安らぎもお届けできたら・・・。

自分の向かっている方向を確認できる、うれしいメッセージをいただけたこと、
本当に幸せだ。

グラン・ルー25周年記念 歌詞集 ご案内
25周年感謝の記念出版 いよいよ完成!受付開始 | La Grande Roue (mahsa.jp)

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訪ねてくれる方たちへ。

春になってから、東京、京都、新潟で出会い、お世話になってきた人たちが
今自分が住む「日本のまんなか」に足を運んでくださる機会が増えている。
ひとつは、コロナがいったん落ち着いたこともあるだろう。
名古屋へ用事ができたついでに、せっかくなので岐阜のコンサートに行って、
と動機はそれぞれであるが、自分を思い出し、足を運んでいただけるとは
とても光栄なこと。

30年以上一緒に仕事をしてきたデザイナーさん。
家族旅行の帰り、ご自身だけ残って、会いに来てくださるとのこと。
これまで自分が話してきたふるさとの片鱗を見てほしい。知っておいて
もらえたら・・との気持ちにもなる。

今月はこれまでなかった、このような機会がいくつかある。
人に会う場合、自分が訪ねていくことの方が断然多かったわが人生であるが、
日本のまんなかは、寄りやすく、また東京や京都と違い、超観光都市ではないため、
わざわざ出かけるのは難しいが、きっかけがあれば、行ってみたい。せっかく
行くならば・・ということになるのだろう。

いずれにせよ、訪ねてもらえることはうれしい。
そういう年頃になったのか、そう声をかけていただく人との関係が
まさに家族のような存在だからなのか。

人が会うには、待っているだけでは叶わないこともある。
行けるときに、行ける方が動き、再会する。

訪ねてくれる人。ありがたい。
できる限りのおもてなしを。と思う。

訪ねる、迎える。
ああ、あの人は元気かな・・。
会いたい人には会っておきたい。

訪ねるもよし、迎えるもよし。
行き来できる健康、幸せに感謝して。

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低空飛行とピアノ音

「バリバリバリ・・・・」実家周辺で、低空飛行の飛行機をよく見かける。
実は、子供の頃から、飛行機の騒音(と書いては申し訳ないが)とともに
生活をしていた。その音のなかで育ったといっても過言ではない。
だから 両親も私も声が大きいのか?その関係はわからないけれど。

実家が自衛隊の基地が近いからだ。とくに飛行機を製造している会社も近くにあるため
そのテスト飛行など盛んにおこなわれてきた。


岐阜を離れて40年経過し、その騒音のことは、すっかり忘れていたが、このところ
足を運ぶ機会が増えているため、「ああ、こんなにうるさい環境だったのだ‥」
とあのバリバリ音を聞くと、地域の音環境を改めて知る。

とくに、4月後半は音がいつも以上に凄い日があった。手が届きそうな距離で低空飛行を
していたのだ。報道によると、あれはもしかしたらスーダンに飛んだ飛行機だった
のかも・・・。あまりにカタチが似ていたし、そこの基地から飛んだと報道もされていたため、きっとその飛行機の音を聞いたのだ。

とにかく、そういう環境のなか、幼きからピアノの練習を続けてきた。
そして、そんななかで育ってきたため ピアノの騒音は、飛行機の騒音に
比べたらかわいいものだ。もちろん防音対策はしてあるが、ピアノがうるさい以上に
飛行機の音がすごいため、ピアノへのクレームはなかった。
むしろ、
「今日もやっとるね」と、近所のおばさんが寄ってきたり、
「癒しになるわ」と言ってくれたり・・・。

その飛行機の音が、昔は単なる騒音であったのであるが、最近は戦争も身近に
感じるようになっており、この音のなか、ピアノを弾いていると、
戦場のピアニストを思い出してしまい、恐怖を感じる。
このバリバリ音は、自衛のための、その練習の音であるから、まだ我慢するが、
まさかここが戦地になり、このバリバリ音が響くことがないように・・。
そこから何かが降ってくるなんてことは、間違ってもないように・・・。

なぜか、最近はそういう心配もしてしまう。
平和な環境で、ピアノが弾けるなんて、幸せなこと。
考えたこともなかったのに、このところのバリバリ音で、緊張してしまう
自分がいる。

少なくとも「バリバリ」は、平和の音。ではない。
守るって、きれいごとではないのだ。

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同級生から飛んできた餅。

三年ぶりの地元のまつり。近所の神社で年男たちが餅をまく。
この一大イベントの前には、その年男の皆さんと地元の男性たちによる、恒例の神事があるが、そのときは人もまばら、しかも雨模様・・。
であったが、餅まきの時間は、回覧板などで情報がいきわたっているのだろう、その時刻が近づくにつれ、人が湧いてくるように集まってきた。
待ってましたという感じで、みなさん袋を持参。やる気満々で、驚く。

櫓の上には立派な餅が入った樽。紅白の餅がきれいに並べられている。年男たちの奉納によるありがたい餅。この「餅まき」の風習は江戸時代からあるようであり、各地域でいろんな形で受け継がれているようだ。私の地元でも、ずっと続いているが、コロナで休止、今年は久しぶりの開催となった。
爆竹が鳴り、花火が打ち上げられると、一斉に年男によって、紅白の餅が次々と撒かれ、集まった人々はその餅を受ける、拾う・・・。家族や友達の方に向かって多く投げたり、声をかけられたらそっちに向かって投げたり・・・。野球をやっている人には有利なゲームでもある。
この伝統的な地域のまつり。約半世紀ぶりに見たこの光景。
爆竹や花火の音が聞こえたとき、また櫓の上に上った年男の皆さんの姿や櫓の下で働く地元のおじさんたちの姿が見えたとき、父の元気だったころ、威勢の良かった頃の様子がくっきりと浮かんで、ぐっときた。
ああ、父も母も祭りが好きだった。地元の人と交流するのが好きだった。とくに父は祭り
になるとお酒を飲んで、気が大きくなって、翌日母に怒られていた・・・。そんなことも
思い出し、この賑わいのなか、ひとりで涙ぐみ、餅を拾うこともなく、たちすくみ・・すると餅が降ってきて、体に当たった。餅って痛いんだ~。

餅をまいていた年男の中には、同級生が何人かいた。
本当に50年近く会っていない人もいて、
声をかけることができなかったけれど、

「すっかり、いいおじさんになったんだ~」
どこかで会っても絶対にわからないなあ。
と地元に残り、地元とともに暮らす彼らのことを懐かしく、見守った。

今も昔も神事は、男のまつり。地元に残った男たちが地元を守る。
と、そんな歴史である。
代々受け継がれた伝統的な祭りを含め、さまざまな活動をその男たちが
地元に残って受け継がれていることは本当に素晴らしいと思う。
地域には地域の歴史があり、まつり、ならわしがある。
半世紀たっても ベタなこの祭りを楽しく参加する人々たちの興奮は変わらない。
すべて父も含めた、地元に生きた人たちのおかげである。

少しキャッチした餅をそのまま、妹に渡しにいこうと電車に乗った。

同級生たちが、地元を守っている。
ヨソモノの自分は何を守ってきたのかな?
いろんな思いで、この光景を焼き付けた。
みなさんが健康で、平和な1年を過ごせますように。

いやはや、それにしても、久しぶりに降ってきた餅は痛かった。

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