タレント交換。

自分ができないことができる人、自分と違う能力を持つ人は興味深い。
もちろん敬意を表するし、応援もしたい。
すごいな、自分にはできないけれど。その発想、その表現、その知識・・・。
その才能に触れる時間がとても刺激的だ。

久しぶりに親しくしている脚本家、作家さんに会う。
半年に一度ぐらいか、会って話をするが、本当に面白くて、あっという間に
時間が経つ。

作家という仕事は観察力がある。
世の中を、時代を、独自の目線で見ている。
人間は進化するようにできている。
という話題から、最近、重大な問題になっている性差別、虐待と権力の
相関関係・・・。
と、普段ビジネスの世界では会話に出てこないような社会的な問題、話題が
次々出てくるのである。

もの書きをするには、さまざまな情報、知識が必要。その上にその人なりの
視点、視座も必要。
作家はメッセージを発する創造的な仕事。一種の才能がないと続かない仕事だと
つくづく思い、尊敬する。

お互いもっている才能、能力を認め合い、刺激を交換する。
自分の内面を豊かにするためのパワーチャージのひととき。
ありがたい。

信念をもってがんばる作家さんをこれからも応援し続けたい。

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コロナの置き土産

コロナが残したもの。
プラスマイナスいろいろあるが、今でも最も活かせているもののひとつが、
オンラインコミュニケーションではないだろうか。
人が移動し、集い、対面するというリアルなコミュニケーションができないという
考えたこともなかった衝撃の事態のなか、オンラインミーティングという手法は
本当に助かった。
出張に行かずとも、移動時間をかけずとも、それぞれ都合のいい場所で、いつでも
画面を通じて話をすることができる。対面のときよりも、多く会することもできる。
このおかげで、仕事に支障が出ることはほとんどなかった。
もちろん、対面の方が質的なコミュニケーションができるのは言うまでもないが、
回数を重ねて親密になったり、スマートに仕事を進めるなど、いい点も多かった。
もちろん限界はあったけれども、慣れればその距離感にも抵抗を感じなくなった。
果たしてネット社会でなければ、コロナ禍をどう過ごしただろう。

今は、対面で会おうと思えば会えるが、それでもオンラインでのミーティングは有効だ。
全国から集まる必要があるとき、オンラインでの会合を行う。
もちろん目的によるが、同じ情報を共有したり、一対多の発信が必要な場合、
またそれを同時に共有する場合、オンラインは有効だ。
また人数制限をせず、遠方からでも急に追加参加することも容易だ。

そんなこんなで、あるプロジェクトのキックオフミーティングにオンラインで参加した。
主催者にとっても、参加者にとってもメリットが大きいと改めて感じる。
もちろん主催者から見れば、それぞれの参加者の詳細な表情までは見えないが、
まあ、それも慣れ。小さな画面のなかで、どう盛り上げるコツはある。
情報を共有し、目的に向かって実践を進め、確認するのであれば、オンラインの活用は
十分に有効で、成果も出せる。もちろんオンラインでのミーティングを重ねれば、対面
での再会を求めたくなる。その実現もまた感激の瞬間となる。

コロナが残したもの。
いろんなことがあるけれど、このオンラインミーティングという手法の誕生には
感謝したい。
もちろん、その一方で会いたい人に、自由に合えるようになった今の環境にも
感謝したい。

今は、ハイブリッド。自由に選べる。
これこそ、当たり前と思わず、一期一会を大切に、今日も大切な出会いを育みたい。

もちろん、コロナが残してくれなかったこともある。けれど、まずはポジティブでいこう!
現状に感謝することから、すべてがはじまる。
すべての経験は、新たな道に通ずるのだから・・・。

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愚痴で終わらせない。

ずっと「愚痴」という文字、言葉は好きではない。
見た目、なんだかぐしゃぐしゃになったものが入っている感じで、
漢字の意味もあまりいい印象がない。
愚痴という言葉も使いたくないし、聞きたくない。
耳に美しいことばではないから・・。

ではあるが、生きているといろんなことがあるため、愚痴を言いたくなることや、
人から聞かされることもある。
愚痴は聞いていると、やっぱり言うものではないと思えてくる。
客観的に聴いていると、そういう見方だけではないけれど、違う見方もできると
思うけど・・と思うことがいろいろ出てくる。
でも、まあ話したいのであれば、できる限りは聞いてあげればいい。
まずは吐き出すことで楽になる人も、なる時もあるから・・。
でも、聞き続けることもしんどい。
だから言わない方がいい。でも・・というところだろうか。

心ゆるせる相手であれば、わかりあえる間柄であれば、ガス抜きの瞬間として
たまには良い。
でも、そこで終わってしまってはいけない。
愚痴をいったけれど、言うことで頭が整理でき、気分もすっきり
もう一度がんばってやる!と前向きになれるならば、まあ、時にはよし。
聞いた時間も無駄にはならない。

とは思うが、やはり愚痴は言わなくて済む方がいい。
それはおそらく日頃の自分の物事や人間に対する身の置き方、向き合い方と
大きくかかわっていると思う。
まずは自分中心にならないこと。感謝の気持ちをもつこと。
相手の立場になること。
俯瞰して物事を見るようになれること。
こんな意識を持ち続けることで、
愚痴から開放されることも多くなるのでは。
と思う。
我慢したり、自分の外と内にギャップがたまってくると
愚痴の素ができてしまう。
行き場のない詰まった感情、それが爆発するひとつの表現が愚痴
なのかもしれない。

と理解しつつも、聞き役になったときは
その時間を無駄にしないように、プラスの方向へ一緒に歩いていけるように
ナビゲートできたら・・と思う。

下を向く愚痴より、前を見た発言を心がける。
前向きで建設的なコミュニケーションを優先。

やっぱり、愚痴なし人生を目指したい。
もちろん、時にこぼしたくなる気持ちはわかりつつ・・である。



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「変わらないね~。」

昨日は久しぶりに半日以上、立ちっぱなしで、動きながらの弾き歌いで
存分に体力を消費させていただいた。
不思議なことに、喉枯れや痛みはなく、声帯が丈夫なのかなと思う
一方、足は筋肉痛である。
私のライブは、まさに?スタンディングプレーになるため、スポーツのような
後感覚になる。まあ、心地よい疲れは、良き余韻である。

さて、昨日の地元でのコンサート。ひとつめは新聞社ロビーでの開催ということ、
しかもコロナも落ち着いたため、事前予約をしなくても入れるようになり、
多くの方に集まっていただき、コロナ前、そして親たちが元気だったころの活気を
取り戻した賑わいで大変ありがたかった。

演奏を終えた後、いろんな方が声をかけてくださる。
そんななか、はじめてお見掛けするような感じのご婦人がにこにこ笑って
歩み寄ってこられた。親しげな表情だ。あれ?前も来ていただいている方かな・・・。
「まさこちゃん、久しぶり~。私、◌◌(町内名)の◌◌です。(苗字、たぶん旧姓?)
ひとつ上の。」と言われた。どうやら、1つ学年が上の隣町の方のようだ。
「ほんと、変わらないね~」
と言われて、そうなんだ~。と思いながら、どうしてもその方の子供時代が思い出せず
反応に困りながら、
「そうですか~。長年ご無沙汰してしまって、すみません。もう50年も経っているので
・・・」そう、小学校に入学した頃から半世紀は経っているのだ。
しかも地元を離れて40年も経ち、成人式や地元の行事に何も出ておらず、まったく接点がないと記憶が途絶える。
大変申し訳ない状態で、とにかく感謝の気持ちを示しながら、ご挨拶をする。
ほんとうに、いろんな方が来てくださることに改めて感銘を受ける。
地元での広がりは、一度おいでいただいた方の口コミ力も大きい。

「変わらないね~。」きっとその先輩、私の演奏やトークを見聞きしながら、ご自身の小学生時代のことも思い出しておられたことだろう。
人間50年以上生きていれば、変わらないわけはないが、変わっていないところもあるという
ことで、これはきっといい意味だ。
変わった、変わらない・・・ということは、久しぶりにお会いする人だからこそ、気づいてくださるのであろう。もちろん見方によっては、「変わったね~」ともなるが。

懐かしき人。ありがたい。
今朝になっても、その先輩がどんな人だったかを一生懸命、思い出し続けている・・・。

そんなタイムトリップもありがたいこと。



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青いカーネーションと約束

この週末は、街角で多くのカーネーション売り場を目にした。
母の日への思いは、前に書いたとおりであり、母の日だからという
特別な思いは、過去とは変わっているが、お墓には花をよく持って
いっているため、まあ、そうであれば・・ということでカーネーションも
添えることに。但し、白い花は悲しくて、ちょっと苦手であるため、
青いカーネーションをみつけたので、これを選ぶ。
ちょっと派手な感じで、人によっては??と思われる
かもしれないが、母は珍しいものが好きだったので、喜ぶに違いない。
だから良し!
と、雨の中そんなことをしながら、次は今日行うコンサートの準備に入る。
同時に、今後のこと、来年のことも考える。

そして、来年1年間の出演予定を決めた。
やる気満々だな、来年も元気にがんばる覚悟だな。と自分に話しかける。
いつも、長生きはしないと人様に言い切っているわりには、
来年のことをもうしっかり計画している自分に驚くが、
このことが、親への感謝の気持ちの表れかもしれないとも納得する。

青いカーネーションを飾った日に、来年1年の計画を決定する。
私にとって、このカーネーションは単に母の日だからの贈り物
ではなく、有言実行、約束のツールになった気がした。

ちなみに、あとで知った、
青いカーネーションの花言葉は、「永遠の幸せ」。
選んでよかった。
私にとっては、「自ら切り開く、永遠の幸せ」としておこう。
待っているだけでは、幸せは来ない。

明日に向かって、まずは今日をしっかり。
今日の二連発コンサート、青いカーネーションを胸にがんばろう!
出会う皆さん一人一人の永遠の幸せを願って・・・。

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お客様の顔を思い浮かべ、笑顔の着地を願って。

明日は珍しくアーチストとして、掛け持ちの1日になる。
しかも午前・午後ではなく、午後にふたつのコンサート。
ひとつめを終えたら、すぐ移動して1時間後にはふたつめのステージへ。
ちょっとあまりない経験。ちょっと緊張。
ひとつめの演奏が終わり次第、次の会の主催者の方が車に乗せてくださって
すぐ移動となる。
1時間の移動時間と切り替え時間で、ちゃんとこなせるか?がポイント。

声の調子が悪くてもいけないし、事故にあってもいけないし、あわてて、
いいかげんなパフォーマンスになってもいけないし、
とにかくそれぞれにとって、ベストな結果を残すためには、1日1回のステージ
の倍以上の気を遣う。
お客様からすれば、それぞれのステージを楽しみにされているのだから、それぞれに
答えなければならない。今日2つあります・・は、お客さんには関係ないこと。
どんなときも、目の前のお客様がすべて・・である。
だから、そのために各準備、段取りと自信とゆとりをもって取り組むための
練習、そして集中・・・。
ちゃんと本番をこなすには、いろんな力が試される。

今日はその準備を優先して行う。
まずそれぞれのコンサートのプログラムを整える。資料を準備する。
そして、練習と一部楽器の搬入。
ひとつめはグランドピアノ、ふたつめはキーボード持ち込みでのコンサート。
と、使う楽器も空間も、対象も会場も皆異なる2つのコンサート。
どちらも成功させる。どちらも満足いただけるようにする。
それぞれのステージを待って下さるお客様の顔を思い浮かべて。

よかった、よかった。

と軽やかな気持ちで帰りの電車に乗れる瞬間を楽しみに、準備もがんばらねば。

大谷選手だって、大変な準備とトレーニングをして、本番に臨んでいる。
くらべものにならないが、私なりのベストを尽くそう!

今、目の前にいる人のために。それを1日何回もできるのが、プロの仕事。
努力と研鑽。今日1日しっかり準備して、本番に臨むとしよう。
お客様の顔を思い浮かべ、そして笑顔の感謝で結べるように。

お互いの「よかったね」のために・・・。

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その気があるかどうか。

企業内でのコミュニケーションについての研修を行うことがある。
いろんな階層やテーマがあるが、最近は係長や主任といった、
リーダー対象のプログラムを組むこともある。コミュニケーションの
大切さへの気づきと共有から、リーダーとしての意識向上、行動変革に
つながればとの思いもあるし、リーダー同士の一体感の醸成も目指す。

みなさん現場での仕事も忙しいため、長い時間は組めないが、短いながらも
聴くだけではなく一緒に考え、実際に話し合うワークタイムも組み入れる
ようにしている。その時間が日頃の業務面での協力体制づくりにも役立てばと
思っている。
そんななかで、コミュニケーションに関する相談ごとについて取り上げた。
「人の名前が覚えられないが、どうしたらいいか?」
と、そんな声があったため、それについて皆さんで考えていただいた。

「そんなん、覚えようと思ったら絶対覚えることができるわ。覚えられない
ではなく、覚えようと思わないといかんわ」
と、大変前向きな発言が出て、頼もしく思えてくる。

「名前は大事です。やっぱり『ちょっとちょっと』ではなく、ちゃんと
名前を呼んでもらえるということはうれしくてやりがいにつながるから、
やっぱり覚えないといけない」という意見も出て、さらに安堵する。
そう、
覚えられないで終わらず、覚えようという気持ちがあるかどうか。ということだ。
もちろん相談ごととして挙げてくれた人も、これをなんとかしたいという意志が
あるので大変前向きだ。その気があるということだ。

もちろん、人によってはそんな無理しなくてもいいのでは?という声もあるが、
やっぱりコミュニケーションをとる上で、名前を覚えるということは相手を知る、
相手と打ち解ける第一歩。
仕事をする上では、そして人の上に立つという点でも、そのことは大変重要だ。

自分だってそうだ、名前を呼んでいただけると うれしい気持ちになる。みんな同じ。

といいながら、私自身が研修などやらせていただくと、
一対多のコミュニケーションになるため
また頻繁に会うことがないため、どうしても名前を覚えきれず、あわてて思い出したり
メモや名刺を見直したりということもあるが、
忘れないためにもできる限りのコミュニケーションは不可欠と思っている。
と、何年も前に、交換した名刺に必ずその人の特徴をメモして、名前を覚える努力を
されていた先輩ビジネスマンを思い出す。そういう方法も有効だ。

とにかく何事も、その気があればできるし、気がなければ成就しない。
その気がある人に、チャンスはめぐってくるのだと思う。

名前を覚える。名前を呼ぶ。
それは相手に興味を持っているということにつながる。

その気があるかどうか。これは、成長のための大切な起点となる。

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自分で決める記念日。

来る5月14日は母の日とのことで、カーネーションはじめ、
さまざまなギフト商品の提案がリアル、オンラインの売り場で
繰り広げられ、いつまでに注文しないと間に合わないと
いうカウントダウンの昨日今日。
各社のメールマガジンもあわただしい様相だ。今日が注文の
締め切りという店舗も多いことだろう。

おととし、昨年のこの商戦シーズンは、正直耳に、目に触れるのも
きつかった。
生きている間は、いつも何かしら贈っていたことを思い出すからだ。
そして、今年はもう何ともないかと思ったが、思い出すと
やはりつらいので、距離をおきながら眺めている。
父の日についても同じだ。

そんなこんなで、
みんな一斉の記念日・・という盛り上がりが、現在の自分にはそぐわない
こともあると思うようになってきたこの2年ほど。

考え方を少し変えてみる。
世間での特別な日に合わせることなく、考えようによっては、
毎日が母の日であり、父の日である。
自分の場合は、そんな気持ちで、常に心で対話し、感謝の言葉を
伝えるようにする。
そうすることで、悲しみも寂しさも、和らぐ。
一緒に盛り上がることが、しんどいこともあるのだ。

毎日がバレンタインで、毎日が母の日で、毎日が父の日で・・。
と、毎日大切な人に感謝する気持ちを持つことで、心の
落ち着きを保ちたい。

記念日は自分で決める。自分が自然に気持ちが向くように。
そんな考え方があっても良いと思う。

もちろん、
次の日曜日、日本中(世界中?)で、「おかあさん、ありがとう」
の言葉が響きあうことは、とてもいいことだと思う。
その日がきっかけで、その日に終わらず、
毎日が感謝で溢れる世の中になるようにと願っている。
そう、記念日は毎日をより豊かにするためのきっかけなのかも
しれない。





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予定どおり着地させる歓び。

仕事とは与えられた、あるいは自らが課したミッションを遂行すること
である。
この日までに、これをやる!と公言した以上は、絶対にやり遂げたいし、
難しいとなれば、早めに計画を変更する見極めも大切だ。
とくに多くの人がかかわるプロジェクト、事業であれば、皆さんにうまく
協力いただいて、とにかく実現しなければならない。

最近、このような取り組みに対し、関わるケースも多い。
目標に向かって走る人が、ちゃんと進んでいけるのか見守り、違っていれば
その都度助言したり、軌道修正するように促したり・・・。そして、
とにかく止まらず、ブレずに進むことができるように、導く。
気が付けば一緒に走っている。

途中、どんなことがあっても、それから逃げることなく、ひとつひとつ
しかも全方位で取り組んでいけば、必ず着地することができる。

今回、その着地の歓びを一緒に体感することができた。
それはある商品の完成、発売。
「何事も経験ですね。次に生かしますね」と担当者の声。
そう、何事も経験。経験しなければわからないし、見えないことは多い。
ゴールに向かう道の様々な苦労は、過ぎてしまえば、ありがたい経験であり
教訓となる。

仕事は、課題をこなし、目標に近づくことであるが、そのプロセスで
人は成長することができる。

私自身、商品をつくることは、人をつくること。
であると最近しみじみ感じている。
ひとつの着地の経験を多く重ねることで、人は必ず成長していく。
もちろんその人次第であるが、どうせやるなら、そうであってほしいと
いつも願い、うるさいおばさん役を演じ続ける。

とにかく着地する経験を多くもつこと。それは小さな達成感につながり
自信にもつながる。

そして着地は新たなスタートである。
何かをやり遂げたとき、人は輝き始めると思う。
だから、何事も中途半端でなく、ちゃんとやりきる。
そんなことを、これからも伝え続けたいし、伴走していきたいと思っている。

関わる人たちが着地すると、こちらもうれしい。
少し気分が晴れやかで、落ち着いた朝を迎えられるのはありがたい限り。

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マスクなし、自分の顔。

マスク生活を3年。お互いの身を守るために、日本人はとくにきちんと、
このコロナ禍での社会的ルールを守ってきた。
それが結果的に良かったという点はあるし、これからもそれぞれの
判断により、適宜、使用していくことになる。
自己責任で、自らの身を守る。当然といえば、当然のこと。

そんなことで、今週になって、マスクを外す機会が増えてきた。
また暑くなってきたため、なるべく外したい。外せて快適・・・。
ではあるが、ちょっと気になるのがマスクなしの私の顔。

コロナ禍に出会った人とは、リモート以外、マスクありの顔しか
お互い知らなかった。
そのときは、目元がポイントであったが、マスクを外すと口元に
目が行くことになり、そしてフェイスラインもしっかり見えるなど
顔全体を見られることになる。
こういう顔だったんだ~。とお互いを知る機会も増え、多少イメージと
違っていたとか、発見があったりするのだろう。
さて、自分の顔は大丈夫かな?

正直、マスク生活、リモート生活では化粧(特に口元)は少し
手抜きをしてきた。口紅を付けてもマスクについてしまうから、
どうせ見えないから・・・。
という3年を過ぎ、久しぶりに濃いめの色の口紅を付けたり、3年前の
自分に戻ろうとしている。
が、3年前よりは着実に年を重ねているわけで、あのときの自分の顔と
同じというわけにはいかなさそうだ。

顔のたるみ。フェイスラインはとくに要注意。
それなりに、努力はしてきたつもりであるが、マスクを長期間して
きたせいもあり、自分の顔についてのチェックも甘くなって
いたかもしれない。
「しょうがないよ、年なんだから・・・重力には逆らえないし」
と家人に言われても、そこは妥協してはいけない。

ということで、今一度、わが顔をしっかり点検。
努力できることは、今からでも!

と思っておられる女性(男性も?)は少なくないかも?
とくに、重力への抵抗力が低下しがちなアラカン世代以上は
要注意だ。

夏に向け、メイク市場、エステ市場はこれから活況を帯びること
だろう。そんなところからも、日常が戻ってきた。

3年前に自分の顔を戻すことはできないが、たるんでいた自分の
内面を見直したり、コロナだから・・を言い訳にしたり、諦めの
理由にしていた頃とは一線を画し、元気にどんどん挑戦していく。

そんなことが可能になったこの今に、感謝したい。
もちろん、気を付けながら、あくまでも確かな自己判断で。
我が身も見た目も、自分で守る。

そう、セルフマネジメントがさらに求められる時代になったのだ。

3年間のコロナは、結局このことを教えてくれているのかもしれない。
と、鏡にうつる自分の顔を見ながら、3年前の顔を必死に思い出してみる。


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