大阪の町。久しぶりに心斎橋界隈を通る。
2年前だったか、コロナ禍に、このあたりを歩きながら
立ち並ぶお店のシャッターが下り、なんともいえない
気持ちになったあの頃を忘れることができないが、
その様子が嘘のように、平日というのに大勢の人でにぎわって
いる。インバウンドの買い物客もたくさんの紙袋を持ち歩き
自撮りをして・・・。
一見、コロナ前の日常が戻ったようだ。
賑わい。ちょっと怪しいバブルな感じ・・・。
マスクをしている人も減ってきて、あの苦しかった時間が
遠い昔のように。
「人がいっぱい。もうコロナ終わったみたいや。」
と独り言を言う。
コロナが終わったから、帰ってきてもいいのに。
と、そんな気持ちになっている自分に気づく。
そう、コロナ前の日常が戻ってきたなら、
親も元気に戻ってきたら・・とつい、思ってしまい、
うっとなった。
何を考えているんだろう。戻るはずがないのに。
でも、コロナ禍に大切な人を失くした人は
そんな幻想を抱くこともあるかもしれない。
元気なあの頃。という日常には、その大切な人は
元気にそこにいたのだから。
でも、日常は戻ることはない。
以前のような、それに似た、似て非なる日常が
やってきただけだ。
だから、そんなにはしゃぎたくもないし、
手放しにうれしくもないし、
改めて、
バブルな時間を過ごしたいわけでもない。
むしろ、静かにいたい。
と、にぎわう街を背に、あの日常は戻ってこないことを
思いながら、歩き続けた・・。
あの日常は戻らず。
掲げる数字と現実。
たとえば国という大きな括りをまとめていくときは、まずは数字を掲げるのが
手っ取り早いのだろうか?と、思うことが相変わらず多い。
子育て支援、軍事費は◌兆円。とか、女性の役員は◌年までに◌%を目指す。
とか、こういう見出しを見ると、また出た。と思ってしまい、何か違和感を感じる。
数字を言い切る根拠を、言ってほしいのだ。
また、なぜそれが本当に必要なのか、もちゃんとわかるようにして
ほしいのだ。
と思ってしまう。数字の一人歩き、数字合わせ・・・。
もちろん数字を決めないと、女性が活躍する社会ができないからという
発想もわからなくはないけれども、数字を決めたから、決まったから、
はいあなたも役員ね。役割を与えられても…数合わせのようなことに
ならないかとも思ってしまう。
本当はこんな数字は決めなくても、自然に能力がある、やる気がある女性
も男性も活躍する機会を得られ、いきいきとがんばる人たちが増えて
社会が元気になる!活性化する!というのがいいと思うのだが。
決めないと変わらないこと自体が、そういう体質が、あるべき社会の
姿とは違う気がしてしまう。
ではあるが、何か数字を言わないと、掛け声をかけないと、
変わらないのだろう。
と前向きに理解するように努力するが、
なぜ?どうやって?それで世の中がどう、よくなるのか?
を実感できるように、描けるようにしていかねば。
いずれにしても、頼っていても何もはじまらない。
自分で自分の力を発揮して、男性であろうが女性であろうがなんであろうか
評価されるようにがんばる。
そのことを、まず忘れてはいけない。
まずは、自立だ。
そして、数ではない。中身。
ニュースな包装紙。
新潟から手作りのお菓子などが届いた。
地元の野菜(越の丸茄子)を使った焼き菓子「マドレーヌ」が絶品。
この商品をPRしたいと出会ってから早、十数年のおつきあいになる。
糸魚川の静かな山村から届くお菓子は、本当にうれしくあたたかい
気持ちになる。賞味期限の短い、手作り、少量のみという貴重品。
今回はそこになぜか赤飯も入っていた。
「25周年のお祝いに・・・」へ?そんな・・。こちらの周年まで
気にかけてもらえているとは感激・・・。
その赤飯を包んである紙は、新聞紙。地元で読まれている新潟日報だ。
まあ、新聞紙に野菜をくるんだり、食品を包むことは慣れているので
違和感がなかったが、さりげなくその新聞紙に何が書いてあるかな?と
紙面を開いたとたん、びっくり!
そこには、私が今まさに読み進めている小説の書評が書かれていたのだ。
しかもその本は、新潟出身の作家(ジャーナリスト)で、大学の講座で
お世話になっている講師の作品。
この本の感想をご本人にメールしたばかりであったところに、
まさか赤飯を包んであった新聞紙で、その方の書評~しかも顔写真付き~
が見られるとは。荷物の送り主は、まさかその作家と私の接点はご存知ない。
いやはや、こんなことがあるのかと本当に目を疑った。
お菓子の送り主に、この驚きの発見を伝えると
「新潟への思いがおありになるので、包装紙につつむよりも、新聞の方が
読めていいかなと思って新聞紙にしました~」
とのこと。
そう、包装紙は見た目きれいでうれしい。でも、ニュースが読める包装紙は
これまたうれしい。思わずその記事をクリッピング。その作家さんに連絡
しなくちゃ!相手の笑顔も浮かんでくる。
それにしても、自分にとって旬の話題で、知っている人が載っている新聞
で包んである赤飯とは、格別すぎる。
包装紙。単に包むだけでなく、さまざまなメッセージを包むこともできるのだ。
子供時代、父が毎日会社へ持っていったアルミの弁当箱は、
新聞紙で包まれていたことを思い出した。
昨日の朝刊を読みながら、ランチしていたのかな・・・。
楽譜はタイムトラベルの地図。
親が与えてくれた、遺してくれた音楽世界は、このコロナ禍、そして
アフターコロナの今も、とても役に立っている。
concertをするとか、人前で演奏するという活動だけでなく、
自分自身の内面の充足に大変役立っている。
たとえば、今日はショパンでいこう。ブラームスでいこう。
と思えば、その楽譜を開き、目に映る音符たちを初見であっても
昔親しんだ曲であっても、目を凝らし集中して弾き進めていく。
すると、音の連なりから、あるひとつの世界が広がっていく。
今度は、いくつかの名曲がひとつにまとまった「ピアノアルバム」
という、ミュンヘンの出版社のオリジナル編集の1冊をめくりながら、
最初のバッハから、最後のガーシュインまで音符をたどる。
上手く弾けなくてもとりあえず次へ次へと弾き進める、
その作曲家の生まれ故郷、住んでいた町、竟の住処となった
場所・・・曲が変わるごとに、いろんな場所に移動する。
そんな気持ちになってくる。
1冊弾くとドイツからフランスやロシアを経て、最後はアメリカで
終わる。なんと、1時間半で世界をぐるり周遊できる。
なんと、コスパのよい旅だろう。
実際に尋ねたことがある街であれば、具体的に街並みや建物やその日
の空の色までがよみがえり、本当に行った気分になれる。
さらに、メロディを重ねながら、時代を18世紀に、19世紀に、20世紀後半にと
時計を好きにチューニングする。すると、とても当時の町が広がる。
行ったことはないが、本で読んだり、映画で見たその時代の世界が広がる。
楽譜を見ながら、鍵盤に触れることで世界一周も、タイムトラベルも、
自由自在になる。
楽譜は想像の旅の手引書であり、地図である。
楽譜が読める、指が動く。飛行機に乗らなくても、安全な旅ができる。
なんと、幸せな人生か。贅沢なことかと思う。
昔は試験のために弾いていたから、何とも思わなかった音符が今は
私の内面を刺激し、想像力をかきたててくれる。
今だからこそ、音を味わうことができるのだ。
人間の想像力とは、本当にすごい。
当時の楽譜から、現代にいたるまで。丁寧に受け継ぎ、遺されていることに感謝
しながら、そんな小旅行の時間を意識して持つようにしたい。
ぱっちり・しっかり・まっすぐ。
これからの自分を時々思い描く。
もし、これから10年以上生きてしまうならば・・・どんな自分に?
年を重ねたら、その分努力しないと、いろんな力が
落ちていく一方だと思う。
重力に逆らえないように、年齢にも逆らわないでいると、
みるみる老けていくのだと思う。
そういう点で、若い時は何も考えずいられたから、良かった。
若さとは、放置していても大丈夫な力なのだと、今になって
そう思う。
年を重ねるということは、1日1日、瞬間瞬間を大切にするということ。
そして、意識してありたい自分でいられるよう、維持できるよう
プチ努力をするということ。
そこで、まず、これから改めて心がけたいこと。
目はぱっちり開く、
声はしっかり届かせる、
背筋はまっすぐ伸ばす。
見た目の若さは目元、目力。意識しないと目は小さくなるらしい。
声は高く、のびのび。意識しないと声が低くなり、艶感がなくなる。
姿全体が、見られているを意識する。意識しないと背中が丸くなる、
まずは、ここから。
こうありたい自分をイメージして、キープ!
「年だから・・・」
とは言いたくない。
どうせ生きるなら、明るく美しくしなやかに。
目指すぐらいは、すぐできる。
ままならぬ。そんな日もある。
大雨が日本列島を襲った。
またまた各地で被害が出ており、交通機関もストップ。
梅雨の入り口で大変な週末となってしまった。
1日違いで新幹線に乗っていた私はおかげさまで、幸運だった。
しかし、昨日今日の移動予定だった人には、本当に災難であったと
お見舞い申し上げる。
以前、九州からの移動で新幹線に乗った時に、たまたま台風のせいで
途中で電車が止まってしまった。その時のことを思い出す。
車掌さんに「どうしてくれるんや」としつこく言い寄る乗客がいて、
本当に気の毒に思った。電車が動かないのはその人の責任ではないのに
自分が予定どおり行動できないことを責めていた。
ニュース番組で、昨日の東京駅での改札の応対状況を見ながら、
またそんなどうしようもない質問を寄せてくる客もきっといるだろう。
天候なのだからしょうがないのに、謝罪を続けているのだろうと思うと、
本当に大変な仕事だと頭が下がり、同情の念が湧いてくる・・・。
日本は世界に誇れる、素晴らしい定時運行立国だ。
しかし、天災ばかりはどうしようもない。
電車だって遅れることがある。雨も降れば、地震も来る・・・。
当たり前に新幹線が次々運行されることが不思議なほど。
日々のあたりまえ感覚は、いざというときに邪魔になる。
何かあれば、ままならぬのが当然。
当たり前は、当たり前でなくなる。
諦めたり、他の方法を考えたり、気持ちを切り替えて、今日の予定を
変更すればいい。
今日がダメでも明日がある。
そんなことで、昨日はずっと雨を見ながら、ままならぬ日の過ごし方を
考えながら、少し雨を楽しんだ。動けない日にどうするかを考えるのも
悪くない。
晴耕雨読という言葉もある。
とはいえ、
被害が心配な朝。ままならぬ現実を諦めつつも、早く収まるようにと祈るのみ。
20年後、30年後を見る上司。
今、ある企業の人づくりプログラムの一環として、各ステージごとの
個別面談を行っている。
今回は、管理職面談。
皆さんとは1年ぶり、久しぶりに話す。その間コロナ禍を乗り越えて、
本当にがんばって仕事を続けてこられた。
いろんなアクシデントがあっても、
みんなで乗り越えてこられた。人手不足が続くなか、現場を見ながらの
マネージメント。
なかなかハードな日々である。
そんなマネージャーたちとのコミュニケーションタイム。
言葉に力がある。
人は責任ある仕事を任せられるようになると、自然とそうなるのかもしれない。
今回うれしい発見は、ますます管理職としてふさわしい人が、
増えているということ。
ひとつは、自分の下を育てなければならないという強い気持ち。
がんばってもらって、給料もあがってほしいという思い。
そして、そうできるために会社にも提案したいことがあるという前向きさ。
また、企業理念があることが有難いから、それに乗ってがんばります。
という声もあり。
とにかく、同じ思いで、みんなで良くなろう!という気持ちが共通している。
そして、自分たちよりも、次の世代ががんばれるようにという願いが、
それぞれの言動、行動に現れていることもうれしかった。
20年後は、30年後は・・という言葉が会話の中によく出てきた。
企業は永久に続く生命体でなければならない。
先を考えて動ける従業員がいてくれることが、企業存続のカギとなる。
あるマネージャーから
「これからも、当社を宜しくお願いします」
との言葉をいただき、思わず自分の20年後も想像してしまった。
動機と思い。
今、話題のChat PGT。いろんな可能性とリスクについて世界中で
その対応が検討されているが、基本的に前向きな活用が進んでいる。
不思議なのは、開発した当人が、その管理や制御を他人(政府機関・国際社会)
に委ねようとしている点。そんな危険な取り扱いが難しいものなら、公開するなよ。
とも言いたくなるが・・・。正直、よくわからない。
とにかく、ある意味人間の能力以上に優秀なこのツールを、人間様がいかに
使いこなせるか?ここが課題であることは間違いがなさそうだ。
さて、AIの活躍。知らぬ間にこの人工知能には日頃、お世話になってしまって
いる。頼んだつもりはないけれど、検索すればすぐ情報が容易に取り出せたり
自分の履歴がちゃんと記憶されて、自分にあわせた情報が出てきたり・・。
時々、気持ち悪いと思うこともしばしばである。なんで、知ってるの?
しつこいな~。とネット利用しながら、パソコンの画面を見ながら毎日のように
思っている。パソコンのなかに人が住んでいるのか?と思うほどに、自分のことを
知っているのだ。
便利はいいことであるが、不幸になることもある。
このChat PGTでは、小説も書こうと思ったら書けるし、作詞もできるそうだ。
キーワードを入れたら、それなりの作詞ができる事例を見て、なるほどと思った。
小説も、この機能を使って書いた文章があるコンテストで優秀賞を受賞したとも聞き、
確かに・・とも思った。
で、それでいいのか?という疑問。遊んでいる程度なら問題ない。また、
アイデアの参考にする程度の使い方は良いと思う。企画のヒントになることもあるかも。
また。誰でもできそうな文章作成を依頼することで、人が行う「作業」が軽減され、
もっと考えたり、独創的なことをする時間を得られるならば、それは良いと思う。
でも、そのまま使うことに慣れるのは絶対に避けたい。
この優秀なツールの文章は、いろんな事例を拝見する限り、よどみなく、語彙も
豊富で、一見素晴らしい。
自分が知らない言葉も多く使われていたり、理論的にも問題ないだろう。
何といってもビッグデータから選ばれた言葉であるため、客観的には的を得て
いる。
でも、そこにないものは、「思い」や動機、「主体的な意思」だ。
なぜ、それを書いているのか。なぜそれがいいと思うのか。
顔が見えないということだ。これを伝えたいという思いはない。
人工知能には顔がない。
「こんなん、出ましたけど?」
なぜか、と昔の占い師の言葉がなぜか浮かぶ。(ちょっと違うが)
こうだから、こう書いたんです。書きたいと思ったのです。ではなく、
過去の情報がこうだから、こう出てきたんです。
私が書きました。誰?この責任はだれがとるのか?
もちろん使う人ということになってくるのだろう。
人が書くものには、個々の思いや動機がある。
だから作品は生まれるのだ。
最近、知人が書き上げ、出版された小説を読んで、やっぱり人が書いたものだと
感動した。
これまでの作品はみなそうだった。
思いがあって、意図や意思から言葉が選ばれ、紡がれる。
自分が書く詩(歌詞)や、文章も同じ。思いがある。
そこを感じ取ることが大切だ。
さあ、これからも
流されないように、しっかりツールを選び、使っていこう。
生きるのは、自分なのだから。
宿命と運命。改めて・・。
命は神様から預かった時間。その時間の長さは未定で、有限。
いつどんな風にその命が絶えるのか、わからないで
明日もきっとくるであろう、生きているだろうとの希望的観測でのみ、
生きている。
そして、今日もまた生きて朝を迎えることができた。
これは、当たり前ではなく、「奇跡」だと思わねば・・・。
最近、ある後輩が、交通事故で亡くなったとの報せがあり、
それ以来、ずっとその人のことを思いながら、人の命について
改めて考える時間が続いている。
事故の当日まで普段どおり元気に仕事をしていたとのこと。
職場の人はもちろん、ご家族のみなさんも、まさか・・・の事態を
考えもしなかったと思う。
とくにご家族のことを思うと、言葉がみつからない。
ふと、10年前にお世話になった新潟の方が雪の日にトンネルで
事故をされて帰らぬ人になったときのことも思い出す。
事故は、事件は予期できぬこと。
突然に、人の命をさらっていく、恐ろしい魔物。
親しくしているマジシャンが、ご自身の人生の数々のご苦労を
ふりかえり、「運命は変えられるけど、宿命は変えられない。」
とよく口にされていたことも、今改めて思い出す。
人の命は自分で決められない。
努力して変えられること、残念ながら自分ではどうしようも
ないこと。
そういった現実があるということを忘れずに、
今自分ができることをがんばってやる!
それに尽きる。
しばらくその後輩が若かったころ、同じ職場で仕事をしていた
頃のことが何度もよみがえり、何気ない場面を懐かしみながら、
とても複雑な気持ちでいる。
これまで思い出したこともなかったような
その当時の日常を思い出し、あれから30年あまりか・・・。
結局、彼が笑って何気ない言葉を交わしている姿しか浮かんでこない。
人生は、本当にわからない。
そのことを忘れずに、という教訓を授けてもらった。
心からご冥福を祈りたい。
やっぱ、モノクロですね。
先日、1日に2会場でコンサートをする機会をいただいたが、ちょうど、両方の会場に
来られたカメラマンの方が撮影をしてくださっていた。
大きなレンズを付けたカメラを首から下げて会場内を前後左右に。ちょろちょろ動く私の
少しでも良い姿を、とずっと追いかけてくださっていたのだ。
後日、USBに入ったデータを受け取る。
ドキドキしながら画像をチェック。自分の顔を見るのは、緊張する。
とくに、コロナ前とコロナ後では顔が変わったようにも感じるから。
さすがに3年もマスクをしていると、マスクなしの自分の顔に慣れないというか、
3年の老いを認めたくないというか・・・。まあ、複雑な気持ちである。
データを見てみると、カラーの写真よりも、モノクロのものが圧倒的に多い。
「マーサさんは、やっぱりモノクロの方がいいですね。表情が出るというか、
雰囲気がありますね」と言われていたことも思い出し、画像を見ながら納得。
カラーの写真もカラフルで良いけれど、モノクロでは表情豊かに見える。
お客様と話しているところ、演奏しているところ。さまざまな角度から
どうカメラを構えれば自然にいい表情が出せるかを考えていただいている
のがよくわかる。
写真を見て、自分のいくつかの表情も発見する。こんな顔して歌っているのか。
恥ずかしいなあ。でも一生懸命になっているときって、こんな顔か。
笑っている顔、夢中になっている顔。ちょっと考えていているところ。
いずれも真剣な瞬間、本気の一コマ。
自分の顔。自分の表情。モノクロで見える世界は、七難隠して、いいところだけ
見せてもらえるようで、ありがたい。
ここではほんの一部をご紹介。
コミュニケーションは表情の豊かさで決まる。
これらの写真を見ながら、自分の日々をふりかえる。
思いが伝わっているかな。だといいな。
すっかり岐阜のカメラマンとしてお世話になりっぱなしのR.Tさんには
改めて感謝。
今日、いい表情で、ハッピーコミュニケーションを!