「新聞に載りました~」の報告、今も。

新潟に通っていた18年間。とにかく企業さんの広報活動の応援をさせて
いただいた。
勉強会に参加された、相談会に来られた企業さんから、
「新潟日報に載りました~」「日経新聞に載りました~」「NHKに出ます!」
と報告があるとわがことのように、やったー!と喜び、
その報告をいただけることが、自分の仕事のやりがいでもあった。
その広報支援任務がひと区切りして、まる2年が経過した。

それにもかかわらず、新潟の企業さんからの連絡が途絶えることなく、
なんやかんやと情報を寄せていただき、珍しいものを送っていただき、と
その関係は変わらない。新潟の方とは毎日のようにやり取りが続いている。
そして、今回は2年ほどご無沙汰の方から
「新商品のカヌレが新潟日報に出ました~」と記事添付のメールが届く。

お会いした当時は、なかなかリリースがうまくできずに、四苦八苦していた
が、展示会含め積極的に活動を続けることにより、地元で評判の米粉を使用した
店となった。もともと、こちらは100余年、営業を続けておられるお米屋さんで、
米粉を使ったクレープの移動販売をされるなどして、大変ユニークな活動を
されており、この米粉スィーツで知名度を上げようと奮闘されてきた。
移動販売だけでなく、今度は地元の米店敷地内にクレープ屋もつくると
相談を受けて、キャラクターを描くイラストレーターさんを紹介したり、五泉の
お店まで足を運んでなんやかんやと打ち合わせしていた頃が懐かしい。

クレープの次は、カヌレ。冷凍で販売か・・・。
いろいろ苦労を重ねての販売であったことが記事にあり、いつもながらの
店主の努力を想像する。
そして、地元紙に掲載され、やった!と思って、昔のようにこちらにも報告の
連絡をしてくださったのだと思う。
うれしい。うれしすぎる。
自分のことを忘れず、ずっと報告をくださる。
教えてもらったり、応援してもらった方への報告と感謝。
さて、私自身はできているだろうか?と思わず反省。背筋も伸びる。

できました~。載りました~。これからもこの報告を聞き続けたい。
18年間皆さんにお伝えしたことが間違っていなかったのだと、確認できる
ことは、本当にうれしくご縁が切れないことが幸せ。
これからも、ずっとご縁ある新潟のみなさんを応援し続けたい。

記事自体はここに掲載できないが、奮闘するそのお米屋さんが展開する
クレープ店サイトはこちら。
https://hana4040.jimdofree.com/

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ひとすじの人。

自分と同じく、起業から25周年。といっても人生経験は質量ともに、私の何倍も
豊かな方。その方が人生かけて向き合っておられる「からむし」についての記事を、京都の仲間が運用している「TKGプレス」に最近投稿し、改めてこの人のことをすごいなと思った。
https://www.taihei.co.jp/tkgpress/mono/964

「からむし」については、ここに記載したので、ここでは割愛するが、とにかく、この
方、村山さんのからむし人生はあっぱれ!だ。
古くから伝えられた地元の植物をもともとのご自身の職業である着物だけでなく、
食品へ、ファッションへ・・・とマーケティング面だけでなく、地元の子供たちへの
教材として、あるいは大地の芸術祭で知られる地元から、からむしをアート作品として
首都圏や地方の学生らと発信したりと、とにかく「からむし」人生まっしぐら。
その道にかける思い、行動が四半世紀変わらないのだ。
今は亡くなったがある著名なバイヤーさんが、この村山さんを称して「からむし伝道師」
と命名されたとのことであるが、よく理解できる。まったくその通りだ。
「からむし」自体を知らない人が多かった25年前から比べ、その地道なご努力により、
からむしの認知度はじわじわと高まってきている。そして地元を代表する産品を生み出
し、個性ある産業文化として内外に知られるようになってきている。
村山さんの、からむしにかける情熱と行動力あってのこの結果だと感心する。

ひとすじの人。
は、本当に素晴らしい。
それに比べて、私は扱う範囲が広くて、「ひとすじ」とはいえない生き方。

70歳を越えても、きらきら輝き ひとすじ、ひたむきな人生を送っておられる
村山さんを見習って、自分も、「ひとすじ」な生き方をそろそろ考えてみたい。
そして、わが人生も、同じくオンリーワンで進み続けたい。

いつまでも、どうぞお元気に!からむし人生をエンジョイいただきたい。

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「もし」、ということを考えて。

以前から気になっていたひとりの女性画家がいた。
何かの情報誌でその存在を知って、いつかその作品を見てみたいと
思っていたが、やっとその機会を得た。
その画家は、三橋節子氏。
なんと生年月日からすると、母と同じ年の生まれ。
でも、35歳という若さで生涯を終えられた。

もともと野草が好きで、それをモチーフにした作品を多く描かれていたが
病気により、画家の生命といえる右腕を切断・・・。
その後、三橋さんは筆を左手に置き換えて、作品を描き続けられた・・。
まさに命を振り絞っての創作活動。
亡くなる直前まで創作活動を続け、命の限界を超えた、創造への執念。
いや、生への執念であろう。
病後の作品は、地元の民話をモチーフにしたものに変わっていったが
それは子供たちへの思い、母としての思いが反映された作品になっている。
不思議なことに、病後の作品は力強さを感じるのである。

本当に短い人生であったが、病前・病後含め多くの作品を残されるだけ
でなく、作品を通じ、最期の瞬間まで画家として生きることについて
のメッセージを残された。
とくに亡くなる直前に残された作品やメッセージからは、家族(とくに
子供たち)への思いがあふれ出ており、心打たれる・・。

そして、いろんな思いが頭を巡った。
もし、自分に同じような病が襲ってきたら・・・。
右腕、はもちろんのこと、何かを切断することになったら、
果たして限られた、残された命に対して、こんな前向きに生きることが
できるだろうか・・と。
表現することをやめずに、続けてできるだろうか・・・と。
自分の場合は、美術ではなく音楽に当てはめてみる・・・。
うーん、他人事ではない。いつ、なんどき、何が起きるかわからないから。

五体満足。これは本当に宝物である。感謝をして、大事にしなければならない。
同時に、もしこの身に何か起きても、最期まで力強く、生きなければならない。

何かあっても、生きられる。何かあっても、作品はできる。
そんな前向きな教えを、三橋さんは与えてくれた。

最期まで真剣に生きる。それに尽きるのだと。

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ミューズはいる。

あるとき、話の流れで「特に特定の信仰はありませんので」と言ったら
「それはお気の毒に・・・」といった返事をいただき、ちょっと
驚いたことがあった。
何か特定のものを信じない人は、気の毒、救われないのだ。
だから、よく「信じるものは救われる」といったものだ。
が、残念ながら?、おかげさまで今も特定の信仰はなくとも、
いたって元気はつらつ生きている。
周囲にそういう人も多いし、自分の場合はそうだ。

でも、ピアノに向かったり、人前で歌うとき、何か見守られている
存在を感じることがある。
それは、ミューズ。音楽の神様。
その存在は、信じることができる。
その世界自体が美しく、きよらかで、真実だから。
また音楽によって、人と人がひとつになれるから。
音楽は、どんな表現、媒体よりも魂により深く入り込み、心を静め、覚ます。
もちろん言葉も言霊といわれることから、その力も信じているけれど、
それ以上に、私にとっては音楽の力は絶対だ。

尊敬するドイツのピアニスト、メナハム プレスナー氏が先月99歳
で亡くなったということを知った。
そしてその哀悼番組として93歳で来日されたときの演奏が放送され、
手を止め、釘付けになった。
その清らかな演奏と、そのご本人のなんともいえぬ神々しさ・・・。
演奏のみならず、インタビューで話される一言一言に音楽を愛する
思いが詰まっていて、それにも多くの学びを得る。
このビデオは何度も見ているが、何度見ても、聴いても飽きることなく、
いや、聴くたびにその存在の偉大さに深い感動が沸き上がってくる。

昨年だったか、この映像を見たときはご存命で、90歳を過ぎても
ピアノが弾け、世界で演奏できるなんて、どんな超人かと思っていたが、
亡くなった今は、この医大なるピアニストをしのび、じっと音色を聴きながら
演奏の様子、表情をみつめ、そして祈る。
ほんとうに、神様みたいな、清らかさだ・・・。
本当に美しい音色、そしてなんとも神々しい表情・・・。
音楽を究めると、こういう表情になっていくのだろうか?
もちろんその人の生まれ育った環境やその背景も大きく影響しているだろう。

音楽を愛する人のところにはミューズがいる。
最近、確かにそう思うのだ。
だから、しいていえば、「音楽の神様を信じています。」
お経を唱え、聖書を読み、それぞれの神仏を信じる人もよし、
私の場合は、ミューズの存在を信じ、これからも音楽を大切に生きる。

メナハムさんの安らかな眠りを心から祈って・・・。


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恩返し復活!

久しぶりに父が最期までお世話になっていた施設を訪問する。
この1年半、コロナが落ち着いたらぜひ!と思っていたその施設での
感謝のコンサートをそろそろ・・・。
今は、もう父はそこにはいない。ではあるが、人生の最期のときまで過ごして
いた場所である。父との最期の思い出の場所、家族全員がそろって再会できた
最後の場所・・・。などなどあまりに特別であり、永遠の空間なのである。
そして最後までお世話になり、看取っていただいた場所・・・。
だからこの場所との縁は、切れない。
だから、父が座っていたそこで、一度は演奏会をしたいと思っていた。

どうやら、7月には実現しそうだ。
観客のみなさんは、今そこで生活されている方やデイサービスの利用者さん。
父母と同世代の人たちである。なじみの顔もあるかもしれない。認知症の方もいらっしゃるかもしれない。スタッフの方も一緒に参加され、盛り上げてくれることだろう。

父が生きていたとき、コロナ禍の合間をぬって、この施設で一度だけ演奏をした。
父はこの日を、それはそれは大変楽しみにしており、そして会場で演奏が始まったら、大声で泣いていた。感極まりとは、まさにこういうことだったのか。それとも、自由がきかなくなった我が身への悲しみの叫びだったのかもしれない。
わたしの音楽=父はアッシー。そう、自由で元気な時代の象徴だったから・・・。
と、父の元気だったころ、施設でお世話になった日々のこと両方を思い出す。

さあ、今回は目の前の客席にこそ、父の姿は見えないけれど、がんばって演奏する。
きっと父も母も大喜びで見守ってくれるに違いないから。

コロナが終わって、新しい日常がはじまり、やろうと思っていたことにとりかかる。
やれるときに、やろうと思っていたことを悔いなくやる。
またやれなくなる時が来るかもしれないから。

出会った人に、お世話になってきた人に感謝を込めて。今できることを。
これもそのひとつ。

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歴史をロマンにする力。

昨年秋から今年にかけて、岐阜市を大いに盛り上げたキムタク主演の映画。
信長役を演じたというが、どんな風に?
と気になりながら、なかなか機会がなく、このたびやっと鑑賞することができた。
久しぶりに映画らしい長編(といっても3時間ほど)を観た。
日本の歴史は苦手であるがふるさとも関係している作品となれば、
そして、わがふるさとのヒーロー信長の物語とあれば、それは別。
最初から最後まで飽きることなく、出てくる地名、ロケ地から登場人物、
セリフ(方言)まですみずみと楽しませていただいた。
そして、数年前に、信長をテーマに毎朝曲を書き、100曲まで続けた
という、今となれば不思議な経験も懐かしく思い出し、映画を観る
ことでさらに新たな発想が浮かんできた。

名古屋、岐阜、安土、比叡山、そして京都・・。信長の人生を変えた各拠点での展開を見守りながら、描かれた信長の半生に改めて感動を覚え、そして今回は濃姫にも新たな
興味を抱いた。

映画やドラマは必ず賛否両論がつきものであるが、わたしは日本の映画文化を育ててきた
企業の70周年の作品にふさわしい出来栄えであると素直に思った。
毎週連続していく大河ドラマの楽しみ方もあるだろうが、一気に集中してその世界に入り込む映画とは、本当に素晴らしい芸術であると、今回改めて思った次第。

歴史は単なる過去の出来事、過去に生きた人々の事実の記録。ではない、そこから時間を経て後世の人々の想像力と創造力により、美化されるところもあるかもしれないが、後世に伝えたい力強いメッセージになる。
歴史がロマンになる、憧れになるのは、二度と戻らない過去である点と、当時の限られた情報、記録からいいところだけが伝番され、ドラマができあがる点にあると思う。
そして、そのロマンに触れ、たとえば(今回の映画であれば)、ああ信長が名付けた岐阜に生まれて良かった・・・とふるさと愛が育まれることもあるだろう。

今回、キムタクの演技力と存在感は、想像以上であり、この配役に納得。この映画で信長を演じるのは彼しかいなかったのだろうと合点もゆく。

歴史はロマンになる。
そこにはその時代を真剣に生きたヒーローやヒロインの存在が不可欠だ。
そして、それを映画にする場合は、それにふさわしい配役が必須。そういう点でも
よくできた作品であると思う。

自分の人生と重ね合わせ、改めて信長と、濃姫には改めて興味を抱いた。
岐阜から滋賀を経て京都へ、サビエル、南蛮文化へのあこがれ・・・。勝手にではあるが、
共通点がある。
そんな二人のことを、自分なりにロマンチックに表現してみたいと思うきっかけを
改めて得た。

一方、映画を観て考えさせられたことはもう1点。
戦争についてだ。過去において、日本でも信じられない殺戮があった。
今回の映画を観ても、何度も目を背けた、そして今の世界で起きていることが
頭に浮かび、悲しく、情けなくなった・・・。
武器こそ違えど、命を奪い合う戦いの様子は目をそむけたくなる。
信長が「われ、人にあらず」といって、比叡山に火をつけ、僧侶も女子どもも
焼き殺した・・・なんていう事実はロマンではないし、決して、見習ってはいけない。
その場面は、信長にプーチンを重ね合わせ、ぶるぶると震えた。

と、1本の映画から、少し話がそれたが・・・。
映画という芸術は、お金も人手もかかる贅沢な芸術であるが
時空を超えてもうひとつの世界を見せてくれる永久保存の作品である。
そして、生きる私たちに示唆や学びもくれる教材でもある。

後世に伝えるべき作品をこれからも、丁寧に作り育んでいただきたい。

歴史はロマン。
悲しきは繰り返される戦争。これは絶対ロマンであってはならない。

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山と田と、みんなで創るハーモニー。

わがふるさと岐阜市は、濃尾平野が広がる、人口40万人ほどの中堅地方都市。長良川の豊かな清流に育まれ、農業もさかんな町でもある。
市内の北部に進むと、名前も知らない山々、そして田んぼが広がり、駅前の風景とは別世界
を楽しむことができる。
このエリアに住む元気なマダム!たちとお会いし、歌の練習をする機会をいただいた。
今月後半に、この地に新たに誕生できるコミュニケーションプラザのオープニングにと依頼されたコンサート。その時、自作の地元への賛歌「みのり愛」を、このご婦人たちと一緒に演奏するとのこと。昨日はその顔合わせ、一度だけの練習日。
♪心に花を咲かす わたしのふるさと♪ではじまるこの曲は、つくってから10年。その間、地元の農協の婦人部の活動で歌ったり、大正琴で弾いたりと親しんでくださった。が、コロナで演奏する機会もなくなり、久しぶりの合唱の機会だそう。
マスクを外して、思いっきり歌うことができるようになった。合唱ができる。なんと気持ちいいことか。

歌のレッスンなんて、あまりやらないが、今回は特別に。
発生をやったり、輪唱の練習をしたり、小一時間の練習であったが、みなさまとても
楽しんで、喜んで参加していただいた。
本番に向かっての練習というのは、目的があってほどよい緊張感があってとても良い。
「じゃあ、本番宜しくお願いいたします!」
皆さんと笑顔でお別れ。
また会えるのがうれしい。

この曲は、母の強い思いがあって生まれた背景もあり、歌っていると、母の笑顔が浮かんで
くる。だから、演奏の機会は多ければ多いほど、親孝行になるかな?と。

♪いのち みんな ともに みのり愛♪
本番まで、みなさん、運転しながら、散歩しながら、お風呂でも?練習してくださること
だろう。

田にも、山にも皆さんの元気な歌が、響き、こだまするように。
当日は、地元の小学生と校歌も合唱する予定とのこと。

みんなでつくるハーモニー。楽しみだ。

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頭をかすめたら、即!

日頃、物事を進めていくにあたり、途中でちょっと気になるけど、大丈夫だろう。
と進めていて、あとで、その気になっていたことが原因で、やり直しになったり、
再検討になってしまう・・ということはないだろうか?

そこまで気にしなくても大丈夫だろう。いや、大丈夫。
と少し気になりながらも、前向きに解釈して前に進める。
と、そのときはそれでいいけれど、実は確認漏れがあったり、意図が伝わっていなかったり・・・ということに気づく。
そこからが大変である。やっぱり、あのとき確認しておくべきであった・・・と。

自分ではよかれと思っていても、世の中は、そんなことばかりではない。
だから、少しでも、頭をかすめることがあったら、前に進めるためにちょっと立ち止まって、再点検、再確認を。
小さなことではあるが、とても大切なこと。

頭をかすめる・・・これは直感であり、本能であり、無意識であるけれど・・・
自分へのサインだ。大丈夫か?ともう一人の自分が教えてくれている自分の背後に
吹く風のような存在。

もっと注意深く、思慮深く・・・。
前を見る自分だけでなく、頭の後ろから吹く風を大切に。
頭をかすめることがあったら、即!

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心からのお見舞いと祈り。

ウクライナにまた新たな衝撃・・・。
ダムの崩壊により、ヘルソンというあの映画「ひまわり」の舞台にもなった
いつかは訪ねたいと思っていた町が浸水・・・。
まだ被害、影響が見えない状況であるとのこと。
自宅が浸水して、不安におびえながら、救助を、飲料水と求めている住民の
方の叫びを報道で知り、心が痛む。
どこまでひどいことをしたら、そしてどこまで相手のせいにし続けたら
気が済むのだろうか?
戦争は人の命も、自然も崩壊させる狂気の行為。常軌を逸している。
と、そんな言葉では言い尽くせないほどに残酷すぎる。
早く終わってくれ。終わらせてくれ。
ずっと思っているが、この衝撃により、何もできない外野の無力さを思う。
トルコの大統領でも誰もいいから、早く終わらせてほしい。
この浸水は人災。天災も恐ろしいが、人災は意図が加わっているだけ
残酷だ。
被害が早く食い止められるように、心から祈る。
自分ができることは祈ることと、ささやかな寄付・・これっぽっちの
ことしかできなくて、申し訳ない気持ち。

とにかく水が早く引いてくれるように・・・。
人々の影響が少しでも少なくなるように。

神さまがいるならば、残酷だと思うが、
神さまがいるならば、罪のない人を救ってほしい。

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あの日常は戻らず。

大阪の町。久しぶりに心斎橋界隈を通る。
2年前だったか、コロナ禍に、このあたりを歩きながら
立ち並ぶお店のシャッターが下り、なんともいえない
気持ちになったあの頃を忘れることができないが、
その様子が嘘のように、平日というのに大勢の人でにぎわって
いる。インバウンドの買い物客もたくさんの紙袋を持ち歩き
自撮りをして・・・。
一見、コロナ前の日常が戻ったようだ。
賑わい。ちょっと怪しいバブルな感じ・・・。
マスクをしている人も減ってきて、あの苦しかった時間が
遠い昔のように。

「人がいっぱい。もうコロナ終わったみたいや。」
と独り言を言う。
コロナが終わったから、帰ってきてもいいのに。
と、そんな気持ちになっている自分に気づく。

そう、コロナ前の日常が戻ってきたなら、
親も元気に戻ってきたら・・とつい、思ってしまい、
うっとなった。
何を考えているんだろう。戻るはずがないのに。

でも、コロナ禍に大切な人を失くした人は
そんな幻想を抱くこともあるかもしれない。
元気なあの頃。という日常には、その大切な人は
元気にそこにいたのだから。

でも、日常は戻ることはない。
以前のような、それに似た、似て非なる日常が
やってきただけだ。

だから、そんなにはしゃぎたくもないし、
手放しにうれしくもないし、
改めて、
バブルな時間を過ごしたいわけでもない。

むしろ、静かにいたい。
と、にぎわう街を背に、あの日常は戻ってこないことを
思いながら、歩き続けた・・。

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