ダブルコンサートの余韻は消えず・・・

11月11日は、中国では「独身の日」と呼び、消費キャンペーンを大々的に行う
そうであるが、日本ではある有名なお菓子の日であるそうであり、さまざまである。1が続く日だからかどうかわからないが、この日、ひとりぐらしのお年寄りの集いが開催され、そこでのミニコンサートのご依頼をいただいた。
60名ほどの対象者と、関係者で70名以上の人が集い、演奏を聴いていただいた。初めてお会いする方がほとんどであったが、さすが皆さん、元気に一人暮らしをがんばっておられるので、会場への階段の昇降はご苦労されている方もおられたが、意識はしっかり、お元気である。こちらの話にも、ビンビン反応され、手拍子もあり、あっという間に時間は過ぎた。声が良く出ていたせいか、それに驚かれた方もおられ、お客さんのノリがいいと、こちらも調子が良くなるものだとうれしく思った。

引き続き、駆けつけたのは、年に何度か呼んでいただいている地元のデイサービス。
そう前日、「待ってるよ」コールをいただいた方が利用されている施設だ。
会場に着くと、もう待ちきれないといったぐあいに皆さん椅子に座ってこちらが
準備するところもずっと見ておられる。こちらの今回のタイトルは「ピンピン元気!マーサの秋ふれあいコンサート」である。

今回は秋といえば、旅。なかなか施設に通う身になると、旅も外出も難しいが、せめて心の旅を楽しんでいただこうという企画で、各地にまつわる曲を演奏しながら、トークをさせていただき、元気に手拍子をいただき、そして一緒に歌った。私もできる限り一人一人の顔を見ながら、語り掛けるように演奏をした。そして、。あっという間に50分が過ぎ、コンサートはお開きに。心からの大きな拍手をいただいた。
終わっても椅子から立たずに、余韻に浸っておられる方、「ありがとう、ありがとう」と言って下さる方、初めて聴いたと感動され、写真撮影を求めらたり、喜んでいただけることが、心からうれしいと思った次第。

1日を振り返る。初めてお会いした方、久しぶりにお会いした方・・・。多くの笑顔が思い出される。
「ありがとう、ありがとう」
この言葉と握手のぬくもりは、今朝も残っている。
皆さんが、今朝、私の演奏や姿かたちをくっきり覚えておられるかどうかは別として、昨日のあの感動時間は、永遠のもの。

人が喜ぶことをする、待ってもらえるように生きる。
高齢者の方は、人生の先輩であり、自分の将来のお手本である。
それぞれの人生を生きてこられたことに敬意を表し、感謝を込めて
これからもやり続ける。

私ができることは、元気を与え、笑顔を増やすこと。
「ありがとう、ありがとう」・・この余韻は今朝も消えない。
心の中で、父も母も、「ありがとう、ありがとうね」と笑っている。

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「待ってるよ!」のラブコール

昨日夜、携帯が鳴る。
誰だろう?と思って出ると、実家のご近所さん。
母が生前もっとも親しくしていただいた96歳の方だ。
「遅い時間にごめんね~。明日、明日楽しみに待っとるで。
 頼みますわ」
と元気な声がスマホの向こうから聞こえてくる。
96歳。自分で電話をかけて、しっかり話す。すごい人だ。
しっかり明日のことも覚えていて、電話せねばと思われたのだ。

そう、今日11月11日は岐阜の2会場でコンサートを行う。
ひとつめは一人暮らしをされている方のための集いの中での
演奏。60名ほど集まるとのこと。一人暮らしをされている方
の集いの場に伺うというのは、初めてだ。
そういう人も増えてくるのだろう・・・。
少しでも楽しいひとときを、一緒に過ごせたら・・・。

そして、もうひとつは、先に書いた電話の主が待っておられる
デイサービスでのコンサート。
11月11日だから、あるメーカーのお菓子の日ともいわれるが
1はピンとも言う。だから11はぴんぴん。元気な証拠。

ということで「ピンピン元気!マーサの秋のふれあいコンサート」
というタイトルになっている。
なんだか微笑ましい。
スタッフも利用者さんも待っていてくださるとのこと。

待ってくれる人がいること。なんと幸せだろうか。
ずっと誰かに待っててもらえる人になりたい。
そうすれば、期待に応えたいとがんばれるから。

「待ってるよ!」って、最強のラブコールだ。

素敵なピンピンサタデーになるように!いざ、出発!

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青海川を愛した女将さんへの祈り

鉄道ファンには人気の駅だそうだ。青海川駅。
新潟県の柏崎市にある日本海に一番近い駅。その真上にある酒屋さん。
中越沖地震で被災して、まさに崖っぷちからの再出発。お店も再建し、名実ともに再出発。
そこからのご縁である。

お店からはこの写真のような景色が見える。
この眺めが毎日見られるだけで、最高のロケーション。
酒屋の女将さんは、毎朝、その日の風景を写真に撮ってSNSにアップされていた。
まあすごいなあと感心するが、確かにこんな素敵な景色を毎日見ることができたなら、
自然とみんなに教えたくなるのだろう。習慣になるのもうなづける。
今回は女将さんの代わりに、私が撮影してみた。
この真下を電車が走っていくのだ。なんとロマンチックなこと。

このお店の女将さんのことはすでに本ブログでも何度か触れてきたが、
残念なことに、昨年、旅立ってしまった。
母と娘はいつも一緒に行動されることが多いと感じていたため、
その後、娘さんのことがずっと気になっていたが、やっとやっと訪問できた。
ご自宅のご仏前にも手を合わせることができ、笑顔の写真に何度も話しかけた。

お店に行けば、元気な終わらないおしゃべりが聞こえてきそうで、
静かな店内は女将の存在感がまだそのまま、残っている。
もしかしたら、どこかに外出されているのかなと思うほど・・・。
この景色を見ながら、改めて女将さんと娘さんとの思い出をたどった。

これからもこの美しい日本海を見るたびに、海に映る太陽の光を見るたびに、
思い出すのだろう。

元気な人ほど、あっけない感じがする。

娘さんが新店長だ。これからは彼女のことを応援する。
もちろん女将さんも見守ってくださっているから、心配はしない。

秋の晴天の日本海。女将さんの笑顔が浮かんで見えた。

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記念撮影も忘れるほどに

久しぶりに新潟の仲間たちと、再会する機会を得た。
広報の勉強会や相談会においでいただいた方、そこで出会った方からのご紹介で
縁をいただいた方、ディナーショーの常連さん、昔からのお付き合いの方、
コロナ禍のなか知り合ったけれども、なかなかその後交流を続けられなかった方・・・・。
私は皆さんを存じ上げているけれども、それぞれは初顔合わせという方もおられ、
新鮮な久しぶりの交流の場となった。

新潟県人の多くは、昼間はおとなしく、夜は活発。特にお酒が入れば、
よくしゃべり、声もだんだん大きくなり、よく笑い、よき昭和のコミュニケーションが
復活したようなライブな感じ。
気が付けば、寝かされたお銚子の数も増え・・・そして笑いも増える。
ああ、これが新潟式、にいがたスタイルだった・・。と思い出した。

話に、お酒に夢中で、
誰も撮影をしない。そんな時間がとても新鮮にうつった。
今から思えば、記念撮影をすればよかったが、そんなことも忘れて、いい交流の時間
を過ごした。

改めて新潟の人のあたたかさ、素朴さを実感する機会ともなった。
新潟愛というか、新潟人愛。
私は、ここに暮らす、ここで生きる新潟人のハートが好きなのだ。
と改めて実感。

それぞれの心に何かいい思い出が残されていればいい。
記念撮影を忘れるほどに、お酒に?お話しに夢中になる。
それもあり。なんでも撮るより、心に残す感動を増やしたい。

どうか、また元気で再会したい。
第二の心のふるさと。
にいがた・・今日も再会を目指し、いざ出発。

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社員が笑うと、社長も笑う。

たった数時間の研修。終わってみれば、あっという間の話。
でも、そのためには、それ以上の時間を割いてあれこれと準備も行う。
どうしたら、話をきいてもらいやすくできるか。活発な意見が
出るか、今後の仕事にどう生かせるか。
企画内容から、演出まで、いろいろ考える。
研修の仕事は、準備が大変であるが、終わってしまえば、
あっという間。そしてうまくいくと、すっきり爽快な気持ちになる。

今回の葬儀会社での社員研修。
とにかく、普段業務に追われて、個々で奮闘する場面が多いため
社内でのコミュニケーションを改めてとりづらい。それを何とかしたい
とのことで行った今回の研修。レクチャーもほどほどに、皆さんに
話し合ってもらうプログラムを多く用意した。
「もっと感謝される仕事をするために、自分たちは何をするか?」
最終的にはこの課題に対して、チームでさまざまな切り口から議論し、
企画をまとめ、プレゼンいただく流れにした。

その日くじで決まった即席チーム。すぐに打ちとけ、各チームとも
熱心にディスカッション。そして限られた時間に企画をまとめあげた。
ときに冗談を言いながら、時に笑い、時に真剣な言葉のキャッチボール・・・。
最初は沈黙ムードであった研修室が、時間が経つにつれ賑やかになる。
みなさんの表情も明るく、心からの笑顔が垣間見える。
チームで何かを作り上げるという実習は、後々活かせるテーマであれば
ある分、やりがいもあり、達成感も生まれる。

研修のラストは、チームごとのプレゼン大会。
数時間前には影も形もなかった企画が具体化された。
それを全員で聞き、質問をする。活発な意見も出た。
話す、聞く。両方が重要なプレゼン大会。
くじびきで生まれたこのチームでしか生まれなかったアイデアが
文章になり、言葉になることへの感動・・・。
しっかり伝えることで、共感も広がることも実感・・・。

思い起こせばこういった実習は、久しぶりだ。
コロナ禍ではなかなかできなかった・・・。
ライブだからこそ、対面だからこそできる、生コミュニケーションの
魅力を再認識できた。

プレゼン大会後、最後に社長からコメントをいただく。社長はプレゼン中
ずっと熱心にメモをとり、皆さんの発表を聞かれていた。
そして、この即席チームから生まれたアイデアに、提案に高い評価をいただき
今後、実現に向けて前向きなお言葉もいただけた。
みんな、やりきったいい顔になっていた。
明らかに研修前の表情とは違う、何か会社全体がひとつになった
感じだ。

研修後、
「今日の研修はいかがでしたか?」社長にたずねる。
「いやー、社員のあんな顔見たことないです。いい顔してます。」
と社長ご自身が満面の笑みで「いいね!」のポーズを返してくださる。

社員が笑うと社長も笑う。
社員の幸せを経営者は願っている。
そんなことを、今回の研修からも感じることができた。

みんなが笑顔になる研修。
またまた新たな経験をいただいた。

昨日まで知らなかった世界を知ることができ、
そこで働く人たちともふれあうことができた。

仕事の内容は違えども、新たな仲間が増えた感じ。
さあ、今日から改めて、
もっと感謝される仕事を、ともにがんばっていきたい。

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敬意と感謝を込める仕事。

本日は、初めての業界での研修の仕事となる。
それは、人を送る仕事に携わっている方たちへのプログラム。
美味しいものをつくる、お届けする。仕事の役に立つ情報サービスを開発する、
日頃、さまざまな業界の仕事に触れているが、
人生の最期を送る仕事をされている方たちへの取り組みは初めて。
2年前、両親の葬儀にお客、利用者、喪主としてはお世話になったが
その経験を活かし、今度は、自分がそこで働く人たちにエールを送る番だ。

突然のことに、人生初めてのことに、しかも悲しみと不安でいっぱいの
とき、どんな風に接してもらったか。
そのときのことを今、改めて思い出しながら、
今日も明日も、その現実に向き合い、誠実に対応されている皆さんに
心から感謝を込め、そして敬意をもって、今度はお役に立てる時間を
提供できたらと思う。

今日の研修のタイトルは
「感謝される仕事をするための、コミュニケーション実践講座」
ひとりひとりの力で日々現場が回っているけれど、たまには仲間同士
一緒に考えたり、意見交換をしながら、働く仲間との学び合いも
していただき、ああ、この仕事をしてよかったと思っていただける
きっかけになればと思っている。

尊厳をもって送るお手伝い。
自分にはできないことをしている人がいる。
ああ、助けられて生きている。

他の業界と違って予想できない仕事。
いつなんどき?いつでも丁寧に対応しなければならない仕事。
ほんとうに頭が下がる。

両親の最期を少し思い浮かべながら(あまり思い出すと、言葉につまりそう)
元気に今日という日を全うしたい。

偶然なのか、必然なのか。いただいた今日という機会は50代の仕上げにもふさわしく
有難いギフトである。

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言いづらいことほど、優先。

人間関係をよくするには、会話もスムーズ、スマートに済ませ、
できれば、笑顔で済ませたい。問題がないのが一番。
でも、しっかり関わろうとか、相手のことを思うと、つい気になったり
そのままにしておけないこともある。

何も言わずにおけば、何もなく、そのまま時が過ぎる。
でも、
言わねば、まずい。言った方が親切。
言うことで今後、もっとよくなる。
実はそういうことが結構ある。

根がお節介なのか、どうなのかわわからないが、
とにかく気になったことは、相手の立場を考えながら
丁寧にお伝えするようにする。

先日もそんなことがあった。
何も意識していない相手に何かをお伝えすることは、
不快な思いにさせたり、信頼関係にも影響することもあるため
難しいけれど、
どうも、見ぬふりをするとか、事なかれ主義的なことは苦手なようで・・。

言ってみると意外に素直に聞いてもらえたり、相手もよく理解して
改善してくれようと努力しはじめてくれたりする。

言う方がつらい。言いづらいことを言うのは本当にしたくないこと。
でも、ときにそんな小さな勇気も必要なのだ。

昔、うるさい近所のおばさんがいてくれたように、
そういう存在は時に不可欠だと思う。

言いたくない、言わない方が楽。
そんなことが多い結果、今の世の中になっているのではと
思うことがある。

ビジネスでも、人とのかかわりにおいても、
言うべきことを丁寧に伝え、ご理解いただくこと
まさにAIDMAを忘れず、目を背けず対応したい。

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想像を愉しむ、静かに考える贅沢。

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これは、私が最も好きな美術館のひとつ、京都近代美術館の過去の企画展のポスター。
今年は、当館が開館60周年だそうで、なんと同い年という偶然、うれしい限り。
自分が京都に住んでから今まで、もう何度足を運んだかわからない・・・。
今も会員として、企画が変わるたびに通わせてもらっている。
サイズも企画も、ロケーションもすべて私にとって、心地よい空間である。

なぜ、美術館へ行くのが好きなのか。
雑踏の世界から脱出して、静かな空間で、1枚の、1個の作品と向き合う。
そして、その絵や写真のことを想像する。
私の場合は、それをつくった作家のことをまず思い浮かべる。
なぜ、これを作ったのだろうか?どんな思いがあるのだろうか?
さらに、作品によって、自分が訪ねたことのない国、生きたことのない時代に
旅することもできる。
この想像の旅はとても楽しく、自由で、無限の可能性を感じる。

わかりやすい動画が主流になりつつある現在。それとは対極にある、わかりやすく
はなくても、自分で考え、答えを導くことの愉しみを知る、このことに意味を
感じている。

わかりやすい世界ではなく、自分で考える、想像する世界は貴重で、価値がある。
と信じている。
もう一つの世界を考えるきっかけを得る。それが芸術なのだと思っている。

それにしても、このポスターたち。私の青春時代も詰まっている。
中には甘酸っぱい時代も思い出しながら、
自分と京都とのかかわりも振り返る。

京都は、自分の想像力を養う拠点、自立の里なのかもしれない。

これからも、静かな時間と想像をめぐらす瞬間を求め続けたい。

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即興命名、永遠の応援。

「のんべえ毎日」こんな広報誌が届いた。(写真下)
通算325号とあるから、月刊発行としても何十年も続けておられる
ことになる。
柏崎の青海川駅上にある、絶景の酒屋さんの発行によるものである。

中越沖地震で被災し、お店を再建、まさに崖っぷちからのスタート。
そんなときに、広報相談会に来ていただいたのが出会い。
最初から忘れられない母娘であった。
もう十数年のつきあいになる・・と思うと、しみじみする。
その相談会で、どうしたら知名度を上げられるか・・について、あれこれ
話をし、その後、マスコミにも何度も取り上げられるようになった。

元気に地道にがんばる母と娘が営む酒屋さんで、いつのまにかとても
打ち解けて親しくしていただいた。
「コンサルタントで、こんな人、いるんですか?先生みたいな人が」
と言ってくださったのも印象的であった。
この広報誌の相談もいただいた。で、ネーミングどうする?という話になって、
その頃、ちょうど定年後の元ビジネスマンVIPに会ったとき
「わたしなんか、もうサンデー毎日ですわ」と聞いた会話を思い出し、
「そうだ、『のんべえ毎日』というのはどうですかね?」と提案したら、
大爆笑になり、「それ、いいですね。いただいていいですか?」と言われ、即採用。

そんなことがあったな。と届いたこの広報誌を見ながらしみじみ・・・。
実は、この会報を自ら編集制作されていた名物女将さんは、昨年他界された。
コロナ禍での病との格闘であった。その半年前には、
自分の両親のことを心配いただき、本当に応援いただいた・・・
なのに、ご本人が・・・。

大好きな母娘が経営する酒店。小売店の生きる道は厳しいと嘆いておられる
ことも多かったが、それでも前向きに楽しい企画を続けて、地元、県外含め
多くのお客様に喜ばれるお店であった。
観桜会はいつのまにか、恒例イベントとなった。

女将さんがいなくなったそのお店・・・。悲しみを乗り越えて、女将さんの愛娘が
今、店長としてがんばっている。
この会報は彼女がつくったものだ。
きちんと受け継がれていることに胸が熱くなった。
「母が作るのはA3でしたが、私はA4でやっとです。」
いやいや、ボリュームよりも続けておられることに感激した。
お母さまはとても喜んでおられることだろう。


来週は、久しぶりにこの店をたずね、女将さんとの思い出をたどり、
新店長の話も聞きたいと思っている。
「のんべえ毎日」。このロゴも女将さんの作品だ。
ずっとこれからも続けてほしい。
それにしても、いい名前。このお店だから似合う。

女将さんの分までがんばってほしい。この広報誌500号目指して
がんばってほしい。
と勝手に応援している。

日本海が眼前に広がる、素敵なあのお店。
訪ねれば、思い出があふれることだろう。
おひさまもような、女将さん。
崖っぷちの人生でした?いえいえ、お見事でした。

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50代仕上げの駆け込み挑戦!

あと1か月しかない、50代。ちょうど1か月、30日だ。
別に毎日年を重ねていくのだから、そんなに厳密にならなくてよい
のであるが、59歳と60歳は、何かが違う?違うのか?
わからないが、とにかく今は50代という10年もの長きタームの締めを
気持ちよく終えたいとの気持ちで、ラストスパートなのだ。
10年とはdecade、ひとつの節目。
確かに40代から50代になるときも、ちょっと特別な感じがあった
と記憶する。
あれから1年。40代と50代。確かに大きく違っていた。50代は人生の後半の
入口を実感する10年だった。親との別れも、経験してしまった・・・。
大きく変わった50代、そして、そのゴールもまもなく。
だから、今は少し自分を追いこんでいる。

今月控えていること。
地域のひとりぐらしのお年寄りのためのコンサート、そのあと、
いつも伺う施設でのコンサート、久しぶりの新潟遠征、新潟の企業さんとの
感謝の再会、そしてレコーディングと撮影。25周年感謝のお礼が言えて
いない方とのお約束、そして・・・。
通常の業務もやりながら、特別プログラムをどんどん挟んでいる
この11月。

もう後がないぞ!
いや、人生は線路のように続くのかもしれないが、どこまでも
続くわけではないので、今を燃焼するしかないのだ。

駆け込み挑戦。なんだかパワーが湧いてくる。
人間最後の力は振り絞れるものだ。

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