親愛なる会社名の最終日に寄せて。

4月1日をもって新体制になる。
4月1日をもって、新会社になる。

本日をもって、今年度は最終日として1年をおさめ、そして
4月1日からは新年度として、新たなスタートを。
多くの企業が、新たな決意、体制、環境で活動を開始しはじめる。
土日を挟むだけなのに、心機一転の新年度!

私が大学卒業後、会社員として、お世話になった会社が、
4月より新会社になる。
系列の企業と合併して、新たな出発をする。
また、時代の変化に対応し、ついに「印刷」という名前を
外す。
約40年前、社会人になって初めて会社という存在を知り、上司や先輩に
教えていただき、仕事をし、給料をもらい、そして賞与もいただき・・・。
がむしゃらに働いた会社。多くを学んだ会社。
そして、34歳で中退し、脱サラをしたわたし。
今も、退職した日の皆さんの京都駅での見送りシーンは鮮明だ。

その後も、ありがたいことに元上司や後輩たちとの縁は切れることなく、
関係は続き・・・。
そしてこの数年は、また再び一緒に仕事を取り組むパートナーとして
新たな関係を育み・・・。
思えば、わたしにとって、この会社は私にとって、私を育ててくれた
ありがたい存在である。
それが、コロナの影響もあり、デジタル化の波もあり、時代の変化に
対応していくこととなり、社名も変更されることになった。

事業自体は存続そして、新たな分野にも挑戦しながら、コミュニケーションの
プロとしてこれまで以上に世の中の役に立つよう、努力されることだろう。

自分がお世話になった会社の名前が変わること、まだ実感もない。
長年慣れ親しんだ名前が、今日でおしまい。というのは、なんともなんとも
言えない気持ちである。

名は体を現す。
であるから、名とともに体は変わる。企業とはそういう存在だ。
何をすべきか。ここが大切。
そして、存続しながら成長発展していかねばならない。
だから、名が変わることは、前向きで積極的な選択である。と考えたい。

しみじみ、お世話になってきた会社に感謝して、1日を過ごしたい。
正直、寂しさはある。いろんな先輩・元上司の顔が浮かんでくるが、
企業は過去にではなく、未来に向かうもの。
コロナの影響もあって、存在自体が消えていく企業も多いなか、
事業を存続し、未来への切符を用意されたこと自体、本当にありがたいことだと思う。

大平印刷さん。ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。
ここでお世話になった時代は、私がマーケティング・コミュニケーションと
いう世界に出会い、学び、実践した最初の次代。
印刷会社なのに、マーケティングの仕事ができたことは、幸いであった。
そしてその経験は、今にしっかり生かされている。
学んだことを大切に、みらいに向かう力を養い、元気に稼働してほしい。

お世話になった先輩、親愛なる後輩、この時代に出会ったすべての方に
感謝して・・・。




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人生いろいろ、ほんとうに。

この2~3日間に再会したり、連絡をやりとりしている人たち。
たまたま50代、60代との交流が続いている。
時節柄か、普段に増して、その生き方の多様性に触れ、
こちらも刺激をもらっている。

その中には、
この3月で定年を迎え、これまでの肩書から解放され、
新しく生き始める人もいる。
長年お世話になった会社とのかかわりは保ちつつ、
自分がやりたかったことを始めるという方。

また夫婦で旅に出まくるという方、
これまでの経験を活かして
世の中のお役に立つことをしたいと思っている方。
いずれも、
想い荷物を降ろして、いずれも軽やかですっきりした
顔つきである。

一方、ある55歳の方。50歳でそれまで経営してきた会社を
人に任せ、次の人生の準備をすすめている。
近いうちに、海外に移住するのだという。
憧れのポルトガルに住む。
人生のなかで、一度はマイノリティな生き方をしてみたい
とのこと。なかなかユニークな選択である。
移住して、そこで新しいビジネスを行う計画だそう。

ある人は70歳手前。まもなく念願の北欧への一人旅を
ビジネスクラスで行くのだ、そして間もなく終の棲家の
おうちも完成するのだ。という。
その人から、飛行機内での過ごし方についての問い合わせが
入る。
ああ、もう出発モードなんだな。
なんだか楽しそうだ。とこちらもわくわくしてくる。

ある人はこれまで一生懸命働き、不動産もたくさん
保有してきた。この資産を生かしながら、新しい
ことをしたいという。
お金には困らないと言い切るから、こういう方もおられる
と、まさに人生の多様性を感じる。

私の周りは本当にいろんな方がいてくださって、
それぞれに接しているだけでも、人生が面白くなる。
みなさん、これまでがんばってこられたから、
好きな生き方ができる。
本当に素晴らしい!

人生、いろいろ。
まさに。
違うから面白い。

自分はひとつの人生を生きるしかないが、
そのひとつも自分次第で、いかようにも生きられる。

自分が生きたいように生きること。
好きなことができる人生。
我慢してがんばる時代も必要であるが
それは解放されて、好きな時間を得るため。
頑張った人へのごほうび。
それは生き方の選択肢。

苦しんで人生を終えるのではなく、
楽しんでカーテンコールにしたい。

仲間たちの素敵な人生を応援しながら、
私自身も人生を楽しもうと思う。





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涙雨と電話と、マーガレット。

「今日はずっと雨。珍しいなあと思って。そうか、これは涙雨なんだね」
涙雨・・。何人かの方に言われて、そうなんだ。昨日は朝出発するときから、
都内に行ってからもずっと雨が続いた。
「お母さんがずっといるんだね。娘のことが気になってしようがないんだね」
とも言われ、そういうことか・・とも思った。
どしゃぶりの中を歩き、びしょびしょになった傘をまるめながら、携帯の着信
に気づく。知らない番号、でも058とあるから、岐阜の方からだ。

!!!もしかして、折り込みチラシを見た人からかも?
最近は、知らぬ番号に折返しかけることも少ないが、これは大丈夫と思い
すぐかけ直す。
しばらくしたら、相手の方が電話に出られた。

「あのー、今朝の新聞に入っていたチラシを見て・・・」
と言われ、思わずガッツポーズ。

母の写真を見ながら、そしてチラシに書いてあった出前コンサートのことが
気になってかけてこられたのだ。
用件は、夏に行いたい認知症(予防?)カフェでのコンサートの相談。
「いくらぐらいでやってもらえるんですか?」
チラシに、演奏料は「ご相談ください」と書いてあるからだ。

いろいろお話しをうかがうと、母とはそのカフェなどで会ったことが
ある方のようだ。そして母の話から、娘は演奏をすると聞いたことがあったと、
そんなことでチラシを見て、ピンときたとのこと。
その方は、母が亡くなったことをご存じなかったため「今日は命日です。
なので、母の写真を入れてチラシを入れてみたんです」
と伝えたら、電話先で驚きの声。何度も、そんなー、へえー、と
言われた。

「詳しくはぜひ近いうちにお会いしてご相談させていただきますね」
ということで、電話を切る。

チラシを入れたことで、母の存在を思い出していただく、亡くなったことを
ご存じない方にはこのように伝えることもできる。

「いやー、チラシを見て、感じることがあって、すぐ電話させてもらいました」
そんな言葉をいただいた。
チラシは新たな出会いをつくってくれるコミュニケーションツール。
やってみてよかった。

妹に「チラシを見て電話がきたよ。」とメッセージする。妹もびっくり。
「いい命日になったね」とそんな言葉で結ぶ。

何事も反応があるかどうかわからない。やってみなければわからない。
やってみて、良かった。

1日仕事や用事を片付け、東京から名古屋へ戻ったら、雨はぴたりやんでいた。

「今日も1日お疲れさん」と母に言われたようであった。

何があっても、雨がふっても、心に傘をさして、

そして、長崎の教会庭でみつけた愛らしいマーガレットを胸に
今日からも元気に朗らかに、元気に歩いていこう。

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母の卒業日に

3月26日。3年前の夕方以降の時間は今も時が止まったような感じだ。
母の危篤の報せに、急いで出かけても、間に合わなかった。
病院に到着するまでの長い時間・・・。
もうそのあとを思い出すのはやめよう。

元気だった母のことだけを思い出すことにしよう。

今日は母の人生、卒業の日。
今日は普段通り、東京出張に出かける。
その代わり、私なりの母への贈り物。

ふるさとご近所4000件への新聞折り込み。
ルーツとふるさとを思ってつくった新しいアルバムと、
出前コンサートの内容を入れたチラシ。
そこには、母の写真も入れた。
何名の方が、母の写真に気づくだろうか?
3年経っても、母の想いは受け継がれていると、
母は私とともに生きているということを、
伝えられたら、きっと母は喜ぶだろうと、
そんなちょっとふざけたアイデア。
いや、大真面目だ。

じっとしていると、たまらないから、いつもどおりに
動くことにする。
きっと空から笑って見てくれているだろう。
何年経っても感謝のみ・・・。ありがとう!
これからも、ずっと 同じ気持ちで。







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ピアノで偲ぶ、母のいのち。

〇〇供養という言葉もあるが、なんとなく湿っぽくなる
ので、母に会う心の旅、空の演奏会とも言い換えようか。

明日26日は母の命日になるが、当日は出張も含め、バタバタ
するため、日曜ひとりでピアノに向かう。
そして、母との記憶をたどりながら、その時々にゆかりの曲を
奏でる。
ひとり鍵盤に向かいながら、母のさまざまなやりとりが思い浮かび、
涙があふれてきた。
心にふる雨のようだ。

ピアノをこうして弾けること自体が、母の人生、わたしに与えた
贈り物であったと思うと、ほんとうに、ほんとうにありがたい
ことだと思う。

ピアノがあるかぎり、声が出る限り、母のことを思い出す。
だから、続ける。それが一番の親孝行。

時間が経つとだんだん寂しくなるように感じるのも正直な
気持であるが、その寂しさや喪失感ともつきあいながら生きていく
のが、残りの人生なのだろう。
と、この3年でそんなことも学んだ。

母からのバトンを、どう私が次につなぐのか。
これは大きな宿題。
そんなことを思いながら、母が生きた最終ラウンドを
祈りを込めて、丁寧に生きたい。



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桜が咲くと・・・

高知で開花宣言の報せ。これから全国で日本の春を愛でることができる。
ふるさとでも、すでに桜まつりの準備が進んでいる。
皆にとって、待ちに待った桜の季節。

一方、私にとっては桜が咲くと母の旅立ちを思い出す・・・そんな季節。
もうすぐで、まる3年。桜が満開のなか、見送った日のことがよみがえり、
夢かうつつかわからない気持ちにもなる。

桜は美しいけれど、年を重ねるとだんだんはかなさを感じるようになる。

子供のころは、入学の、進級の、合格のおめでたいシンボル。
そして。
大人になると、旅立ちのしるし。

写真は3年前に、まさに送った日、斎場横の小学校に咲いていた桜たち。
桜を見ると、毎年、旅立ちの日を思い出すだろうな~と思って
いたが、ほんとうにそうだ。

桜が咲くと思い出す。桜が咲くと、会いたくなる。

母と関わってくださった皆さんが、桜を通じて、母の存在を思いだして
くださったら、うれしい。

そう、桜は思い出のシンボル。

桜が咲くと・・・。

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真なるマルチタレントのお方に。

久しぶりに尊敬するド・ロさま ゆかりの土地に足を運ぶ。
遠藤周作が、この海はポルトガルにつながっていると言い、自らの終の棲家にも
希望していたとされる、映画「沈黙」の舞台にもなった、長崎市のまさに最果ての地、外海である。
この地に明治時代、キリスト教が解禁されてから、フランスよりこの地に移り住み、生涯を長崎の人々、特に女性の自立(と信仰)について大きな導きをされたド・ロさま。下の写真の出津教会も、ド・ロさま自ら手掛けられた建築物であるが、建築のみならず、印刷・医療・教育にいたるまで、本当にマルチな才能を長崎の人たちのために発揮された。
マルチタレントとは、まさにこういう方のことを言う。
と、いつも、ド・ロさまゆかりのここに来ると、神様が与えた才能~ということ
について考えさせられる。
その下の写真は、ド・ロさまが母国から取り寄せられたオルガンと、時計。
いずれもいまだに現役である。一度、新潟の方たちを招いてここでコンサート
をした日々も懐かしい。
ド・ロさまは、今もここに眠っておられる。
豊かな才能を人々の幸せのため、世のために発揮された生き方は、本当に見習いたい。もちろん、才能がなくては何もできないが・・・。

さまざまなことに興味・関心をもち、アンテナを張って、教養を身に着け、実益に生かす。少しでもド・ロさまに近づけるように・・と、思うのは自由だと、赦していただけるだろう。
それにしても、出津教会を訪ねるときは、いつもこのような空。
青い空に教会の白がとても似合う。
真のマルチタレントはもしかしたら、空の色までコーディネイトしているのかも?
改めて、ド・ロさまに心より敬意と感謝を。

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挑戦した日を思い出し・・・

10年になろうか。フランシスコ・サビエルへの想いを曲にした日から、
そう、もう10年の歳月が経つ。ポルトガルのリスボンで生まれた
「フランチェスコの夢」・・・。フランシスコザビエルという名前を直接
名づけるのが恥ずかしいというか、恐れ多いというか・・・。ということで
そんなタイトルにした。今思えば、最近リリースした信長の曲も
「NOBUNAGAの夢」というタイトル。偶然というか、必然というか・・・。

話を戻す。とにかく10年前につくったこのザビエル讃歌を、ザビエルゆかりの
地で演奏したいとの妄想が生まれ、大分で開催されたザビエルサミットに足を
運び、その勢いで、平戸市に乗り込んだ。それが9年前の3月末。
年度末になると、この無謀な冒険を思い出す。
よく行ったなあ、よくやったなあ。
本当に平戸で演奏できるとは思っていなかったが、ザビエルが背中を押して
くれたのだと、今もそう信じているわが挑戦、わが冒険。

そして、久しぶりに訪ねた、平戸のザビエル教会。
16世紀半ばに来日、平戸でも布教活動をしたザビエル。実在し、ここに来たのだと
実感が湧いてくる。
久しぶりにこの立像を見ながら、ザビエルの人生と冒険を久しぶりに思い描く。
彼がここにたどり着いた日は、どんな天気だっただろうか?
写真のような青空の下、ザビエルは新たな土地での布教に燃えていただろうか。

時を越えて、わが人生にとって大切な存在のひとり、ザビエル。
誰も思わない挑戦をする。冒険をする。

いくつになっても忘れないで!
と、久しぶりにザビエルに再び背中を押された気持ちになった。
新たな挑戦を続けよう!と。

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悲しみを越えた優しさ

久しぶりに長崎の町を訪ねる。いい天気で清々しい。

一方、風が強く、見た目と違う厳しさも感じる。

宗教弾圧や原爆といった人類史上類を見ない苦難を背負って来た長崎。

この写真は16世紀に、キリスト教を厚く信仰する26名の方たちが殉死された西坂という場所である。殉教の地に立つということだけで、特別な感情になる。

そう、いつもここに来ると、為政者、権力者の非道を思い、ここで亡くなられ、聖人となった方々の思いを想像し、祈りを捧げる。

あってはいけないことが起きる。それを乗り越えて、先人たちは生きてきた。
この歴史から学ばなければならない。

長崎の街は 苦難を何度も乗り越えて来たからこその、優しさと強さがある。
だからここが大好きで、訪れるたびに新たな力がインスパイアされるのを実感する。

優しく、強い人になれるように、と長崎の空を見て思う春。

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アンクルの存在。

父の弟が二人。おじさんである。
二人とも、まったく個性が異なっているが、
それでも父の弟だということで、親しみを
もって子ども時代から接してきた。
とくに親の最期においては、お二人にいろんな
意味でお世話になってきた。
兄弟愛とはこういうものかと思うこともあった。

そして、父がいなくなった後、この二人のおじさんは
役割分担を決めているわけではないけれど、
実家のゴミ出し、庭の手入れ・・といった役割分担を
もって、それぞれ日課のようにやってくださって
いる。

そして、一人のおじさんは、私のライブの機材搬入搬出
の手伝いをずっとしてくれている。
機材が必要な会場には、いつも一緒に運搬してくれる。
そのお礼は、毎回、喫茶店でのモーニング。

本当に毎回申し訳ないので、「悪いですね~毎回毎回」
と話すと、
「いいよ。自分の義務と思っているから」
と言われてぐっときた。
私の演奏機材を運ぶのが義務。ある意味、父の代役を
してくれているわけだ。

今、この二人のおじさんの健康が気になっている。
80歳に近づいてきている。気が付けば父の寿命に近づいている。
いつまでも、実家のことや、私のことで力仕事をお願いする
のもよろしくないかもしれない。

今はこの二人のおじさんがいつまでも元気にいてくれること
が大きな願いだ。

ふたりのアンクル。その名は、あきちゃんとかっちゃん。
父の記憶を共有できる、かけがえのない存在である。

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