覚えていますか?初任給。

今日から新たな年度がはじまる。
初めての職場、新たな職場に向かう人、
新たな仲間を受け入れる人・・・。
双方にとって、緊張も入り混じった新しい朝を迎える。

さて自分が社会人になった時のことを思い出す。
新入社員として迎え入れられた40年前の今日。
ちょっと慣れないスーツを着て、出社した。
面接でもお会いした会社の偉い人(役員さん)たちとの
記念撮影。まだあの写真は残っているはず。
もうその上司たちとはお会いできないのが残念・・・。
本当にお世話になったなと感謝の念が湧いてくる。

さて、私の初任給は12万3000円だった。
今も忘れない。給料まで123。誕生日と同じ数字だと、
何ともラッキーだと思ったことも懐かしい。

今どきの新入社員はこの二倍以上貰う人もいるそうで、
なんともびっくり。
まだ自分は役に立っていないのに、給料をいただくわけだ。
いいのかな。と思った気持ちも懐かしい。
会社は自分に投資をしてくれているわけだ。
そのことも忘れずに。

今日は長年働いてきた人も、初めて出社した日を
思い出してみるといいかも。
よく働き続けてきたなと自分を褒めてあげたい
そんな気持ちにもなり、
働くことに慣れてはいけない。とも感ずるかも。
常に初心を忘れず。見えない世界を知る歓び、学びを
大切に。

日本中の新入社員のみなさんへ、エールを送りたい。
もちろん迎え入れる先輩たちにも!


カテゴリー: Essay (Word) | 覚えていますか?初任給。 はコメントを受け付けていません

最終日も気持ちよく!

本日3月31日。年度末である。
とくに公務員の方にとっては、異動は毎年恒例の一大イベント。
会って引継ぎなく、資料だけで後任に引き継ぐ。
以前から、この引継ぎ力は凄いと感心していたが。
まさに、今日がその準備に追われる日。夕方には完了して、
明日から新しい職場に。
年末年始は正月休みがあるが、年度末は切れ目なく終わり、
始まるので、ちょっとあわただしい。

昨日のうちに、転勤のご挨拶メールをいただいた。
勤め先が変わるということで、明日から違う会社に出社される
とのこと。ご一緒させていただいた様々な場面が浮かんでくる。
コロナ時代はきつかったですね。その間いろいろ相談にのって
もらって、ありがとうございました。
そんなメッセージをいただき、出会いとは有難いものだと
改めてかみしめる。

今日で定年退職という方もおられる。
明日から違う人生が始まる方もいらっしゃる。

それぞれの春に向けて、今日は準備の最終日。

引継ぎも、気持ちの整理もしっかり済ませ、気持ちよく今年度
を終えたい。

年度末と新年度。
1日違いで、組織は大きく変わる。

悔いのない最終日を。
異動されるみなさん、今日でご卒業のみなさん、
これまでお疲れ様でした。
心からの感謝とエールをこめて。

桜が見送り、歓迎してくれる。

カテゴリー: Essay (Word) | 最終日も気持ちよく! はコメントを受け付けていません

最後の会話は永遠に。

この季節になると、普段以上に母とのことを思い出す。
とくに、最後に会い、会話を交わしたときのこと。
母が乗ったデイサービスの送迎車に手を振ったのが
最後だった。

母が遺した言葉は、
「けんかせんといかんから、長生きせなあかんな」
「誰と?けんかする?」
「まさこさんと」

それまで大きな声で言い合っていた母が、そんな言葉
を口にして、
「はらへった」
といい、自分が作ってもってきたおにぎりを食べた。

それが二人で交わした最後の会話。

この情景は、どんな名作よりも、私の人生のクライマックス
の一コマでありつづける。
そして、思い出すと胸がいっぱいになる。

さて、日ごろ、言葉を文字をいっぱい使って
コミュニケーションをとり、仕事をし、暮らしているが、
どの会話、やりとりが最後になるのかわからない。
そのことを心にとめ、発する言葉を大切に紡がねばと
思う。

できれば、相手にとって「快」な言葉を届けたい。

そう心がけると、もっと優しくなれるのかもしれない。

いつ、どこで最後になるかわからないから、
その一言を大切にしたい。
受け取った言葉は、永遠になる。

カテゴリー: Essay (Word) | 最後の会話は永遠に。 はコメントを受け付けていません

世界を広げてもらえるならば。

企業で働く社員さんとの面談をさせていただく機会が多い。
研修をさせていただいた方のアフターフォローという名目が
多いが、経営者からは、
「普段と違う世界を見せてやってほしい」とリクエストを
いただく。
毎日家から会社に来て、同じ場所で仕事をして、
そんなに人とも会話もなく・・という現場で働く人
に非日常の時間をもたせたい、刺激を与えたいとのこと。

私ごときにそんなことができるのか?と思っているが、
それでも、その機会を楽しみにされている方もいる。
また、実際、
いつも同じメンバーと話していると同じ内容の会話しか
できないので、私と話すと普段考えないことが
浮かんだりするし、いろんな確認や相談
もできて良いそうだ。
そんなこんなで 人によっては時間オーバー
になることも多い。

仕事の悩みがあれば、その相談
ももちろんのり、完璧に解決できることばかり
ではないし、私の力だけでは力不足であるが、
それでも皆さんよく話してくださる。
人の話を聞けるというのは、私の世界が広がる
瞬間でもある。

世代を越えて、地域を越えて、
こんな対話コミュニケーションの仕事を
させていただき、とても楽しい。
もちろんそこで終わらない。
みなさんから出た課題を解決することが
目的だから。

まずは世界を広げてもらう
きっかけに、そしてもっと成長しようと
思ってもらうきっかけになっていれば、うれしい。

カテゴリー: Essay (Word) | 世界を広げてもらえるならば。 はコメントを受け付けていません

そして、また日は昇る。

出口のないトンネルはない。
と尊敬する台湾の経営者が言われていたことを
思い出すことがある。
ちょっと苦しいときに、そうだ、そうだ。
という感じに。

そして、「それでも日は昇る」という言葉を
時々思い出すこともある。
どこかの歌詞にあったのか、映画のタイトルか、
セリフか・・・は忘れたが。

どんなにつらく、もやもやした夜を過ごして
も、何事もなかったように夜が明ける。
新しい1日がやってくるのだ。
やってこない日はない。

日が昇り、やがて暮れる。
このサイクルを毎日、毎日繰り返して
生きている。一生続ける、続く。
そのサイクルのなかで、生きて、そして息絶える。
なんと、ちっぽけな存在である自分か。

だから、どんな困難も大げさに考えず、
できることを精一杯にやる。
気が付けば、必ず、解決に向かう。
新しい朝がやってくる。

毎日、新しい朝を迎えることができるのだ。
同じ日は二度とないのだ。
なんと、素晴らしいこと!

さあ、今日もまた日が昇りはじめた。
この新しい1日を思う存分、生きたい。

毎日そんな風に生きられたら、
感じる幸せも倍増するに違いない!

自分次第で、すべてが変わる。
人のせいではなく、自分から。

明けない夜はない、
必ず、日は昇る。


カテゴリー: Essay (Word) | そして、また日は昇る。 はコメントを受け付けていません

「ミ・パ・ド」に学ぶ。

タイのスラムに住み、生きる人たちを支援し続け、
とくにその貧困を救うのは、子どもたちに教育の機会を与える
ことだと、支援活動を長年行っておられた国際ボランティア八木
沢克昌さんという方の存在を初めて知った。

残念なことに、今年の始め、現地で亡くなってしまったそうだ。
学生時代に兄弟の死というつらい経験を経て、悔いのない人生を
と思い立ち、国際ボランティアの道に突き進んだとのこと。

なんと素晴らしい方なんだ。もっと早く知りたかった。
その八木沢さん、子どもたちに「ミ・パ・ド」の精神を
伝え続け、背中を押し続けたそう。
ミッション・パション・ドリームである。
これは、国を越え、世代を越え、今を生きる誰しもが
実践できること。
自分も、それなりの思いはもっているつもりであるが、
日々、くじけそうになることもある。
でも、改めて、この「ミ・パ・ド」があれば、
さまざまな障害もなんのその。と思えてくる。

自分はどんな人生にしたいのか。そして、自分の年になって
くればそう人生を締めくくりたいのか?
そのために、すべきことは?そのことについて、諦めること
なく前を向いて突き進む。

ちょっとやそっとの悲しみや苦しみは、「ミ・パ・ド」があ
れば乗り越えられるはず。何を迷っているのだ。GO!
と、背中を押された。

亡くなっても、その人の生き様が残された人の中に生き続ける。
良い影響を与える人として締めくくりたい。
この八木沢さんは、タイの人たちにこれからも、ずっと感謝
され、尊敬され続けるだろう。

八木沢さんご自身が、この「パ・ミ・ド」に生きる人だったの
だろう。素晴らしい。

自分も立ち止まってはいられない。

利他の道に生きる人は、美しい。

カテゴリー: Essay (Word) | 「ミ・パ・ド」に学ぶ。 はコメントを受け付けていません

ラストdayに思いを寄せる

本日3月26日は、わが人生でもっとも忘れることができ
ない日。
母の最期に間に合わなかった、駆けつけるまでの時間が
今もくっきりと浮かんでくる。
まさに、母の人生のピリオドとともに、自分の時計も
止まったような不思議な時間であった。

あれから4年となる。
早いといえば早く、止まったようであるといえば、そうで
あり・・・。
言えることは、それでも自分は生きているということ。
母と父のことを心に抱きながら、生き続けているということ。

時間が経つことで、癒されることもあるが、
新たな悲しみが湧いてくることもある。
それでも、こうして生きている。

今日は普段通り、いつものように、仕事に出る。
生きていることをかみしめ、今のところ心身ともに
元気でやれていることに改めて感謝をしながら
今日という1日を、しっかり生きる。

いつか、息絶えるのだろう。
そのときまで、一生懸命生きなくちゃね。

いろんな思いがこみ上げる朝であるけれど、
それでも、わたしは生きている。
だから、前に進む。

がんばれよ。
そんな言葉が聞こえてくる。

感謝の気持ちを込めて
母が生きた時間を思いながら、
今日も大切に、自分の役割を果たしたい。

カテゴリー: Essay (Word) | ラストdayに思いを寄せる はコメントを受け付けていません

改めて「真・善・美」の調和を求めて。

「真・善・美」とはある意味懐かしい言葉でもある。
でも、今改めて心に染み入る・・・。

哲学の世界では、ギリシャ哲学の時代から、カントまで
そして今なお、現代に生きる私たちにも・・・。

人間の理想とは、この「真・善・美」の実現であるといわれて
きた。それを求めることが人間の価値であると。
この混迷の時代こそ、この考え方は改めて見直されるべきで
あると思う。とくに最近、そんなことを感じることが多い。

それは真か?良きことか?純粋で美しいか?
日頃接するさまざまな事象に対してそのような見方で接する。
自分に対して、自分以外に対して。
自分のことをまず見つめることが大切だ。

自分第一主義は、利益至上主義は、この真善美の価値とは
対極にありそうだ。

「真・善・美」とはバランスであり、調和。世界との向き
合い方。
周囲との関係が良好であり続けるためにも、この概念を
忘れずにいたい。
そして日々、少し迷うことがあったら、「真・善・美」を
唱えてみたい。

自分はそうであるか?それを目指しているか?

肯定できれば、間違いがない。

学生時代に聞きかじった言葉が、社会人として長く
生きているうちに役立っていると思うことがある。
自分なりの揺るがない価値をもつ、信念をもつ。
そして自分らしく、しなやかに生きる。

哲学なんて、何の役に立つ?
と言われた時代。今は昔。

「真・善・美」を見極める力を養う努力を続けたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 改めて「真・善・美」の調和を求めて。 はコメントを受け付けていません

気力でGO!

久しぶりに千秋楽の相撲を見た。
ずいぶん知っている力士の名前も変わっており、
この世界での時代の変化も感じながら、それでも
高安が優勝決定戦に残ったことが何かしら嬉しく、
こんなに長い間がんばってきているんだから、
今度こそ、なんとか優勝してほしい!!とまるで
地元の市役所の人達と同じような気持ちで
その優勝決定戦を見守った。
絶対に勝つ!絶対に初優勝。
そんな気迫がモニター越しに伝わってきた。

一方、その決定戦に挑む大の里。
大関になっての初優勝を目指し、本場所も苦しい
ところから、千秋楽に向け気力でここまでやって
きた。

相撲は瞬間の力で決まる。
野球のように何回戦もないのだ。

結果は大の里に軍配。
高安は今回も残念ながら・・・であった。

その取り組みを見ると、気力と気迫が印象的であった。
絶対に勝ってやる。
その強い気持に体がしっかりついていっている。
途切れない気力、またその力が
心身一体になったときの底力は凄いのだ。
と改めて。
この瞬間に、最高の力を出し切るには、日々の稽古と
精神の鍛練か。

高安には、ぜひ次回こそ、がんばってほしい。
そして、ぜひ祝杯を持っていただきたい。
そして、
大の里には、能登の人に元気を与え続けてほしい。

それと、今回の相撲で感動したのは、ウクライナ出身の
青安錦の奮闘。
ここにも、圧倒的な気力を感じた。
戦争に巻き込まれてしまった母国を思いながら、
日本でがんばらねば!と他の力士とは違う覚悟で
がんばっておられるのではと思った。
そして、
スポーツで戦えることは幸せだとも思った。

気力。
自分ももっと鍛えなければ。
スポーツはそれぞれ、観るものに学びを与えてくれる。

ひとりで戦う。気力で戦う。
代わりはいない。

いい涙を流せるように、がんばるのみ!

カテゴリー: Essay (Word) | 気力でGO! はコメントを受け付けていません

30年前の奇跡と軌跡。

衝撃の事件。
30代前半のことだった。あのサリン事件。
毎日利用していた地下鉄の駅で起きた。
あの日から30年が経ったとの報道に接し、
あの朝のことを思い出した。

あの日に限り、わけありで地下鉄に乗らない
で車で出勤していた。
会社に着いて、電車が動かなくなって通勤
できていない人がいて、恐ろしい状況を知っ
た。

今から思えば、本当に不思議だ。
地上は静かであったのに、地下ではとんでも
ないことが起きていたのだ。
テロって日本であるのか?
と思ったあの事件。

ニアミスな人生は、このときからだったか
と思うほど。

あれから30年。
会社勤めも、東京暮らしも卒業して、
今にいたるが、本当にいろんなことが
あった。
30年といえば、今から思えば人生の半分。
あれから
ずいぶんと長い時間を無事に生きてきた。

人災の恐ろしさに加え、避けられない天災。
いつ、何が襲ってくるかわからない危険は
今も変わらない。
不確実な時代。

30年前よりも、社会は良い方向に向かっている
とは言い切れないのが、残念である。

30年前の傷を今も背負って生きている方々の
気持を思うと、たまらなくなる。
もし、自分だったらと思うと・・・。

人生はある瞬間で変わってしまうことがある。
そのことだけは、忘れないでいたい。
運もあるのかもしれない、努力ではどうしようも
ならないこともある。
人間はある意味、本当に非力であると思う。
でも、今やれることがある。楽しめることもある。
一瞬先が見えなくても、見える今を存分に生きよう。

30年前の自分から、今の自分へ。
毎日毎日少しづつ変化しながら、今日まできた。
ここまでの幸運に感謝して、
そのことを忘れず、謙虚に生きたい。
今の自分から未来の自分は・・・?

カテゴリー: Essay (Word) | 30年前の奇跡と軌跡。 はコメントを受け付けていません