何事も、終わりよければ。

3月だ。もう卒業式もはじまったようだ。
マスクを外しての記念撮影も可能となり、以前の春の光景が
戻りつつある。
卒業は学生さんだけではなく、社会人も。
定年される皆さんは、会社からの卒業である。

どんな終わり方をするのがいいのか。
私は定年のない人生を選択したため、この節目はないまま
年をとっていくが、定年を迎える選択をした人において、
この卒業は人生のなかで、もっとも大きな節目となるだろう。

長年つとめてきた職場の中では、肩書があり、それがあっての
自分であったかもしれない。
その肩書がなくなる瞬間から、周囲の見る目や扱いが変わる場合も
ある。

と、いろんなことを考えながら大人の卒業準備は大切である。
そして、卒業後の準備をしながら、残された日々を精一杯
今の役割をまっとうする。
最後の最後まで仕事をして、そして最終日にきれいに終わる。

終わりよければ、すべてよし。
せっかくゴールが近づいてきているのに、手前でこけないように。

信頼は人につく。
最後まで、周囲に理解される仕事をして、卒業式に臨む。

悔いのない会社人生、仕事人生をうまく締める秘訣は
その終わり方にあると思う今日この頃。

感謝と謙虚のままのカーテンコール。

会社人生のみならず、人生自体も同じこと。
最後の最後の瞬間まで、終わりよければ、になるように心がけたい、

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「愛」と「感謝」があれば。

同じ名前のMASAKOさん。漢字は雅子さんであるから、より雅びな
女性らしいMASAKOさんである。
でも、話をすればするほど、共感ポイントが多いことがうれしく、
気が付けば、大変親しくさせていただいている。

MASAKOさんが親の介護をするために、横浜からふるさとに戻られたのが
もう数年前。
還暦からの挑戦であると、実家を改造して、カフェを開業。
お母さまや旦那さんのお世話をされながら、お店をきりもり。
料理のうまさと、卓越したコミュニケーション力で常連さんを
増やした。
しばらくして旦那さんが亡くなり、そして、お母さまも亡くなったとの知らせに
自分も親を亡くした同じ状況であったため、励ましのメッセージを送り続けた。
そして、5月5日は創業記念日だから、何かしたい・・。
じゃあ、55だから、GOGOということで、やると決めたらやろう!
お店でコンサートはどうかしら??なんて話していた矢先・・。

その実家が火事になってしまい、ご本人は一命をとりとめたものの
そのGOGOのコンサートができなくなってしまった・・と連絡があったのは
約1年前のこと。
ほんとうに、ほんとうに驚き、どうしたらいいのかとその時の動揺ぶりを
今もしっかり覚えている。
それから、何度もやりとりをして、再び戻ってこられた横浜で再会を果たし、
そして1年経って「1年間ほんとうにお疲れ様でした」の気持ちを伝えたく、
初めて一緒に食事をした。

もし自分が彼女と同じ経験をしたら、生きていけるだろうか。
ずっとそんな風に思っていた。
MASAKOさんは、1年の間にすっかりお元気に、これまでどおりと変わらずで
仕事も始められ、新しい暮らしをエンジョイされている様子がわかった。
「とにかく、多くの人に励ましていただいて、心配していただいて。
おかげで今日があるんですね。モノがなくても、愛があれば、生きていける
とつくづく思った1年でした」
モノにとらわれがちの日常であるが、もしモノがなくても、思い出はある。
周囲の応援や気持ち、やさしさに触れることで、モノ豊かな日々よりも、
心豊かな自分になれる・・・とのこと。
大変な経験をされてきたMASAKOさんのことを、たくましいな~と
心から改めて敬意を表し、楽しいひとときに感謝して、駅で別れる。
お互い、見えなくなるまで手を振って・・・。
本当にご無事でそして、今もお元気で、ほんとうに良かった。

愛があれば、生きられる。
ほんとうにそのとおり。

思って下さる方の気持ちを大切に。感謝を忘れず
さあ、今日から3月。年度末の仕上げをしよう。
愛があれば!!何でもできると信じて・・・。

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戦争より怖い「差別」「区別」

今、ジャーナリズムの入り口について、少しだけを勉強を続けているが、戦争と
報道というテーマからさらに一歩進んで、戦争より恐ろしい「アパルトヘイト」
について、現地取材され、記録に残したジャーナリストの取り組みを知り、
これまた大変ショックを受けた。

今、現実に起こっているウクライナへの侵略戦争だけでも十分の衝撃である
のに、戦争というのはある意味単純な構図で、人種差別政策の方が根が深く、
深刻であるという。

日本にいるとアフリカ世界のことを知る機会は少ないが、
ヨーロッパ列強時代、今、ロシアのことを攻めている各国も、当時は
侵略戦争を繰り返し、アフリカを植民地にしてきたのだ。
時代変われば、場所変われば、今、善人ぶっている人・国も
ひどいことをしてきたもんだ・・・。
歴史とは、権力が欲しい人間の欲望が生む悲劇の繰り返しなのか・・
と思ってしまう。

戦争は絶対良くない。罪なき尊いいのちを無駄になくしてはいけない。
と同時に、差別も区別もいけない。
この差別・区別から生まれる蔑視や無関心が、犯罪に発展することも多い。
南アフリカでの差別は、アメリカで今尚、続いている。
その現実と、ウクライナで起きていること。

もちろん、一度に大量に人のいのちを奪う戦争は、絶対に良くないが、
差別で人を殺めることも、絶対にあってはならない。
戦争はある期間がすぎたら、終わる。(今回のも早く終わってほしい)
しかし、差別や個別は、それぞれの心の根っこにあるものだから、
期間がエンドレスかもしれない。
その人が心を入れ替えない限り、その差別行為は続くのだ。

西側世界に目を向けるだけでなく、アフリカの悲劇をもっと学ぼう。
ふと、小学生のときに合唱団で歌った、黒人霊歌「深い河」の
メロディーが浮かんできて、胸が苦しくなる。

権力を手にする人、手にしたい人。
その対極にそれとは無関係に、虐げられていく人。

この両者がこの世の中に生きている。

とにかく、人を大切にしよう、感謝しよう。
すべてはそこからだ。

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その人にとっての「今日」を思う。

2月も終盤。本当に時は流れていく。流されないように1日1日を大切に
しっかり歩みたいと思う朝。

毎日、その日が始まるとその1日をイメージする。
どんな1日にしようか?
自分にとっての1日を思い描く。

一方、今日お会いする人たちにとっての「今日」を想像する。
その人にとって、自分に会う、自分と接する時間はどんなイメージだろうか?
楽しみにしてくれている人も、面倒だなと思っている人も、何も考えていない人も
いろんなケースがあるだろう。
一度に多くの人に会う時には。なかなかその一人一人に気持ちを向ける余裕は
もてないかもしれないが、でも、できる限り、一人一人のことを想像したい。
その人にとって、共有する1時間が、「よかった」というひとときになれば、
貴重な時間をいただく意味がある。

自分にとっての「今日」は、相手にとって素敵な時間であってこそ、はじめて
輝くことができる。
コミュニケーションは常に双方向だから・・・。

出会いの時間を大切に重ねていくことで、信頼は育まれる。
やはり人生はミルフィーユのよう。
そして、人生は観覧車のようになるように。
今日お会いする人たちのことを、思い浮かべ元気に出発したい。


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もっと世界に目を。

日本赤十字というと、献血のイメージが強いかもしれない。
母が元気な頃は、いろんな奉仕活動に出かけていたことを
残っている何枚かの写真で知る。
さらに、このたびのウクライナ侵攻の被害者に対してできること
を探していたら、日本赤十字社の情報にたどり着いた。
それ以外のルートもいろいろあるが、自分なりに納得して
この方法を選び、ここに寄付を続けている。

少しの寄付をするだけで、さまざまな情報が提供される。
広報活動も積極的だ。活動を知らせ、応援してくれる人をひとりでも増やしたい、
一円も多くの寄付を集めたいということだろう。
このたび、日本赤十字社が行っている世界救援の情報がDMでも届く。
そこには、ウクライナだけでなく、パキスタンの洪水、トンガの噴火、
バングラデュ南部の避難民、さらに中東人道危機救援として、パレスチナの
医療支援、レバノンの水・衛生環境改善事業、アフガニスタン人道危機救援、
アフガニスタン地震救援・・・といった救援メニューが紹介されており驚く。
世界ではこんなにも多くの天災、人災で困っている人たちがいるのだ・・・。
ここにトルコの地震も加わるだろう。

どれもそういえば、ニュースで少し聞いたことがあったような・・・、そういえば
サイトにもも掲載されていたが、ウクライナのことで頭がいっぱいで
あまり認識、学習していなかったことに対し、恥ずかしくなる。

情報量によって、寄付金も集まるのだろが、それぞれのメニューに各地から
気持ちが寄せられているようだ。
それぞれの気持ちが、それぞれの支援につながっている。

戦争、天災・・・。
別の組織では、アフリカの貧しい子供たちを救援するプログラムもある。
また、環境保全のための支援プログラムもある。

どれを救援する、支援するかはそれぞれの選択によるが、
こんなに多くの問題が常にあるということ。
早く何も救援しなくていい世界になるようになるように。
そんな日が来るように心から願い、自分ができることをやる。

そして、今、救援されなくても自立して生きていられることに
感謝したい。

世界をもっと知らなくちゃ。まだまだ、まったく・・・だ。

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涙を分け合えるか。

昨日は、ウクライナの人々のこの1年の様子を見聞きする場面が多かった。
1年だから、のこの節目は現地の人々からすれば、どんな思いだろう。
こんな記念日はなければよかったと思う、そんな日だろう。
さまざまな被害を被った方々の叫びや、涙・・・。自分だったらと思うと
胸が締め付けられる思いだ。
常識では考えられない無残、悲惨な状況が、この世の中に本当に存在する
のだ。人間は恐ろしい。血も涙もない人間がこの世に存在するのだ。
人の価値観とは、こんなにも生き育った環境や教育によって異なり、
血なまぐさい歴史がその価値観によからぬ影響を与えることが、
本当にあるのだということに恐怖を感じる今日この頃。

歴史は、過去のさまざまな時代の憎しみや哀しみをずっと引きずり続けるのだ。
そして、歴史は権力者によって塗り替えられていくものでもあるのだ。
と学びたくないことも、知らされた。
この1年ほど、権力、武力、そしてプロパガンダの恐怖を感じたことはなかった。

世界はひとつ。といった人がいたが、今は違うと思う。
連帯と分断。連帯より分断。連帯は敵に対しての連帯であるから、結局は分断に
加担することになる。
この流れは、戦いを止めることはできない。
と、そんな気がしておらず、今世界で起きていることの多くのことが悲しく、
また各国のリーダーたちの選択、言動も果たして?と思うことが多い。

本当のリーダーは、対局を越えなければならない。もっと俯瞰して、世界を
まとめていかねばならないが・・。
メルケルさんだったら、どうしただろうか?と思ったりする・・・。

話は変わる。
確定申告の時期であり、今年も税理士にいろいろお世話になっているが、
「昨年の3月に、ウクライナ大使館に寄付されているようですが、これは控除の
対象になりませんが、いいですか?」
と、1本のメールが入る。
ああ、昨年戦争が始まって何かできないかと、とりあえずそうしたということを
思い出した。その後、日本赤十字社からもウクライナの人道支援に向け送る
ことができると知り、今はそちらを利用している。それは控除の対象になるそうだが
まあ、それはどちらでも、どうでもいいことだ。

小さなことしかできないが、CDや本の売り上げ、これから本格稼働する
「よりそいコンサート」での演奏費用を、戦争が終わるまでではなく、それ
以後も続けていこうと思っている。ウクライナの皆さんの涙を見ていると
これっぽっち・・・という気持ちになるが、自分としてはその涙が少しでも
少なくなればと思っている。

昨年春以降、自分の活動の場でお伝えし、今日までに84000円を日本赤十字社
を通じ、ウクライナの人道支援に送らせていただくことができ、本当にありがたい。
ご協力いただいた皆さま、本当にありがとうございます。
これからも地道に続けていきたい。ぜひ応援いただけたら、ありがたい。

困っている人たちの涙を少なくして、笑顔が戻るように。
本当に昨日は、いろんな映像に触れて、ますますそんな気持ちが強くなった。
人は、涙を分け合うことができる。そう信じて・・・。

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再編成に思う2月24日。

久しぶりに、親しい元行政マン(この表現が適切かどうか?は?)の
Wさんにお会いした。数年ぶり、いや、もっとお会いしていなかったかもしれない。
その方は出会う前は、ある市の職員であったが、平成の大合併により、
隣の大きい市に吸収され、そちらの職員となった。
出会ったのは、その合併後である。

「わたしたち、合併された側なんで・・」と最初の頃 よくおっしゃっていた
こともあったが、その方はその市のシティプロモーションや観光コンベンション
など、その町の未来を担う、また対外的に発信が重要な部署の責任者となり、
大活躍。合併された側とは思えないほど、元気に自らの仕事を切り開き、そして
その後はその市のある区の長として、街づくりに大胆に取り組まれた。
自分の地元ではないエリアでの区長として奮闘されたのだ。
そして、定年された今は、ご家族の介護を続けながら、地元のまちづくりを
人生の恩返しとしてがんばっておられる。

その方とのご縁は十数年になるが、最初お会いしたときから、お会いするたび
に新たな挑戦をされており、合併されたことにより、新しい道を進むことが
できたのだ。と、そのポジティブな考え方、仕事ぶりに共感を覚えた。
いつまでも、「合併された側だから」という遠慮も言い訳もない。

与えられたステージで常に前に進む。もちろんご苦労も多かったと思うが、
自分が選んだ道だから、どうせやるならチャレンジする!というのがその方の
生き方。見ていて気持ちよく、応援したくなる。

今、業界を越えて、組織の再編成、吸収・合併の渦中に身を置く人も多いと
思う。
職場や仕事の内容、条件が変わるなど、考えることは多いと思う。
まさか経営者が変わるとは・・・ということもあるが、企業である以上、
そういうことはあり得ると思い、現実を受けとめ、あとはどうするか。
そこで働くならば、思いっきりがんばればいい。チャンスをみつければいい。
もしも、合わない場合は違う道に進んでもいい。
ピンチは自分次第で、必ずチャンスになる。

吸収・合併はありえる世の中。
民主的にそれが実行され、そしてその後も両者のより良いコミュニケーションで
新たな職場・社会が盛り上がっていければよいと思う。

一方、規模も場所も違うが、強硬的に武力で合併、併合を推し進めようとする国もある。
血を流しての合併なんて、あってはいけないが、今、現実に起きている・・・。
今日で1年を迎えるウクライナの悲劇を見ながら、
仕事での吸収・合併は、「いのち」までとられない。
だから、がんばらなくちゃと思う次第。

日本は今のところ、幸せな環境にある。でも、危機感も募る。
それはみな同じ。
いろんな変化があろうとも、自分次第で道は開ける。
さあ、今日も新たな1日を迎えられていることに感謝してがんばろう!

本当に早く、戦争が終わるように願いながら、
そんなことを強く思う。

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財布のひもが緩む空港

各地の空港、駅、道の駅。待合時間に立ち寄る楽しみのひとつは、売店巡り。
その土地にしかない商品に出会う絶好の機会で、大手のチェーンストアではお目にかかれない貴重な品々に出会えるのがうれしい。
売り場巡りは、リサーチにもなり、なんといっても大変楽しく、有意義なひととき。

世界中の売り場でも、わくわくドキドキするのが、新潟空港や駅のショップ。今回はコロナ以来の新潟空港の往復利用。
売店は帰りの待合時間にしか寄れないため、本当に久しぶりの訪店だ。
お店に一歩足を踏み入れた瞬間、感動に包まれる。自分が18年間通ったこの新潟で、出会い応援してきた企業さんの商品たちが次々視界に飛び込んでくるのだ。

写真もその一例。通路の最も目立つ場所にPOP付でディスプレイされている。
「ああ、こんな目立つところに~」
「こんなかわいいサイズも出ていた、そうそう」
商品化される前から、かかわり応援してきた商品が何年経っても発売され続け、さらに進化しているのを確認し、胸がいっぱいになる。
いずれも地元の素材を使ったもの。粉のワサビは、糸魚川の建設会社の新規事業ではじまったワサビ栽培から誕生した商品のひとつ。みどりのラー油は小千谷の蕎麦屋さんの画期的な商品。
思わず立ち止まり、この商品を生んだ親たち(企業の社長さん夫妻)を思い出し、胸がいっぱいになる。「今もお元気なんだな。良かった良かった」と、気が付けば商品をカゴに入れる。
それ以外にもとにかく売り場の中にかかわった企業さんの商品が数えきれないほどあり、
思わずカゴに入れてしまい、レジに向かう。
レジ前でみつけた「ゆずのなんばん味噌」は五泉のスーパーの季節限定商品。購入後に、
「空港でみつけましたよ!」と久しぶりのメッセージを入れたら、すぐ感謝感激の返信が来る。

ここは、世界中の空港で、もっとも馴染みの商品がそろっている売り場だ。
そこで、懐かしい企業さんたちのことを思い出し、その活躍を知り、そして自分と新潟とのご縁を再確認できるお宝スポット。
もしかしたら、商品ひとつひとつではなく、そんなモノたちに出会える場があることが
私にとっての最高のお土産なのかもしれない。

とにかく、気を付けないと財布のひもが緩む店。
新潟には、京都などの観光地とはひと味違った、地味ではあるが、豊かな食を提供できる恵の土地らしいこだわりの食品がそろっている。
「やっぱ、新潟はおいしいね!」
そんな会話をいつも交わしていた新潟通い時代が、よみがえり、心があたたかくなった。

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雪の日の緊張と小さな拍手。

この墨絵のような世界は、新潟へ向かう飛行機の中から見えた景色だ。
「新潟の雪の状況により、着陸できない場合は名古屋へ引き返すこともあります」と
言われた条件付きのフライト。
それを納得済で乗った。目的地に近づくにつれ、ドキドキしてきた。
ああ、もう新潟だ。
この写真の風景を見て、もう近くまできたのだから、このまま着陸できるのでは…
と思った瞬間、景色が消えて窓は真っ白になり、そして飛行機が瞬間、上昇した。
「あ、やばい!」
下降できないんだ・・・。そのあと、飛行機は日本海の上を旋回。ああ~。
時計を見ると、もう到着時間に近い。
空港で待ってくれているお客様のことを思う。
「ただいま、着陸のため空港に目がけて侵入を試みましたが、雲の影響で視界が閉ざされ、
失敗しました。もうしばらく旋回を続け、雲の切れ間を見つけ次第、再度侵入します
ので、しばらくこのままお待ちください」

この青空が見えた瞬間、飛行機が車輪を下ろしたとのアナウンスが入り、心のなかでパイロットの腕に期待、「お願い!うまくやって!」と祈る。
しばらくしたら、飛行機は着実に下降し、雪が積もる新潟空港に無事、着陸した。
その瞬間、私はひとり誰にも聞こえないように、拍手をした。
その昔、アメリカの飛行機に乗った際、難しい天候をきり向け無事に着陸した瞬間、機内から大きな拍手が沸き起こるという光景をふと思い出したからだ。

無事、着陸してよかった。これで予定どおり今日のスケジュールを進められる。
遅れは10分ほどで済んだ。念のため帰りのフライトの時間の天候を考え、一便早める手配をとり、帰りも無事戻ることができた。やれやれ・・・。

雪の日の飛行機の選択はチャレンジになる。
でも、名古屋と新潟というこの位置関係、距離の場合、陸路より航路が断然便利になる。
もちろん新潟といえども南北に長いため、新潟市より北(下越地方)に行く場合は
航路がベターで、長岡であれば、新幹線を選択する。
あとは、運任せ。
その日の天候、その日のコンディション。

何ひとつ、自分の力だけではどうにもならず、すべてはさまざまな力のおかげで
自分の1日が成り立つ。

それにしても、今回のパイロットさんの腕はなかなかであった。
雲のなかを突っ込んでいく勇気、正しい判断。人命を預かる仕事は本当に大変だ。

わずか1時間あまりのフライトではあったが、空から見えた、地上から見るのとは違う
越後平野のスケールに久しぶりに感動、そして緊張。
とても貴重な朝をいただいた。新潟はドキドキわくわくする、愛すべき心のふるさとだ。

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伝わるプレゼン。

日頃から、さまざまなプレゼンの場に同席したり、参加したりすることは
多い。またその準備段階からかかわることもある。
プレゼンテーションとは、ビジネスチャンスを獲得する上で、自分たちの
思い、企画、スキルを活かし、いかにクライアントにお役に立てるかをお伝え
する時間であり、またプレゼンを受ける側にすれば、どんなアイデア、提案を
いただけるのか?と楽しみな一面もある。
日頃の商談の時間では踏み込めない、より深いコミュニケーションづくりにも
プレゼンは有効だ。
一方、気張ってプレゼンしすぎて、相手に響かないこともあるから、そのあたりは
注意も必要だ。
あくまでも、相手の都合、状況に合わせ、その内容やボリュームも様子を見ながら
伝えていくことも、その内容以上に大切となる。

プレゼンはあくまでも、コミュニケーションのきっかけのひとつ。
相手がお腹いっぱいになってしまったり、すぐに理解が十分できないこともある。
一度で出しすぎるのではなく、小出しにしてコミュニケーションの回数を重ねる
という方法も有効だ。

あくまでも相手を見て、人を見て。
とくにオンラインでのプレゼンは、共有画面を確認しながらのやりとりになる
ため、表情まではわからないことも多い。

伝わるプレゼン。
顔が見えているようで見えていないことも多い、このコロナ時代のコミュニケーション。
伝えたいことをより伝えるために、情報の出し方、確認の取り方も一工夫あっても
良いかもしれない。

この厳しい市場環境のなか、どの業界も激しい競争が繰り広げられる。
伝えて、選ばれる。そして、任せていただく。
このプロセスを今一度見直し、段階ごとに関係づくりを深めることも
大切にしたい。

若き時代、自分もプレゼンにあけくれる日々が多かったが、
今はデジタル活用が前提である。その点は大きく変化した。
便利な面、伝わりづらさもあると、実感する今日この頃。
そして、時代が変わっても、以下に伝えられるか、伝わるか
という課題は不変である。

大きなプレゼンよりも、ちょっとした提案を重ねる。
これもひとつの手法。と自分の来た道をふりかえり、
そんなことも思う。

いずれにせよ、もちろん、プレゼン手法の前に コンテンツ・スキルである。
何をもってお役に立てるのか。強みがなければ、プレゼンが
うまくても仕事にはなりづらい。

仕事を獲得するのは、容易ではない。
だからこそ、ゲットできたときの歓びはひとしおだ。

伝わるプレゼンは、仕事をはじめ、社会で生きていく上で、
永遠の課題だ。





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