それぞれの311

3月11日の祈りの様子を、報道により知る。

津波で家族と別れ、離れ離れになった方・・・。今だに行方不明の方が
2500名以上おられると聞いて、それぞれのご家族はこの12年間、
どんな思いで毎日を過ごしてこられたかと思うと心が痛む。
昨日、その家族が祈りながら、泣きながら
「忘れないからね~」
と言われていた言葉が、突き刺さる。
思ってもいない、突然の別れ・・しかも、まだ行方がわからないとは・・・・。
希望を持ち続け、待ち続ける12年間・・。どんな時間だっただろうか。

福島の双葉町では、11年半も町に帰ることができず、昨年やっと
避難解除になり戻ってくることができたけれども、その時間が長すぎて
もう帰ってこないという住民の方も多いとのこと。
そんななか戻ってこられた70代後半の方が、「避難してみて、離れてみて
ふるさとのありがたみがわかった、だから帰ってきた。何かしたい
と思ったから…」10年以上放置された町、復興どころか復旧もまだ
これから。人がいなければ何もできず、店もなにも生まれない・・・。
「コンビニがあればいいのに・・・」
不便で寂しくなってしまった故郷に戻ってこられたこの方の一言一言が
心に沁みた。
故郷が、普通にある。ということは決して当たり前ではないことを
知らされる。

広島出身で原子力の研究を専門とする友人がいるが、
昨日届いたメールに、「今日は『自然災害の日』と言われているけれども、
原子力に関わる者たちにとっては、今日は『人災の日』です。」とあった。

それぞれの311。
祈りを込めて・・・。
明日のコンサートでは、震災を機に生まれた作品たちを、
心を込めて演奏したいと思う。

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記念日の意味。

12年前の3月11日のことを思い出す。
午後3時前、打ち合わせをしていた銀座のカフェ。天井から吊るされた照明が
左右に大きく揺れはじめたあの瞬間、言葉を失い、その後、日本中がパニックと
なった。携帯もなかなか通じづらくなり、その日の約束のキャンセルの連絡が
とれなくなったこと、何が起きたかあまりよくわからずに、その後、銀座から
有楽町へ・・。駅の前でたたずみ、ぼーっとしていた。
その後、これまで見たことがなかった避難する人々の長蛇の列の合間を抜け、
1時間かけて、徒歩で帰宅。途中、竹橋の毎日新聞本社に寄って、そこで掲示さ
れているニュースでこのことを知った。
えらいことになった。相方は大丈夫だろうか?いろんなことが心配になった帰路。
自宅では、いろんなものが散乱していた・・・。まあ、それで済んだのは幸い。
そしてテレビであの津波を見て震えた・・・。津波の恐怖を初めて知った。
と、ここまで書きながら、さまざまな場面が次々とよみがえってくる。
コロナで世界が止まった頃に通じる、これまでに体験したことのない非日常
の世界。

あれから、12年。とても長い時間が経過したような気がする反面、まだ最近の
ことのようにも思える。
実被害がほとんどなかったのは、本当にありがたかったが、東北のみなさんにおかれ
ては本当に苦難の日々を過ごされ、その努力に頭が下がる。
ほんとうの復興はまだまだですよ。と最近でもそのような声を聞き、震災の影響の
大きさを改めて知った。
原発の問題は、今も解決されておらず、12年前の地震が改めて悔やまれるとともに
「想定外」は起きるということを、学ぶきっかけとなった。

家族と別れることになった方々におかれては、この記念日は何年経っても
変わらない気持ちでおられることと思う。
もちろん時間の経過の中で、変化したことはいろいろあっても、それでも
そのときの別れは永遠に悲しいものだと思う。

記念日は思い出し、改めて大切な人に心寄せる日。
そして、そのとき得た教訓を改めて思い出し、その経験を忘れないように気持ちを
引き締める日。

天災はいつやってくるかわからない。間違いなく、当時よりも起きる確率は高く
なっている。
今日、改めて、もし起きたら・・を考え、備えについて確認、できることはやって
おこう。

「自然は人間と違って、感情がないんですよ。」
震災後3年、再会できた大船渡の知人が現地で語ってくれた言葉が今も耳に焼き付いて
いる。
震災やパンデミックや・・・さまざまな脅威が人間世界を襲う。
いつ命が終わるかわからないから、備えをしつつ、ちゃんと生きていこう。

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コミュニケーションの量と質と「こころ」。

人間は、コミュニケーションなしで生きられない。
まさしく「人の間」という文字のごとく、人間同士をつなぐものは、
コミュニケーション。それによって関係が生まれ、社会が成り立っている。
この扱い方、とりかたによって、人生も仕事もずいぶん変わってくる。
コミュニケーションでうまく生きる人、うまくいかない人、さまざま・・。

いかにコミュニケーションを大切にするか、言い換えれば相手を大切に
するかで伝わり方も変わり、その後の関係にも影響が出る。
そんなことを、最近、改めて痛感することが多い。

昨今、情報が大洪水、大量なゴミの山のごとく、あふれかえっている。
ほんとうに不要、それ以下のような情報もたくさんある。
何をもって「情報」というか・・の再確認も必要。人の心に届かないものは
もはや、情報とはいえない・・・。
コミュニケーションも自分の言いたい放題、拡散しっぱなし、無責任な
発言のたれ流し・・・。これでは本来のコミュニケーションではない
と思うことが多く、画面を閉じたり、スイッチを消したり、目を閉じたり・・。

一方、いい情報に出会った、いい話が聞けた、いい話ができた・・
という例は意識しないと巡り合えない。探しにいかないと、
相手を選ばないと出会えない・・と、そんなことも多い。
もちろん出会えたときの感激もひとしおである。

コミュニケーションのあり方について、今改めて問い続けたい。
流されていないか?相手の顔は見えているか?
相手の心は見えているか?

相手に満足いただくことが、自分の満足。
相手に良かったと思っていただくことが、自分の幸せにつながる。

この基本を今一度、確認しながら、
改めたり、再考したり、今できることをやっていこう。

そろそろ、情報との付き合い、コミュニケーションも
量は少な目に、質は高いレベルで。
そして、心を込めて。

生きている限り、コミュニケーションは続くから・・・。

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小さな本、できました。

てのひらサイズにすっぽり入る本。
とてもやさしく、愛らしい。
そんな大きさの歌詞集が完成。

グラン・ルー25周年の記念事業のひとつとしての企画。
新潟でお世話になり、またずっと応援している女性編集スタッフ
オンリーの自費出版会社、「ミューズ・コーポレイト」さんから
このサイズ本を教えていただき、自分の作品をまとめてみることに。
てのひら句集・歌集 | ミューズ・コーポレーション (e-muse.jp)

グラン・ルー25年の間につくった歌詞をここに収めた。
本のタイトルは
「人生は観覧車のように~心のふるさと 愛する人たちへ~」
歌うときに耳に入ってくる歌詞と、
文字でたどる歌詞は同じものでも、違うはず。
ぜひ、この手触り感と、文字を眺める楽しさを体感いただければ・・。

早速10冊まとめてオーダーいただき、「人にプレゼントしたいので」
と言って下さる方もいて、ありがたい。
こちらの本、売り上げの半分を、ウクライナの人道支援に寄付します。
また、お買い上げいただくともれなく、京都で生まれた友禅印刷による
香りのオリジナルブックマークをプレゼント。
こちらも限定。ぜひお楽しみください。

デジタルの時代にこそ、ぬくもりのある本を・・・。
詳細はこちらから、

25周年感謝の記念出版 いよいよ完成!受付開始 | La Grande Roue (mahsa.jp)

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いない時間に慣れる。

もうすぐ母を送ってまる2年。三回忌ということになるが、
実感はあるようなないような。
不思議な時間をただ、前に進んできたという感じか。
親がいない、喧嘩をしない、夫婦喧嘩を見ない、・・・そんな生活。
今は、かつて住んでいた場所に行き、その空間に触れ、写真を見て、
在りし日の記憶を
たどる。笑顔の写真に話しかける。
そんな暮らしに慣れるための2年間だったかもしれない。
そう、いないことに慣れる。

寂しさや悲しさと向き合い、いなくても生きていく。
このことに慣れ、本当の意味で自立する2年間だったのかも。
と、過ぎてみてそう思えてくる。

人間は、不思議なことに慣れていく、忘れていく生き物だ。
だから明日に向かって生きられる一面もある。

これから3月26日に向け、思い出すことが多くなる。
ああ、この日が喧嘩した最後の日。デイサービスに送った最後の日。
救急車で運ばれた日。見舞いできないのに病院に通った日々。そして・・・。
まだまだ鮮明な思い出をかみしめながら、変わらぬ寂しさのなかに
その存在に感謝の気持ちが湧いてくる。

今日は、少し早いが目を閉じて、ありし日の親に静かに思いを
寄せたい。

いない時間がこれからも続くが、それは、目で見えないだけのこと。
心の中では見える、会える。

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警戒から、歓迎の電話へ。

知らない番号の電話の着信には注意。
この時代、悪質な電話のいたずらも増えているため、どうしても
電話の着信には注意深くなってしまう。
なんやら怪しげな電話や何度もかかってくる売り込みの番号は
出ないように設定している。
とおそらく世の多くの方が、電話には細心の注意を払って対応
されていることと思う。また、こちらから発信するときも
相手によっては警戒されてしまうので、なかなかむつかしい世の中では
ある。

そんななか、登録のない携帯電話からの着信。
あれ?この番号、以前にもかかってきていたかも?
今回は、なぜか「出てくださーい」と着信音が
声かけているような気がして、少し警戒しながら出てみる。
「もしもし・・・」(少し低めの声で・・)
すると、相手は少し高齢っぽい女性の声だ。
「もしもし~、あのー、3月13日にある岐阜新聞のコンサート、〇〇と〇〇の
二人で行きたいんですけど~」
なんと、コンサートの申し込み。まったく、面識がなさそうなお名前だ。
「あ、来週のコンサートですね。ご連絡ありがとうございます。
わかりました。では、予約入れておきますね。
で、どこでお聞きになりましたか?」
「ありがとう。近所の〇〇さんから聞いて、行ってみたいなと
思って、〇〇さんにこの携帯も教えてもらったんよ。
で、何時から?場所は柳ケ瀬の向こうの?」
「あ、そうなんですね。〇〇さんから聞いていただいたんですね。
ありがとうございます。時間は12時に開場で、12時半から開演です。
昔の市役所の少しだけ先のビルが岐阜新聞の本社です。そこです。
お分かりになりますか?」
「あ、わかったわかった、ありがとう。じゃ、伺いますんで」
と最後は、かなり打ち解け、笑顔で電話を切る。
正直、最初、警戒して出たので、今から思ったら申し訳なかった
としばし、反省。

電話。
このコミュニケーションツールの使い方も様々変化してきているが、
このように電話が唯一の連絡手段として、良き意味で出会いの場に
なることもある。
どこで自分のことを口コミしてくださって、自分の連絡先を伝言
してくださっているかわからない。
これこそが、昔ながらの口コミだ。

これからスタートする仕事も、おそらく主な連絡の手段は電話になる。
そういった意味からも、警戒する電話から、歓迎する電話に
しなければと思った。

それにしても、
「もしもし・・・」
とこのフレーズは電話特有だ。顔が見えない相手に
「申す申す」と呼びかけ、会話をはじめる挨拶。
このトーンを低くするか、高くするかで、こちらの様子も
伝えられる。

これからの「もしもし」は声のトーンを変えて、ウェルカム
モードに切り替えるとしよう。
もちろん細心の注意は怠らず。

勇気をもってかけていただいた1本の電話から、気づきや
感動をいただいた。
来週会場でお会いするのが、とても楽しみだ。

電話が実家で使えるようになったときのあの感動。
改めて思い出して、ベルさんに感謝して、
電話をハッピーに活用したい。

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コロナ卒業?

3月に入った。冬はあたたかくて良かったが、昼間はマスクをしていると
少し暑く、息苦しく感じられる季節になった。
こんなところからも、春の訪れを実感するようになった。
マスクあり生活が当たり前になって3年。

来週からその装着を個人で判断してよいということになるそうだ。
一方、高校生の卒業式では、マスクなし、あり両者あって、今後もそんな
流れでいくのだろうとも思う。

しばらく世界が止まったような、すべてがコロナが理由で社会的活動が
制限されたこの時間。この時間はもう帰ってこない。
やっと、解放されるのか…と思いながら、この3年間をしみじみと思い出す。
自分のなかでは、ほんとうに大きな変化があった。
誰にとってもそうだろう。

移動制限、リモート・・・。自分にとってはこれらはさほどマイナスにはならず、
いい面もあった。これまで当たり前であった仕事のやり方が変わったことは
良いことでもあった。世の中の見え方も変わったことも、マイナスではない。
一方、観光、サービス、人の直接の移動に係る仕事をされる方、そして医療の現場で働く
皆様におかれては、大変なご苦労の連続であった。とくに医療関係者の皆さまには
頭が下がる。

自分にとっては、このコロナ禍では、両親の旅立ちが一番大きな出来事となった。
これは一生、コロナの思い出とともに深く心に刻まれ続けていくであろう経験。
間接的な影響は計り知れなかった。そのなかで親たちがどう変化していったか・・・。
彼らの3年間を思い出すと、人生のディクレッシェンドの時間であったかなと思えてくる。
コロナが直接の理由であったら、ちゃんと送ることができなかったから、
希望どおりに送ることができたことは、まあ幸運であった。
それができなかった方のことを思うと胸が痛む。

この3年。気が付けば私たちはコロナだけに振り回されていたわけではない。
地球温暖化、そして戦争・・・。
こんなに大変なことが起きるのか・・・予測しない事態のなかで
「想定外」がつづくこの状況のなか、
手探りで生きていかねばならないことを学んだ3年。

コロナから一見解放されるような気配の今。
ああ、良かった。マスクなしで楽ちん。
だけで終わってはいけないと思う。

私自身は、実家に掲示してある2年前の3月のカレンダーを
これからも外さないで、あの時のことを忘れないように
したいと思っている。

コロナ卒業はない。また次のパンデミックが必ずやってくる。
気を抜かず、現実をしっかり見て、そして自分で判断して強く
生きていく。生きていこう。

今、このスタート地点にいることを忘れずに。

さまざまなイベント再開で華やぐ町を見ながら、うれしさと安堵とともに
なんともいえない緊張感に包まれる今。


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並んで座って・・・静かなる人生の乾杯。

あるバーの前を通ったら、「ハッピーアワー」と書いてある。
夜の時間帯であると、1杯1000円以上はするため、この時間帯ならば
ビール1杯ぐらい試してみるか。なかなか敷居が高そうではあるが、でも
気になっていた店。よし、入ってみよう。

暗い店内。カウンター越しの棚には世界のお酒がずらり。100種類どころではない
300種類ぐらいあるのでは・・・。もっとかもしれない。
バーの風景はとても好きだ。まさに、飲む美術館?でも、実は見ているだけで
十分に幸せになれる。

さて、クラフトビールをオーダーする。
あとで聴けば、Kの〇番絞りだそう。なかなかおいしい。生ビールは注ぎ方で
味が変わる。さすが、バーでいただくビール。
とひとり感動しながら、1週間の疲れを?癒していると、

「いらっしゃいませ」
70代後半か80代前半に見える、お年を召した夫婦がご来店。
バーテンダーのおもてなしが違う。きっと常連さんだ。
ボックス席も空いているが、カウンター席に。きっといつもの
席なのかもしれない。

着席されると、旦那さまが
「いつものを」
という感じで、オーダーをする。
「いつものですね」

お隣の席なので、聞こえてしまうのだがシャンパンに、クラブサンドイッチに、
なんやらマティーニに・・・。
バーでのフルコースといったオーダーぶり。
いつもの・・だそうだ。
旦那様とバーテンダーのやりとりを奥様はずっと黙って聞いている。


「かしこまりました」
それから、次々とお酒やお料理がカウンターに並ぶ。
そして、そのご夫妻、静かに乾杯・・・。

30分ぐらい、隣の席に座っていたが、その間、夫婦の会話はほとんど聴こえなかった。
もう何も話さなくてもわかりあえるのだろう。と思えるほど。

そして、何より
高齢になっても、夫婦でお気に入りのバーに行ってお酒やお料理を
楽しめるなんて、なんて素敵、幸せなことかと、思わず
理想の将来の場面を描いてしまった。

並んで座って、静かに乾杯。
お二人の人生が詰まっている時間なんだろう。
素敵な時間をしばし勝手に共有させていただき、
妄想のなかで、豊かな気持ちをいただいた。

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ねえ、春が来たよ!

つい先週までは、雪の心配をしていたぐらいなのに、3月になったとたん、春の足音が
一気に近づいてきた。というか、心の準備もできないままに、もう来てしまった!という感じ。
花屋さんの店先にも春の花々が登場し、立ち寄るのが楽しくなり、また道を歩いていて
早咲きの桜にも出会う。
写真は昔毎日通った通学路に咲く、木々の花。おそらく桜の一種。急に咲いた。青空に
とても映える。もう季節は変わったのだ。と空を仰ぐ。

毎年3月になると思い出す。これからもずっとそうだろう。
2年前の今ごろ、母は元気だった・・と。
でも、昨年の今よりは、寂しさに慣れたのか、それが当たり前になったのか、
母の存在が内在化されたのかわからないけれど、昨年よりは気持ちが軽やかだ。
お祭りも待ち遠しくなり、春の訪れを少しづつ楽しめるようになったような気もする。

「ねえ、春が来たよ」と写真を撮りながら、どことはなしに声をかける。

「ねえ、今年も、春がやってきたよ!」
と何度も言う。
朗読劇にでも入れてみたいフレーズだ。

間違いなく季節は移ろい、そして時計は回り続ける。

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永遠の「迷?」替え歌とひなまつり

今日はひなまつり。
昨日、花屋さんの店先でみつけ、紅白の桃を買ってみた。
母の旅立った3月は桃、ミモザ、そして桜。と花の季節。
まずは、桃の花を見せたいと思い、今日お墓にもっていく予定。

と、私なりのひなまつり。
実家の近所にある、演奏でお世話になっている高齢者施設でも
本日、ひなまつりのお祝いイベントがあるようだ。
おそらく全国各地の施設で企画されていることだろう。
折々の行事の準備、実施のご苦労に頭が下がる。
季節の行事は、脳の活性化にも一役買う。

そんなこんなのひなまつり。
幼稚園時代の行事の時の様子から、いろんな思い出をたどってみる。
そこで毎年思い出すのが、
大学時代の友人に送った替え歌だ。

「あかりをつけましょ、しょんぼりに♪」

と、たった4小説の替え歌であるが、
当時元気がなかったその友人に向けて、アドリブで
歌ってあげたら、たいそう喜んだだけでなく、大笑いとなり、
とても明るくなってくれた。

そのことを、ずっと忘れていたが、このブログを書き始めた頃か、
その話題にふれたとき、たまたまその投稿を見つけてくれたようで、
久しぶりに感謝とともに連絡がきて、
この「ひなまつり」が、再会のきっかけになったことを懐かしく
思い出す。
あれから、15年ほど経過しているかもしれない。
その友人は、今、どこで何をしているだろうか?
しょんぼりした時に、思い出してくれているといいけれど・・・。


今日はライブの予定はないけれど、われながら名替え歌?だと
自負している。(笑)
近々の機会では、試しにやってみようかな。
と、ぜひ全国各地で、
「きょうは楽しいひな祭り~♪」
家庭で施設で・・・盛り上がってほしい。
世代を超え、国境を越え、女子の成長と幸せを願い
また自分が女性として生まれたことに感謝して・・・。

そして、長年会えていない、この替え歌を贈った友に向けて・・
「きょうは楽しいひな祭り~♪」。



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