3月に入った。冬はあたたかくて良かったが、昼間はマスクをしていると
少し暑く、息苦しく感じられる季節になった。
こんなところからも、春の訪れを実感するようになった。
マスクあり生活が当たり前になって3年。
来週からその装着を個人で判断してよいということになるそうだ。
一方、高校生の卒業式では、マスクなし、あり両者あって、今後もそんな
流れでいくのだろうとも思う。
しばらく世界が止まったような、すべてがコロナが理由で社会的活動が
制限されたこの時間。この時間はもう帰ってこない。
やっと、解放されるのか…と思いながら、この3年間をしみじみと思い出す。
自分のなかでは、ほんとうに大きな変化があった。
誰にとってもそうだろう。
移動制限、リモート・・・。自分にとってはこれらはさほどマイナスにはならず、
いい面もあった。これまで当たり前であった仕事のやり方が変わったことは
良いことでもあった。世の中の見え方も変わったことも、マイナスではない。
一方、観光、サービス、人の直接の移動に係る仕事をされる方、そして医療の現場で働く
皆様におかれては、大変なご苦労の連続であった。とくに医療関係者の皆さまには
頭が下がる。
自分にとっては、このコロナ禍では、両親の旅立ちが一番大きな出来事となった。
これは一生、コロナの思い出とともに深く心に刻まれ続けていくであろう経験。
間接的な影響は計り知れなかった。そのなかで親たちがどう変化していったか・・・。
彼らの3年間を思い出すと、人生のディクレッシェンドの時間であったかなと思えてくる。
コロナが直接の理由であったら、ちゃんと送ることができなかったから、
希望どおりに送ることができたことは、まあ幸運であった。
それができなかった方のことを思うと胸が痛む。
この3年。気が付けば私たちはコロナだけに振り回されていたわけではない。
地球温暖化、そして戦争・・・。
こんなに大変なことが起きるのか・・・予測しない事態のなかで
「想定外」がつづくこの状況のなか、
手探りで生きていかねばならないことを学んだ3年。
コロナから一見解放されるような気配の今。
ああ、良かった。マスクなしで楽ちん。
だけで終わってはいけないと思う。
私自身は、実家に掲示してある2年前の3月のカレンダーを
これからも外さないで、あの時のことを忘れないように
したいと思っている。
コロナ卒業はない。また次のパンデミックが必ずやってくる。
気を抜かず、現実をしっかり見て、そして自分で判断して強く
生きていく。生きていこう。
今、このスタート地点にいることを忘れずに。
さまざまなイベント再開で華やぐ町を見ながら、うれしさと安堵とともに
なんともいえない緊張感に包まれる今。
コロナ卒業?
並んで座って・・・静かなる人生の乾杯。
あるバーの前を通ったら、「ハッピーアワー」と書いてある。
夜の時間帯であると、1杯1000円以上はするため、この時間帯ならば
ビール1杯ぐらい試してみるか。なかなか敷居が高そうではあるが、でも
気になっていた店。よし、入ってみよう。
暗い店内。カウンター越しの棚には世界のお酒がずらり。100種類どころではない
300種類ぐらいあるのでは・・・。もっとかもしれない。
バーの風景はとても好きだ。まさに、飲む美術館?でも、実は見ているだけで
十分に幸せになれる。
さて、クラフトビールをオーダーする。
あとで聴けば、Kの〇番絞りだそう。なかなかおいしい。生ビールは注ぎ方で
味が変わる。さすが、バーでいただくビール。
とひとり感動しながら、1週間の疲れを?癒していると、
「いらっしゃいませ」
70代後半か80代前半に見える、お年を召した夫婦がご来店。
バーテンダーのおもてなしが違う。きっと常連さんだ。
ボックス席も空いているが、カウンター席に。きっといつもの
席なのかもしれない。
着席されると、旦那さまが
「いつものを」
という感じで、オーダーをする。
「いつものですね」
お隣の席なので、聞こえてしまうのだがシャンパンに、クラブサンドイッチに、
なんやらマティーニに・・・。
バーでのフルコースといったオーダーぶり。
いつもの・・だそうだ。
旦那様とバーテンダーのやりとりを奥様はずっと黙って聞いている。
「かしこまりました」
それから、次々とお酒やお料理がカウンターに並ぶ。
そして、そのご夫妻、静かに乾杯・・・。
30分ぐらい、隣の席に座っていたが、その間、夫婦の会話はほとんど聴こえなかった。
もう何も話さなくてもわかりあえるのだろう。と思えるほど。
そして、何より
高齢になっても、夫婦でお気に入りのバーに行ってお酒やお料理を
楽しめるなんて、なんて素敵、幸せなことかと、思わず
理想の将来の場面を描いてしまった。
並んで座って、静かに乾杯。
お二人の人生が詰まっている時間なんだろう。
素敵な時間をしばし勝手に共有させていただき、
妄想のなかで、豊かな気持ちをいただいた。
ねえ、春が来たよ!
つい先週までは、雪の心配をしていたぐらいなのに、3月になったとたん、春の足音が
一気に近づいてきた。というか、心の準備もできないままに、もう来てしまった!という感じ。
花屋さんの店先にも春の花々が登場し、立ち寄るのが楽しくなり、また道を歩いていて
早咲きの桜にも出会う。
写真は昔毎日通った通学路に咲く、木々の花。おそらく桜の一種。急に咲いた。青空に
とても映える。もう季節は変わったのだ。と空を仰ぐ。
毎年3月になると思い出す。これからもずっとそうだろう。
2年前の今ごろ、母は元気だった・・と。
でも、昨年の今よりは、寂しさに慣れたのか、それが当たり前になったのか、
母の存在が内在化されたのかわからないけれど、昨年よりは気持ちが軽やかだ。
お祭りも待ち遠しくなり、春の訪れを少しづつ楽しめるようになったような気もする。
「ねえ、春が来たよ」と写真を撮りながら、どことはなしに声をかける。
「ねえ、今年も、春がやってきたよ!」
と何度も言う。
朗読劇にでも入れてみたいフレーズだ。
間違いなく季節は移ろい、そして時計は回り続ける。
永遠の「迷?」替え歌とひなまつり
今日はひなまつり。
昨日、花屋さんの店先でみつけ、紅白の桃を買ってみた。
母の旅立った3月は桃、ミモザ、そして桜。と花の季節。
まずは、桃の花を見せたいと思い、今日お墓にもっていく予定。
と、私なりのひなまつり。
実家の近所にある、演奏でお世話になっている高齢者施設でも
本日、ひなまつりのお祝いイベントがあるようだ。
おそらく全国各地の施設で企画されていることだろう。
折々の行事の準備、実施のご苦労に頭が下がる。
季節の行事は、脳の活性化にも一役買う。
そんなこんなのひなまつり。
幼稚園時代の行事の時の様子から、いろんな思い出をたどってみる。
そこで毎年思い出すのが、
大学時代の友人に送った替え歌だ。
「あかりをつけましょ、しょんぼりに♪」
と、たった4小説の替え歌であるが、
当時元気がなかったその友人に向けて、アドリブで
歌ってあげたら、たいそう喜んだだけでなく、大笑いとなり、
とても明るくなってくれた。
そのことを、ずっと忘れていたが、このブログを書き始めた頃か、
その話題にふれたとき、たまたまその投稿を見つけてくれたようで、
久しぶりに感謝とともに連絡がきて、
この「ひなまつり」が、再会のきっかけになったことを懐かしく
思い出す。
あれから、15年ほど経過しているかもしれない。
その友人は、今、どこで何をしているだろうか?
しょんぼりした時に、思い出してくれているといいけれど・・・。
今日はライブの予定はないけれど、われながら名替え歌?だと
自負している。(笑)
近々の機会では、試しにやってみようかな。
と、ぜひ全国各地で、
「きょうは楽しいひな祭り~♪」
家庭で施設で・・・盛り上がってほしい。
世代を超え、国境を越え、女子の成長と幸せを願い
また自分が女性として生まれたことに感謝して・・・。
そして、長年会えていない、この替え歌を贈った友に向けて・・
「きょうは楽しいひな祭り~♪」。
何事も、終わりよければ。
3月だ。もう卒業式もはじまったようだ。
マスクを外しての記念撮影も可能となり、以前の春の光景が
戻りつつある。
卒業は学生さんだけではなく、社会人も。
定年される皆さんは、会社からの卒業である。
どんな終わり方をするのがいいのか。
私は定年のない人生を選択したため、この節目はないまま
年をとっていくが、定年を迎える選択をした人において、
この卒業は人生のなかで、もっとも大きな節目となるだろう。
長年つとめてきた職場の中では、肩書があり、それがあっての
自分であったかもしれない。
その肩書がなくなる瞬間から、周囲の見る目や扱いが変わる場合も
ある。
と、いろんなことを考えながら大人の卒業準備は大切である。
そして、卒業後の準備をしながら、残された日々を精一杯
今の役割をまっとうする。
最後の最後まで仕事をして、そして最終日にきれいに終わる。
終わりよければ、すべてよし。
せっかくゴールが近づいてきているのに、手前でこけないように。
信頼は人につく。
最後まで、周囲に理解される仕事をして、卒業式に臨む。
悔いのない会社人生、仕事人生をうまく締める秘訣は
その終わり方にあると思う今日この頃。
感謝と謙虚のままのカーテンコール。
会社人生のみならず、人生自体も同じこと。
最後の最後の瞬間まで、終わりよければ、になるように心がけたい、
「愛」と「感謝」があれば。
同じ名前のMASAKOさん。漢字は雅子さんであるから、より雅びな
女性らしいMASAKOさんである。
でも、話をすればするほど、共感ポイントが多いことがうれしく、
気が付けば、大変親しくさせていただいている。
MASAKOさんが親の介護をするために、横浜からふるさとに戻られたのが
もう数年前。
還暦からの挑戦であると、実家を改造して、カフェを開業。
お母さまや旦那さんのお世話をされながら、お店をきりもり。
料理のうまさと、卓越したコミュニケーション力で常連さんを
増やした。
しばらくして旦那さんが亡くなり、そして、お母さまも亡くなったとの知らせに
自分も親を亡くした同じ状況であったため、励ましのメッセージを送り続けた。
そして、5月5日は創業記念日だから、何かしたい・・。
じゃあ、55だから、GOGOということで、やると決めたらやろう!
お店でコンサートはどうかしら??なんて話していた矢先・・。
その実家が火事になってしまい、ご本人は一命をとりとめたものの
そのGOGOのコンサートができなくなってしまった・・と連絡があったのは
約1年前のこと。
ほんとうに、ほんとうに驚き、どうしたらいいのかとその時の動揺ぶりを
今もしっかり覚えている。
それから、何度もやりとりをして、再び戻ってこられた横浜で再会を果たし、
そして1年経って「1年間ほんとうにお疲れ様でした」の気持ちを伝えたく、
初めて一緒に食事をした。
もし自分が彼女と同じ経験をしたら、生きていけるだろうか。
ずっとそんな風に思っていた。
MASAKOさんは、1年の間にすっかりお元気に、これまでどおりと変わらずで
仕事も始められ、新しい暮らしをエンジョイされている様子がわかった。
「とにかく、多くの人に励ましていただいて、心配していただいて。
おかげで今日があるんですね。モノがなくても、愛があれば、生きていける
とつくづく思った1年でした」
モノにとらわれがちの日常であるが、もしモノがなくても、思い出はある。
周囲の応援や気持ち、やさしさに触れることで、モノ豊かな日々よりも、
心豊かな自分になれる・・・とのこと。
大変な経験をされてきたMASAKOさんのことを、たくましいな~と
心から改めて敬意を表し、楽しいひとときに感謝して、駅で別れる。
お互い、見えなくなるまで手を振って・・・。
本当にご無事でそして、今もお元気で、ほんとうに良かった。
愛があれば、生きられる。
ほんとうにそのとおり。
思って下さる方の気持ちを大切に。感謝を忘れず
さあ、今日から3月。年度末の仕上げをしよう。
愛があれば!!何でもできると信じて・・・。
戦争より怖い「差別」「区別」
今、ジャーナリズムの入り口について、少しだけを勉強を続けているが、戦争と
報道というテーマからさらに一歩進んで、戦争より恐ろしい「アパルトヘイト」
について、現地取材され、記録に残したジャーナリストの取り組みを知り、
これまた大変ショックを受けた。
今、現実に起こっているウクライナへの侵略戦争だけでも十分の衝撃である
のに、戦争というのはある意味単純な構図で、人種差別政策の方が根が深く、
深刻であるという。
日本にいるとアフリカ世界のことを知る機会は少ないが、
ヨーロッパ列強時代、今、ロシアのことを攻めている各国も、当時は
侵略戦争を繰り返し、アフリカを植民地にしてきたのだ。
時代変われば、場所変われば、今、善人ぶっている人・国も
ひどいことをしてきたもんだ・・・。
歴史とは、権力が欲しい人間の欲望が生む悲劇の繰り返しなのか・・
と思ってしまう。
戦争は絶対良くない。罪なき尊いいのちを無駄になくしてはいけない。
と同時に、差別も区別もいけない。
この差別・区別から生まれる蔑視や無関心が、犯罪に発展することも多い。
南アフリカでの差別は、アメリカで今尚、続いている。
その現実と、ウクライナで起きていること。
もちろん、一度に大量に人のいのちを奪う戦争は、絶対に良くないが、
差別で人を殺めることも、絶対にあってはならない。
戦争はある期間がすぎたら、終わる。(今回のも早く終わってほしい)
しかし、差別や個別は、それぞれの心の根っこにあるものだから、
期間がエンドレスかもしれない。
その人が心を入れ替えない限り、その差別行為は続くのだ。
西側世界に目を向けるだけでなく、アフリカの悲劇をもっと学ぼう。
ふと、小学生のときに合唱団で歌った、黒人霊歌「深い河」の
メロディーが浮かんできて、胸が苦しくなる。
権力を手にする人、手にしたい人。
その対極にそれとは無関係に、虐げられていく人。
この両者がこの世の中に生きている。
とにかく、人を大切にしよう、感謝しよう。
すべてはそこからだ。
その人にとっての「今日」を思う。
2月も終盤。本当に時は流れていく。流されないように1日1日を大切に
しっかり歩みたいと思う朝。
毎日、その日が始まるとその1日をイメージする。
どんな1日にしようか?
自分にとっての1日を思い描く。
一方、今日お会いする人たちにとっての「今日」を想像する。
その人にとって、自分に会う、自分と接する時間はどんなイメージだろうか?
楽しみにしてくれている人も、面倒だなと思っている人も、何も考えていない人も
いろんなケースがあるだろう。
一度に多くの人に会う時には。なかなかその一人一人に気持ちを向ける余裕は
もてないかもしれないが、でも、できる限り、一人一人のことを想像したい。
その人にとって、共有する1時間が、「よかった」というひとときになれば、
貴重な時間をいただく意味がある。
自分にとっての「今日」は、相手にとって素敵な時間であってこそ、はじめて
輝くことができる。
コミュニケーションは常に双方向だから・・・。
出会いの時間を大切に重ねていくことで、信頼は育まれる。
やはり人生はミルフィーユのよう。
そして、人生は観覧車のようになるように。
今日お会いする人たちのことを、思い浮かべ元気に出発したい。
もっと世界に目を。
日本赤十字というと、献血のイメージが強いかもしれない。
母が元気な頃は、いろんな奉仕活動に出かけていたことを
残っている何枚かの写真で知る。
さらに、このたびのウクライナ侵攻の被害者に対してできること
を探していたら、日本赤十字社の情報にたどり着いた。
それ以外のルートもいろいろあるが、自分なりに納得して
この方法を選び、ここに寄付を続けている。
少しの寄付をするだけで、さまざまな情報が提供される。
広報活動も積極的だ。活動を知らせ、応援してくれる人をひとりでも増やしたい、
一円も多くの寄付を集めたいということだろう。
このたび、日本赤十字社が行っている世界救援の情報がDMでも届く。
そこには、ウクライナだけでなく、パキスタンの洪水、トンガの噴火、
バングラデュ南部の避難民、さらに中東人道危機救援として、パレスチナの
医療支援、レバノンの水・衛生環境改善事業、アフガニスタン人道危機救援、
アフガニスタン地震救援・・・といった救援メニューが紹介されており驚く。
世界ではこんなにも多くの天災、人災で困っている人たちがいるのだ・・・。
ここにトルコの地震も加わるだろう。
どれもそういえば、ニュースで少し聞いたことがあったような・・・、そういえば
サイトにもも掲載されていたが、ウクライナのことで頭がいっぱいで
あまり認識、学習していなかったことに対し、恥ずかしくなる。
情報量によって、寄付金も集まるのだろが、それぞれのメニューに各地から
気持ちが寄せられているようだ。
それぞれの気持ちが、それぞれの支援につながっている。
戦争、天災・・・。
別の組織では、アフリカの貧しい子供たちを救援するプログラムもある。
また、環境保全のための支援プログラムもある。
どれを救援する、支援するかはそれぞれの選択によるが、
こんなに多くの問題が常にあるということ。
早く何も救援しなくていい世界になるようになるように。
そんな日が来るように心から願い、自分ができることをやる。
そして、今、救援されなくても自立して生きていられることに
感謝したい。
世界をもっと知らなくちゃ。まだまだ、まったく・・・だ。
涙を分け合えるか。
昨日は、ウクライナの人々のこの1年の様子を見聞きする場面が多かった。
1年だから、のこの節目は現地の人々からすれば、どんな思いだろう。
こんな記念日はなければよかったと思う、そんな日だろう。
さまざまな被害を被った方々の叫びや、涙・・・。自分だったらと思うと
胸が締め付けられる思いだ。
常識では考えられない無残、悲惨な状況が、この世の中に本当に存在する
のだ。人間は恐ろしい。血も涙もない人間がこの世に存在するのだ。
人の価値観とは、こんなにも生き育った環境や教育によって異なり、
血なまぐさい歴史がその価値観によからぬ影響を与えることが、
本当にあるのだということに恐怖を感じる今日この頃。
歴史は、過去のさまざまな時代の憎しみや哀しみをずっと引きずり続けるのだ。
そして、歴史は権力者によって塗り替えられていくものでもあるのだ。
と学びたくないことも、知らされた。
この1年ほど、権力、武力、そしてプロパガンダの恐怖を感じたことはなかった。
世界はひとつ。といった人がいたが、今は違うと思う。
連帯と分断。連帯より分断。連帯は敵に対しての連帯であるから、結局は分断に
加担することになる。
この流れは、戦いを止めることはできない。
と、そんな気がしておらず、今世界で起きていることの多くのことが悲しく、
また各国のリーダーたちの選択、言動も果たして?と思うことが多い。
本当のリーダーは、対局を越えなければならない。もっと俯瞰して、世界を
まとめていかねばならないが・・。
メルケルさんだったら、どうしただろうか?と思ったりする・・・。
話は変わる。
確定申告の時期であり、今年も税理士にいろいろお世話になっているが、
「昨年の3月に、ウクライナ大使館に寄付されているようですが、これは控除の
対象になりませんが、いいですか?」
と、1本のメールが入る。
ああ、昨年戦争が始まって何かできないかと、とりあえずそうしたということを
思い出した。その後、日本赤十字社からもウクライナの人道支援に向け送る
ことができると知り、今はそちらを利用している。それは控除の対象になるそうだが
まあ、それはどちらでも、どうでもいいことだ。
小さなことしかできないが、CDや本の売り上げ、これから本格稼働する
「よりそいコンサート」での演奏費用を、戦争が終わるまでではなく、それ
以後も続けていこうと思っている。ウクライナの皆さんの涙を見ていると
これっぽっち・・・という気持ちになるが、自分としてはその涙が少しでも
少なくなればと思っている。
昨年春以降、自分の活動の場でお伝えし、今日までに84000円を日本赤十字社
を通じ、ウクライナの人道支援に送らせていただくことができ、本当にありがたい。
ご協力いただいた皆さま、本当にありがとうございます。
これからも地道に続けていきたい。ぜひ応援いただけたら、ありがたい。
困っている人たちの涙を少なくして、笑顔が戻るように。
本当に昨日は、いろんな映像に触れて、ますますそんな気持ちが強くなった。
人は、涙を分け合うことができる。そう信じて・・・。