発想から数年。一歩一歩、育つ歓び。

写真は開店前の誰もいないときに撮影したものであるが、このアート作品が楽しめる新しい店が原宿表参道にオープンした。
障がい者アートをもっと町に!をスローガンに作品のレンタル事業をスタートするというチャレンジングな経営者に新潟で出会い、そこから数年。この活動を新潟から東京へと広げる活動をお手伝いしてきた。
とくに、SDGsに積極的に取り組む企業にこの取り組みを提案し、コラボがはじまり・・・コロナ禍を乗り越え、今回のアートギャラリー的な店舗の開店につながった。思えば長い道のりでもあり、あっという間の数年であった。

障がい者アートがもっと町に!そして障害を持つ人ももたない人も、一緒に暮らせる共生の社会を目指して、関係者が、皆同じ気持ちで取り組んできた。
私は関係者のつなぎ目、結び目。やったことのないことをやる!試行錯誤の繰り返し。そして、気が付けば、スタッフと一緒に走り続けていた。

短期間のレンタルではなく、長期にわたるまさに、店内空間の一部として存在感を見せるアート。
作家さんたち、そしてご家族はお店でこの作品をご覧になったら、この空間に立たれたら、どんなに喜ばれることだろうか。そして、創作活動が単なる趣味ではなく、社会に役立つお仕事になる・・・。なんて素敵なことだろうか。

ふとしたきっかけから、こうしたい こうなったらいい。という思いが広がり、
事業も発展し、関係もより深くなっていく。
コラボを思いつき、実現させることの歓びを改めて実感するとともに、
続けながら、お互いに育っていくことのすばらしさも感じている。
協力があってこそ、活動が生まれ、育っていく。一人の力ではなく、みんなの
力というところが、大切だ。

ぜひ、原宿を若い人たちにも、素敵な空間でのひとときを楽しんでいただきたい。
今、素敵なクリスマスプレゼントをいただいた気持ちになっている。

こちらの店舗の詳細は、https://www.mos.co.jp/company/pr_pdf/pr_211209_1.pdf

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喪中はがきコミュニケーション。

喪中はがきというのは、考え方によってはその取扱いが難しい。
訃報を知れば、知らぬふりもできず、何か気を遣わせてしまうのではとか
余計なことを考え、でも、お知らせせず、年賀状も届かないことで
ご無礼なことになるから・・・。
これまでも、お世話になった方が亡くなったと、そのご家族からハガキが届くと
何らかの返信をし、お会いしたことのない先様に、お悔やみの気持ちを届ける
ことはあった。

と、これまでは、受け取ることしかなかったこのハガキ、今年は、人生初の喪中はがきを出すことになった。

届いた直後から、いろんな反応があり、正直驚く。
お手紙が届く、メールが届く、宅急便が届く、いきなり携帯へ電話もかかって
くる。「これで、お花を供えてください」との郵便も届く。
とっさに行動された方、思わず筆をとられた方・・・。
皆さま本当にそれぞれにご心配いただき、また両親の冥福を祈ってくださる。
喪中はがきの反応のほとんどが、親と面識がない方だ。

ある方からは、ピアノの絵柄が入った紫色のかわいらしいクッキー缶が届いた。
中に入っていた手紙によると、親と私の共通の思い出はピアノだから、何かないかと探していたらそれをみつけたから・・ということだそうで、
添えられていた手紙を読んだら、思わず泣けてきた。

どれもこれも、本当にありがたいお言葉、お気持ちで、
今回の親のことに際し、いかに皆さんが優しい気持ちで、接してくださっているるかということがじんわりと沁みてくる。

喪中はがき1枚でそこから新たなコミュニケーションがはじまることもあり、
改めて、その相手の懐の深さを知るきっかけにもなる。

このように、この1週間、とても幸せな、心あたたまる
ありがたい時間を過ごさせていただいている。

「このハガキ、いい匂いしますね~。私も紫好きなんですわ~」
ちょっとしたことで、新たな関係がはじまる。

そこはかとない悲しみは、これらの優しさによって、生きる力に昇華されて
いく。



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後で、語られる思い出の人に。

人生。
終わったあと、残された人同士での交流が始まる。
話題がある、思い出が多い人ほど、その人生は幸せだったのだと
改めて思う。
両親のことでお世話になった方々へのお礼、ご挨拶などが続いているが
口々に、生前の思い出について話してくださる方が多い。
「いつも、元気に自転車で走ってみえて、すぐわかった。どこに
  いてもすぐわかる人だった」
「一緒に旅行に行った思い出がたくさんで、本当に懐かしい」
「口は悪いけど、職人としての手先は最高だった。あの器用さが
 昌子さんのピアノの指先に受け継がれているのかもしれんね」
「よく、柳ケ瀬に飲みに行った。無礼講だった。酒を飲んだら
 よく話していたなあ。ほんとうによく飲んだわ」
「仕事が終わってから、毎日名古屋までレッスンの迎えに行って
 おられたこと、お父さんは一言も話されなかった」
「いやー、ほんとうに立派な人だったよ。」
などなど、最近聞いた話の一部であるが、この会話の断片から、自分が知らなかった親の素顔が見えてきて、改めてその存在に感謝の念が生まれる。

亡くなったあと、語られる人になること。
思い出になる人。
そうなるためには・・・。

最近、そんなことを考え、道々で空を見上げながら、親の笑い声を
思い出している。

それにしても、思い出が多すぎる人たち。
そして、皆さんに愛された人たち。
これからも心に生き続けることだろう。
両親と関わりをもってくださった全ての方に、心からの感謝を込めて。

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親世代の友達急増中。

母が亡くなってから、生前親しくして頂いた方々との交流を
切らさないように心がけている。
母がいなくて寂しいと思ってくださる方、とくに家族のように
仲良くしていただいた方たちには、何かあれば声をかけたり
差し入れをしたりしている。
まるで、母がその方にしてきたことの一部を継承している
という感じだ。
「あ、おばさん、お元気?
 ちょっと長崎からカステラ送ってきたので、食べます?」
「あ、おばちゃん、今いいですか?
 弟さん日本酒飲まれる?いやー、新潟からお酒たくさん送って
きたから、飲まれるならもっていこうと思って」
と、こんな感じだ。

よく考えたら、このおばちゃんたちは、ほとんどが私の同級生の親。
親の友達とは、まさに、子育てしながら 半世紀以上のおつきあいを
してきた関係。子どもの成長とともに、子育て仲間から友人へ発展。
助け合い、支え合う関係になってきた。
そんなことで、母の旅立ち後、
同級生のお母さまに、なぜか、私が親しくさせていただいている。

母の交友関係は大切にしたい。
母の代わりに、おばちゃんたちには元気に長生きしてほしい。
「あ、よかったら、ご飯食べにいこうか」
と思わず誘われ、誰の友達?と思えてくるほど、ちょっとボケも
入っているかもしれないが、微笑ましく、ありがたい。

母の存在、思い出を媒介として、新たなお友達が増えつつある。
そして、このようなやりとりをするなかで、おばちゃんたちは
母を忘れず、そして元気にいてくださる。
「お母さんの代わりはできないけど、たまに声かけさせて
もらいますね」
そんな風にお伝えしている今日このごろ。

本当に思議なことではあるが、
母がいなくなったあと、1年前まで想像もしなかった、
こんな新たな関係が生まれつつある。

「お願いだから、お母さんの分まで元気に長生きしてね」
別れる時には、いつもそんな言葉をかけている。

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GIFTFULな人生。

日々、日常生活を送りながら、親の残したてんこもりのモノを確認、処分しはじめている。
親の人生を、モノから辿る時間にもなっている。

トラック1杯や2杯では終わらない膨大な荷物について、目を通しながら、処分するしないを即時判断し、業者の方に手伝ってもらう。
この何か月か両親の荷物に向き合っているが、母の荷物が圧倒的に多い。
最初はモノの多さにうんざりしていたが、それを通り越して、今は修行のごとく、仕分けをしている。自分がやらねば終わらない。
最初は面倒だ、嫌だと思っていたが、今は亡き母が遺したものは、彼女が遺した人生を私なりに振り返る時間になり、あっという間に時がすぎる。

私や妹の成長の記録、通知表や卒業証書、さまざまな手紙、旅のリーフレットなど印刷物、そして写真の数々・・・。そして食器・衣類に雑貨、書類、カセットテープ・・・・。
さらに、人にあげるためのお土産類、そして人様からいただいた寝装品や雑貨、キッチンウェア・・・・さまざまなギフト品、そしていただいたものの包装紙や、紙袋・・・。
とにかく旅を楽しみ、その楽しみを人にお土産でおすそ分けしながら、そして、自らもいろんな福をいただく・・・。

ギフトを贈り、いただく。

そんな人生だったのだろうと、遺品整理をしながら、思えてくる。
何十年前のギフト品は、さすがに今は使えないものばかりであるが、その当時の日本のギフト市場の様子も見えて、現在との違いもわかって、勉強にもなる。
大きな寝装品や重いキッチンウェアが喜ばれた時代。大きいことはいいことだの
時代。婚礼から葬礼ギフト・・・。
パーソナルギフトは高度経済成長後に伸びた産業で、今もそれは日常化している。
また日本人には特有のギフト文化がある。
形は違えど、今もその心は生きているかもしれない。

ギフトのGIVE&TAKEを繰り返した母の人生。
そこから、ありがたい人とのご縁も多く育まれたことだと思う。
そうそう、とれたての野菜をいつももらっていたが、これもありがたい贈り物だ。

GIFTFULな人生。母はやっぱり、幸せな人生を送ったと思う。
遺された多くの昔のギフト品は、海外の人々に利用いただけるよう業者の方にお願いしている。使っていただければ、母も喜ぶだろう。最後までギフトだ。

まだまだ修行は続くが、発見や気づきが多く、人生に何度もできる経験ではない。そう思って、楽しみながら、疲れることにしよう。

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こつこつの再会。お幸せに。

日頃お世話になり、年賀状などいただく方へ、やっと出し始めた喪中はがき。
受け取られた方から、さまざまに声をお寄せいただく。ありがたい限り。
そんななか、父の納骨を無事済ますことができた。
一足先に旅立った母が待つ地元のお墓。お寺さんのご協力を得て、妹と一緒に
お墓の中に、父のお骨を入れる。そのとき、先に納めた母のお骨がちらり見える。
「あの白いのは、お母さんのですかなあ。まだ新しいお骨ですから。」
「お骨って、色変わってくるんですね」
「時間とともに、土に戻っていかれます」
「へえ、そんなんだ~」
そんな会話をやりとりしながら、お骨を納める。
そのあと、読経をいただき、合掌しながら両親の久しぶりの再会に、想いを寄せる。1年前までは想像もしなかった場面ではあるが。

納骨後、妹と、「さ、行こうか。どこにする?」
岐阜の風習にのっとって、地元の喫茶店に行き、モーニングコーヒーをいただく。両親とよく行ったお店だ。
「お父さん、タバコ吸ってたから、あっちの喫煙席に座っていたね」
ちょっとうるっときそうになりながら、妹と笑って思い出話をする。

喪中はがきにも書かせていただいたとおり、
幸せな旅立ちを願い、送る。
本当に両親に感謝をささげる1年となった。

やりきった感の安堵と、そしてなんともいえない余韻を珈琲とともに
味わう。
二人の葬儀の日と同じく、晴天のもと、
無事に送れてよかった、よかった。
お骨になってしまったけれど、無事再会できて、良かったね。
永遠の旅に出かけた二人は、
きっと空から私たちをずっと見守り続けてくれるだろう。

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やっと、会えるね。

今日は、父の納骨日。
四十九日がすぎ、まだ落ち着かない状態ではあるが、
母が待っているだろうと、あまり間をおかないことにした。
約半年前に旅立った母を、追いかけた父。。
本当についていったんだ。母が呼んだんだ。
「あんた、何やっとんの、はよ、こっち。こっちで待っとるで」
父の末期の眠りの日々には、きっとそんな母の言葉を夢うつつで
聞きながら、そのままその言葉に応えて、旅立ったのだろう。

いろんな場面を思い出すと、信じられないことがあるまま、
父と母の再会こそが、一番の供養であると勝手に思っている。
良かったね。また会えるね。二人で仲良くね。喧嘩もしていいよ。

寒いなか、あたたかい気持ちで、妹と一緒にこの節目の時間を
大切に見守りたい。
父へ。良かったね。やっと会えるね。
母へ。良かったね。やっと会えるね。
今日は、誕生日にいただいた花を添えて、感謝の意を込め、1日をはじめる。

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わが人生、プロセス第一。

生きていれば、いろんなことがある。
仕事でも、プライベートでも。

例えば、仕事で、自分が考えた、ひらめいたアイデアを実現させようと
努力しても、結果そうならないこともある。
自分だけの力ではどうにもならない、
そして何事も相手があってのことだから、
自分が思うように、いつも物事が進むわけではない。
とくに、間接的なコミュニケーションのなかでは、うまくいくことは難しい。
なんでも自分の耳で聴き、自分の口で伝える。
自分で考えたことは、本来はそうありたいが、そういうケースばかりでもない。

そんなこんなで、結果うまくいかないことがある場合は、瞬間くやしいが
すぐ頭を切り替えて、協力いただいた方にきちんと報告し、御礼を伝える。
結果を伝えながら、自分の力が及ばなかったと伝える。
すると、相手も「自分の力が及ばなかった」と言ってくれる。
お互い同じ気持ちであることに安堵を感じる。
一緒に同じゴールを目指したのだから、お互いに結果を共有し、また次に向かう。チャンスを一度逃しても、この経験から、新たな気づきもある。

何事も、そのときはうまくいかなくても、一生懸命にやったのであれば、
悔いはないし、その経験から得たことはたくさんあるはず。
結果よりプロセスが大切なことも多い。
そして、そのプロセスがもっと大きな愛をもたらしてくれることもある。

だから、わが人生には、失敗はない。
成功と失敗。人生はこの二軸だけではないと思っている。
その過程が大切。どこを向いて、どうやったか。何を積み上げたか。
プロセス第一で、これからもいきたい。

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コロナに負けず・・とびきり笑顔

「いまおさーん、会えてうれしい!!」画面から飛び出そうな勢いで
笑顔で挨拶をしてくださるカフェオーナー。
久しぶりの再会。もう3年ほど経っているかもしれない。
その間、コロナもあり、なかなかのご無沙汰であった。

先日突然
「ディナーショーは今年はやらないんですか?
愛の賛歌とピアノが聴きたいです」とメールをくださってから、
それがきっかけで、ZOOMでの再会面談となった。

コロナでも、もともと人も雇っていないし、家賃も
いらない環境で店をやっているから、コロナの影響は
少なかったとのこと。
そして、開店後3年、5年と時間が経って、自信もついて
お店の経営にも「自分はコレ」と言う世界が見えてきたと
おっしゃるたくましさ。

5年の間に、旦那さまが闘病の末、亡くなり、でも悲しみを乗り越えて
営業を続けた。そしてコロナにも負けず・・・。

「死ぬまでこの仕事をします!
フライパンがもてなくなっても、コーヒーぐらい運べますよね。」

そんな日は来ないだろうと思うほどに、すこぶる元気だ。

この12月22日から、5周年の1年間。いっぱいGOGOの発想でいくという。
来年早めに、会いに行こうと思う。そしてこのGOGOに相乗りしよう。

生涯仕事をすると決めている人は、元気いっぱい。
生きている限り、それを目指したい。
彼女の名前もMASAKOさん。彼女はフライパン、私はピアノ。
とびっきりの笑顔で!今日も
「いらっしゃいませ!」の1日がはじまる。

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乙女のてくてくコミュニケーション。

久しぶりに会った友人。1時間ほどお茶を飲みながら、話したあと、
カフェの前で別れるつもりであったが、
「一緒に歩いていくわ」
と、四条烏丸から京都駅まで一緒に歩くことになった。
何年ぶりかの再会でもあり、まだ話し足りないこともあったのかも
しれない。
人と一緒に歩くということは、家族以外とはあまりしないが、
自然とそういう流れになった。

話しながら歩くということは、不思議な感覚。
足も動くが、口も耳も動く。ある意味、全身運動だ。
「歩くの、速いね」「そうかな」
言葉を返し、東京時代に鍛えられたかも。そう思いながら、てくてくと進む。
「今日は15000歩ぐらいになるかな」
「いつも、6000歩は歩いてるで~」
「ええこっちゃ。歩けるのは幸せなこと」
黙って歩くのではなく、歩きながら話す。

いくつかの信号を渡り、気が付くと京都タワーが間近になる。
「なんだか、早いな。すぐ着いてしまった」
もっと、歩けたのに・・・という感じの名残惜しさ。

「じゃ、また。元気でね。介護、おつかれさん」
友人は、そこから地下鉄と阪急に乗って、帰るといった。
わざわざ、話すため、そして運動のために、一緒に歩いてくれた
冬の夕暮れ。
いい健康コミュニケーションになった。
また彼女とのいい思い出が一つ、増えた。
顔を見て話すのも良いが、一緒に前を見て歩きながらもいい。

てくてく、ぺちゃくちゃ。
いつまでも、元気でいてほしい。
いつまでも、乙女の心の元気なおばちゃんで。

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