誰のために生きるか?

この1週間をふりかえってもいろんなことがあった。
と、しみじみ・・・。
日替わりドラマ。チャンネルも多数
考えようによっては、大変面白いわが人生。

そのなかで、今も余韻が残っている人たち。その顔、表情。
デイサービスで演奏したときの、利用者さんたちである。
自分が発する言葉、歌う曲を聴き洩らさないようにと、
一生懸命に目を開き、耳を澄ましてくださっている。
まさに、今生きているという証しを見せていただいている
ようだった。

一緒に歌ったり、手拍子したり、体を揺らしたり・・・。
1時間ほどの演奏後、皆さんは見違えるように、いきいき
元気、笑顔いっぱいの表情になっている。

「先生の演奏、楽しみにしておりました。私のいきがい
です」
「やっと聴けました。うれしい、本当に幸せ。あの歌
(オリジナル曲)の歌詞もらっていいですか。日記に
貼りたいので」
という言葉から、
「お母さん、元気?ならばよかったわ・・・。」
というもう慣れた言葉も・・・。

明日になれば忘れているかもしれないけれど、
今、この瞬間を幸せ、楽しいと思っていただけている
ならば、それでいい。それはそれで立派な仕事だ。
と心から思う。

帰り路、桜咲く道を通りながら、施設の責任者との
会話。
「みなさん、お元気に長生きしてほしいね。来年も
この桜を見てもらえるように」
「そうね。長生きかあ。私は、長生きはまあ、いい
かな」
「マーサさんが長生きしないと 皆さん長生きでき
なくなるから、頑張って長生きしてもらわないと」
と言われる。

明日も元気に生きたいと願う人のお役に立つならば、
自分も元気にいなければ。

誰のために生きるのか。

自分の思いを受け取り、今日も明日も元気に生きて
くださる方のために。
自分を思ってくれている人のために。

誰のため、何のために生きるのか。

正解は難しいけれど、自分のこと、自分の行動言動に
何かを得てくださる方がいるならば、
まあ、生きている意味はあるか。
その答えはわからない。探しながら、生きる。
生きる限り、その目的を探し求めるのだろう。

両親はじめ、懐かしい人々の笑顔が、今朝も浮かん
でくる。

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終活お手伝いします。

さまざまな天災、人災だけでなく、予測できないことが
連発し続ける今日。そのことも踏まえ、気が付いたら
早めに自らの最期の準備をしていくのが良さそうだ。
10年ほど前にもそんなことを思って、専門家に一度相談に
いったものの、その窓口の先生の対応もあって、難しそう、
面倒くさいと思い、放置してきた。

しかし、改めて今のうちに。と思うことが最近増えてきて、
以前、相続手続きでお世話になった司法書士を訪ね、今後
自分が人に迷惑をかけずに、一生を終えるようにするために
必要なことを聞きに行った。

子どもがいない自分の終活。

子どもがいた親は、ある意味幸せであった。
子どもがなんとかしてくれた。
子どもがいる、いないは自由と孤独の違いとも言えるが
人生の終わりへの向かい方が違うのだと改めて知る。
ここは、自業自得であり、責任をもって終えなければならない。

絶対に周囲に迷惑をかけないようにできるかどうかは
わからないが、できる限り、できることは先にやっておく。

「終活、お手伝いします。
まずは、遺言を書いてくださいね。」

ここからはじまる終活。
早ければ早い方がよさそうだ。

今度こそ、後回しにしないように。
人生の終わりに向き合うのは、
なんとも言えないものだけど、避けては通れない。

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蘇った美音。永遠の宝。

久しぶりにグランドピアノの調律をしていただいた。
やろう、やろうと思っていたが、なかなか時間がとれず。
前回から2年ほど経ってしまった。
いつもお願いしている調律師さんは、地元で40年活躍する
この道のプロ。公共施設のピアノの調律も、この方の手に
よるものが多い。
「へえ、あそこのスタインウェイもですか?」
という感じで、その方が調律されたピアノは、自宅以外
でもお世話になってきたお馴染みの調律師さん。

さて、マイピアノ。
近所にチャリティコンサートをやりに行っている間に、
お願いした。
外出から戻ったら、作業が終わり、鍵盤の掃除をされて
いた。
「いい音出ていますね。」
ピアノがわかる方から、このピアノの良さを聴くのは
とてもうれしい。
改めて、このピアノはすでに発売されていない品番でも
あり、一生もの。いや、未来に受け継いでいくべき楽器
なのだと身が引き締まる。

一方、ずっと弾いていないアップライトのピアノ。
こちらを見ていただく。
「あ、音が下がってますね。」
やはり長年調律しないと、弾かなくても音が劣化して
いくのだ。
こちらもお宝であるから、次はこっちも調律しよう。

調律師さんは、なんと中学校の後輩であることが発覚!
お互い、地元出身でこんな仕事、生き方をしている人が
いるんだ~と刺激を交換、そしてお互い応援したくなる。

お帰りになったあと、早速、調律仕立てのピアノを弾く。
ああ、いい音。調律前とは格段に違う。いや、別物だ。
伸びと艶がある、美しい音が蘇った。
ほんとうに調律とはすごい技術だ。

楽器を永遠に使えるようにする、ピアノに命を吹き込む
音のマジシャンだ。

高級車とよく比較されてきたピアノ。
ピアノは大切に使えば、家より長持ちする。

大切にしていなかった30年の反省を込めて、
改めて、両親に感謝しながら、鍵盤に触れる。

永遠の宝。重量400キロ。引っ越しは難しい
相棒。このマイピアノに寄り添い、どう生きて
いくのかを改めて考える。

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負のスパイラルからの脱出

人はそれぞれの環境、事情のなかで、家族や仲間やご縁ある
人と関係を育みながら生きている。
人それぞれ生きる世界は異なる。
へえ、こんな生き方をしているんだ。と自分以外の人の生き方を
聞いて、驚くこともあり、学びもある。
それぞれ悩みを抱いていることもある。

ひとりで悩んでいると、どんどん視野が狭くなったり、
ネガティブな方向に進んでしまい、気が付いたら、社会生活が
できなくなる。と、そんなときもあるかもしれない。
悩みがあったり、つらいことがあるとき、
仕事があると気分転換にもなる。

以前、親の旅立ちで精神的にしんどかったとき、仕事があって
とても救われた。普段以上に仕事をがんばれた。それで
自分の中のバランスをとった。
あの時のことを思う。
仕事がなかったら、元気に生き続けることができなかったかも
しれない。

自分の世界を切り替えるためにも、違う視点をみつけるためにも
大きな視座をもつためにも、仕事や趣味など、いろんな生き場を
もっていると良いと思う。

自分の場合は、日々の仕事。そして音楽活動などなど。
いろんな場面を使い分けて、プラスのスパイラルに向かうよう
気が付けば、そのように生きている。

なんでそんなことで悩んでいたんだろう。
ひとたび、陥った世界から抜け出すと、気分が楽になる。
そのきっかけをつくれるのは、人との会話、人への相談。
信頼できる人がいれば、話を聞いてくれたり、アドバイス
をくれたりもする。

人はそれぞれ生きる道が違えど、理解したり、共感すること
はできる。
代わりに生きてあげることはできない。
その人ががんばるしかない。
その人を応援することはできる。

負のスパイラルにかけるパワーをプラスに!
下を向いている人には、
上を向いて歩こう!と一緒に空を見上げたい。

生き続けることは、しんどいこともあるけれど、
前向きでいたら、道は開ける。
いつか、今日の苦しみのおかげで・・と思える日も
来ると信じて!

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待ってる人がいるところへ。

年に何度か演奏に出かけている実家近くのデイサービス。
4周年を迎えられてのお祝いに、今回も呼んでいただき
コンサートを行う。
デイサービスなど高齢者施設での演奏は、何ともいえない
特別感がある。
認知症の方もいらっしゃるのと、そうでなくても記憶が
おぼろげになっていくので、毎回新鮮!なのだ。
昨年も同じイベントに出た人でも、今回が初めてのような
感動を受ける方もおられる。だからといって、決して
手抜きはしない。
今、この瞬間で最高の感動をしていただき、
「今日はいい日だった!」と思ってほしいから。
ちょっとした行事が、非日常となって生活にメリハリが
生まれ、余韻となって生きる歓びにつながることもある。

この施設は地元の方のご利用も多く、両親を知る人も
多いため、より一層思いも募る。
父母を覚えていてくださる方がいる限り、ここに来ると
親に会えるような気もする。
何度も何度も同じ言葉をかけていただいても、毎回
新鮮に受けとめる。
相手を思う気持ち、人生に寄り添う気持ち。
いろんな学びもいただきながら、こちらも演奏と
トークを楽しませていただく。

「待ってました~」この声をいただくだけで、よかった
と思えてくる。
地元の方への恩返しを、親が与えてくれた演奏の力
で実践できることは、本当にありがたい。

いろんな世界で仕事をする。活動をする。
人生、それだけじゃないんだ。
人生、いろいろあれど・・・。
と、見えてくる真実がある。

待っててくれる人のもとに。
さあ、今日はどちらへ。

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覚えていますか?初任給。

今日から新たな年度がはじまる。
初めての職場、新たな職場に向かう人、
新たな仲間を受け入れる人・・・。
双方にとって、緊張も入り混じった新しい朝を迎える。

さて自分が社会人になった時のことを思い出す。
新入社員として迎え入れられた40年前の今日。
ちょっと慣れないスーツを着て、出社した。
面接でもお会いした会社の偉い人(役員さん)たちとの
記念撮影。まだあの写真は残っているはず。
もうその上司たちとはお会いできないのが残念・・・。
本当にお世話になったなと感謝の念が湧いてくる。

さて、私の初任給は12万3000円だった。
今も忘れない。給料まで123。誕生日と同じ数字だと、
何ともラッキーだと思ったことも懐かしい。

今どきの新入社員はこの二倍以上貰う人もいるそうで、
なんともびっくり。
まだ自分は役に立っていないのに、給料をいただくわけだ。
いいのかな。と思った気持ちも懐かしい。
会社は自分に投資をしてくれているわけだ。
そのことも忘れずに。

今日は長年働いてきた人も、初めて出社した日を
思い出してみるといいかも。
よく働き続けてきたなと自分を褒めてあげたい
そんな気持ちにもなり、
働くことに慣れてはいけない。とも感ずるかも。
常に初心を忘れず。見えない世界を知る歓び、学びを
大切に。

日本中の新入社員のみなさんへ、エールを送りたい。
もちろん迎え入れる先輩たちにも!


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最終日も気持ちよく!

本日3月31日。年度末である。
とくに公務員の方にとっては、異動は毎年恒例の一大イベント。
会って引継ぎなく、資料だけで後任に引き継ぐ。
以前から、この引継ぎ力は凄いと感心していたが。
まさに、今日がその準備に追われる日。夕方には完了して、
明日から新しい職場に。
年末年始は正月休みがあるが、年度末は切れ目なく終わり、
始まるので、ちょっとあわただしい。

昨日のうちに、転勤のご挨拶メールをいただいた。
勤め先が変わるということで、明日から違う会社に出社される
とのこと。ご一緒させていただいた様々な場面が浮かんでくる。
コロナ時代はきつかったですね。その間いろいろ相談にのって
もらって、ありがとうございました。
そんなメッセージをいただき、出会いとは有難いものだと
改めてかみしめる。

今日で定年退職という方もおられる。
明日から違う人生が始まる方もいらっしゃる。

それぞれの春に向けて、今日は準備の最終日。

引継ぎも、気持ちの整理もしっかり済ませ、気持ちよく今年度
を終えたい。

年度末と新年度。
1日違いで、組織は大きく変わる。

悔いのない最終日を。
異動されるみなさん、今日でご卒業のみなさん、
これまでお疲れ様でした。
心からの感謝とエールをこめて。

桜が見送り、歓迎してくれる。

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最後の会話は永遠に。

この季節になると、普段以上に母とのことを思い出す。
とくに、最後に会い、会話を交わしたときのこと。
母が乗ったデイサービスの送迎車に手を振ったのが
最後だった。

母が遺した言葉は、
「けんかせんといかんから、長生きせなあかんな」
「誰と?けんかする?」
「まさこさんと」

それまで大きな声で言い合っていた母が、そんな言葉
を口にして、
「はらへった」
といい、自分が作ってもってきたおにぎりを食べた。

それが二人で交わした最後の会話。

この情景は、どんな名作よりも、私の人生のクライマックス
の一コマでありつづける。
そして、思い出すと胸がいっぱいになる。

さて、日ごろ、言葉を文字をいっぱい使って
コミュニケーションをとり、仕事をし、暮らしているが、
どの会話、やりとりが最後になるのかわからない。
そのことを心にとめ、発する言葉を大切に紡がねばと
思う。

できれば、相手にとって「快」な言葉を届けたい。

そう心がけると、もっと優しくなれるのかもしれない。

いつ、どこで最後になるかわからないから、
その一言を大切にしたい。
受け取った言葉は、永遠になる。

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世界を広げてもらえるならば。

企業で働く社員さんとの面談をさせていただく機会が多い。
研修をさせていただいた方のアフターフォローという名目が
多いが、経営者からは、
「普段と違う世界を見せてやってほしい」とリクエストを
いただく。
毎日家から会社に来て、同じ場所で仕事をして、
そんなに人とも会話もなく・・という現場で働く人
に非日常の時間をもたせたい、刺激を与えたいとのこと。

私ごときにそんなことができるのか?と思っているが、
それでも、その機会を楽しみにされている方もいる。
また、実際、
いつも同じメンバーと話していると同じ内容の会話しか
できないので、私と話すと普段考えないことが
浮かんだりするし、いろんな確認や相談
もできて良いそうだ。
そんなこんなで 人によっては時間オーバー
になることも多い。

仕事の悩みがあれば、その相談
ももちろんのり、完璧に解決できることばかり
ではないし、私の力だけでは力不足であるが、
それでも皆さんよく話してくださる。
人の話を聞けるというのは、私の世界が広がる
瞬間でもある。

世代を越えて、地域を越えて、
こんな対話コミュニケーションの仕事を
させていただき、とても楽しい。
もちろんそこで終わらない。
みなさんから出た課題を解決することが
目的だから。

まずは世界を広げてもらう
きっかけに、そしてもっと成長しようと
思ってもらうきっかけになっていれば、うれしい。

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そして、また日は昇る。

出口のないトンネルはない。
と尊敬する台湾の経営者が言われていたことを
思い出すことがある。
ちょっと苦しいときに、そうだ、そうだ。
という感じに。

そして、「それでも日は昇る」という言葉を
時々思い出すこともある。
どこかの歌詞にあったのか、映画のタイトルか、
セリフか・・・は忘れたが。

どんなにつらく、もやもやした夜を過ごして
も、何事もなかったように夜が明ける。
新しい1日がやってくるのだ。
やってこない日はない。

日が昇り、やがて暮れる。
このサイクルを毎日、毎日繰り返して
生きている。一生続ける、続く。
そのサイクルのなかで、生きて、そして息絶える。
なんと、ちっぽけな存在である自分か。

だから、どんな困難も大げさに考えず、
できることを精一杯にやる。
気が付けば、必ず、解決に向かう。
新しい朝がやってくる。

毎日、新しい朝を迎えることができるのだ。
同じ日は二度とないのだ。
なんと、素晴らしいこと!

さあ、今日もまた日が昇りはじめた。
この新しい1日を思う存分、生きたい。

毎日そんな風に生きられたら、
感じる幸せも倍増するに違いない!

自分次第で、すべてが変わる。
人のせいではなく、自分から。

明けない夜はない、
必ず、日は昇る。


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