仕事で出会う人とも、親しくなりたい。その方がうまくいく。
とはいえ、とくに仕事での出会いでは、すぐにうちとけることは
難しいこともあるが、
ちょっとした工夫や演出で、親しくなることもある。
たとえば・・最近の打ち合わせには、ちょっとした駄菓子の類を
持参することが多い。
高いものでなく、昔ながらの安価なもの。
本当に10円や20円のものでも、相手かまわずもっていくこと
がある。珍しい、懐かしい点がポイントである。
これ、喜ぶかなあ。うけるかなあ。笑ってくれるかな~。
と想像しながら、こっそり出発前にバッグに忍ばせる。
「今日は何がいいかな~」という具合に相手の顔を浮かべ
手荷物点検だ。
実際、それを挨拶代わりに渡すと、相手の方は、ちょっと驚かれる。
「わあ、懐かしいわ~」「これ、まだあるの?」
「そうなんです。実は地元でつくっているんです」
と、そんな会話に。
一気に目じりが垂れたりして、そのあとの本題の会話がスムーズに
運ぶなんてことも少なくない。
その商品の高いか安いかではなく、気持ちが通うことが
大切だ。
相手が喜ぶこと、相手が好きなもの、そして共通の話題づくり。
ここから、相手との距離感は変わってくる。
この前お会いした方は、ビスケットのチョイスとかマリーとか、
あるいは、名古屋を代表する駄菓子?しるこサンドなど
昭和の懐かしき菓子類にとても反応され、そんな駄菓子のひとつふたつを
差し出すだけで、ほんとうに子どものように喜んでくれた。
まあ、永遠の「隣のおばちゃん・おねえちゃんマーサ」を
このまま突き進むだろうから
このお菓子作戦は、まずまずいい感じだ。
好きなものが共通していると、人は自然と心を開くものだ。
共通しているものが多ければ多いほど、さらに親しくなる。
ちょっとしたきっかけで、人は違う顔を見せてくれる。
仕事はもちろん本気でがんばっているけれど、その合間に
見せてもらえるあどけない笑顔。
みんな。昔は少年少女だったのだ~。
と、駄菓子のおかげでそんな時間も楽しんでいる。
相手が喜ぶ小さなこと。
永遠のにいがた。
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越後湯沢から浦佐を抜け、長岡へ向かう車窓。
トンネルを抜けるとそこは雪国であった・・・の言葉どおり、暗闇から急に現れる銀世界にはっと目が覚める。久しぶりの新潟の冬景色。そうそう、これこれ!と、新潟の冬の感動がよみがえる。地面が、空がキラキラ輝いているのだ。
夏には広々と広がる、色鮮やかな緑の田んぼが実に美しく、収穫の季節が楽しみになるが、雪化粧を施したこの真っ白な世界も、夏に劣らず美しい。
そういえば、上越新幹線で新潟と東京を往復し続けた十八年の歳月。毎年年度末が近づくと、いつか新潟出張も終わってしまうのか、この景色が見られなくなる日も来るのか・・と心配したこともあったがそんな心配も今は懐かしい。
私にとって、新潟との縁が切れることはない。上越新幹線に乗る最後の日など、想像しなくても良い。頻度は減っても、仲間が多く住み、はたらくこの越後の大地を忘れることはない。
久しぶりに銀世界を目の当たりにして、雪は人に厳しく憎いときもあるが、きれいで最高の存在であることを思い出した。
雪。ゆきどけの前に、再会できてよかった。
ちょっとしたことが大したこと。
日々、自信をもって元気に頑張り続けることは、なかなかむつかしい。
いろんな試練が次々と訪れるから。
人生とはつくづく小さな山あり、谷あり。または人生は観覧車のように ではなく
時にジェットコースターに乗っているような気分になることもあり、
なかなか順調満帆にとは、いかないものだ。
そんななか、ちょっとしたことで、パワーを得て、がんばれるきっかけ
を得ることがある。
それは、感謝の言葉をいただいたり、共感の思いを寄せていただいたり
あるいは、認められたい相手に評価してもらえたときなど。
たとえば週末こんなことがあった。
文筆専業の方から、自分が書いたある文章について
「相変わらず適格で、人の心に届く文章を書かれますね。・・・・
感銘を受けました」というメッセージをいただき、とてもとてもうれしく
何度も何度も読み返した。
そうなんだ、そういってもらえるんだ。よし、この調子でがんばろう!
小さな評価、賞賛の言葉で背中を押されて、元気に再スタートできる。
ちょっとしたことのように思えるが、それが最大の自分を動かすエネルギー
となる。
この繰り返し、積み重ねで力をつける。
今週も、どんな「ちょっとしたこと」に出会えるだろうか。
そのために、まっすぐ取り組みたい。
知って生きるか、知らずに生きるか。
数年来、継続的に受講している大学の講座がまた始まった。
講師は、尊敬し応援しているジャーナリストの横村出さん。
4回で完結するプログラムであり、またコロナのおかげ?で
オンラインで受講することができるようになり、大変ありがたい。
テーマや内容はもちろんであるが、講師の仕事への向き合い方も
勉強になり、知識を得るだけでなく、自分自身にとって毎回
大変、大きな学びになっている。
日頃、自分が接する世界とは違う世界で活躍されている方、そして
豊富な取材経験がある方からの生きた情報を得られることは、
大変貴重で、刺激的である。
そして、人に伝える仕事をする上で、伝え方についても参考
になることが多い。
さて、今回学んでいるのは、戦争とジャーナリズム。
まさに今の世界情勢のなかで、報道とはどうあるべきか、伝える
とはどういうことか?、目の前の現実をどうとらえ、何を発信す
るのか?人々の心に刻むのか。
戦争について綴った作家たちの作品から考え方、そのメッセージ
を事例として、学び生かすというものだ。
今回、もっとも衝撃的だったのは、今ウクライナの情勢に接し、
こんなことが起きてよいのかと驚く日々であるが、
実はこれは1960年代に起きたベトナム戦争と重なるという
話。大国が自国の覇権争いのために、小国を舞台に世界を巻き
込んでいる。どこの大国が仕掛けているかの違いではあるが、
結局、過去の教訓は、反省され世界平和のために生かされるのではなく、
大国たちの覇権争いに利用されているという見方。
恥ずかしい話、ベトナム戦争のことは正直、自分が幼いときの、
しかも外国の戦争であり、ほとんど知らないで育った。
それは日本に、自分に関係ないと思っていた。
一方、ウクライナのことはこの情報社会のなか、操作され続けながらも
日々、世界中から情報は入ってくるため、自分にとっては現実の世界。
それが、数十年前の悲劇とつながっているとは・・・。
さらに今回のウクライナ戦争では、情報化の加速、テクノロジーの進化で
事態はエスカレートし、恐ろしい結末を想像してしまうほどだ。
人間は同じ過ちを繰り返している。
・・と、このことを知ることはショックである。
物事を知ると、自分の中の世界が、世界観が広がる。
この世界のなかでどう生きていけばよいかに
ついて、俯瞰して考えるようになる。
でも、不安や懸念はつきまとい、楽しいばかりではいられない。
一方、何も知らなければ、また違う生き方になる。
学ぶということは楽しいだけなく、苦しいこともある。
しかし、知るということは間違いなく自分の成長につながり、
生き方にプラスの影響を与え、ときに新たな道を示してくれる。
だから、私はこれからも、知ることを止めず、動くことを止めず、
前に進み続けたい。
知るべきか、知らないで生きるべきか。
もちろん内容次第。
その選択は自分次第。
自分にとっては、生きるとは学ぶこと。
ウクライナを思い・・。
電気代の請求を見るのが怖い夏と冬。
でも、今年はそんなもんじゃなさそうだ。
オール電化にしているご家庭での電気代は本当に恐ろしく、悲鳴が聞こえてくる。
また企業にとっても、電気含めたエネルギーや原材料の価格高騰による業績への影響は
過去最大の、厳しい状況になりそうだ。
先行き不透明な2023年の時間が進む。
それでも、節分といえば恵方巻、バレンタインといえばご褒美チョコ・・・。
とデパートは花盛り、厳しいくらしとはうらはらに、
3年のコロナ禍からにわか解放され、
楽しく平和なイベントを満喫する、わがニッポン国の様相・・・。
いつの世も、仕事や環境に不満があったり、悩みがある人もいるが、
目の前に戦車が来て、生きたまま轢かれて亡くなってしまう人がいたり、
突然ミサイルが飛んできて、長年住んできた住まいも町も崩壊する事態に
直面、その恐怖におびえる寒い日々を過ごしている、ウクライナのことを
思うと、日本のこの平和な状態が特別なことのように思えてくる。
こんなことしていていいのか、こんなに平和でいいのかな・・・。
と、町を歩きながら、自身の日々を思いながらそんなことを思う。
世界で起きていることは、他人事ではない。
全部つながっている。
覚悟をもって生きなければならない。
SDGsとか言っている前に、この戦争をやめさせなければ、
とてもじゃないが、サステナビリティな社会には向かっていないのでは。
世界の未来に向かっての素晴らしいはずの取り組みは、
空々しく、むなしい別世界の話に思えてしまう。
毎日、ウクライナのことを想像する。
いや、行ったこともないし、知人もいないため、想像には限界がある。
でも、思い描くことで、このままではいけない、今自分ができることをしなければ
と思い続けることができる。
「ウクライナの人のこと思ったら、幸せだよ。だから、感謝して
がんばるしかないよね。あれを思ったらなんでもできるよ」
こんな言葉を最近、よく口にしている。
とにかく少しでもできることをやろう。
無関係、無関心は避けたい。
と、こんなことを思い描ける平和なこの朝に、改めて感謝したい。
想定外が想定内になった。
昨今、まず話題になるのは、電気料金の値上げ。
その影響も含め、生活用品の値上げ、値上げ・・。どこまでいくのか。
東日本大震災のときに味わった、これまでにない感覚、不安、恐怖感を
今、思い出すことが多い。
これから一体どうなるんだろう?と被災地の皆さんはもちろんのこと、
周囲にいる人もそう感じ、歳月をかけ、復旧につとめ、今日にたどりついた。
まだまだ大変であり、その傷跡は消えることはないが、あのときから、
「想定外」は存在するということを学んだ。
最近は想定外の連続である。
マヒするほどに、いろんなことが起きても、驚きがあっても、
そうなんだ。そうなるんだ。
と衝撃や驚きはあるものの、静かに受け留めるようになってきている。
想定外も想定内。
そりゃ、こんなことになれば、こんなことも起きるだろう。
と、現実の厳しさを受け入れざるを得ない状況にあると思っている。
あわてず、ひるまず。
こんな状況で、どうするか?まず何をするのか?
人のせいにしたり、何かを待っているだけではなく、
自分で考えて、行動を変えていくしかない。
エネルギーの心配は大きい。
だから、なるべく使わないようにする。
その意識と行動。
ドイツでは、東日本大震災、原発の事故を教訓に、
国全体で行動を変えてきたそうだ。
だから、このウクライナ危機でのエネルギー対策も
他国に比して、うまくいっているようだ。
ひとつの経験から、先を読んで早く行動する。
想定外は、想定内なのだと、実際に考え、動き始めること。
結局はこの実践こそが、生き残る道であると思えてならない。
電気代の高騰で驚き、ショックを受けているだけでは
進まないので、そんな状況でもどう生き延びるのか。
まずはスマホの使い過ぎの見直しからでも良い。
充電できることを当たり前と思わないことから、かもしれない。
想定外は想定内。
これは、決してうれしいことではないが、
そう考えざるを得ない世の中になっているのだ。
「チャオ」が似合う友。
ナポリが登場する、世界のまちあるき番組を見ていたら
十数年以上前に、何度か足を運んだあの街並みが思い出され
懐かしくて思わず、当時そこで出会った現地ガイド、通訳の友人に
久しぶりのメールをした。
もうずっと会えていない。どうしているだろうか。
コロナ禍で苦労も多かったことだろう・・。
そんな思いをしたため、こちらの近況も記す。
イタリア時間の夕方に、返事が届いた。
元気そうではあるが、
いやはや、コロナで仕事は大変な状況のようだ。
コロナで観光客相手の仕事がなくなってしまい、
今も戻っていないようだ。
ビジネス関連の仕事はあれど、観光客相手の仕事は
さっぱりとのこと。
確かに自分もこの3年余り、全然海外に行かなくなっている。
同じように海外渡航を控える人が多くなっているだろうから、
その影響の大変さは目に浮かぶ。
観光の仕事は、京都をはじめとする日本でも大変であったが、
日本人を迎える海外に住む人にとっても同じく、大変なことだ。
いや、日本人観光客だけを海外で待つという方が大変かもしれない。
今さら日本に帰っても仕事がないから、まだ少しは仕事がある
イタリアに今はい続けるけれど、それもなくなったら、日本に帰るかも?
と、近況と心情を返信してくれた友。
彼女が何十年もナポリに住み続けて、がんばっていることに
30代の頃から敬意を表し、またその生き方にずっと共感していた。
だから、彼女の人生をずっと応援したいと、今改めて思う。
ああ、彼女が案内してくれたナポリの旧市街に、
そしてカンツォーネを歌いながら歩いた、ナポリ湾のほとりに
またぜひ!絶対行かなくちゃ。
あそこに行くと、曲が浮かぶ。
そう、サンタルチアをテーマにつくった楽曲もある。
「チャオ!」と笑顔で別れたあの日が、今もくっきり脳裏に
焼き付いている。
どうぞ、お元気で!絶対会いに行く!
みんなの〇〇
誰かの母親になることもなく生きてきた。
そして、わが人生はとっくに、旅の終点に向かって折り返している。
これでいいと思っているので、それはそれとして、
数年お会いしていない、親しくしてきた年下の友人からこんなメールが届いた。
年賀状を見て、今年が25周年ということを知ってくださってのメッセージだ。
「マーサさんのお仕事は、誰かを応援したいという気持ちが根底にあると
私は認識しています。少なくとも25年間そのお仕事を続けてこられ、
私もその応援を受けている一人だということが嬉しいです。
日本国内はもちろん、きっと世界中に老若男女、私の兄弟みたいな人がいて、
さながら、マーサさんは皆のお母ちゃん的な存在なんだろうなと思いました。
(個人の感想です)
これからも、どうぞ優しく見守って頂けると幸いです。」
という内容だ。
へえ、親子ほど年が変わらない、妹のような存在の人に、かあちゃん!と言われた。
思わず、笑みがこぼれた。そうなんや~。
うれしく思うと同時に、
以前、自分のことを「みんなの先生」と言ってくださった方がいたことを
懐かしく思い出した
新潟で広報の勉強会を長年させていただき、多くの企業さんと接していた時代。
ある受講生の企業の方がそんな風に言って下さっていたことを・・・。
その方もご自身が学校の先生をされていたから、先生という言葉に馴染みがあった
のかもしれない。
みんなの母ちゃん、みんなの先生、みんなのおねえちゃん、みんなのマーサ。
なんでもいい。
みんなのというところが、とてもとてもうれしい。
そんなうれしい気持ちで2月が始まった。
12分の2か月目。カレンダーもめくって、さあ、元気に笑顔でスタート!
現状の延長にはない明日。
コロナから3年。マスクを外せる日も近そうな動き
もあるが、安心はできない。
環境に慣れていく、環境と共生していく。
そのようにして人類は長い歴史を歩んできたし、
自らが得た経験を活かし、学びながら、生き続けてきた。
それが人間の逞しさでもある。
でも、努力をしないと生き残ることは難しい。
あとで、「ああ、あんな時代もあったね。」
と笑って振り返ることができるように、今がふんばりどき。
業種業界によっては、コロナ前までには戻らないものの、
回復傾向にあるケースもあるが、そうはいかないで
苦しい状況のまま、足踏みしている場合も多い。
加えて、戦争の影響で以前と同じ計算式ではビジネスが
成り立たない。
今本当にがんばらなければ、明日はない。
そのうちよくなる。きっとよくなる。
と希望的観測だけでは、良くならない。
現状の延長に未来が来るとは、ちょっと思えないからだ。
だから、自分で現状分析をしながら、まずは自分の未来が来るために
生き延びるために、自分がやりきる生き方に変えていかねば
と思う。
同じことを繰り返しているだけでは、変わらない。
昨日得たことを今日すぐ生かす。ひとつひとつの行動の
スピードを上げる。すべて他人事ではなく、自分ごとにして
いかねばならない。
危機感が本気の行動に変わる。
本気とは、集中とスピード。知恵と行動。
とにかく現状の延長に、明日はない。
今、そんな状況だと、改めて自らにもそう言い聞かせる。
これまでにない危機感をもって日々を過ごされている経営者と
かかわりながら、自分ができることを、今一度考える。
とにかく、現状の延長に明日はない。
明日は、自分がつくるしかない。
特技を生かして差別化。
春に向けて、勝負に出ようとされている方のサポートが始まった。
選挙は「キャンペーン」というが、まさにその人自身が商品であり、
その商品の価値をどうアピールするかにかかっている。
勝つためには、コミュニケーションの力が絶対に必要。
どれだけ多くの発信、また受信をして、有権者の心をつかむか、
投票日まで記憶しておいていただき、そのまま投票してもらえるか。
私は第一印象から、ステップごとの発信について、全方位で
俯瞰しながら、その戦略戦術を考える。
(普段は、戦略・戦術と戦争用語は使いたくないが、こと選挙の場合は
その言葉が似合う気がするので、やむなく・・
それにしても、なぜ出馬というのだろう。これまたいかにもという用語である。)
ライバルと比べて、どこが違うか、個性か、特徴か。
強みをしっかり把握して、それが生かされるように工夫する。
もし、特技があれば、それもうまく生かすようにする。
他の人にはできないちょっとしたことが、差別化になることもある。
同じ土俵で戦うのではなく、あえて、違う自分が輝くステージを作る。
それをどうすると効果があるかについて、その人を観察しながら考える。
昨年末、はじめて担当したキャンペーン(選挙)の広報アドバイス。
今回も前回の経験がとても役立ちそうだ。
純粋に世の中を、地域社会をよくしたいと立ち上がる、でもいわゆる
業界のバックグラウンドがない方たちを後ろからしっかりサポートしたい。
やる以上は、勝ってほしい。かかわった以上、絶対に笑顔の結果が
出るようにしたい。
自分が商品という仕事。まさに自分もそうである。
いかに特技を生かして、差別化するか。
人のお世話をさせていただき、わが道にも生かしていきたい。