ひとつになろう。

今、年度末でどちらの企業も追い込みに忙しい。
そして、その着地を見ながら、経営者は次の期の進路について、
考えをまとめ、社員に発信すべく準備中である。
戦争によるエネルギー供給の不足、原材料価格の高騰や今後の不透明感、
それによる人々の不安感など、マイナスの要因が多くある今日、
組織の舵取りは、本当に厳しく難しいといえる。
それでも、企業は前に進み、仕事を生み、業績を上げ、そして従業員に
還元できなくてはいけない。

それを実現するための経営側のご苦労は並大抵ではない。
ベースアップをする企業、それは無理であっても、一時的に何らかの
補助を行う企業。この施策ひとつとっても、ほんとうに大変なこと。
従業員のことを常に考え、できる手をうつ。やりくりをする。
その気持ちや行動を、働く人たちにもぜひ理解していただきたいと
思う今日この頃。

新年度にどんなメッセージを発するか。
経営者の言葉は重要だ。しっかり従業員全員の心に沁み、行動に
活かされなければならない。
毎年度、何名かの経営者の言葉を拝見するが、その時々の背景により、状況に
よりどんどん変化する。でも変わらない部分がある。
今、とくに気になるのは、企業ではたらく人たちの一体感。ひとつになる。
つながるということだ。
これは、実は一企業だけでなく、地域も同じだ。コミュニティひとつひとつ
を存続させるには、そのつながりが、結びつきが不可欠。
それぞれが助け合い、一緒に問題解決をしていく時代。
デジタル時代で、さまざまな諸事情による分断が進む世の中だからこそ、
今こそ意識して、ひとつになろう!という呼びかけは大切だ。

隣はする人ぞ。自分は自分、ではなく、みんなでよくなろう。
みんなでがんばろう。自分は組織を担う大切な一部であるという意識が
不可欠である。当たり前といえば当たり前のことであるが、希薄にならないように
今改めて、気持ちを引き締める必要がある。

今週で今年度も終わる。
いい締めができ、新たな出発へ。
経営者たちは、いつも前を向いて走る。
その勇気と決断にエールを送りながら、自分ができるサポートをしていきたい。

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ローリングしてる?

ローリング(回転)・・といえば、まずは回転寿司。昨今のさまざまな事件から、あの回転ベルトには寿司が回らず、POPが回っているというケースも多いが、ちょっと奇妙な光景ではある。ま、何かがぐるぐる回るだけでも一人でカウンターに座っている分には飽きないが、電気代が気になる。回るPOPを見て、注文する人はもちろんいるのでそれなりの効果はあるのだろう。個人的には「回転寿司」という発想は、食にエンタメ性を盛り込んだもので、本当によく考えてあると思っている。なんとかこの業態もがんばってほしいと応援!

そこから派生して、回転といえば・・という話題。最近、「ローリングストック」という考え方が広がりつつある。直訳すれば、在庫を回すということだろう。
私個人は防災食の専門家の知人から昨年あたりこれからの災害食の動きとして、教えていただいた。災害が増え続ける今日、「いざというときの食事」を、日常の食事の延長の行為として考え、日頃から長期保存できる食品を少し多めに用意し、寝かせておくのではなく、こまめにそれらを食しながら、いざというときの食事を体感し、非常時にあわてないように日頃から備えようというもの。
もはや、乾パンを買って特別に長期保存しておけば安心!という時代ではない。
これからも頻繁に起こるであろう災害に対して、もっと柔軟に対応し、日常生活から防災を意識していこうという考え方は、とても自然であり、理にかなっている。
そして、これならできそうであるし、無駄のない食事を見直す良い機会でもある。

20年前に大きな地震で甚大なる被害を被った新潟県が自らの経験と教訓から、この考え方を県内から全国へ広めていこうということでこの3月から「ローリングストックキャンペーン」をスタートした。https://niigatabousai.jp/news/news-2582

3月11日前後をひとつの区切りとしてスタートしたこの企画は、期間限定ではなく、これからさらに広がり、日常の活動になるように盛り上がっていくとのこと。そうであってほしい企画だ。すでに大手の小売り店ではこの考え方を推し進めており、国レベルでの啓蒙活動も
スタートしている。

ということで、親しい知人が熱心に取り組んでいるこのローリングストック。
私も公私ともに応援をしていこうと思っている。
そこで、我が家のフードストック状況。
仕事柄、いろんな商品を調査企画のためにサンプルとして買っておくことが多い。
とくに缶詰やレトルト品は、関心も高いため、わが家にはいろんな商品がある。
しかし、ローリング(回転)せず、ずっと寝かせてある状態で、賞味期限切れになることも
実は少なくない。そのこと自体忘れていることも・・・。
先日、家で「ローリングストックって知ってる?」と少し自慢げに話したら、
「まずは、家にある缶詰やレトルト食品、とっとと食べてくれ!ずっと在庫されてるよ」
と言われた。
そう、まずは買い置きしたものを早めに食べきる、そこから新たなストック、いやローリング
ストックを。

何でもローリング!回転といえば、まさに観覧車もそうだった。

さあ、できることから、いざ!を考え、実行するとしよう。

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人生初!感謝の折り込みチラシ

折り込みチラシについては、企業さん向けの仕事の際に、その必要性や
効果的な活用 について、提案やアドバイスなどしたことはあったが、
自分自身が活用したことはなかった。
個人向けの商材があるわけではないため、また地域的なターゲットを
想定する仕事でもないため、折り込みチラシは直接自分には関係ないと
思っていた・・。
が、今回、新たなコミュニケーションサービス「出張・出前コンサート」の
企画をして、これから広報活動をしていこうと思ったこのタイミング。
チラシに母の写真も入れたこともあり、さらに命日が近いので、せっかくなので
その当日に、地元の皆様にご挨拶とお礼をかねて、折り込みを
やってみよう!とのアイデアが、突如浮かんだ。

やったことがないことは、即挑戦!
ということで、地元の新聞販売店を調べ、(その結果、対象地域には
3店舗あることがわかった)そこにチラシを送り込んだり、持ち込んだ
りすることに・・・。
約4500件ほどの、地元で新聞を購読されているお宅に届く。
これで、親が生前お世話になった多くの方に、節目のご挨拶代わりに
なれば・・・との勝手な妄想。

すぐに反応がなくても、一斉に地元の皆さんに、改めての親の生前の
お礼と、その後も元気にやっているということも知ってもらえたら
それでいい。自己満足な話ではあるが、まあ良いタイミングだろう。

新聞店さんも、積極的に応援してくださった。
デジタル社会になり、新聞の購読率は減ってはいるが、地方で
中高年となるとまだ新聞購読率は高いため、ターゲットが
マッチすれば効果的なツールである。

ということで、ドキドキ・・・。
すぐアクションが来るような内容ではないし、私自身が地元から
長年離れていたため、おつきあいはほとんどないため、即反応は
期待せず。ただ、そのご家族やご近所で少しでも会話のネタになれば
と思っている。
新聞を開いたとき、写真で目を惹き、見て読んで、思い出していただ
けたら・・・。

今回やってみて、新聞店の実態も少しわかったが、皆さんポスティング
含め、チラシサービスには意欲的なこともわかった。
地方の新聞折り込みはかなり安価で、活用の仕方によってはかなり
効果的なツールになる。エリア×シニアマーケティングにはまだまだ
有効かもしれない。
まだ、結果はわからないけれども、この反応でさらなる気づきを得たい
との思いもある。

ちょっと変わった三回忌になったが、自分らしい発想で実行でき、
しかも、なかなか刺激的であった。
母もにこにこ喜んでくれていると思っている。

すると、なぜか母の姉妹らしき人たちが登場する夢を見た。
この企画と何か関係があるのかも?
グラン・ルー おかげさまで25周年 感謝の事業 のお知らせ | La Grande Roue (mahsa.jp)

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感謝を伝え、思いを奏でる記念日。

本日3月26日は、母の旅立ち記念日だ。まる2年が経った。
当時から今日までのこと、思い出せば長いような、短いような。
最初は何かをこらえるように気を張って、気合を入れて、
踏ん張ってきたような。と同時に、大きな仕事を終えて、
気が抜け、心のなかにぽっかりできてしまった空洞を埋めるように、
より忙しくしてきたような・・・。
うまく言い表せないまま、時間が経った。
なんとかすべきことは乗り越えたし、また姿が見えない暮らしにも
慣れてきた。とはいえ、思い出せば・・・という気持ちは変わらない
ので、うまくコントロールしながら生きることに慣れてきたという
のが正しいのかもしれない。

今日、墓に持参する花は、やっぱり紫の花たち。
紫のカーネーションにトルコ桔梗に、カスミソウに・・・。
葬儀の日も、紫の花で会場をまとめていただいたことを思い出した。

親がいなくなっても、残った子たちは、生きていくもんだ。
そのことはよくわかった。
親なしの人生はありえないと思っていたが、なんとか生きられる。
本能なのか、毎日毎日、ちゃんと生きている。

でも、元気に生きてきてはいるけれど、
時間が経つにつれ、増してくるものがある。
それは、感謝の気持ちと寂しさ。
もしかしたら、この二つの感情は表裏一体なのかもしれない。

これはずっと消えずに、つながったまま私の中に存在し続けるだろう。
ありがとうね・・。
今日も語りかける。そして、与え残してくれたピアノに向かい、
母への気持ちを音でなぞってみるとしよう。

そんな、敏子さんをしのぶ記念日。
感情が絡み合ったまま、生きていく。

ありがとうね!
雨が心の涙を流してくれることだろう。

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上を向いて、前を向いて。

人間観察をする時間はとても貴重だ。
電車のなかでは、動くことができないため、自然とそういう時間になる。
バスよりも、電車の中の方が多くの人が利用し、見渡せるため観察しがいがある。
ひと昔前までであれば、車内にいるときは、読書するか、寝るか、もしくは
上を向いて中刷りポスターなどよく見たものだ。
最近はその出稿数も減っているのだろう、広告がどこの車両でも減ってきている。
人の目線は、上ではなく下に向かっている。まあ、だから広告も需要がなくなってきているのだろう。
9割以上の人が、ずっと手元を見ている。スマホである。この光景は、
見ようによっては恐ろしい。

たまたま、混んでいる電車のなかで、目の前の人が、ネガティブなメッセージを入力しているのが見えてしまった。(画面がこちらに向いており、あまりに大きな文字であったため・・)思わず、目を閉じた。
もし、ここに乗っている全員が、何かに対して、このような批判的な発信をしているとしたら、ここは、物言わぬ恐怖の世界となる。
誰かが誰かにクレームを言ったり、不満をぶつけたり・・・・。静かな車内に、時々
誰かの携帯の着信音、誰かの携帯から音楽音が漏れ・・みんな知らんふり・・・。
スマホ相手であれば、勇気がない人でも、簡単につぶやける、また何かあっても
自分の世界。見えない個室にいるような感じ・・・。
これは、いったいなんだろう。
手のひらサイズの世界で、小さな世界で、なんやら世の中が動いている。
何とも言えない恐怖をさらに感じる。

ふと、スマホがない時代が懐かしい。
せめて、電車の中ではスマホを見ないように。と最近心がけるようにしようと思い始めた。
もっと広い世界を見なくては。
ああ、スマホなしで生きたい。もちろん私も仕事でフル活用しているけれど、
この世界、なんとかしたい。

世の中がどんどん小さく、狭く、そして小さな分断が連なっている感じ。
どうでもいいことに、手先を動かすよりも、もっと大きなことを考える時間をもちたい。
人間は、進化しながら退化している。。。これから、どうなるのやら?
自分はせめて、人として少しでも進化したいけれど・・・。

上を向いて歩こう、前を向いて世界をみつめよう。
小さな世界にいる自分から、一歩外へ。

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空耳が楽しいとき。

「障がい者」という括り方は、実は違和感を感じている。
その人をそのように表現するのは、なんだか決めつけているようで、どうなんだろうと。
どんな人でも、すぐれたところがあれば、劣ったところもあるし、その程度にもよるのであろうが、社会のルールに合わせて生きられない人を、障がい者と呼ぶこともあり、
私も見方によれば、障害あるんだけどな~と思ってしまう。

そもそも、永遠なる、完全なる健常者なんていないと思っている。みんな、何かしらの障害をもちながら克服しながら生きている。と、そんな風に思っている。

社会のルールどおりに生きづらい方たちが、施設等のお世話になり、そこで
様々な活動をしており、仕事をされているケースも多い。
作品づくりをされている方も多い。

社会のルールに合わなくても、自由な感性で素晴らしい作品を生み出す方も多くて
人間の無限の可能性をつくづく感じ、感動する。
そして表現しつくしたときの彼らの顔は、なんとも光り輝いている。

最近、美術館で施設で活動する人たちの作品や活動の様子を収めた写真や、
動画を見る機会があった。
ある人が施設から歌を歌いながら、出てきた様子をカメラがずっと追いかけている。
「ハッピーバースデー TO YOU♪」を何度も何度も続けて歌っている。
そしてその合間に目の前にいない誰かに話しかけている。その言葉と歌がシンクロ。
元気に、そして楽しそうに歌い、話していてこちらが楽しくなる。
その動画から体を話して、別室に移ってもその声だけは聞こえてくる。
「ハッピーバースデー TO YOU♪ ハッピーバースデー TO  YOU」
そのうち、
「あけまして TO YOU♪」と、歌っているような、そんな音が聞こえてきた。
新年のご挨拶が、こんな歌になるのか~。
思わず笑みがこぼれ、私も一緒に「あけまして TO YOU♪」と口ずさんでいた。

いいね。こんな新年の歌、あっていい。
と、自由な発想で彼らは楽しい世界を見せてくれる。

もしかしたら、この歌は空耳だったかもしれないが、私には確かにそう聴こえた。
考えて面白いことはできない。
自由な精神に、純粋な笑いが生まれる。

障がいがあっても、いい。元気があればいい。
もちろん社会でみんなで共生していきたいから、助け合えるといい。

私も、いずれ何らかの障害を持つこともあるだろう。でも、それが自然なのだろう。
そんなときにも、元気は忘れずにいたい。
最近、そんな風に強く、強く思っている。

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評価と目標。

多くの企業では、一年間の節目に従業員の評価をし、その上で新たな役割を
与えたり、任せたり、あるいは役割の変更ということをしている。
企業の業績を踏まえ、進むべき道に沿って、現状を改善していく努力は
必須である。

そこで働く人も評価をされ、昇級していくことで、組織人としての成長に
つながり、結果、会社にも大きく貢献していく。
誰しも人から「認められる」ということは、うれしいことであり、やりがいに
つながる。
そして、企業側にとっても「認めたい」「評価に値する」人材が多いということ
は企業の存続、成長にとって大変良いことで、そういった人が増えるように日々
育成していく必要がある。

認められる仕事とは、目標設定に大きくかかわっている。
どんな目標を立てるのか?によって、結果は行動する前から、かなり見えてくる。

企業全体の目標、それを受けた部門の目標、そしてそこで働く個人の目標。
すべてが当然リンクしていなければ、個人の力を組織に生かすことが
できないので、そのすり合わせは大前提になる。
個人の目標は、評価されたいことを意識するとよいと思う。
会社、部門の目標達成にために、自分ならこんなことができる。こんなところ
で挑戦したい。だから、ここを見てほしい!!
という目標設定。
会社の進む方向に沿って、自分ができること。しかも評価されるということ
は、結果が見えないと評価もしづらいため、数字や具体的な目標を示すと
達成しやすく、また評価もしやすいということになる。

現実には、評価されない・・と悩む人も増えるこの時期。
なぜ評価されないのか?とかく人と比べてしまうケースも多いだろう。
そんなときは、まずは他の人のことはおいといて、
自分の目標設定からその後の行動のプロセスと、どう見えているか?
どう見られてきたか?について、一度振り返ってみるとよいと思う。

その振り返りなしに、評価されていない・・ということ結果を取り出して
世間を逆評価しないようにしたい。
評価されるには、ステップがある。
それさえ明確になっており、それをひとつひとつクリアしていけば
成果は見えるようになり、プロセスも含め、評価する上司も理解して
くれる。
もちろん、組織には枠があるため、全員が自己評価どおりの良い評価に
ならないことがあり、そこは相対評価という目も必要で、
競争になることもあるため、それは企業戦士である以上やむを得ない。

ただ、しっかり目標をもってそのために、日頃から上司部下としっかり
コミュニケーションをとり、連携していれば、いい評価は必ず得られると
確信する。もちろん、上司本人にも、部下を育成する意識と実践力は必要
だ。一緒に前を向いて、がんばれる。そんな職場であれば良い。

今はとくに、そんなことを考える時期である。

自分のなかの絶対評価と、見られている存在としての相対評価。
両者を客観的に見ることができると、自分を客観視でき、冷静に
成長へのステップも見えてくるだろう。
残念ながら自分よがりになっていると、評価はされづらいままだ。
一度俯瞰してみると、きっと気づく点はあるはず。

評価は難しい。しかし組織で働く以上不可欠である。
あきらめずに、自分の成長の糧として生かしてほしい。

もっとも、世の中には評価制度がない企業もある。
どちらが良いだろうか?
もちろん仕事に対する向き合い方で、どちらもありかもしれないが、
最後は自分はどうなりたいか?どうしたいか?
どんな仕事人でありたいか?に尽きるだろう。

勉強も仕事も、よくも悪くも評価されて、成長につながる。
思えば本当にそうだと思う。
そして、評価を生かすも生かさないも、自分次第。

それぞれにとって、よし!がんばろう!と
前向きな気持ちに満ちた、素敵な春になるように願っている。


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「つながっていたい」気持ち

母がいなくなってから、母がとくに親しくしていた方との交流を深めている。
母にしてきたように、何か珍しい食べ物があれば、花があれば、
何かあげたいものがあればもっていき、前は一切しなかった世間話もするようになった。
母をよく知っている人と、可能な限り、つながっていたいのだ。
その方たちに、5年でも1年でも、1日でも元気に長生きしてほしいのだ。
その方たちが元気でいてくださると、母も生きているような気持ち、一緒にいるような
気持ちになる。

姿カタチは見えなくても、誰かを媒介として、永遠につながっていたいという気持ち。
不思議なことに、その相手であるおばさまたちも、本当によくしてくださる。
母の代わりに接してくださっているのだろう。

一方、母が歩いていた道、通った店、よく迎えにきていた駅・・・などに
出向くと、いろんな思い出がよみがえって、寂しさとなつかしさがこみあげる。

人を通じ、場所を通じ、ずっとつながっていたい。
そんな気持ちは、これからもずっと消えないのだろう。

大切な人とは、時空を超えて、永遠につながっていたい。

そんなことを思う、命日前のお彼岸。

「雨降ってきたよ」
と、母と仲良しだったおばちゃんとの会話のあと、傘を貸してくれた。
「ありがとう。今度また返しにくるわ」
また会えることで、母ともまた、つながれる。

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20年。ただただ、ありがたい。

お仕事には期限付きのものがある。
とくに雇用されている立場ではない場合、契約案件が多いため、当然更新の時期がある。
自動更新もおかげさまの仕事が多いが、状況によって改めて見直すタイミングもある。
この時期はそんな節目のシーズンでもあり、背筋も伸びる。
この四半世紀、その緊張を何度も繰り返して、今日にいたっている。

ある企業での担当者との会話・・。
「最初の契約は2003年でした。ということは20年。20年?
 すごいですね~。へえ~」
そう、そうなんだ。もう20年もお世話になっているんだ・・・
よく長いおつきあいをいただけたものだ。

この20年は本当に短いようで長く、長いようで短く・・・。
いろんな出会いがあり、別れも・・・でも別れは少なく、
関係が続いている人がほとんどだ。20年もかかわっていれば、
当時現役で活躍が期待されていた人が、経営側になっている場合も
あり、あの人が立派になって~と思うこともしばしば。

契約の仕事は、折々で見直す点はあるにせよ、それでも継続ことが重要だ。
仕事は、一過性でなく、利益主義ではなく、
継続して関係しながら、成果が出るように努力することだ。

それにしても20年か~。改めてしみじみ。ただただ感謝のひとこと。
きっかけをいただいた方にも、心から感謝。

グラン・ルー25年の間には、いろんなドラマがあったが
この20年もなかなかのもの。思い出いっぱい、感謝でいっぱい。
もっとお役に立てるようにがんばりたい。

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「涙しました・・」に涙。

このたび、グラン・ルー25周年事業のひとつとして、詞集
「人生は観覧車のように ~心のふるさと、愛する人たちへ~歌詞集」
を発刊した。
手のひらサイズのかわいらしい本である。
長らく応援している新潟の企業さんの発案「手のひらシリーズ」に共鳴共感し、
私も何か、この「手のひら」にメッセージを載せたいと思い、この25年の間に
つくった曲の歌詞をまとめることにした。
だから、詩集ではなく、「詞集」。
実は親が亡くなる前から考えていたが、そのあと二人とも旅立ってしまい
落ち着いて準備する時間がとれず、今になってしまったが、なんとか三回忌には間に合った。

限定500部、売り上げの半分はウクライナの人道支援に寄付。
というものであるが、一気にPRするのではなく、じわじわご案内をはじめている。
「配りたい人がいるから」とまとめて購入いただいた方もあれば、サイトのインフォメーションやチラシを見て、すぐ「ぜひ、味わわせてもらいますね」とネットから注文いただ
いた方、ウクライナにも寄付できるならばという方もおられ、ありがたい限り。
そしてこの週末、久しぶりにお会いした企業の会長さんとの会話のなかで、
ご紹介したら、
「今、その本ありますか?」
と言われ、たまたまバッグに1冊あったので、それをお渡ししたところ、その夜に
「・・・・・床にはいる前に、詩集を少し読みました。すっと頭に入ってきて、涙が
出ました。ありがとうございました」
とのメッセージが届いた。

このお客様は、私のオリジナル曲はお聞きになったことがないので、歌はご存知なく
歌詞から入ってくださった。今度、コンサートにも来てくださるとのこと。
音楽を聴いて涙される方はこれまでもおられたが、歌詞を読んで涙されたとは・・・。
紡いだ言葉に感動いただけるとは、涙が出るほどうれしかった。
言葉でも人の心を動かすことができる。
これからも、じわじわとお伝えしていきたい。

詳細はこちらをごらんください。
25周年感謝の記念出版 いよいよ完成!受付開始 | La Grande Roue (mahsa.jp)

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