昨夜、あまり眠れなかった人もいるかもしれない。
野球やサッカーを観戦しての睡眠不足ではなく、今回は選挙の結果で・・・。
そして、今朝はどんな気分でお目覚め?
いろんな思いを抱きながらの朝、週明けになっているかもしれない。
自分の意志、考えと世の中とはここが同じ、ここが違う。
自分からの見え方と他の人からの見え方は違う。
地元との関係。
いろいろ意見はあれど、コミュニケーションの観点からも
学ぶことは多い。
日頃からの関係、応援したくなる人、そうでない人。
情報がどの程度、どのようにインプットされているかによって、
その人への見方も変わってくる。
この結果は、民主主義という以上、国民が決めたことだから、
それはそれとしてひとつの答え。
いい方向に日本が向かえばよい。
爽快な朝である人も、そうでない人も、現実からスタートしよう。
どんなことがあっても、
日本が平和であり続けるように、
若い人が夢を持って生きられるように。
みんなのために、できる人が手を組んで協力しながら生きていかねば。
私利私欲にまみれた人が一掃されたかどうかは、わからないが、
これからに期待するしかない。
さあ、それぞれが自分がすべきことをしよう。
言葉だけでなく、実行すること、行動することこそが
意味あること。
なぜ、今やるの?と先日書いた結果がこれになった。
仕掛けた人たちの今朝のご気分は?
今朝の気分は?
再び、新潟でおもてなし
新潟に通っていた頃が蘇った。
ああ、いろんなことをやらせてもらったなあ。
そのひとつが、ディナーショー。
ご縁あって、素敵な会場との出会いをいただき、そこで何度かトライ。
初雪、大雪、いろんな天候に恵まれ?サプライズかアクシデントかわからない
そんなこともあった・・・。
そこで出会った京都出身のシェフとは、今も親しく交流させていただいている。
コロナ禍、新潟通いも卒業して、もう実現できないかなと思っていたが、
ひょんなきっかけで、再び挑戦することに。
ということで、11月6日新潟モノリスで、愛の元気人コミュニケーション&ディナー
ショーを開催します。
いろんな偶然が重なって、新たな出会いや再会、ふれあいの場になれば。
久しぶりに打ち合わせに立ち寄った会場のエントランス。
ふたたび、新潟でおもてなしの機会をいただけることに感謝。
スタッフも素敵な笑顔で、「マーサさん」と迎えてくれた。
生きている限り、ご縁をいただいた土地で、感謝を伝え、できる限りの
つながりを大切にし続けたい。
と書きながら、またドタバタの日が続くなあ~。
新潟を忘れないために、また思い出をひとつ増やしたい。
快適な音、客観のサウンド。
東京から引っ越してもうかなりの時間が経つけれど、未だに歯医者は
東京時代に通っていたところにお世話になっている。
おそらく20年近くお世話になっているのでは?
東京にいるときこそ、あまり私的な話もしなかったけれど、
離れて、わざわざ通うようになると、いろんなことを話したりするようになった。
「歌も歌うので、人前でしゃべることもするので、歯は大切ですね」
本当にそうだと思うようになった。
頻繁には通えないが、うまく調整してなんとか乗り切ってきた。
先日、久しぶりに伺う。
待合室にいると、どこかで聴いたメロディー。そしてどこかで聴いた声。
そう、自分の演奏がこの日も流れている。
歯医者さんが意識して、私が来る日は流してくれているのか、普段から
そうしてもらっているのかわからないが、自分が知る限りでは毎回自分の
CDを流してくれている。
しかも、小さな小さなボリューム。
この音の小ささが、快適で、きれいに聴こえることを改めて発見。
音楽とは、ライブや演奏会のように主役として流れるだけでなく
まさにBGMとして、小さな音色で場の空気をよくする存在でもある。
BGMとして流れる音を想定してレコーディングしていなかったけれど
この小ささこそ、いい響きで、心地よく、とくに治療の場では、痛みも
和らぐ。主役でないところがいい。
優しい音楽に変わるのである。
表現する、主張する。これは主観の音楽。
音量が変わることによって、客観の世界を作ることができる。
不思議な変身だ。
同じメロディーがストーンとまっすぐ心に入ってくる。
のではなく、自分の周囲で漂っている感じ。
ボリュームを小さく。
これは新たな味わい方。
歯医者さんで発見した音楽の存在、役割、楽しみ方。
自分の音楽を流して、治療してもらえるなんて、
最高の幸せ。
そんなこともあって、これからもずっと元気に通い続けたい。
今日もいいサウンドで、出会う人に優しさを与えてほしい・・・。
新成人から傘寿まで、さらに幅広く。
「小さなことをコツコツと」やり続けることが、新しい道を
切り開くきっかけになる。
それは本当だと、実感することがある。
わがサイトへ突然の問い合わせ。
そんなに多くはないが、知らないところからのコンサートの
依頼が入る。
今回いただいた連絡は、来年の成人式のセレモニーでの演奏だ
とのこと。
その町の社会福祉協議会からの紹介ということであるから、
そちらの方がどこかで聴いて覚えていてくださったのだろう。
紹介は、受けた側にとっても安心であろうし、された側にとっても
この、信頼性の高い口コミはありがたく、とてもうれしい。
「1月12日ご予定いかがでしょうか?」
最近、来年以降の予定が入ってくるとうれしくなる。
すぐに返事の電話をする。
「はい、今のところ空いていますので、喜んでさせていただきます」
依頼された方も喜んでおられる様子であった。企画が決まり、ほっと
されたのだろう。
電話を切って、カレンダーに予定を入れる。
来年は、成人式と敬老の日。両方に予約が入った。
若者から、お年寄りまで・・・。
年齢差でいけば、60~70歳?の差。
受けてから
「若い人向け、大丈夫?」
と自問。いやいや、大丈夫。最近は若い人にも聴いてもらう機会もあったし。
依頼をいただくことで、新たな挑戦もはじまる。
これから人生を長く生きる人にも、
これまで長く生きてこられた方にも、
両者に喜ばれる仕事。音楽はそういう点でも汎用性もあり、応用も可能だ。
ますます柔軟に生きなくちゃ!
ご依頼いただき、ありがとうございます。
ご紹介いただく方、ありがとうございます!
大阪ろまん
京都での仕事を終え、大阪へ向かう。
20代の頃は、そんな機会も多かった。
京都と大阪。
町の個性は全く違うが、京都への思いとは違う思いが、
大阪にはある。
大阪は、私にとって外国のようなところ。
始めての大阪は、知り合いの岐阜のおじさんに車に乗せていただき、
おろしてもらって、
「じゃ、帰りここで待っといて」と、仕事を終えて帰るおじさんに
再び乗せてもらうまでの半日、右も左もわからず梅田や心斎橋を
練り歩いた。
アメリカ村というのは、本当にアメリカ人がいる町だと思って
いたその頃が懐かしい。中学生になったばかりの私の初大阪。
それから、数えきれないほどの大阪体験。
仕事での行き来以外にも、楽しみはいろいろある。
大阪弁にはじまる独特なコミュニケーション術。
笑いの宝庫であり、食い倒れの町といわれる美味しい町であり、
そして、人情の町。
もしかしたら、この「人情」が「大阪弁」になって、大阪らしさ
が生まれているのかもしれない。
メディアで見るポリティカルな大阪の世界とは違う、なんともいえない
ぬくもり。
変化し続ける大阪駅やハルカスのような今風の、インバウンドが
喜びそうな一面もいいけれど、
私にとってはもっと泥臭い、甘酸っぱい、昔ながらの大阪の町に
愛着を感じる。
そんな中で、鶴橋は忘れることができない町のひとつだ。
アメリカ村ではなく、こここそが、世界を、歴史を感じる
生きた街。
オムニたちががんばってキムチやキンパを作って、一生懸命に
売っている。毎日毎日よく働いて、仲間(同志)を励まし、ともに
生きている。そのパワーを感じる町。
そんなことを思うと、ついつい買い物をしてしまう。
応援したくなる。
国内にコリアンタウンはいくつかあるけれど、鶴橋は私にとって
初めてのアジア、韓国。
大阪ブギウギという歌があるが、今書きながら、あの曲が頭の中を
流れている。
昭和の大阪が、やっぱ好きやねん。
と思いながら、ほどよい距離で、これからも時々足を運びつつ、
お笑いコミュニケーションも学ばせていただき、やさしさとおかしみ
で人を包み込めるような人になりたい。
そういう意味で、大阪はろまんの町であり、
そして、生きることを教えてくれる「せんせい」のような存在かも
しれない。
大阪ろまん、永遠に。
あの曲を聴くと思い出す・・・
街角で、流れてくる曲に思わず耳を傾ける、足を止める。
そんな瞬間はないだろうか。
クラシックからシャンソン、ジャズ、映画音楽、歌謡曲、タンゴ・・・
いろんなジャンルの音楽があるが、この季節になると、「枯葉」や
ショパンのワルツ7番などはとくになつかしさで胸がいっぱいになる。
また、ベートーベンのピアノソナタ8番は小学時代の自分を思い出す。
「悲愴ってなんだろう?」このソナタにつけられた名前。この言葉が
子どもながらにも心にしみて、急に大人びた気持ちになったことを
思い出す。この曲は今でも最も好きなソナタ曲のひとつ。
音楽はその時代や、その当時出会った人を想い出す、人生の走馬灯。
生きる時間が長くなると、思い出も増えて、音楽があればその人に
再会できる、まるで人生をもう一度生きられる。そんな気持ちにさえなる。
最近ある方に、シューベルトの即興曲のひとつが私のイメージだと
教えていただいて、なんだかもったいない例えだと思った。
その曲は弾いたことがなかったが、改めて耳にして、トレモロが美しく、
「ああ、これが!」と思わず感嘆。
シューベルトが生み出す優しくも力強い、愛に満ちた歌心を感じ、
こんな音楽のように生きたいなと思った次第。
その曲で自分を思い出していただけるとは、光栄で幸せなこと。
あの曲を聴くと思い出す。
そんな瞬間があると、心が揺れたり、目頭が熱くなったり・・・。
音楽は、実に不思議だ。
自分の中に眠っている記憶が引き起こされて、蘇る。
音楽があると、二度生きられる。音楽があると、また会える。
そんな気持ちになる。
あの曲を聴くと思い出す。
そんな人たちを、ゆっくりじっくり思い出したい季節。
そして、
音楽を通じて、一人でも多くの方に、
歩んできた人生の道のりを、楽しみながら
思い出していただける機会を作っていきたい。
改名とアイデンティティ。
最近、改めて、夫婦別姓の話題がにぎやかになっている。
今回の選挙戦でも、争点のひとつになっているようだ。
まあ、それはそれでいいけれど、今さら何を。とも思っている。
もう半世紀以上、残念ながら長男なしの長女として生まれてから
この問題には否応なく接してきた。
家を守るという価値観が重視された時代のさまざまな決め事は、
自分には幼少時代から理解しがたいものであり、それに対して
ずっと抗ってきた。
結婚なんか、するもんか。養子婿をもらえ?なんで?
と少女時代から思い続けてきたには、わけがある。
世の中の習わしにただ従うということでは、自分の人生が
おかしくなる。そんな不自由な生き方はしたくない。
という考えがずっとあった。
生まれて育ってきた自分の姓名。親が命名した。
これは、ある種、思いを込めて付けた、商品名のようなものだ。
その後、職業やさまざまな理由で芸名を名乗る人もいるが、
これは自分の意志。
一方、慣習、通例だからといって、自分の意志に反しても、
結婚という契機に姓を変えるということは、自分が別物になるという感覚。
他の皆さんはどうかわからないが、少なくても自分にはそう思えた。
自分が自分でなくなるようなことであれば、結婚はしない方がいい。
アイデンティティを失われる。と、そんな風にずっと思っていたし、
この考えでここまで貫いてきてよかったと思う。
ここにきて、世間が動き始めている。
おそらく、この家制度や男尊的な価値判断は、時代に合わなくなって
変わっていくだろう。
今さらと思っている。
この生き方を貫くために、いろんなことに逆らってきたから、
強くもなれた・・のかもしれない。だから、今ごろ何を、とという
気持ちも正直消えないだろう。
同姓・別姓なんでもいいが、自分で選べる社会。
何よりもアイデンティティをもって、自分らしく生きられる社会。
ここが一番大切だ。
世界にひとりしかいない自分を、大切に生き切る。
今尾昌子で生まれ、終わる。それでいい。と、これはあくまでも
私の場合。
それぞれが、悔いないように好きなように、そして自立と責任をもって
生きる社会に。
改めて依存から自立、自由と責任の時代になる。そこは大賛成だ。
どんな手を使っても?
ある方との会話で、この国、この世界の先に光はあるか?希望はあると
思うか?と投げかけた質問に、
「あまり期待できない。どんどん悪い方向にいっていますよね」
との答え。まったくそのとおりだと思っているので、
では、どうすればいいと考えるか?・・・また問いかける。
「国とかにはもう期待できない。世界中がそういうことになってくると
思いますね。だから国ではなく、個人でのつながりを大切にしていくしか
ないと思います。まさに国を越えて、ですね。」
心から共感できるアンサーである。
国のリーダーを決める選挙も、相変わらずおかしく、見苦しい方向に進んで
いる。フェイクニュース、ネットでの操作、介入・・・。
また、ある勢力は、激戦区でお金を配って投票させようとしているようだ。
幻滅である。
どんな手をつかっても、権力者になろうとする輩は、権力者になった暁には
国益を目指すのではなく、私欲のために権力行使をする。
どんな手をつかってでも。
日本でもそうだ。隣国でもそうだ。今、戦争を仕掛けている国もそうだ。
どんな手を使ってでも、自分の夢を実現しようとしている似非リーダーの
台頭。これらの現象が世界を内面から腐敗させている。
どんな手を使うか。クリーンでまともな方法でやればいいではないか。
正々堂々と。知恵をしぼり、真正面からぶつかればいいではないか。
悪知恵にだまされないように、真偽を見極める力をもって、民主主義を
守るのは、それを求める自分たちだ。
何事も自分事の意識で。
ここが一番の課題。
悲観せずにいられる世の中にしたい。
自分さえ、今だけよければ。の心が、どんな手を使ってでも・・を生む。
それをゆるしては、黙ってみていては、いけない。
どんな手をつかっても。
ここは要注意だ。
知的な雑談時間のしあわせと学び。
東京での週末。せっかくでかけるのだから、気になっている人との時間
も大切にしたい。懐かしの東京時間も取り戻したい。
つい、欲張りになる。大いに歩き、大いに語り、疲れ果てて帰路につく。
15年ぶりにお会いしたとある社長さんとは、時の経つのを忘れて
語り合う。
あっという間に時計も二まわり。
ビジネスの話はそこそこに、音楽の話、哲学の話、世界の話・・・。
エピソードの宝箱のように、次から次と話題が湧いてくる。
15年前より、さらに磨きがかかり、パワーアップされた様子が
うれしくなり、79歳までは現役で経営の仕事を続けると言われ、
とても頼もしく思った。
そして、午後は久しぶりにジャーナリズムの講座を受け、そのあと
久しぶりにその講師の方とも、お話しする機会を得た。
書くという仕事をされている方に、生成AIと人間がする仕事の違い
について問いをぶつけ、意見交換。これからの世界のゆくえ、生きがいも
憂いも含め、雑談をする。
もう、これからの時代、国には期待できないから、個人の力で
道を切り開くしかない。という話もでき、心から共感。
帰り道、戦争と集団、個人、国益と公益・・・。まなんだいくつかの
言葉が次々沸いてきて、自分なりの考えを整理しながら歩いていくと
選挙カーに追い越される。
夜は夜で、若手の起業家との語らい。
あるご縁で知り合い、これから一緒にお仕事をさせてもらう機会も
ある。そのために、その人のことを知っておきたい、また自分のこと
を知ってほしい。そんな気持ちで楽しい時間。
こちらもあっという間に2時間半を過ぎる。
いずれも最後はあたたかい笑顔と、力強い握手で別れた今回の
交流時間。
私にとって、少しハレのハッピーコミュニケーションタイム。
ああ、お元気で良かった。
ああ。やっぱりこれでいいのだ。
ああ、価値観の合う方が世の中にいてくれて、良かった。
雑談を通して、さまざまな共有、共感ができ、そのうち、
共創も生まれるかもしれない。
知的な会話をする。
刺激を交換する。
普段会わない人、会えない人と会う心がけを。
ネットではありえない、かけがえのないあたたかい時間。
30年前。東京に暮らし始めた頃の自分が歩いた道を
久しぶりに歩きながら、
いろんなことを学ばせてもらってきたTOKYOに
改めて愛着がわいた。
姿勢に「気をつけっ!」
姿勢。物事との、社会との向き合い方としてとても重要だ。
そして、姿勢が問われるということは多い。
そして、わがカラダの姿勢も大変、重要だ。
私自身、演奏をするときのスタイルも含め、
リュックにもついつい多くのモノを詰め込む習性?
それもあってか、
無意識のうちに、猫背になってしまうことがある。
周囲からもっと顎を引いて、もっと背筋を伸ばして。
とよく言われる。
姿勢が悪いのだ。
このことは、見た目だけではなく、体調にも影響する。
足や腰の不調も突き詰めると
姿勢によるところもあるようだ。
そんなことを、最近たずねた整形外科の先生が
わかりやすく教えてくれた。
猫背になりがちなときには、小学校のときよく言われた
「気を付け!」の姿勢が一番いいそうだ。
もうしばらく忘れていたが、やってみると、確かに背筋が
しゅっと伸びる。
姿勢は見た目だけでなく、健康のためにも効果的。
また姿勢がいいと、生きる姿勢も前向きに、モノの見方も
平らになって、世界が広がる感じ。
姿勢。気を付けよう。まさに「気を付け!」
でも、この言葉は、ちょっと軍隊の号令っぽくて
響きは好きではないけれど、まあ、黙ってやればいい。