「明日は仕事ですか?」
昨日の仕事仲間とのやりとり。
ある人は、テニスと忘年会。ずっと続けているスポーツだそうで、
愛好家同士の人間関係は、一種の異業種交流になっているようで、
なるほど、共通の趣味を通じて、普段の世界と違うお付き合いが広がる
のは、とてもいいこと。
一方、ある方は、「明日は勉強兼ねて仕事ですね」との返事。
仕事の専門知識をさらに得るには、週末は貴重な時間。
日々の雑踏を外れて、静かに読んだり、考えたりする時間は
計画的に生み出さないと、なかなか定着しない。
今日は久しぶりに大学の講座を対面で受講する。
オンラインでももちろん受講しているが、行ける時には
対面で生の話を聞き、コミュニケーションも大切にする。
一方的に聴かせていただく講座は、どこか講師に申し訳ない
気持にもなる。
コンサートも授業も発信者だけでは成り立たない。
聴いてくれる相手がいて、反応がわかること、そして
聴く側にとっては、話し手の熱量をより感じることで
理解も深まる。
そんな週末。
毎週というわけにはいかないけれど、学びに行く。
この行動も楽しい。
命を守るジャーナリズム。
平和を考え、それを願い積極的に生きるための
週末の学び。
いくつになっても、世界を見続けなければ!
学びの週末。
200年愛される名曲と屋根裏。
この写真はドイツのボンにあるベートーベンの生まれた家。この屋根裏で1770年12月16日
生まれたそうだ。以前、その部屋に足を踏み入れたとき、この上ない感激に包まれたこと
を思い出す。
そして、下の写真は、そのボンの町にあるベートーベンのお母様マリアさんの墓地。
何度かこちらも尋ね、唯一無二の大作曲家をこの世に生んで
くださったことに感謝の祈りをささげた。マリアさんは若くして
亡くなられたから、息子の功績はご存知ない。いや、天国から見て
おられたか。
12月になると、そんなことを思い、想像を膨らませる。
ベートーベンが12月生まれであることと、第九が12月に世界中で
唄われることは関係がないのかもしれないが、日本では年末に向けて
よくこの第九交響曲が、全国各地で歌い継がれてきた。
私も小中学校のとき、地元の合唱団に参加。大人に混じってオーケス
トラと合唱の大合奏の中で涙を流した。そんなことも懐かしい。
そんな素晴らしい経験ができたのは、すべてベートーベンのおかげだ。
なぜ、聴覚を失くしたベートーベンが、あんな重層的なハーモニーを
生み出せたのだろう?
心の耳?頭脳の耳?が存在しているのだろうか?
本当に人間の力とは、可能性とは・・・わからないものだ。
いつもベートーベンの存在は私を勇気づけてくれている。
京大の元総長の平澤興先生も、ベートーベンのおかげで人生が変わった
と書かれていたことも思い出す。
楽聖と呼ばれるベートーベンが遺した最後の交響曲、第九。
今年で創作から200年。
素晴らしい。そんな長きにわたり、世界中で演奏され、歌われてきた
なんて。日本では江戸時代、海の向こうでは「フロイデ!」が
高らかに、合唱されていたのだ。それから時代は変わった。
今日も世界のどこかで、この大ハーモニーが高らかに響いていること
だろう。
世界平和を願い、生きていることに歓びを感じ、感謝の気持ちを忘れず
心高らかにともに生きよう~。
かなりの意訳だと思うが、今はそんな気持ちで第九をかみしめたい。
屋根裏から生まれた天才。努力の人。音楽の聖人。
これから100年後も、200年後も歌い継がれて、愛されるのだろう。
まさしく偉業。心から感謝を尊敬の念をささげたい。
音楽のお国柄を楽しむ。
音楽とは民族性に大きく左右されるものだと、子供のころから
思っていた。
ここは、本当はじっくり勉強したい分野でもある。
言語以上に、民族性が現れていると感じるからである。
もともとその土地に根差した音色、あるいは信仰から生まれる
ハーモニー。音を聴けば、その土地や時代,、生きた人々のことが
想像できる・・という興味深い世界。
そして、音楽を聴けば、タイムトリップもでき、その時代に生きた
人に出会った気持ちになれる。そんな不思議な心の体験もできてしまう。
クラシック音楽に触れると、さまざまな国に行けるのが楽しい。
ロシアをはじめとする、スラブ系東欧世界の交響曲では、広陵で厳しい
世界を感じる。そして暗く厳冬の世界を生き抜く寂寥感も味わうことが
でき、どんどん心が沈んでいくのが心地よかったりもする。
ドイツに行けば、哲学的な高揚感を感じ、世界を俯瞰するような気持ち
にもなれる。
一方、フランスの作品はいかにも自由で奔放で、流れる水のごとく、
そんな印象が強い。そう、私のなかでは、フランスのピアノ曲は水と
光を感じる。力より自由・・・。
アメリカにいけば、なんといってもジャズ。
人種を越えた、とくにここでは黒人のパワフルな表現力に圧倒される。
そのルーツの黒人霊歌はアフリカ由来になるが、奴隷世界の悲哀、
人びとの祈りを感じ、厳かな気持ちになる。
そして、愛するアルゼンチンタンゴ。
遥かかなた地球の反対側に棲む移民が生んだこの音楽は、
悲哀と情熱を感じ、目を閉じると、美しいバンドネオンとピアノ
バイオリンの音色に、あのダンサーたちの踊りが蘇る。
と書いているうちに、地球をかなり旅した感じ。
と、アジア以外の世界について記述したが、アジア各国にも
それぞれの民族楽器が奏でる固有の世界がある。
そこに接点を持った人であれば、思い出し、懐かしく思うことだろう。
などなど、音楽にはお国柄がある。
日本の音楽とは何か・・・。
ポルトガルのファドや、フランスのシャンソンのように、演歌が
日本の音楽という印象が強いが、これはこれで素晴らしい芸術だ。
大衆から生まれるもの、神をたたえるもの、権力を感じさせるもの・・・
いろいろあれど、結局は人が生んだもの。人間が創造したもの。
などなど、計画ではNYに出向いていた今週であるが、
心の世界旅行を楽しみながら、日々を過ごす。
お国柄。
いい意味で共存共栄してほしい。
12月3日の奇縁を大切に生きる。
12月3日は普通に、普段通りに終わった。
メッセージを寄せていただいた皆様には、心から感謝である。
よく覚えていてもらえているなあと、しみじみ思う。
一方、親友が亡くなったからと、悲しんでおられる方も
おられて、生まれるものあれば、人生を終わっていく人
もいて、まあ、1日とはそんなもんだとも思う。
人にとって、おめでたくもあり、悲しくもある。
いずれにせよ、12月3日が好きなのは、自分の誕生日という
だけでなく、フランシスコ・ザビエルが帰天された日で
あるということ。
時代は違えど、何か勝手なご縁を感じ、繋がりを感じ続けて
いる。
ザビエルがいなかったら、日本には西洋音楽も、印刷技術も
もたらされることはなかった。自分が辿ってきた道には、
ザビエルが残した爪あとがしっかり残されている。
ザビエルなければ、私のこの人生もなかった。
これは確信できること。
だから、12月3日の奇縁と呼ばせていただこう。
毎日が誰かの記念日。
どう関係づけるのか、繋がりを信じるのかは、人それぞれ
であるが、今はザビエル亡き後のことに思いを
馳せてみたい。
マカオの教会で以前見た、ザビエルの遺骨。
きらきら光っていたなあ。まるで今も生きているような
不思議な世界を見た。
人生は終わるけれども、受け継ぐ人が信じる人が
時代を越えて、大切に守ってくれることもある。
偉業を成した人の人生に敬意を表して。
この立像も敬意を表しての作品。
16世紀半ば、ザビエルは日本にキリスト教を伝えた。
その訪問地のひとつ、山口での説法の様子はこんな感じだったらしい。
この偉大な方との妄想的つながりを、生涯大切にしたい。
そう、私にとってもう一つの12月3日。
道は違えど、信念をもって前に進む続けること。
その確認ができる大切な記念日。
行けるところまで行く、やれるだけやろう。
ありふれた1日ではあるが・・・
おかげさまで、123。
4年前までならば、毎年、必ず母に電話かメールをして
「誕生日、ありがとう」と伝えていたが、今もその気持ちは変わらず。
見えない分、感謝の気持ちが募るということもある。
おかげさまでこの1年は、本当に幸せな時間であったとふりかえる。
小さな挑戦をいろいろさせていただいた。新たな世界も広がった。
最高の1年。これは最高の毎日の積み重ね。
まだまだ挑戦しようという気持ちになれるのは、健康のおかげ。
これからもうしばらく生きるのだろう。
であれば、立ち止まるのはもったいない。
行けるところまで行こう、
やれるだけやろう。
そこまで行きますか?へ?まだ?へ?次は?
と、周囲の期待をいい意味で裏切りつつ、最高の1年を更新したい。
がんばっていれば、いいことはある。
人のせいにせず。すべては己から。
誠心誠意生きていれば、きっと伝わるから。
愛さえあれば、ラビアンローズな毎日になる。
今日からまた1年、心新たに。
自分の存在を少しでも意義あるものに。
すべての周囲の皆さんへ そして両親へ、妹へ。
誕生日、ありがとうございます!心からの感謝を込めて!
わが一年をふりかえる生誕前夜
今日が1年の最終日。そう、誕生日前日は、実はとても感慨深い時間でもある。
この1年、何をしたのか?をふりかえる。
大晦日と元旦よりも、実は自分にとっては、誕生日とその前夜は重要。
そのせいか、普段と気持ちも少し違う。少し厳かな気持ちになり、1年の振り返りをする。
正直なところ、59歳から60歳になるのは、若干抵抗があった。しかし、この1年、
何も変わらず、さらに前向きに生きることができたように思う。
まだまだ、力強く元気いっぱい前に進める。何事も自分次第だと思えたこの1年。
新アルバムをリリースできたことから、新たな演奏の場を増やすことができたこと、
コンサルティングの仕事もおかげさまで、皆さんと良き関係を持ち続けることができ、
生きたなあ!と改めてしみじみ思う、この1年間。
一方、大切な人たちの今後が気になることも多かった。
お世話になって方たちが、だんだん遠くにいってしまう、なんともいえぬ寂寥感。
クリスマスのイルミネーションの下を歩きながら、ふと、ああ、あの方も、あの方も、
あの方も、そしてお父さんもお母さんも・・・。
いろんなことが思い出され、張りつめていたものが緩んだ。
そう、生きる時間が長くなると、出会いだけでなく、別れの数も増えてしまう。
そのことを受け入れていかねばならないのだと、改めて思いながら・・・。
60歳は還暦だから、人生を一周。また振り出し。いろんなことを経験しての、再出発
を確認する一年。
まさに人生は観覧車のように・・・を感じる還暦イヤーも、まもなく終わる。
生まれてきてよかった。と思える1年、そして60年であればよい。
今日はイブ。改めて近くの人に、ずっと遠くの人に心から感謝をささげ、この1年を
結びたい。
いろんなことに挑戦できた。まだまだいける。余韻と余裕をもって今日をおくりたい。
虹を見た!
虹を見つけたときは、偶然の幸運に包まれる。
普段あまり見ることがないが、何年かに一度、遭遇する。
雨露と太陽の光のコラボによる、自然のアート。
最近、近所を歩いているときにみつけた紅葉と虹とクリスマスの風景。
「あ、虹だ!」
気づく人は気づいて興奮。下を見て歩いていては気づかないから、その声で
空を見上げる人もいて、思わずスマホを向ける人も。
実は人のその反応を見ているのが、楽しかったりもする。
ああ、虹とはなんと幻想的か。
すぐに消えてしまうから。
そして、いつどこで発生するかは予報もないため、出会いは突然だ。
この瞬間が消えるまでずっと立ち尽くす。
やっぱり虹っていい。
希望が、未来が見えてくる気がする。
尊敬する日本画家、上村松園のコレクションにも
「虹を見る」というタイトルの作品がある。
虹を見る女性の姿勢、目線が印象的な作品であった。
虹そのものは描かれていなかったような・・・。
でも、しっかりその女性の目線の先にその存在を感じるのである。
虹への憧れは、明治の時代も、そして今も変わらず。
突然に、自然が見せてくれる七色の世界に、批評は無用。
ただ、ただ感動するのみ。
今日から12月。
偶然見つけた虹を今日も心に映して、未来に向かうのびやかな
時間を過ごし、よかったといえる2024年にしたい。
虹は瞬間。
人生も瞬間。
でも、心に見た虹を心に映し続けよう。
そして、夢を見続けよう。
気が付けば、あと1枚。
昨日まで暑くてしんどかったのに、やっとしのぎやすい季節に
なったと思ったら、少し寒くなり・・・。
でも、この寒さが、自分には快適。
暑いより寒い方が好き。
これは生まれた季節に関係があるのだろうと思ってきた。
どんどん寒くなって、手足も冷えるが、頭もすっきりして、
歩いているといろんなことが浮かび上がってくる。
ベートーベンやリストや多くの作曲家たちも、森を散歩しながら
楽曲を着想し、また、身近なところでは知人の作家も、お元気だったころ、
毎日必ず1時間以上歩く習慣を。その時間で構想を練っておられた。
単に歩いているだけではない、クリエイティブな散歩。
寒い方が考えがまとまる。私の場合は、そうだ。
と、やっと散歩が楽しみになってきた季節。
もう少し季節が進むテンポを遅くして、この秋をゆっくり楽しみたい。
紅葉の変化を愛でつつ、いろんなアイデアを育みたい。
と思っていたが、ドタバタと11月が終わろうとしている。
やっと、やっと・・の秋に出会えたのに・・。
カレンダーはあと1枚。
秋が終わる。
明日からさらに早く時計が進むと感じることだろう。
だから、
今日は、せめて丁寧に秋の一日を。
訪れたばかりの秋が、もう晩秋・・・。
違和感がないわけではないが、とにかく、しのぎやすいのは
ありがたいこと。
静かに秋を味わい、かみしめたい。
四季がある、日本が好きだ。
この先はどうなるか、しれないけれど・・・。
「歌は、ともだち」あれから・・・。
今朝、ウィーン少年合唱団の演奏を久しぶりに音楽番組でながら見した。
もう何年も前の再放送なので、当時の美声の少年たちは、すでに成長
され、変声期も迎えているかも・・・。
など、勝手に想像しながら、わが小学生の頃の合唱団時代を思い出した。
長良川少年少女合唱団。何年生で入ったのかもう覚えていないが、
おそらく3年生か4年生の頃か。
そこでさまざまな名曲を知ることになる。
電子オルガンで習うポップス系の音楽とまた違う、日本の世界の歌曲、
クラシックとの出会いも、合唱団での経験がはじまりだったかも
しれない。
合唱団はそののち、「岐阜少年少女合唱団」という名前になった。
シンボルマークは鵜飼の鵜のイラストだったかも?
民謡からビートルズから、そしてベートーベンとの出会い。
ピアノソナタの8番悲愴に出会ったのは、なんと合唱団での歌唱から
だった。なんと悲しくも美しいロディーが、世の中には存在するのか。
三楽章を唄って、クラシックをもっとやりたい、ピアノをちゃんとやりたい
と思い始めたのだと確信する。
さらに、海外の少年少女合唱団との共演。今から思えば、ウィーンの森
少年合唱団、ルーマニア合唱団、そしてソウルの合奏団・・・。
インターネットもないころに、来日した海外の合唱隊の皆さんと出会い
しばし交流することは本当に楽しかった。
住所を交換して、しばらく文通していたこともあった。
ああ、あの頃の手紙を保存しておけばよかった・・と今となって悔やむ。
合唱団に所属していたおかげで、NHKの歌番組にも出演することが
できた。「歌は友達」というプロの歌手と、全国の合唱団が出演して
それぞれが歌い、そして合唱も・・。今から思うと、本当にいい番組に、
なんと出演することができ、わざわざ親が衣装をこさえて(今から思えば、
ファッショナブルではなかったけれど・・)テレビ出演に臨んだ日々。
田舎者だけに大変な行事であった。
と、このウィーン少年合唱団の唄声を聞いて、わが少女時代の唄との
さまざまな思い出が蘇った。
あの頃も「歌は友達」。そして、今も同じ。
いや、もっと友達どころか、自分が歌そのものになっているかもしれない。
生きている限り、歌とともに。
私の存在を明らかにするために、生きている証しを確認するために、
そして、生きる歓びを感じるために。
歌は存在する。
そうそう、ベートーベンの第九の合唱も、自分の内面の成長に大きい
影響を与えてくれた。
フロイデ!
歌とともに、生きる。なんというしあわせ。
そのことを、少女時代から学んだ。
そんなことを改めて思い出し、両親や恩師たちに感謝したくなった。
さあ、これからも歌い続けよう!
誰かを元気に、そして自分も幸せに・・・。
今日は誰と?何を?そして
おかげさまで、毎日、お会いする方、関わる企業が変わるという
生活。
メールやチャットをしていても、次々と違う相手からそれぞれの
内容のメッセージが飛んでくる。そのたびごとに、頭をくるくると
回しながら、それに合わせて球を投げ返す。
ある意味、仕事はスポーツのようなもので、反射神経も求められると
実感する。このペースが心地よくもある。
毎日いろんな方に出会う。話す、聴く。次につなぐ、つながる。
ほんとうに、毎日毎日、観覧車のように回っているなあ~。
われながら、「人生は観覧車のように」がそのとおり!と
毎日思っている。
今日は東京へ。
朝から最終の電車まで、何組かの打ち合わせがある。
それぞれの皆さんのことを思い浮かべ、それぞれの限られた時間で
お互いにとってハッピーな時間にしなければと思う。
今日も会える人がいるということが幸せだ。
オンラインでは味わえない対面の良さがある。
久しぶりにお会いする人もある。
最終ラウンドは、電車時間までにうまく着地できるか?
少しハラハラしながら、1日を回す。自分が回る。
たくさんの笑顔に会えることを楽しみに、出発!
今日は誰と、何を?そしてどんな思い出を?