見えなくなるまで、手をふる。

切なく、何とも言えない気持ちが湧いてくる曲のひとつが、竹内まりあが
歌っていた「駅」。聴くたびに、カラオケで歌うたびに、その曲に描かれている
情景が浮かび、自分の青春時代と重なる。
何十年経った今も同じだ。
30年前、改札で挨拶を交わした人。もうそれ以来会うことはなく、本当に
あの曲のような感じで・・・、どこかしらドラマチックである。
自分が駅や空港を好きなのは、多くの出会いや別れを見てきたから・・・・という
一面もある。それぞれの人生のドラマを垣間見ることができるから・・・。

大好きな映画「ひまわり」のラストシーンもそうだ。列車に乗る元夫、駅で見送る
元妻・・・。それが本当に最後の別れ・・として映画はFINEとなる。
あれも、泣けた・・・・。

駅には無数のドラマがある。人が行き交う交差点、どこからきてどこへ行く・・・。
想像が膨らむが、自分のことになると、なんともいえない気持ちになる。

先日、ある方と新宿三丁目で会食したあと、改札の前で別れた。
30年以上の交流をいただいている人生の大先輩である。久しぶりのうれしい再会であった。
握手をして、お礼を言って、また!と言いながら、私は改札に向かった。
その方は、私が改札に入り。見えなくなるまで、ずっと見送ってくれた。
何度も何度も手を振ってくれていた。私も何度も振り返っていたが見えなくなって、
階段を降りた。
あんなふうに送られたら、たまらないなあ。
久しぶりに竹内まりあを思い出し、地下鉄に乗った。

翌日、メールでその時のことをその方にきいてみたら、
「もうそれが最後になることもあるかもしれないので、しっかり見送ろうと
思い見えなくなるまで、送っていました。もちろんまた会えるけどね。」
という答え。


やっぱりそうなんだ。
人はそれが最後になることもある。
その覚悟をした上で、人に会い、その時間を大切にする。

最後にならないように、また近いうちに会えますように。

それにしても、群衆の中に消えていく人を見送る改札口は、切ない・・・。

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愛について考えてみよう!

ある企業で、楽しいコミュニケーションの勉強会として、「マーサの会」
というのを年に何度かやっている。
20名ほどが働いているが、そして現場と事務所で仕事場が離れており
普段会うことができないため、この機会にお互いを知り、交流を
深め、一体感を醸成するというのも狙い。

今回はバレンタインも近いということで「愛について」をテーマに
グループでディスカッションしてもらった。
誰を愛する?何を愛する?
愛の対象とは実に多様であるが、やはり家族への愛が一番。
楽しい回答をお互いに発表しながら盛り上がる。
そのなかで、まずは自分を愛すること。という答えも出て、驚いた。
それを勉強会の結論にもしたかったのであるが、社員さんからも
その意見が出され、熱く語ってくださった。

そう、まずは自分を愛すること。自分を好きになること。
そしてその次は周囲を愛すること。
家族でも同僚でも・・・身近な人を大切にしよう。
みなさん恥ずかしかってあまり意見を言わないかもと思ったが
意外とそうではなかった。真正面から、「愛について」一緒に
考えてもらえたことは企画者としてもうれしかった。

さて宿題は、
その愛する人への手紙を書く。というもの。
一筆箋、和紙、便せん・・・。好きな紙を選んでもらって、
お手紙を書いてもらう、そして実際に渡していただく。

なぜか普段以上に、みなさんがいきいき、自発的で見ていて
うれしくなる。
インクルージョンな世の中。いろんな個性があるけれど、それを
認め、助け合って一緒に愛ある職場、人生を歩んでほしい。

チョコレートをプレゼントするのももちろん楽しい行事であるが、
改めて「愛について」考えてみること。
そんなValentineも、おすすめしたい。

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大きなサプライズが届く。

出張から戻ったら、小さな宅配の包みが届いていた。
いつもお世話になっている書家の方からである。
なんだろう?何か書いてもらうお願いしていたかな・・・。
そう思いながら開封したら、上の写真にある2枚のミニ色紙が出てきた。
右は、父が免許返納した後に、家族から父に贈ろうと書いていただいた
表彰状のミニチュア版。そして右は私宛に書かれたもの。
右の父宛て表彰状は、実際に当時オーダーしたものは
いわゆる表彰状のサイズ。それをこの日付(父の誕生日)に父に渡した、
そして、葬儀のときも飾り、そして父の旅のおともに・・・。
だからもう1枚もっておきたいとお願いしていた。
それが今、小さくなって送られてきたのだ。
墨も特別なもののようで作品にその説明メモがついている。
青と黄色の墨はウクライナ支援のものだそう・・・。

12センチ四方ほどの小さな色紙。
こんな風に書いてもらったことはないし、手にとったこともない。
いろんな思い出がよみがえり、そしてこんな粋な贈り物をしてくださる
作家さんの気持ちと行動にじーんと感動した。

今日はたまたま、「愛」をテーマに勉強会をする予定。
これもいい話題にさせていただける。
小さな世界に 大きな愛が込められている。

ひまわりの絵はウクライナ支援の墨で書いたもの。
私がウクライナに寄せて作ったひまわりの曲をイメージしながら
書いていただいたのかな・・と想像をめぐらす。

KOUSUIさん、大変ありがとうございました。

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辛抱強い日本海の人。

新潟に通っている時、雪国の人たちは辛抱強い、耐えることが
できる人たちだと感心することがたびたびあった。
雪に向き合い、雪とたたかい、雪と共に生きることの大変さを
当たり前のこととして、生きている。
大雪の朝、自宅の庭に積もった雪から車を救出し、職場へ行ってから
再び雪かき。そこから1日がはじまる、一汗かいてから、仕事。
大雪で外に出られないときはじっと、家で暮らす。
買い物にも行けないから、保存食をつくり、それで冬を暮らす。
黙っているけれど、強い。以前、新潟を襲った地震のあとも
そう思っていた。出会う新潟の企業さんたちはみんな、口数は
多くないが、黙々と働く。
その姿に尊敬の念が生まれた。親愛なる気持ちも芽生えた。

そして、1か月前 能登半島や新潟を襲った大地震。
今なお、その被害の全容は明らかではなく、避難生活を続けている
方も多い、インフラもまだ整わないところも多い・・。
そんななか、あるおばあさんがテレビのインタビューに答えている
姿を見た。
「能登の人は、辛抱強いから大丈夫」
と言い切っておられたその言葉に感動した。強いなあ。
新潟の人と同じだ。

日本海の不便な地域に住む人は、自然環境の厳しさを受け留め
強く生きておられる。
だから、今回の地震のことも絶対に乗り越えられるとの確信を
もっておられるのだろう。だから家から出ないでじっとされて
いた方もおられるのだろう・・・。

日本海の荒波、陸の孤島、厳しい冬、そして静寂の世界。
それが日本海。
モノ言わぬ強さ、それが日本海に生きる人々の魅力かもしれない。

ある知人のおじさま、まさに能登にお住まい。
水道が思うように使えないが、自宅にある井戸水のおかげで
なんとか生活はできている、
つい、最近久しぶりに入浴ができたそうで、喜んでおられた
との話を聞いて、こちらが安堵した。

漁師であるその方は、毎日魚を捕りに行き、普段通りの
生活をおくっておられるとのこと。
もともと、そんな生活をされてきたとのことで、
今も変わらず、静かに暮らしておられるとのこと。
普段から買い物には時々しか出かけず、行ったときに
まとめ買いをするから、食べるモノには困らずこの1か月を
過ごされたとのこと。
不便があっても、生活力・生命力がもともと備わっているのだろう。
凄いなと感心し、頼もしいとも思う。

まだまだ寒さも厳しく、復旧までの道のりも遠いけれど、
どうぞ日本海の人ならではの辛抱強さ、忍耐強さで、この難局を
乗り越えていただきたい。

1か月。あっという間とはいいきれない。
早く、日本海に穏やかな日常が戻りますように。
そして、雪解けの春。
美味しい水、美味しいお酒・・・でもって、雪との闘いも
和解になる。
そんなときを楽しみにどうぞ、どうぞがんばっていただきたい。

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フルーツ盛で33年の感謝。

名残惜しい気持ちでつい、店外からではあるが、1枚失礼してしまったこのショット。
本日1月31日18時30分に、この店のシャッターは、従業員の感謝のお辞儀とともに閉まる。
明日10時になっても、もう上がることはない。


33年営業してきた地域密着の小型デパート。快速で隣駅になる名古屋のデパートに
比べればコンパクトであるが、地元の人々に愛されてきた。

私自身は、この数年のうちにこの存在を知り、途中下車をした際に立ち寄るなど
時々利用してきた。
いつでもある、いつでも開いている、いつでもすいている(混雑していない)から
便利・・とそんな存在であった。それなのに、閉店・・・。
何年か前に、名古屋栄の丸栄も閉店。昭和生まれとしてはデパートの閉店はとても
寂しいものがある。時代が移っていく証しのひとつであるから。
ああ、また昭和の文化がひとつ消えていく・・・。
そんな気持ちで駆け込むお客さん。今日は最後の営業日ということで、おそらく
にぎわうことだろう。店内の棚は日ごとに商品が減り、補充されないため、空き
スペースが増え…。閉店前の店は人は多いが、商品は少ない。こんな状態でも、
きっと最後にこのお店との思い出を胸に足を運ぶ方は多いだろう。
最終日には行けないから、と昨日立ち寄り、何か記念のものを・・・。
そうだ、あれだ!前から一度は買おうと思っていたもの。地下食フルーツ売り場
にあった、フルーツの盛り合わせ。
こちらでの最後の買い物はこちら。小さいのも1個購入して、母の代わりにお世話
になっているおばちゃんにも届けた。
「そう、閉店してしまうんかね~。」
とても名残惜しい。
ということで、閉店していくデパートで買ったこのフルーツを見ながら、いただき
ながら、デパート営業の最終日を思うことにする。
寂しいときこそ、華やかな気持ちで。
1月31日に閉店するお店はここ以外にもあり、今日はなんともいえない
1日のスタートであるが、これまでの営業に感謝して、ファイナルを心の中で
見守りたい。
18時半の閉店の様子は、きっと地元ニュースで流れることだろう。
ああいう場面は苦手だ。

開店して、そしていつかは閉店する。
やっぱりお店も「いのち」。
そして、街の看板、駅のシンボルであった昭和のドラマが
またひとつ幕引きとなる・・・。

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人生100年時代に向かう若者へ

最近、「人生100年時代を生きる」をテーマに授業をやっている
学校があるとのニュースを見た。
まずは100年生きるということはどういうことか?
社会背景から個人のさまざまな変化についてイメージしてみること
からはじまる。
きっと、二十歳前後の学生さんたちからすれば、これから80年も
生きる、生きなければならない・・・というのはある意味大変な
試練に思えるかもしれない。バラ色の人生と思う人はどれだけいる
だろうか?

もちろんバラ色の人生になるためにどのように人生設計をして
どう行動していくのかということを考え、実践するための学びの場
であるから、学生の皆さんも熱心に受講されていた様子が印象的であった。

100年人生を生きるためには、財産が必要。
それも有形の財産だけではなく、無形の財産づくり。
お金で買えないものが、無形財産。
まず健康、そしてさまざまな特技や趣味、人脈・・・。
お金があるだけでは、豊かな100年人生にはならないとの専門家の
話に思わずうなづく。
20代の若者よりも、100歳に近い自分はどうだろうか?
豊かに生き続けるための備えはあるだろうか?
そんなことを点検しながら、
二十歳前後の若者に出会う機会が増えているため、彼ら彼女らの
これからを思う。
今がんばって就活している学生さんたち・・・。彼らの頭の中に
100年時代の発想はあるだろうか?
夢は少し漠然としている方が楽しいかもしれないから、
あまり現実的すぎない方が良いのかも…と思いつつ、
自分が生きる時代より、さらに先が見通せない時間を生きる
若者たちに、今できることを手をさしのべ、応援したいと思えて
くる。

生きることは不安でいっぱいかもしれない。
でも、みんなそうして生きてきた。
ひとつひとつ乗り越えてきた。
だから、
先に生まれた人たちが見守り応援していく。

と同時に、わが人生のこれからも、しっかり!
今できることを、今やる。

人生100年時代。
コマーシャル的なキャッチフレーズとしてではなく
背筋が伸び、あれこれ考えてしまうこのフレーズ。

ほんとうは、そんなに長生きしたくないのだけれど・・。

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小さな力、小さな幸せを感じたい。

能登半島の地震からもうすぐで1か月になる。
なんという新年であっただろうか?
被災地の皆さんのご苦労、心労を思うと、という
時間を毎日過ごしている。
食事の心配、そしてトイレの不安、苦痛、入浴・・
日々のことから、住まい、仕事・・と生活全般の課題、
今後のこと・・・。
寒さや雪のせいで、なかなか復旧も進まないが、
それでも各地からの支援が集まり、ボランティアの参加も
稼働している。
それぞれ自分ができることを!という小さな積み重ねが
復旧につながるのだと思う。
まだまだできることはないか、気になっていることを
ひとつづつ片付けたい。
今は、連絡がとれていない石川の仲間に早くコンタクト
すること・・・。

一方、自分は今のところ、毎日平和に日常生活を満喫
させていただいている。暖房のある部屋、暖かい食事、
お風呂、快適なトイレ、普段どおりの仕事、仲間や家族
との会話・・・。
どれもこれも小さなことであるが、このことができない
方がおられると思うと、もっと感謝しないとな・・という
気持ちになる。
朝目覚めたときから、夜眠るまで・・・。
1日の営みは、小さなことの積み重ねであるが、それを
今日もできる幸せを胸に刻み、ひとつづつしっかりこなし
たい。

小さな力。小さな幸せ。
結局生きるということは、小さな力で小さな幸せをつくる。
ということ。
謙虚に、感謝を忘れず、今日も、今週も進みたい。

被災地の皆様に少しでも多くの安心がお届けできるように、
一日も早く、小さな幸せをたくさん感じていただける日常が
戻るように、今日も祈りたい。

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60代は転換期か。

偶然であるが、最近60代の方とお会いする機会が多い。
つい最近お会いしたのは、市会議員として30年近く地元のために尽力されてきた方。
先日その仕事を卒業され、ご夫婦で共通の趣味をということでゴルフをやったり、週に何度かランチに出かけたりすることを楽しみにしながら、地域活動も続けておられるとのこと。地域をよくするため、精神的に張りつめた生活をずっと
されてきていたため、今はリラックスして、穏やかないい表情をされているのが
大変、印象に残った。
ある60代の方は、コーヒーマイスターの資格をとって、カフェでの仕事に
取り組んでおられる。賑わうお店の厨房で、てきぱきとお仕事されている姿を
先日みかけたが、周囲の若い人以上に若々しく、輝いて見えた。
ある方は音楽家。歌をされている。あと3年。しっかり自分の声がまだまだ
出るうちに、新たな挑戦をしたいと夢を聞かせてくださる。

50代までは若いときから歩んできた道で生きてきた。そして60代になると
定年であったり、さまざまな理由からこれまでと違った道を歩み始め、
そして人生の仕上げの道に向かうことが多いのだということを知る。
元気なうちにやれることをやろう、やりたいことをしよう。
それが仕事の継続であることもあるが、気持ちの中では総仕上げの気持ちで
ある場合も多い。

体がまだまだ自由に動く。それが60代。
70代になってもそういられるように準備するのも60代。

人生を振り返り、悔いのない人生にするために何をすべきかを考える。
これまでの道を歩みながらも、先の道に移っていく。

自分の場合は、基本は変わらず。
でも、生きた証をどうするのか?生きた爪あとをどう残すのか。
それは、
次の世代に何を伝えるのか。も含まれる。

素敵な60代にしたいと改めて思う。
何をするにも、今のうち!
楽しく、でも、ちょっと急ぐとしよう。


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そこに行く理由。

YOKOHAMA。
日本でもいち早く世界への扉を開いた港町のひとつ。
ここは、長崎を知るより前から親しみをもってきたハイカラな町。
中学生のとき、ひとりで大垣発の夜行各駅停車に乗って、初めて下車した
横浜。。。もう半世紀近く前の人生初の冒険。
横浜にくると、いつもハレな気持ちになり、仕事で出かけるときもウキウキ。
そして帰るときには、いつもわが心の友、観覧車を見ながら自分の道を確認し
「これでいいのだ、明日もがんばろう」と元気に駅に向かう。

東京に住んでいるときも、今も同じ、まさに私にとってもランドマークのこの場所。
そこをたずねるお目当てはこの観覧車と、もうひとつ。
お気に入りのレストラン。https://www.mosdining.co.jp/chefs-v-yokohama/
野菜がとてもおいしく、シェフとホールスタッフの
おもてなしが格別だ。そしてこのロケーションが横浜で過ごすひとときを特別な
イベントに仕立て上げる。                 (以下につづく)

そのレストランがこの1月末に閉店との報を知り、ショック。そして慌てた。
なんとかもう一度行かなくちゃ。東京暮らしから名古屋に移ってから訪れる
回数が減った、コロナでさらに減った・・・。ああ、もっと行けていたら・・と
心からの後悔と残念な気持ち・・・。
そして、ここを紹介した方々に連絡を入れる。すると、皆さん驚かれ、大変残念がられた。

早速、なんとか都合をつけ、店に向かう。
ああ、ここ。この空間。この料理。このおもてなし・・・。
もう2月になったら、この店は存在しないのか・・・と思うとたまらない気持ちに
なる。

お店はいつでもある、とお客は思っているが、実はそうではないことを、コロナで
知った方も多いはず。この店はコロナは頑張って切り抜けたが、他の理由で今回の
結果となった。
とにかくお店はひとつの「いのち」。ある日生まれて、そしてある日終わる。
空間がそのお店独自の料理、サービス、演出といった人の力によって、素敵な店に
いのちある店になっていく・・・。
お気に入りの店がなくなることは、言葉にならないほど寂しいものだ。

カウンター席から海を眺めると、日本丸やそして、わが観覧車も見える。
何と贅沢なランチを、ディナーを幾度も楽しませていただいたことだろう。
一緒にここで食事をした方、ご案内した方、ここで出会ったスタッフ・・・。

いろんな顔が浮かんでくるが、みなさん、とびっきりの笑顔で幸せ時間を共有した。
そんな思い出とともに、束の間のラストディナー。

最後のデザートをいただき、新幹線の都合で、後ろ髪をひかれる思いで店を後にする。
桜木町に向かう途中、何度も何度も観覧車を眺め、なぜ、ここに通ってきたのか
と改めて問う。
その理由のひとつであったそのお店が、営業の灯を消すことは、なんとも、なんとも・・・。
でも、長きにわたり素敵な時間を与えてくれたお店に感謝し、これからの新たな展開にも
期待したい。
この週末はラストウィークエンドの営業になる。さぞかし、多くのファンが足を運ばれる
ことだろう。最後の瞬間まで、美味しいお料理とおもてなしで、お客様に感動を伝え、
良き人生の思い出となるように心から願っている。

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還暦から回り始める観覧車、出発。

組織で働き、活躍してきた同世代の仲間たちは、60歳を節目に
次のステージに・・・。
いつかそんな日がくるのかと他人事のように思っていたが、
まさしく昨年からそんな例が続いている。
自分の周りでは、60歳で定年退職する人はほとんどおらず、雇用形態を
変えて勤務を続ける人、役割が代わって同じ会社で仕事を続ける人・・。
どちらかというと、長年勤めた職場で引き続きというケースが多い。
ではあるが、最近、それも続けながら、自分がしたかったことに挑戦したい
と動き始める人もいて、独立開業、創業するにあたってのアドバイスを
求められることもある。
アドバイスなんておこがましいが、まあ25年ひとりでやってきたことが
これから自営になろうとする人には参考になる点もあるようだ。

人生あと5年かもしれないし、やりたいことに賭けてみたいんだよね。
これなら自分は世の中の役に立てるかもしれない。だから今しかない。
とにかくこれまでの35余年の社会人時間を活かして、次は自分でやって
みたいんだよね。
そんな思いを最近、聞かせてもらう機会が増えている。
35歳を前に脱サラを決めた自分の当時に比べ、60歳からの創業開業は
勢いよりも重みがある。そして、人生の総仕上げに向かう覚悟も感じること
ができる。60歳になって新たな挑戦を始めようとするとは、なんと素敵な
ことだろう。
そんな仲間の再出発をどんどん応援していき、私自身もさらに向上心をもって
新たなことも、積み重ねてきたことも選んで実践していく覚悟だ。

「しっかりした税理士さえついていれば、まずは大丈夫なんじゃないかな」・
と、たまたま連日そんな会話をしている。
新年なので、余計にそんな思いが膨らみ、やらねばモードになっているかも
しれない。
経験を積んできて、さらに今後世の中に役立ちたいとスタートする人たちの
目は優しく、輝いている。そう、ギラギラしていないのだ。

高齢化社会は、経験を世の中に還元する社会と言い換えたい。
元気なうちに、やろうと思ったことを、一緒に!
人生、存分に生きなきゃ!

還暦は60年で1周する観覧車が一回り。
さあ、ここから二回り目。
5年で回るか、10年で回るか。
そのコースはさまざまであるが、
とにかく、
ここで止まらず、回り続けるとしよう。

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