お父さんと乾杯!

最近、お世話になっている方のお父様が亡くなっておられたことを
知った。昨年の末ごろから、食事がとれなくなってきているとお聞き
していたが、自分の父の時のことを思い出し、あまりたびたび様子を
伺うのは・・・と思い、自分から尋ねないようにしていたが、
教えていただき、できたらもっと早く知って言葉をかけるべきであった
ということと、今のお父様を失くされた心境を思うと、自分の時のこと
を思い出し、なんともいえない気持ちになった。
どこに行っても会えない寂しさ・・・わかる、わかる・・。

お父様と一緒に私のライブに来ていただいた15年ほど前のことを
思い出し、ああ仲の良い父娘だな~と思ったことが昨日のようで
その後も、何度もお父様のことはお聞きしていた。
一緒にビールを飲むことが好き、もともと北海道の方とのことで、
サッポロビールがお好きだったようで・・・。
親子で乾杯とは、いい景色。
ふと、自分も父と乾杯をしていた頃のことを思い出した。

気が付くと、サッポロビールを送っていた。
お花より、お線香より、こっちが喜ばれそうな・・・。

乾杯するごとに、お父様のことを思い出す。
今は寂しさが増すかもしれないが、きっと時間を経て
良き思い出とともに、いつ見守ってくれていると
気持ちを上に前に向ける日が訪れるだろう。

親との別れ。避けられない人生の試練ではあるが、
感謝を忘れず、受け継ぐべきことを大切に、
生き続けていく。
人生はリレー。何を受け取ったか。
ここをしっかり確認して、前に進みたい。

敦ちゃんのお父様に感謝しながら、心からのご冥福を
お祈りいたします。


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いつか終わる、できあがる。

昨年末からはじまった仕事。ある企業のコーポレイトサイトのリビルドである。
近年、1年に1件はこの類のテーマにも取り組んでいるが、今進めているのは昨年の
秋から企画がはじまったもの。
そこからチームで役割分担をして、原稿作成をし、雪の年末に撮影をして・・・今
はデザインも完成に近づき、2月末、3月末と段階的に公開できる目途が立ってきた。
最初の段階は何もカタチがない。
どういうものをつくればよいか?クライアントの要望は?その先のメッセージターゲット
への響き方も考えながら、あれこれと提案しながら、議論を重ね、クリエティブスタッフ
にデザインを依頼しながら、作り進めていく。
プロデュース、ディレクション、コピーライティング・・・。
前職含め、こういった仕事を長年してきたせいか、やはり今もゼロから作り上げていく
仕事は馴染みがある。
自分が引っ張っていかないといけない緊張感と責任があるため、プレッシャーもあるが
その苦しみを越えての作品づくりとなる。
思えば、正月三が日もずっと考え、原稿を書いて・・・という年明けであった。
それが今だいぶ形になり、ゴールが見えてきた。
「あと一息です。もう少しです。」
と、チームにも声をかける。
姿かたちが見えてくると、安心する。
しかし、印刷物であれば刷り上がるまで、WEBであれば公開するまで、本当に安心は
できない。

はじまりはいつも、何もないところからのスタートである。
どんなものを作りたい、誰に何を伝えたい。
そこからはじまる。
ゼロからつくる生みの苦しみと、できたときの達成感。
苦労があるから、歓びがある。

終わりなきトンネルはなし。

今、トンネルの向こうの光が見え始めている。
もうしばらく、もがくとしよう。
仕事は、こんなことの繰り返し。

生きている間に、どれだけのトンネルを通るのだろう。

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分身つくる仕事。

仕事と作業は違う。
作業はモノづくりなど行う場合に必要な、体や手先を使って行うしごと。
指示されてそのとおりに動くのが作業。作業をしないと、モノはできない。
どうしたら生産性を上げることができるか?を考えて動く、または人や機械を
動かすのは作業ではなく仕事。
考えて、工夫したり改善することは、仕事である。
作業は他の人でも対応できること。仕事は本来、自分にしかできないこと。
また作業は労働でもある。

私が希求したい仕事は、作業ではなく自分で考え、つくりだす仕事。
できたら他の誰もしないことに挑戦したい。
そう、私にとっての仕事は想像であり、創造。
とくにコミュニケーションを軸に考え、生み出す仕事。
その結果、その制作物や商品から、メッセージを伝えることができたら、
それは最高の幸せ。

そんな仕事をしていきたいと考える。
言い換えれば、仕事は自分のいのちであり、自分の分身づくり。
そう思うと、こだわりも生まれ、いい意味での執着も生まれる。
いいモノをつくりたい。いいコトをしたい。いい時間を生み出したい。
そんな思いで、今、日々の仕事に取り組んでいる。

先週リリースしたアルバムはまさに、自分の分身。
そして、今日々取り組んでいるクライアントのお仕事も自分の分身になる。
いいサイトができた、いい商品ができた。
お客様と一緒に喜びを分かち合える商品づくりに関われることは幸せだ。

分身をつくるしごと。
やりがいがある。
今日も分身づくりに励みたい。

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理想の終わり方を考える。

最近、改めて考えさせられた、理想の終わり方。
オランダの元首相(93歳)が夫婦で安楽死を選ばれ、手をとって
人生を終えられたというニュースを知り、つい、いいなあ。と
思ってしまった。
そして、しばらく忘れていた安楽死のことを再び思い出した。
オランダやスイスなど一部の国では、一定の条件を満たせば、
安楽死ができる。合法である。

何年か前、新潟のある女性が難病のため、安楽死を選択し、
海外に移り、その願いを遂げたというドキュメンタリーを見て
そのときも心動かされた。その方の勇気と、そしてそれを受け入れた
家族の気持ち。自分ならどうするか?を考えた。

そして今回は「夫婦で安楽死」について。
70年連れ添ったお二人、お互い相手がいなくては生きて
いけない。だから終わりも一緒に・・・。手をとりながら亡くなっていく。
なんと素敵なことだろうと思ってしまった。

残す、残されるはなし、一緒に旅立つ。
もちろん事前準備はしっかりしていかねばならない。
頭もしっかりしていなければ、この選択は難しい。

究極の終活は、安楽死だ。
もちろん、ぴんぴんころりが一番いいけれど、
いざとなったら、安楽死という選択肢もあれば・・・。

日本では認められていない。何かと生きづらい国だ。
人生の終わりまで、なんとか自分らしく生きたいものだ。

一緒に旅立つ。理想の終わり方。
父と母は、一緒ではなかったが、続いて旅立った。
最後に会えなかったから急いだのだろうな・・・。

安楽死。考えたいひとつの選択肢である。

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完成しての歓びを分かち合う

今回のアルバムの音作りを担当してくださったエンジニアの
T.Iさんから以下のメッセージををいただいた。

ぜひ、マーサさんの演奏を聞いてくれた人々に
マーサさんのお気持ちが伝わり共有していただけたらと
思っております。

余談ですが、昨今、パソコンで色々とできる
時代になり、あとで修正や補正ができたりと、
我々が生きている一瞬一瞬の時間の価値(意味)が
疎かになってきていると感じております。


あのスタジオは、そんなことは無く限りなく
自分自身と向き合い、限界に挑戦するスタジオであり、
人を成長させてくれるスタジオだと思っております。
(私も日々スタジオに育てられております。)

今回、マーサさんという人の生の音をしっかりとCDに込めることが

できたと自負しております。

・・・・・・・・・・・・ここまで。

改めて昨年の11月のレコーディングのことを思い出す。

私の声を研究し、それに合う最適なマイクを用意され、
本当にいい音をつくってくださった。

早速お聴き頂いた方からはこんな感想をいただいた。

CD聴きました!最初に思ったのはとにかく音がびっくりする程良いということです。

ピアノの音も透き通っていて、今尾さんの声もとても立体的で素晴らしかったです。

・・・・・・・・
音へのこだわりが伝わって、うれしい。

モノになってこそ、やった!という歓びが沸き上がる。
ネットにアップするだけでは、やった!は瞬間で終わってしまう。
手にもって、目でみて、耳で確かめることができる・・・。
CDはまだまだ必要な作品形態だ。

完成した実感が毎日、じわじわ・・・。
いろんな声をいただき、本当に幸せだ。


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まーちゃん、ごめんね。

両親がなくなってから、実家は第二の仕事場でもあり、創作場になっている。
定期的にパトロールしながら、有効活用している。
とくにピアノ。
実家に棲んでいるピアノたち。
私にとっては、まさにそんな存在だ。
それらは、今回の新しいアルバムの中でも歌っている「大きな古時計」
のような存在かもしれない。

親がいなくなってから、グランドピアノに「まーちゃん」と名付けた。
最初はマドレーヌとか、横文字にしたけれど、やっぱり自分の分身だから
まーちゃんにした。子供の頃の自分は、近所のおばちゃんたちにそう呼ばれていた。
(そういえば、アップライトにはまだ命名していないが、「まあねえちゃん」とでも
命名しようか・・・)

このピアノ姉妹?は、私が子供のころから大きな古時計のように
ずっと私を見てきている。
小学生のときまでは、アップライトピアノ。
(幼稚園のときはオルガンだ)
中学生になってからグランドピアノも入居してきた。

昔住んでいた古い自宅 六畳間に楽器がすべて置いてあった。
ピアノ2台とエレクトーン。今想像したらすごい世界だ。まさに楽器部屋。
親はどれだけ貧乏をしたことだろう。内職を毎日していた・・。
父は車好きであるが、車購入は楽器購入に消えたと母に。いつも言われていた。

その後、30年ほど前に、現在の実家に楽器たちも引っ越した。
私はそのとき、そこにいなかった。京都にいた。

いつか娘がかえってくるであろうというはかない夢で作られた
大きなレッスンでもできそうな部屋。そこに、ピアノ姉妹がいる。
実家に行くと、いつもグランドの方を弾いてしまう。
やはりゴージャスだから、そちらで弾くのが当たり前になっている。
アップライトはその傍らでじっと私を見ているのだろう。

ピアノには、演奏する前も、途中も、終わった時も
話しかけている。
そしていつも二言目には、
「まーちゃん、ごめんね。」という。

18歳で岐阜を捨て、京都に行ってしまった私はこのピアノたちを
置き去りにしたのだ。
それから35年近く、ピアノはほとんど弾かれず・・・であった。

それが急に、私が自宅のピアノを頻繁に弾くようになった・・。
一度見捨てられたピアノたちは、
なんじゃ?急にかえってきて!と思っているかもしれない。

置き去りにしていったから、ごめんね!なのである。

でも、グランドのまーちゃんは、いい音を出して、演奏させて
くれる。本当にありがたい存在だ。
このまーちゃんは、私の若き日の音楽人生を一番見てきた存在だ。

18歳の時の方がうまく弾けていたのは、まーちゃんが一番知っている
はずだ。でも、今、私はそこに追いつかねばと思っている。

マーサとまーちゃん。
死ぬまで、一緒にいたいと思っている。
それぐらい、私にとってはかけがえのない親友なのだ。
置き去りにした分、大切にしなくては。
それが両親へのお詫びと感謝の気持ちでもある・・・。

まーちゃん、そう呼ばれていた少女時代。
あまり変わっていないような、そんな気がする。

昨日はピアソラの楽譜を見ながら、所見で演奏をしていた。
クラッシックからアルゼンチンタンゴまで・・・
鍵盤に向かっていれば、勝手に指が動く。新曲も沸いてくる。
まーちゃんは、なんでも付き合ってくれる。
私の想いを音にしてくれる。最強のパートナー。

まーちゃん、ごめんね。ありがとう。
父さん母さん。素敵なお宝を、ほんとうにありがとう!

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かな文字礼賛

あるお店の男性販売員の人から名刺を受け取った。
名前をみると「とも」と書いてある。
思わず「へえ。ひらがなの名前って珍しいね」
と反応してしまった。
きっとよくそう言われてきているのだろう。
「そうなんです。うちはみんなひらがな二文字の
名前なんです。あい ゆう とも です。」
「へえ、いいねえ。すごいいい名前、お父さんお母さん
よく考えられたねえ。ほんとうにいい名前だわ。大事に
しなくちゃね。」
すっかり、そのへんのおばちゃん状態で、若き販売員さん
にこんな風に話してしまった。

若い人の名前は最近、キラキラネームといわれる、当て字の
ような、正直読めない、時々理解できない名前も増えており、
昭和のまさに自分の名前のように「◌子」という名前は最近はめったに
お目にかからないし、それがいいとは思わないけれど、
読めない漢字の命名にはちょっと疎外感を感じるときもある。
それに比べ、このひらがなの名前は、なつかしくもあり、新鮮であり、
そしてなんとも漢字にはない、やさしさを感じることができ、好感も増す。

大正、明治と時代をさかのぼると、女性の名前はかな(カナ)に文字
も多かった。(最近、お墓に行くときよく墓石に書かれている名前を
観察している・・・)はな、とめ、ウメ・・・。私の知り合いにはハル
さんという方もおられる。
カナ文字の名前。改めて見てみるととてもシンプルで、親しみがわく。

名刺1枚で、相手の名前を知り、そこからコミュニケーションが生まれる。
そういう点では、私の名前は、名前自体からは会話は発展しないかも
しれないが・・・。

そういえば、先日参加したある企業の株主イベントでは株主のことを
「株主さま」と記載していた。これも、とてもやわらかいいい表現だと
思う。

日本人だから、今改めてかな文字コミュニケーション、改めて大切にしたい。

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遠くから旅して、そして・・・。

ある会で全く知らない女性二人と出会った。
束の間の交流であったし、名前も連絡先も交換しない、
まさにその時だけのふれあい。
人生、こんなこともあるし、これもたまには良いもの。
その場かぎりの会話でも、十分に刺激や発見がある。

今回お話しした二人の女性は、旅がお好きなようだ。
おひとりは70代後半ぐらいか。
でも、背筋も伸びてしゃきっとされている。
「ポルトガルからスペイン、カナダ、アメリカ・・いろいろ
行きましたが、遠くから行っておこうと思って。」
アジアはもっと先で良いとのこと。
今のうち、元気なうちに遠くへ旅しておこう。いろんなことを
してみよう。
年を取ったらだんだん近くへ・・とおっしゃる。素晴らしい。

もう一人の方は40代ぐらい。
この方、留学経験もありオーストラリアなどがお好きなよう。
そして好きなブランドのホテルを世界中泊まっておられるようだ。
国内外のホテルを私もかなり利用してきたので、初対面でも話が弾む。
お二人ともリッチな人生を送ってこられている。

そう、旅は若い時に元気なときに。
コロナ前は、遠くまで行くのも平気であったのに、
今はひたすら国内をさまよっている。
コロナのせいか、戦争のせいか・・・。
今じゃなくていい、と思っているふしもある。
もちろん外に出始めたら、また止まらなくなるだろう。

思えば、ほんとうに十分、遠くから旅をしてきたわが人生。
もう思い出も、経験も十分ある。
今は、もっと違う世界に興味が向いているのかもしれない。

旅することが好きな人は、若々しい。
世界に目を向けているから、いきいきとされている。

遠くから旅をしよう。
そして、生きる限り旅を続けよう。

行っておいてよかった。と、今まで巡ったさまざまな国や場所が
いつでも次々と浮かんでくる。

束の間のマダムたちとの会話で、久しぶりに海外に出たときのことを
思い出した。自分の一つの時代を。

どこに行こうが、行こまいが、
人生そのものが旅。毎日をしっかり生きること自体が、旅をしているような
ものだと思う。
遠くから旅する、内面を旅する。

楽しみながら、今日も旅心をもって生きたい。

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おばちゃんの気持ち。

母の代わりにと思っている実家の近所のおばちゃん。
母の親友であった。商売をなさっているので、今も看板娘として
毎日お店に出ておられる。
母亡きあとは、このおばちゃんによく会いに生き、母にしたように
どこかの出張土産だとか、つくったものだとか、いただきものを
持っていく。
月に2~3度はお店に寄っているかもしれない。
おばちゃんは、80代であるが、本当にしっかりもので、今も家と
お店の往復には車を運転され、お店での接客も昔どおりである。
岐阜新聞でのコンサートも、欠かさず、毎回お友達と来てくださって、
本当に母代わりのようによくしていただいている。

昨年、秋の岐阜でのコンサートにもおいでいただき、
「みなさん、喜んでみえたよ。よかったわ~」
親がいなくても、お客様が大勢きてくださったことに
一緒に喜んでいただき、
「次はCD楽しみに待ってるね」
と応援してくださる。

遂に4枚目のアルバムができたので、まずはおばちゃんにと
持っていった。行く前に電話をする。
「昌子です。CDやっとできたし、これから持っていきます」
おばちゃんは、待っていてくれた。

「これ、どうぞ。」
ほんとうは、親の代わりなので、そのまま渡して帰るつもりだったのに
おばちゃんは、財布からお金を出して、
「えっと、いくらやったっけ?」
支払いの準備をされる。
「いいて、いつもいろいろもらっているし、お母さんの代わりやで」
とお金はいらないといったら、
「あかん、あかん。これだけはあかん」
とおばちゃんは、くしゃくしゃになったお札と、小銭を私に握らせて
くれた。
これ以上言うと、かえって悪いかなと思い、
お礼を言って、そのまま握ったまま失礼した。

帰り道、お金をしまいながら、おばちゃんの気持ちを思ったら
涙が出てきた。お店で稼いだ大切なお金、おばちゃんのお小遣いか・・・。
なんだかありがたく、もったいなく・・・。

ほんとうに、母のように、CDの完成を待っていてくれたのだ。
このように応援してくださる方たちがいてくださって、
今の自分がいるのだと、思うと、ほんとうにしっかりやらなくちゃと
思った次第。

「この表紙に、ほれ岐阜城が写ってるやろ。それで鵜飼の漁火の灯りと、
きんきらの信長をイメージして作ったんやよ。岐阜らしいやろ?」
「ほー、いろいろ考えてやるなさるんやね」

今朝もこんな会話が頭の中で蘇る。
しっかり、親孝行をしなくてはと改めて、強く思っている。

人の気持ちを大切に、感謝を忘れずに今日も生きたい。
早速、ご注文いただいた皆さま、本当にありがとうございます!

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Valentineに幸せ時間を贈る

Valentine。その昔はチョコレートをプレゼントするのが慣習となっていた。
義理チョコとか、今もあるのだろうか?今から思うと懐かしい。あれはあれで楽しい時代。
コロナでその習わしも変わったようであるし、デパートのチョコ商戦はすっかりギフト市場ではなく自分へのご褒美市場へと変わってきている。これは時代の変化。
まあ、昔のさまざまな思い出も悪くない。
そして、今どきのバレンタイン。
おかげさまで予定通り4枚目のアルバムもリリースでき、なんとかその当日に
Valentineコンサートに出かけることができた。

時々演奏に伺っているデイサービスの施設から、
「マーサさん、今度はいつ来てもらえますか?」と聞かれ、
「じゃあ、バレンタインにしましょう」ということで、本企画は決定。
20名ほどの利用者さんと数名のスタッフと一緒に楽しむバレンタインコンサート。
歌で、音楽で愛をみつめ、愛を育む。そして人生の先輩たちへの感謝を伝える時間。
なぜ、自分がここに演奏に行くか。
聴いてくださる人たちが、みるみる変化していくのがうれしいから。
乗り出して聴いて下さる方、動かせる手で足でリズムをとって楽しんでおられる方。
どの人も、心から楽しんで耳を傾けてくださる。この反応が私にとってのギフトでも
ある。
45分ほど語り、歌い、一緒に楽しむ。
持ち込みのキーボードであるから、十分な演奏はできないけれど、「これはグランドピアノです。そう思って聴いてくださいね」それでよし。
少し喉の調子を心配したが、気合で本番を無事乗り切った。
こんな素敵な装飾をしていただいて。前日までにスタッフと利用者さんがせっせと準備を
してくださっている。
自分のようなものが、誰かの愉しみに、幸せな時間に関わっていられることに感謝。

ということで、今年のバレンタインはアルバムのリリースとともに、愛のコンサートで
心のギフトを行う。

人に喜んでいただけることが、本当にうれしい。
「また来てね。がんばってくださいね」
皆さんが、手をふっておくってくださる。
帰り際、すでに施設のBGMに新しいCDが流れていた。
感無量の愛のバレンタイン。
みなさん、どうぞ今日もお元気で!

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