生きる証しとしての仕事=創造。

昨日書いた元日雇い労働者の人々を撮り続けてきているカメラマンの存在を知った
ことがきっかけで、仕事とは?についてあれこれ考える。
同時に、確定申告の時期には、自らが1年働いてきた結果が見えて、1年間経済面でどうであったかと改めて見直す。これはこれで社会人として大切なことであるが、
いくら売り上げたか、いくら利益を得たか・・が最終目的なのか?といえば、
決してそうではない。もちろん業績が良いとありがたいし、気持ちも引き締まるが
内側から湧き出る歓びとは、数字とは違う。

お金になることもうれしいし、生きていく上では大切であるが、それ以上に
相手が喜んでくれたり、感動してくれる。このために仕事をしたい。
と思う。その結果、経済が伴えばそれはそれでいいし、伴わなくても気にしない。

自分がやった仕事=創造。残した作品は、残る。
それを楽しんだり、愛用したりして、その人のよき暮らしに、時間にほんの少し
光や潤いをプラスできたら、とてもうれしい。相手が企業でも、個人でも同じ。


先日リリースした新しいアルバムを早速ご注文いただいた方から便りが届く。


♪家で、車で出かける際もCDをかけて毎日聴いてます。

曲の中に「ひまわり」の曲が入っていて、マーサさんの歌声が入っていて
驚きました。曲解説にも記載されているとおりですが、ロシアによるウクライナ侵攻で再び上映され注目されている映画で、学生時代を思い出し、地平線のかなたまで広がるひまわり畑が映し出され、あまりにも有名な映画で改めて映像美に酔いしれました。何回みても泣けます。心から平和を願ってます。
ご両親への曲、まさに愛と人生の讃歌にステキな演奏に酔いしれました。心が落ち着きます。ありがとうございます。♪

とこのように、毎日誰かが歓びの声や、うれしい感想を届けてくださる。私の曲や演奏から
人生をみつめていただいたり・・そのきっかけになっていることもうれしいこと。
毎日通勤の車内で聴いて、だいぶ口ずさめるようになりました~。なんて嬉しい声も。
なんだかその人と一緒に生きているような気持ちになってくる。

これらの声が、反応が生きた証しとなる。
生きた証しになる仕事をもっと増やしていきたい。

毎日、そんなことを少しだけ意識していたい。

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会いに行きたいカメラマン

今どきは、スマホで誰でも簡単にそれなりの写真撮影ができてしまう。
プロとアマチュアの差が、素人の方には一見わかりづらいということもあり、
プロのカメラマンにとっては、なかなか生きづらい時代でもある。
ほんとうは、素人が撮るのとプロが撮るのとは、雲泥の差があるのだけれど
スマホの進化、影響力はなかなか大きい。
と言いつつ、私自身は、カメラマンを生業としている仲間も何名かいることも
あり、職業としてのカメラマンには敬意を表しているし、応援もしている。

そんななか、その方の撮影の腕(技術)だけでなく、写真への向かい方というか、
撮影を通じた社会貢献というか、その取り組み自体が素晴らしい!
そんなカメラマンの存在を知り、大いに刺激を受けた。
石津武史さんとおっしゃる。もう80歳を越えておられるようだ。
少しその活動を調べてみるとアマチュア写真家と記載されてはいるが、
これこそ、プロフェッショナル!と思うカメラマンである。

その方のことはドキュメンタリー番組で知った。
大阪で活動されている方である。人や街を撮り続けておられるようだ。
今回感動したのは、
大阪で日雇い労働者の方たちや、生活保護を受けて暮らす、家族や
身寄りのいない男性たちのポートレイトを無料で撮影され続けているという
取組みだ。

年に2回、その地区(釜ヶ崎)の広場に仮設の写真館を開設され、
これまで写された写真をずらり展示され、そして撮影ブースも併設し、
撮ってほしい人は無料で撮影してもらえる。
何かの手続きに必要な証明写真用であっても、目的はなんでも
良い。とにかくプロのカメラマンが自分を素敵に撮ってくれるのだ。

ある男性は毎年、撮ってもらいに来ている。
これが遺影になるかもしれないと、そんな気持ちで、生きた証しにと
撮影してもらう方もある。
とにかくその写真に浮かび上がる表情が最高なのだ。
どんな仕事をしていても、していなくてもひとりの人間が生きている
という証しをうまく表現されている。
その一人一人の「素顔」をうまくとらえた写真なのだ。

そしてその広場では年に一度、1年の間に亡くなってしまった方たちの
慰霊祭も行われるとのことで、そこで撮影された写真が飾られることもある。
同じ地域に住む、素性も知らない仲間たちが手を合わせる。

家族も仕事もなく、ひとり老後を過ごす人たちが、
「写真は思い出やからな。」
と語る。
そして、その人たちには今は分かれ分かれになってしまった
家族たちの写真がある。大切にもっている。
写真は世間とつながるツール、思い出す貴重なツール。
写真は、ずっと幸せな時間を思い出せる道具なのである。

カメラマンに撮ってもらった写真は、自分が生きた証しになる。
「もし、わしが死んでも、この写真があったら、生きたということ
は残るから。写真はいいな」

このカメラマンのライフワークについて、
本当に素晴らしく、心から尊敬する。
撮影で人が幸せになれる、生きた証しとなる。
そんな写真を提供できるなんて、素晴らしい仕事だ。

売れているとか、売れていないとか、そういう問題ではない。
自分ができることを通じて、人の役に立つ。
ここが大切だ。
一度、ぜひ会いに行きたい。この仮説写真館もぜひ一度
出かけてみたい。

自分は何ができるんだろう?
そんなことを考えるきっかけをいただいた。
今朝もずっとそんなことを考え続けている。
好きなこと、できることで、誰かを幸せにできるのであれば
ほんとうに幸せだ。

カメラマン。
人生の証しを遺す仕事。
真の意味で、プロにしかできない仕事。いや神業かもしれない。



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なつかしき新宿、歌舞伎町

思えば、新宿で暮らした23年は長い。わが人生で最も長く住んだ町、神楽坂。
ここも新宿区である。新宿は思えば広い街、ビッグシティ。
今も神楽坂界隈を公私の用事で歩くことがあるが、とにかく懐かしいことが
いっぱいある。京都につづき、私の第二の青春の町。

懐かしい新宿。最近、ご無沙汰しているエリアがある。
歌舞伎町である。もっといえばゴールデン街。
新宿歌舞伎町に新しいビルができたなどニュースで町の様子を見るたびに
ああ歌舞伎町も変わったと思いながら、あのゴールデン街はどうなったのか、
そこで出会った店のママたちはどうされているのか?となつかしさが
蘇る。

昭和の時代を代表する飲み屋さんの業態といえば、スナック・クラブ・バー・・。
世の男性は、よく通われたことだろう。新宿が華やかな時代を思い出す。
馴染みの店があるということは、仕事をする上でも大切であった。
そんなか、スナックのママさんやその仲間の皆さんとも出会い、
何十年も経った今も、細々ではあるがやり取りが続いている元ママもいる。

当時は、いろんな人をお連れしたり、そこで小さな会をやったり、またママと
公私ともにいろいろ話し合ったり・・・。
今から思えば、本当にいろんな人生を見せていただいたなあ。
今でこそ、LGBTが社会に理解されるようになってきたが、30年前の新宿には
すでにいろんな女性が新宿にはいた。声が低くて、きれいな女性。いろんな人生
を見ることができた。夜の市場はある意味、開かれた世界だったのかもしれない。

今朝、落語で飲み屋のママが出てくる作品を少し聴いたきっかけで、
新宿歌舞伎町の思い出が湧いてきた。

ママ、元気かな。今日は一度電話をしてみるか。

思えば、私は昼の世界だけでなく、夜の歌舞伎町でも社会勉強をして、育って
きた・・・。祇園、柳ケ瀬・・・いろんな飲み屋街があるが、新宿歌舞伎町は
どことも違う、独特な忘れがたき心のふるさと。

ああ新宿。やっぱり演歌が似合う町。
昭和を生きた自分には、懐かしすぎる思い出の町。

そのうち、探検してみよう。何か新しい曲でもできるかも?

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空想コラボで、自分らしく生きる。

自分の生き方は、われながら、まあ自分らしいと思う。
相対的に生きたくない、誰かと比較されることなく、
唯一無二の自分として、自分ができることで生きていきたい。
と30代から、そして今もそう思い続けている。
このスタイルは間違っていなかったと思っている。

自分ができること。
大したことはできないが、少しはできることがある。
それを生きている最後の瞬間まで希求したい。
自分が取り組むテーマを思い描き、それを実践することは
意味があると思っている。
創造的な生き方につながると思っている。

周囲に環境に流され、生きていく生き方もあるが、
自分には幼い頃から、周囲への反発や違和感を感じることも
あったせいもあり、自我が早く芽生え、独立心が若いうちから
育ってしまった。それが良かったかどうかはわからないが。
哲学に出会ったおかげで、まずは疑う、考えてみるという習慣も
身についてしまった。

だから、世の中のルールとされていることでもおかしいと
思うことが多く、いつもそこには入りたくないと思う自分がいる。
それでいい。

自分らしく生き切る。
人生も間違いなく後半に来たのだから、これからもテーマを決めて、
それをひとつひとつやり抜こう。
テーマなき人生はありえない。

ということで次なるテーマは、
尊敬する人との対話。
時間、距離、歴史を越えて、人はコラボできる。
ほんのさわりであるが、ザビエル、信長、そして芭蕉・・。
みんな私の空想コラボ。

誰にも邪魔されない、独自の発想での次なる展開の模索。

小学生の頃から大好きなピアノソナタを弾きながら、
次なるテーマを考える。

そんな時間をもてるのは、幸せなこと。
自分らしく、人がしないことを思いつく瞬間を
楽しみたい。

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活動再開、活力湧き出る

コロナがあけて、ようやく活動が再開・・・。
飲食業やリゾート、サービス業だけでなく、
アーチストたちのライブな活動がまさにそうだ。
自分も久しぶりに自主コンサートを再開した昨秋。
そこから勢いでアルバム制作や、配信ライブなどにも
挑戦。
やらねばムードが自らに湧き上がってきた。
仲間たちも、それぞれのやり方、表現で活動を再開。

そんななか、これまで何度も演奏を一緒にしてきた
尺八演奏家 鯨岡徹さんの音色を久しぶりに聴いた。
今回はソロではなく、尺八四重奏という一風変わった
演奏スタイル。
クラシックであれば四重奏もおなじみであるが、尺八で?
実は、このユニットの存在はもちろんご本人からも聞いて
おり、知ってはいたが聴いたことがなかった。

今回、コロナ後、4年ぶりのライブ。
どんな構成でどんな曲目を、どんなアレンジで演奏するのだろう?
いろんなことが楽しみであった。
そして、久しぶりに聴く尺八の音色はどんなんだろう?

新潟でよく聴いてきた、あの懐かしい尺八の音色。
ああ、ひさしぶり、ああ、やっぱりいいね。
四重奏という取り組みももちろん良かったし、
そして、しばらくきいていなかったうちに
音がとてもいい!・・というと偉そうな表現になるが
それがとてもうれしかった。
演奏キャリア、年齢を重ねるにつれ、音に深みが増し、
円熟さをもって、なんとも言えないいい音色に・・・。
時間をかけて自らの音を磨いてこられたんだな・・・。

声が人によって違うように、尺八の音色も演奏する人によって
全く違う音になるということを、今回の四重奏を聴きながら、感じた次第。

とにかくコロナを経て、いろんな苦労を経て、やっと久しぶりに
お客様の前で演奏できる・・・その晴れ舞台に同席できたことがうれしく
最初の音色が聞こえてきたとき、思わず目頭があつくなった。
よく続けて、がんばってこられたなあ。

なんといっても、緊張しながらも、楽しく演奏されている姿も
良かった。

尺八を身近に、お客様を笑顔に。


そんなフレーズを何度も四人で声を合わせ、会場を沸かしていたことも
良かった。

ユニットでできること。いろんな可能性を感じるステージであった。
久しぶりに尺八とのコラボもやりたい・・・そんな気持ちも高まる
活動再開ライブ。
盛会で良かった。

今日は島根へ向かうとのこと・・・。演奏旅行もできるようになり
ほんとうに、ほんとうに良かった。

https://hachiku.office-isana.jp/

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涙まみれの瞳に。

日々いろんな出会いをいただく。
この仕事の一番の歓びは、日々変化にとんだ人との出会い、
コミュニケーション、交流、学び・・・。
何もない日は1日たりともない。

ある会社の社員面談を続けている。
管理職から一般職にいたるまで・・・。

ある男性社員と面談した。
障がいをもたれており、歩行や動作、会話にも支障がある。
しっかり話しを聴きたいと思い、会話をはじめる。
その方はゆっくりゆっくり、体内から絞り出されるような声で
自分の言葉を発してくださる。
一言一言を聞き洩らさないように、こちらも集中する。
少し話せば、そのスピードにも慣れてくる。
お聞きすると、その会社ですでに30年以上勤務されているとのこと。
同じ職場でこんなに長くつとめることができるとは、ご本人の努力と忍耐は
もちろんであるが、周囲の応援と協力があってのことである。
この方との会話を通じて、障害をもつ方を長く雇用し続けている会社に対して
尊敬の念が湧いてきた。
今でこそ、SDGsだ、共生だ、インクルーシブだと言い、障害をもつ方々の
社会参加も進んでいるが、30年以上前から地道に取り組んでいる会社もあるのだ。

その方は介護離職の話もされた。
これからは自分が年老いた父親の介護もしなければならない。だからいずれ仕事も・・。
障がいがあっても、親の介護の心配をされている。
とそんなことも考えておられる様子に心うたれた。
そうだ、親の介護は他人事ではない。障がいがなくても、大変なことなのに・・・。

家族の話をするとき、目から涙があふれた。
いろんな悲しみや憂いや、やるせない気持がこぼれたのだと思った。
思うように動けない、ひとりでいろんなことができない自分へのもどかしさを
抱えながら生きてこられている・・。
「自分は弱いんです・・・」
絞り出すように何度も言われたその言葉に、
「弱くないですよ。30年以上も同じ会社につとめることができるなんて、
強さがなかったらできないですよ」
とくり返す。

障がいをもって生きることの大変さ。
これは、その本人にならないと、家族でないとわからない。
いろいろあっても、周囲に支えられて日々生きる、はたらく。

「お母さんが見守ってくれているから、元気にがんばってくださいね。
応援しています。体に気を付けて、またお話ししましょう」
最後はくしゃくしゃの笑顔で会釈。
「ありがとうございました」
絞り出すように出された言葉を、ありがたく受けとめた。

今回の面談は、私に大きな衝撃を与えた。
障がい。いつどこで誰が、何か起きるかわからない。
たまたま自分は今、元気で自由に生きさせてもらっている。
でも、明日はわからない。
どんな状態になっても、自分も強く生きられるのだろうか。
自分こそ、弱虫だろう。きっと・・・。
人様に偉そうに言っているけれど、自分だったら・・・と思ったら
なんとも言えない気持ちになってくる。

どんな状況になっても、周囲の助けを得ながら、生きていけるのだろうか。
生きていく。生きる。しんどくても生きる。
涙であふれたその人の目は、きらきらと光り、生きているんだ、生きているんだと
私に訴えているようであった。

改めて、自分が今できることを毎日やりきること、
そして困っている方や、応援したいと思う人に寄り添って
できることをし続けること。
それをやらなければいけないと強く思った。

今回お会いした社員さんの上司は、その人の力や性格もわかった上で
真正面からおつきあいされている。体をはって・・・。
素晴らしい上司だ。
一緒にがんばろう!とその人に日々伝えておられるのだろう。

助けあって生きる。

生きていると、自分なんか・・・と思って命を絶ちたくなることも
あるだろう。
でも、生きている。周囲の応援があったら、がんばれる。と信じたい。

なんだかこちらが大きな力と教訓をいただいた・・・。そんなひととき。
一晩たっても、その人の涙にまみれた瞳がずっと心に焼き付いている。

どうか、元気にがんばってください!お母さんも見守っておられますから!
応援しています!

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愛しの白物との別れ。

白物家電といえば、もともとは冷蔵庫、洗濯機、エアコン・・。
毎日毎夜、人々が使い続けている。お世話になっている。
それなしでは生きられない。
これだけネットが普及しようが、AIが登場しようが、冷蔵庫も洗濯機も
エアコンも日常生活には不可欠である。

そんな中で、わが家の洗濯機。なんと10年も使っていたようだ。
製造年が書かれたシールをみてびっくり。
東京にいた頃から使っていたのだ。東京から一緒に引っ越して
きたのだ。もうそろそろ・・・壊れるかも・・・と思いながら日々
お世話になってきた。
とにかく朝も夜も・・・出張行く前、戻ってから、とにかく洗濯機を
よく回した。
洗濯機が私の日々の暮らしを一番理解しているのかもと思うほどに、
三度の食事より洗濯・・・。
洗濯機がない生活は考えられない・・。
その愛用マシンが、少し大きな音を出し始めた。
あ、もうそろそろ、ちょっとやばいかな。
思い切って、買い替えに挑んだ。
本当に壊れるまで使っていたかったけれど、そうもいかない。

長年使う道具には愛着がわく。
今回新たに購入したものも、このマシンの後継機種のようなものだ。
形、デザイン、機能ともに慣れている方がいい。

いよいよ洗濯機交換の朝がやってきた。
前夜には「最後の洗濯」をした。
急に馴染みの洗濯機との別れが寂しく思えてくる。
どんなときも手伝ってもらった戦友!である。

なぜか、当日の朝は撮影をして、洗濯機に「ありがとうありがとう」と
声をかける。こちらは、リサイクル家電として、また誰かのお役に立つ
こともあるのだろう。業者さんに導かれて部屋を出ていく洗濯機を
名残惜しく見送った・・・。

そう、この洗濯機とは東京から一緒だった・・・。
私のバタバタな50代を毎日、毎日見守ってくれた。
「よく働くね~。今日はどこ行くの?」
「今回は多いね~。どこ行ってたの?」
そんな言葉を発していてくれたかもしれない。
10年も使えると思わなかったけれど、本当によく働いてくれた。
白物家電。

洗濯機のおかげで、仕事もできる。
ほんとうにありがたい道具たち。
どれだけのモノに、先人たちの知恵に支えられて日々の自分の
暮らしがあるのか・・・。

洗濯機が交換され、早速新しい白物で初洗濯。
ああ、ちゃんと使えた。

日常が途絶えないこと。これが安心の秘訣。
生活とは、こんなことの繰り返し、積み重ね。
あらゆるものに感謝をしながら、1日をはじめよう!

白物!あって当たり前ではないことを忘れずに。

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何度も足を運びたい、あたたかい作品展。

作品の説明や解説など、とてもじゃないがおこがましい。
描いている作家本人にしか見えないこと、わからないことがある。
観る人はただひたすらに、それを想像して楽しむ。
絵画鑑賞とは、それでいい。それに尽きるのではないかと思わせてくれる
言葉を越える、作品たち。

何度見ても楽しく、幸せな気持ちになり、またその作品に取り組む
作家さんたちの表情や手元が浮かんでくる、そんな作品たち。
生きてるな~。すごいなあ~。とただ、ただ感嘆!

現在、京都市の京セラギャラリー(京セラ美術館ではない)で開催されて
いる作品展。
個性的な作家さんたちの入魂込めた、力作がずらり並ぶ。

混雑した著名な画家の展覧会と違って、ゆったりした広々空間で、1点づつ
の作品に向かい合うことができる。
本当に贅沢な作品展だ。ついこの1週間で二度も足を運んでしまった。

高価な作品を美術館で見ることや、絵画を販売する会場に足を運び、絵画を
偉そうに観る機会はあるけれど、
ここにある作品は商品ではなく、純粋なる作品。
まず、そこに心打たれるのである。

素晴らしい観察眼。繊細な色さばき、筆遣い。緻密さ、明るさ、やさしさ。
その人しか見えない、独自の世界を1本の筆から、色鉛筆から、手先から
表現されているのだ。
この作品展では、絵画だけではなく、段ボールを使ったユニークな人形や、アニメ
など、多種多様な作品がずらり並んでいる。

先日、作家さんたちが日々通う施設に向かう道で、ある一人の作家さんと
出会った。声をかけたら、くしゃくしゃの顔をしながら、恥ずかしいのか
走ってどこかに行ってしまった。なんだか想像を超える行動に、いつも
不思議な感覚を覚え、取り残されて、ふっと笑った。

社会の決まったルールのなかで、ストレスを抱えていきる人たちと、
その枠にとどまらず、自由に表現し続けている人たち。
どっちが幸せ。という比較はないが、とにかく彼ら、彼女らの
作品を観ていると、透明でやさしい気持ちになれる気がするのだ。
ここに作品をいくつか投稿させていただく。私がとくに好きな作品の一部。
(全部好きなのだけれど・・・)
ぜひ期間中に、足を運んでいただきたい。

障がいではなく、個性。
個性豊かな人たちが自由に自分を表現する世界。
生きるとは、社会とのかかわりとは・・・いろいろ考える前に
いっぱい感じたい。

実は、この作家さんたちとのコラボ活動が、この春から本格稼働する。
(このことは、後日紹介する)
この関わりも、私にとってはとてもうれしい。
そんなこともあって、この作家さんたちを余計に応援したい気持ちが高まっている。

それぞれがもつ才能を存分に開花させる。そんな生き方をしたい。
改めて背中を押される展覧会でもある。

本展覧会の詳細はこちら

京セラギャラリー2024年冬季特別展 「宇宙の意志 ーアトリエやっほぅ!!ー」

https://atelieryoohoo.com/news/362



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肩の荷をひとつづつ。

人生は様々な荷物を担ぎ、そしておろす。その繰り返しなの
かなと思う昨今・・・。
何も背負わなければ、重さを感じることなく、楽々生きられる
かもしれないが、自分から荷物を担いだり、背負ったりする。
荷を担ぐとその重圧で歩きが止まったり、阻まれたり・・と
思うように前進できない日もあったり、心労も増える。

でも、目的地にたどりついて、その重い荷物が降ろせた瞬間、
その解放感たるや格別であり、頑張って担いだ自分をほめて
やりたくなる。
肩の荷がおりる。たとえば子どもをもつ親御さんであれば、
子育てが一区切りされたら、そんな気持ちになるのでは。と
思う。

私の場合は、子育てという荷物はないが、それ以外の荷物を
背負って生きる。自分で作った荷物だ。

今回は4作目のアルバムをリリースできて、何とかカタチに
することができ、よくやり切ったなと思っている。
自分にしかわからない、大きな荷物をひとつおろした心境だ。

何か新たな挑戦をしようと思えば、背負う荷物は増える。
それは当然。
背負ってはおろす。背負ってはおろす。忙しくなり、疲れる日も
あるが、それを繰り返すわが人生。

残りの人生のなかで、あといくつの大きな荷物を背負うだろう。
心身ともに、まだまだいける!とそんな気持ちでいるが、
その前に、一人でも多くの方に聴いていただけるように、
活動を続けていかねば・・。
そう思うと、荷物を下ろした・・けれど、活動は終わっていない。

ひとつづつ肩の荷をおろしながら、運び終わった歓びをかみしめる。
そんな瞬間を増やしたい。


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「黒いひまわり」とともに祈る日。

2月24日はロシアがウクライナに軍事進攻した、戦争を仕掛けた忌まわしい日だ。
あれから2年経ってしまった。
長い歳月である。あれからずっと戦争状態が続き、罪なき多くの人々が犠牲になって
いる。自分の国を守るため。このことのため、いわれなき戦いに向き合わなければ
ならないとは、本当に不運なことである。

夢や希望に満ちたはずの人生が、独裁者のせいでズタズタにされ、家族も愛する人も
そしてふるさとも捨てなければならなくなってしまった、そんな人生・・・。
想像するだけで身震いがする。

ウクライナの各町では、一見日常生活が維持されているように見えるが、毎日の
ように爆発が起き、警報とともに逃げなければならない、こんな生活・・・。
いつ襲われるか、いつ命を落とすか、自分自身も、家族も・・・。

天災も困ったものであるが、人災であれば恨みや憎しみも増す・・・。
何もなければ、平和に生きられるのに、その国の歴史や地政学的な位置により、
運命は変わる。ほんとうにウクライナの人のことを思うとこんなに離れていても
首謀者への憎しみの感情も沸いてしまう。人間とは恐ろしい存在だと思えてしまう。

2年も続いていたら、疲れ果てる。どうでもいいわ。なんでもいいから早く終わって
くれ。と自暴自棄になってもおかしくない。
でもあきらめては、いけない・・・と頑張り続ける人たち。

本当に戦争は何の意味もない。いいことなど何もない。
大国のおごり、権力行使・・・。辟易する。

この戦争が始まって間もないころに、頭に浮かんだ「黒いひまわり」。
早く戦争が終われと祈りを込めて作った。
まだ見ぬひまわり畑がなくならないようにと・・・。
今回リリースしたアルバムにも挿入しているが、この曲を支持してくださる
方は多い。みなさん、同じ気持ちになってくださっているのだ。

昨日もこの曲をひとり弾きながら、この無謀な戦争の終結を祈った。
今日も明日も祈り続けたい・・。

黄色いひまわりが元気に咲き誇る、そんな日が戻ってくることを
心より、心より祈っている。



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