ベースアップ、賃上げ・・・。春らしい話題のひとつかもしれない。
賃上げをすることが日本経済の活性化につながる。と言われて久しいが
なかなかそれが実現できず・・・でもこの春は様子が異なる。
大手の企業が次々と賃上げを発表している。
その組織で働く人にとっては、一番の歓びかもしれない。
組合がある組織は、労使交渉の結果、その成果であろう。
労働者という響きはあまり好きではないが、雇用され働く人にとって
は、賃上げは大きなモチベーションにつながり、組織の活性化にもつながる。
(もちろん、働く意欲はそれだけではないという方もおられるだろうが)
そして、日本の経済の活性化にもつながる。
と、うれしいニュースの一方、中小企業の経営者のことが頭に浮かぶ。
人の採用を考えた場合でも、賃金は最大の決め手になる。
安いということで、選ばれないということも多い。
だから、わが社もベースアップを・・・。と努力される経営者たち。
一時金とは違い、ベースアップはずっと続くのだから、覚悟が必要だ。
その上での賃上げ。
とくに中小企業でのそれは本当に大変な決断であることを、働く側も
心して、それを受けとめていただきたい。
そして、そうはいっても、賃上げは難しい。
という企業も多いはずだ。
世の中に明るいニュースが流れれば流れるほど、苦い思いをされる経営者
また、従業員の方もおられる。
そのことを忘れずにいたい。
仕事があればありがたい。
はもちろんであるが、もらえるものはもらいたい。
もわかるが、
そのために、経営者がどんな苦労や努力をされているかを
忘れずにいたい。
ベースアップは当たり前ではない、権利ではなく、
やはり感謝が基本だと思う。
いずれにせよ、今回のベースアップを機会に、従業員のみなさんが
これまで以上にいきいき頑張って仕事をしてくださることが
経営者の歓び。そして生産性も上がって、さらに・・と、未来への
発展につながれば、企業にとって意味がある。
今回の動きが組織の、社会の活性化になっていけばよい。
それにしても、世の中の社長さんたちのご尽力に頭が下がる。
うれしい春、そのための苦労。
名は未来の体を現し・・・。
3月末で長年愛用してきたお菓子が終売になる衝撃については
前に記したが、存在がなくなるわけではないが、3月末をもって名前が
変わり、4月から新しい出発をするという商品や組織もある。
年度末とはそういう切り替えのタイミングでもある。
たとえば私が四半世紀前、お世話になっていた会社もこの3月末をもって
でその名を変え、新会社として4月からスタートする。
名前が変わるということへの想いは、長く働いてきた、関わってきた
人にとっては寂しいことである。その社名入りの名刺をもち、その名の看板
でもって仕事をしてきた。形は残るが名は消える。
そんな例はあまたあるけれども、やはり身近な存在であると、その変更への
想いはカウントダウンと共に募る。
はじめて社会人として働き始めた頃。すでに40年前になろうとしている。
その会社の看板を見て初めて面接に訪ねた日のことがよみがえり、当時の
面接官たちの顔を思い出す。もうお目にかかれない人たちのこと。
それから40年の月日が経ち、その組織は新たなスタートを迎える。
企業の名前はいろんな意味がある、創業者の名前であったり、社に込める
想いを詠ったものであったり、役割や機能を表現したものであったり・・・。
人の誕生時に親が子の名前をあれこれ考えるように、社名も熟慮の末、
決定され、長く使用される。
名は体を現し、名は体に近づく。だから名前はその存在にとってとても
重要である。しかし、時代の変化とともにその名を変えることで新たな
役割を担い、さらに世の中の役に立てるようになる。
そんな思いを込めての、名前の変更、業態の変更、サービスの変更。
すべて未来に向かい、その歴史を活かしながら生き続けるための、
前向きな挑戦である。
今日は現在の社名の会社に向かう最終日となるだろう。
次、足を運ぶときには、看板もすべて変わっている・・・と思うと
ちょっとこみあげるものがある。
もちろん私以上に、そこで社会人になってから長く働いてきた
人達の方がもっとその思いは強いはず。
伝統を生かしながら、変革を続ける。
企業とはそういう生き物である。
名は未来の体を現すのである。
気合が良薬?
このところ、体がとても冷えるので・・ということで、取り急ぎ近所のクリニックに
駆け込みいい方法をたずねる。
とにかくこの季節、このお年頃のせいもあってか冷えやすい。でも原因はいろいろ
考えられるため簡単には治らないとのこと。まあ、それもわかる。
血管はちゃんと機能しているようであるから、では温めるのみ薬を処方しようかと
いうことになる。
なんとなく、こういった類の対応は、漢方がよいのだろうと思う。
医者も慣れない漢方情報を見ながら、薬を選択してくれた。選ぶことが処方?
なんとなくじわじわ効いてくるのだろう。と思い、何年ぶりかにその冷え性に効く
らしい漢方薬を試すとする。
お湯でといて・・・。
ああ、まずい。まずすぎる。
まずくて飲めないから、お湯でどんどん薄める。それで量は減らない。
とにかく1包を長い時間をかけ、飲み終えた。苦行である。
薬1種類、体に入れるだけなのに、なぜこんなに時間がかったか?
まずいから。まずすぎるから。である。
1袋目はがんばったが、もう次は無理だ。
こんな飲むのがしんどいならば、他の方法でがんばろう。
こんなまずいならば、まだ冷えている方がましだ。
と思ってしまったほどに、まずかった。
良薬口に苦し・・という名言があるが、そんなに良薬でなくてもいいから
口に苦しはなんとかしてほしい。と久しぶりに思った次第。
良薬とは、好きなように生きること。そっちの方が結局は健康的でもある。
苦しみながら薬を飲む?
そんなことで、2袋目からは、開封する気に慣れず・・きっとこのまま
だろう。
名言に、時に逆らってしまうが、まずいのは健康に悪い。
飲まなくても頼らなくてもいいように、自ら元気でいること。
気合が良薬か?
「サインください」?
先日の岐阜でのコンサート当日のこと。
会場の入り口にひとりの男性が立っていた。
会場に私が入ろうとすると、
「今日のコンサートのゲストの人ですか?」
と言われたので、
「そうですけど?演奏はお昼からですよ」と答えた。
その人は、コンサートで配付する資料を手にもっていた。
どうやら、もう会場にも入られたのだ。ずいぶん早くに
来られたのだな・・。
すると、その方は
「サインください」
と言って、その資料とサインペンを差し出した。
「へ?サイン?」
断る理由もないので、その資料にMahsaと書いた。
すると
「日付も書いてください」
というので、書き添えた。
「へ?このサインどうするの?あとでコンサート来るんでしょ?」
とたずねたが、どうも要領を得ない感じで、その青年はそのまま去っていった。
サインは頼まれたとか、あとから友達が来るとか・・・そんなことを
言っていたが・・・。
さてコンサートにその青年の姿はなかった。
なぜその人は早い時間にそこに来て、待って、私にサインを求めて、
そして去ったのか・・・。
思い出しても不思議な出来事である。
こんなカタチでサインをください。と言われたのはもちろん初めてである。
一体、どなた?
不思議な遭遇・・現実のことだったのだろうか・・・と思えてならない。
アイドルでもなかろうに。
二日経った今も、ほんとうにあれはいったい何だった?誰だった?と
忘れることができない。
命日にすること、決定。
両親のことは、毎日頭にある。忘れる日はない。
生きていたときもそうであったように、今も変わらない。
もちろん今となっては話しかける相手は、写真であり、空であり、
自分の内面に対してである。悲しみが消えることはないが
それとうまくつきあいながら、心のなかで生き続ける親の
存在を見続けるようにしている。
命日という日は、誕生日と同じく重要な記念日。
仏教の世界では、二年たったら三回忌だそうで、それは昨年
終えたし、ひととおり親の希望どおりにすることはしてきた。
もうそこから自由に!と思っていた。
すでに今年のこの日は出張も入った。普通に生活しようと思って
いるので、それでよし。
でも、何かしたい、しなければ、してあげたい・・・。
と考えていたら、名案が浮かんだ。
そうだ!昨年は、命日に母の写真入り出前コンサートのチラシを
新聞折り込み。限られたエリアではあるが、母の存在を地元の人に
思い出していただくきっかけにしたい・・・と。
今年は新しいアルバムができた。しかもふるさとをテーマにした
タイトルであり、それに関連する曲も挿入している。
ということで、今年の命日は、このチラシを4000部折り込んで
見ることにする。
早速地元の新聞販売店に連絡する。
地元ならではの会話になる。「今年も母の命日に、チラシ入れようと
思います。」の言葉に販売店のオーナーさんも反応される。
そして見本にもっていったチラシをじっくりご覧になる。
親も新聞をとっていたから、新聞屋さんも親のことをご存じなのだ。
ま、親の命日にチラシを折り込むというアイデアはおかしい?とは
思うが、それでもそれが私なりの供養であり、きっと母は喜ぶと
確信している。
ネタがあるから、折り込みもできる。
と、今年の記念日はそのようにしてみよう。
できるときに、できることを。
今それ向けにチラシを少しリメイク中。
地元の人向けにしなければ!である。
ちょっと新しいアイデアが湧いてくると、なんだかわくわくしてくる。
とことん自分流でやる。それを貫く。
「それでいいやんね~。」母に話しかける。
「なんでもいいわ」と、笑っている気がする。
ずっと待っている、ともにある・・・。
今日3月11日。日本に住んで、この日のことを知らない人はいないはず。
あの日から13年。各メディアがさまざまに取り上げる。
どうやら、ハード面での復興は進んでいるようであるが、ソフト面が
まだこれからとおっしゃる専門大臣の声もテレビで流れた。
報道資料によると亡くなった方は一万数千人、行方不明の方が2500人
以上おられるということに愕然とする。
13年間、ずっと待っている、あきらめずに待ち続ける、でも・・・。
どんな気持ちでご家族の皆さんはお過ごしになってきているのだろう。
この数が減っていくといいけれど・・・。
もし、自分の身近な人が・・と思ったらたまらない気持ちになる。
一方、福島原発の影響で、食用ではなくなった牛たち百数十頭をひとりで
世話し続けている牛飼いの方の存在を知った。
食用ではない牛。人間から見れば、用がなくなった牛。
避難地区の牧場の牛もあずかって、その方はひとりで牛たちに毎日餌を
与え続けている。
生きる意味を問い続けながら、牛たちと生きるその姿を見ると、
大震災、津波が与えた影響について改めて考えさせられる。
津波でいのちを終えてしまった方たち。
その後、さまざまな苦労、苦痛を経て亡くなった方たち。
大切なものを失くし、その悲しみを抱えながら生き続けている方たち。
傷が癒される日は来るだろうか。
時間が解決することもあるが、風化させてはいけない。
「自然には感情がないんですよ!」
穏やかな大船渡湾を目下に、あの日を思い出しながらこの言葉を
発した知人の声がよみがえる・・・。
この言葉は一生忘れることができない。
と、大船渡の知人のことを思い出しながら、今朝を迎えた。
今日は、昨年からコンサートの予定を入れていた。
いろんな悲しみや苦悩とともに生き続けている方たちに、
想いを届けたいと思う。
心を込めて、震災後にうまれたうた「かもめりぃ」を演奏する。
行方不明の方たちに、そしてそのご家族に心を寄せて・・・。
震災とサイン色紙と・・・
このサイン色紙は、私のお宝のひとつ。13年前から、実家の玄関に飾ってある。
たまたまご縁をいただいた声優さんから収録の日に、皆さんで書いたので・・と
震災直後に送っていただいたのが昨日のようだ。
番組のファンでもあったので、みなさんへお菓子を差し入れした・・そのお礼にと
書いてくださったのだ。書かれた後、あの大地震・・・。
2枚いただいた。1枚は当時やっていたラジオ番組を運営する会社の社員さんの地元が
被災されたから・・ということで、元気が出ればと思い差し上げた。
そして、1枚はこれだ。13年経った今も、見る人を元気づけてくれる。
これを見ると、まさに東日本大震災を思い出す。
そんなことを思いながら、実家に行くたびありがたい1枚を眺めている。
このたびのTARAKOさんの突然の訃報に驚いた。
この色紙にご本人のサインも入っている。残念でならない。同世代でもある・・。
アニメ界で活躍された方々の悲しい報せが続いている。
昭和の時代から、世代を越えて、私たちに元気を与え続けてくれる、素晴らしいお仕事。
地震があっても、何があっても平和な幸せな時間を与え続けてくれる。
とくに声優という仕事は、実在しない存在を見える化する、すごい仕事だ。
まさに夢の仕事。今書いているときも、主人公たちの声が浮かんでくる。
明日は3月11日。私にとってはこの色紙も、この日を思い出す貴重な存在だ。
時は流れる。でも大切な記録を、記憶を風化させてはいけない。
大変なときにも、笑いと幸せを届け続けてくれる仕事を続けてきた皆さんに心から
敬意を表し、これからもずっと応援したい。
友蔵さんの役をされている島田敏さんのおかげで、このお宝を今も持たせてもらっている
ことに心から感謝。
改めて、まる子ちゃんファミリーへの感謝と、
そしてTARAKOさんのご冥福を心から祈りたい。
NOBUNAGAの夢は、わたしのゆめ。
わが新アルバム「おもしろうて おもしろうて やがて・・・」
は、ぼちぼちとじわじわと?皆様にお聴きいただきはじめており、
お聴きいただいた方からは、大変うれしいお言葉をいただき、
その声を聴くたびに飛び上がりたくなる、自分に拍手したくなる、
そして本当にやってよかったな~という久しぶりの達成感に包まれ
る。頂くメッセージに涙することもある。
人生の讃歌というところに響いてくださる方が多いことは本当に
うれしい。
カバー曲も入れたことで、私をご存じない方やお子様にも楽しんで
いただいたり、長く応援いただいている方からは、新曲について
大変ありがたい反応をお寄せいただく。
岐阜鵜飼の歌「やがて・・・」、両親への想いを込めた「あじさい日記」
「空から便り」「夜想曲2021」への反応、そしてなんといっても
全国区である信長をテーマにしたオリジナル組曲「NOBUNAGAの夢」
は、大変興味をもっていただき、信長が生きた時代(はこちらは生きて
いないので想像でしかないが)だけでなく、現代にも通じる曲との声を
いただいた。
なかでも、「信長TANGO」はアルバム発売前の配信ライブの
ときから、人気が高い。これが良かったとおっしゃる方が多い。
想像、空想、妄想。この力は現実逃避ではなく、もうひとつの生を生きる
有意義な手段であると思っている。
だから、私が音楽を通じて、信長と一緒にいるひとときを勝手につくること
ができる。これが創造の醍醐味だ。
NOBUNAGAの夢を聴いたら、戦国時代にトリップできる。
だけでなく、ひとりの人間信長の精神世界を自分なりに描き、
自分とのつながりを勝手に見出すことができる。
最近は、岐阜城を見上げても、本能寺にある墓に行っても、
この曲をひとり口ずさみ、信長に話しかけるのが楽しい。
「どうですか?この曲は。合ってますか?踊りたくなるでしょう?
どうですか?信長はん」という感じで・・・。
会えない人と会えるのが創造・空想・妄想の世界。
それが次々できることが、私の夢。
だから、「NOBUNAGAの夢」は、わたしの夢そのもの。
春からは、この作品をひっさげて、彼の歩いた道のりを辿っていこう。
と、そんな妄想が次に続いている・・・。
明後日3月11日岐阜新聞コンサートでは、この組曲の一部を演奏しようと
思っている。
新アルバムの詳細はこちら
New release 2024 (mahsa.jp)
岐阜新聞ロビーコンサートのご案内はこちら
3月11日岐阜新聞ロビーコンサートです | La Grande Roue (mahsa.jp)
思いを綴る、決めの文具セット。
親が現役時代に半世紀近くお世話になった会社の社長さんから便りが
届く。
父の葬儀以来、約半世紀ぶりに時々交流させていただいている。
今回は、久しぶりのお手紙で、もう80歳になったので・・・、と
ひとつの節目のようなことを書いてあり、最後には父へのお礼や
私へのエールなど書いてあり、読んでいて胸があつくなった。
文末から、ひなまつりに書かれたもののようだ。
桃の節句に私ごときに、どんな思いで、この手紙を書いてくださったのか。
すぐに返信を出したい
この交流を止めてはいけない。と咄嗟に思った。
メールをやりとりしている間柄ではなく、手紙と電話という
方法でつながっている。でも、今回はお手紙ありがとうございました。
とすぐ電話をかけるような・・ではない。
そう思ったら、最近は一筆箋を多用するが、今回は社会人になって
から半世紀ほど愛用している、丸善の便せんと愛用の筆ペンを
引き出しから取り出していた。
この丸善の便せん。1枚に10行ほどしかかけない。罫線が太くて
大きな文字が書けるので、ついつい何枚にもなってしまうが、
紙の上をペンが滑らかに泳いでくれるので、自分の想いがそのまま
湧いて文字になるのだ。
そこに今回のお手紙のお礼を書き始めた。
父が背中で手紙を書くのを見てるような気がした。
気が付いたら数枚になっていた。
この便せんを使うときは、ここ!というとき。
これまで何十回もそうしてきた。
パソコンを利用することで、手紙に文字を書く機会は減ったが、
やはり紙に書くというのは、温度や気持ちも伝わり、良いものだ。
感謝の気持ちとともに、封筒に入れて投函した。
想いを伝えるには、手紙。手の紙。
やっぱりそうだな・・。
文字を書くことで伝わることもある。
書いて伝えること。
忘れないでいたい。
それにしても、あの便せん、なぜすらすらかけるのだろう。
丸善さん。どうかこの便せんは、ずっと製造・販売してくださいな。
父に感謝するということは、仕事をさせていただいていた職場に
感謝するということ。
世の中の社長さんは、社員だけでなく、その家族と歴史までを
背負う。大変な仕事だ。
ピアノを今も弾けるのは、この社長さんのおかげ・・。
だから、大切にしなくては。
永遠のわがチェルシー。
チェルシーというと、ニューヨークの通りの名前も思い出すが、
それより前より御馴染みなのは、
「あなたにも、チェルシーあげたい」
という名セリフと金髪の少女(だったはず)のコマーシャル。
昭和40年~50年代。憧れのお菓子が続々登場した時代。
その当時新しい商品は、なぜか金髪の少女のイメージ。
お菓子といえば、憧れの西洋文化であった。
そういえば、ヤマザキパンのトラックにプリントされた
かわいらしい金髪の少女。こちらは今なお、見かけることが
あるが、とてもシンボリック。
(あのトラックを今も見ると、あの少女はもうどんなおばあちゃん?
まだ存命なのだろうかと勝手な想像をめぐらしてしまうが・・・)
と同じように、チェルシーもあのコマーシャルの音声と
少女の残像とバタースコッチという当時珍しいキャンディ。
それまで日本になかった舶来品的なイメージ。
しかも味はバター、ヨーグルト、コーヒー。この3種。
おしゃれなパッケージで、人々を魅了した。
もっているだけで幸せな気持ちになれ、そこから一粒取り出し
口に運ぶあの瞬間は、ちょっとした贅沢な時間であった。
持って歩くのが、バッグに忍ばせているのが、とてもおしゃれ。
お菓子はファッションアイテムにもなった。
大人になってからも、ちょいちょい持ち運び、移動中に
チェルシー気分でセルフヒーリング。
つい最近まで、そうしていた。
ドラッグストア用にアソート袋が販売されるようになって
箱入りではなく、個包装もキャラメル包みではなく、ちょっと
味気なくなったけれども、チェルシーはチェルシーだ。
3種のスコッチを楽しんでいた。個人的にはヨーグルト味が
一番好きであるが、味のバリエーションを楽しめたのが良かった。
そして、いつしかドラッグストアだけでなく、100円ショップ用の
少量バージョンもみかけ、箱入りのチェルシーはあまり見かけなくなり、
販売チャネルごとにパッケージを変えるのは大変だなと思っていた・・・。
そのチェルシーが3月末で終売というニュースが一斉に流れた。
驚いたのはニュースの多さ。こんな大きく、いっぱい取り上げ
られるのだ。それぐらい国民に愛されたお菓子なのだ・・。
常備するようにしていたが、少ししか在庫をもっていなかったため、
どうしたらよいか考えた。
ネット検索は予想通り恐ろしく、値段が信じられないほど吊り上がった。
なくなるとなると、こういうことになるのだ。
それでも、なんとかチェルシーをもう少し楽しみたい。
ということで、なんとかわが秘密?のルートを探り、今しばらくの
在庫は確保できた。
ああ、名古屋に住んでいてよかったと思えた瞬間でもあった。
あるお店で聴くと、「チェルシーありませんか?ていう電話が
たくさんかかってきて、内はもともと扱ってないので・・・。
なくなると聞くと買って高く転売する人がいるんですよね」
正直、こういうのはあまり感心できないが、ネットはこのような
手口も広げている。
懐かしきもの。
子どものころからあるものは、ずっとあるもの。
と思いがちであるけれど、そうではない。
ある日なくなることもある。
商品とは、商売とは
つくる人がいて、売る人がいて、買う人がいて・・・。
どれかが欠けても 成立しない。
また時代の変化にあわせて対応していかねばならない企業
にとって、伝統を守り続けることは難しいときもある。
むしろ、これまで半世紀ありがとう!と思うべきだ。
いつまでもあると思うな わがチェルシー。
あなたにも〇〇あげたい。
このフレーズ、とてもいい。
昭和に生まれた大好きなものたちが、消えていくのを
観るのは寂しい限り。せめて、感謝でおくるとしよう。
チェルシーのような存在は、もしかしたら親と同じかもしれない。
親もずっといると思っていたから・・・。