想人の笑顔、よみがえる朝。

あなたを想ってる長く、短く、深く・・・♪

ではじまる「想人」というオリジナル曲。
(歌詞は以下のページに記載)

La Grande Roue:Poem & Songs (mahsa.jp)

そう、本当に笑顔と、背中と懐の深さで、人生を見せてくれた
大切な人。
「想人」とは、その人のことを書いた作品だ。

今日は、そのモデル みちこさんが旅立った日。

コロナ禍で会ったため、後日知った。訃報が地元の新聞に掲載された
ということで、教えていただいた・・・。

素晴らしき経営者として、ひとりの強い女性として、
晩年は、闘病の日々が続き、大変ご苦労をされたけれど、本当に計画的に
情熱的に、生きた方。自発的に生きるお手本のような存在。
今も私の応援団でいてくださる気がする。

最近、その方の地元に仕事でお邪魔することがあるが、
きっと呼び寄せてくれているのだと、この「想人」
に出てくる「駅」を通るたび、その町にふれるたび
思いがあふれてくる。

今日は、特別に彼女との交流を懐かしみ、感謝する
1日にしよう。
仕事をする女性として、強くしなやかに生きる人として
尊敬する人。

「今日は最後のメールになります。
本当に楽しい思い出をありがとうございました。・・・」

最後に受け取ったショートメールが再び思い出される。

どうか、娘さんのご活躍を、会社のご発展をずっと
見守ってくださいね。
そして、私たち応援団のことも、時々、見ててくださいね。
がんばって生きますから。

今日は想人の旅立ちの日。

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真に優しい人。

どんな人として、一生を終えたいのだろう。
終わりよければすべてよし・・だから、最後の自分を想像することは
意味がある。
今から思っていないと、追いつかない。
母がいなくなって3年経つが、今も
「あの人は、いい人やった」
「ほんとうに、よくしてもらった」
「いつも、元気な人やった」
というお声をいただく。
ああ、そういう人として、周囲のみなさんの記憶にまだ刻まれているのだ
と思うと、母の人生は幸せだったのだなと今、改めてそう思う。

そこにいなくても、懐かしんでもらえるような人として、
人生を結んでいけたらと思う。

今、気になる人に寄り添い、気になることは行動する。
このことを大切にしたいと思う。
小さなことでもいいので、そんな行動を大切にしたいと思っている。

どんな風に見えるのかは、見えたいのかはおいといて、
今できること、しようと思ったことをするのみ。

強い人であれ、まっすぐな人であれ、賢い人であれ・・・。
周囲に対しては、真に優しい人でありたい。
寛容でありながら、厳しさもあり・・・。
と、自分への注文をたくさんつけてみる。

まだまだすぎて、まだ終われない。
もうしばらく、もがきつづけるとしよう。

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自由と責任。

人生のなかで、一度はマイノリティな環境で自分を試したい。
という思いで、海外移住しかも、大陸の最果て・・に出かけようと準備
している仲間がいる。
夫婦での決断、長年の夢とのこと。
50歳までがむしゃらにビジネスの世界で努力し、一定のゴールまで
たどり着いた。そして、これから新たな出発だそうだ。

その人と自分のやっていることのスケールは全然くらべものにならないが、
共通しているのは、「自由」をもっとも重視している点。
自由でありたい、自由に生きたい。
ここが生きる上での大前提。
そうなれるために、がむしゃらに努力する。
ときには人の何倍も仕事をすることもあるが、それは自由に生きるため、
選択できる生き方をするため。

そして、自由に生きるということは、責任をとるということと同義である。
自由に生きる以上は、社会に対して、迷惑をかけないようにするということ。
自分の行動に責任を持ちながら、自由に生きる。
自由であることには厳しさも伴うが、
この生き方が一番自分らしくいられる。

「とにかく、自由に生きたい」
そう思うこと自体が叶わない社会もある。
そんななか、この戦後日本に生まれ、社会全体が成長発展を目指すなか、
育ってこられたことはラッキーであった。

自由の反対は不自由。
不自由なことがあると、それを取り去ることからはじめなければならず
大変だ。
戦争があれば、自由は奪われる。恐ろしい。

まずは、五体満足でいられること。
そして、好きな生き方ができること。好きな人達と生きることができること。
好きなものを食べること、着ること。
好きなところで暮らすこと。
好きな音楽を、スポーツを楽しみ、旅をする。
それができるのは、
仕事をするからであるが、その仕事も好きな仕事、自分が選んだ仕事・・。
と改めて思えば、いったい、どこまで自由なんだ~と贅沢な人生だと
思えてくる。

でも、これでいいと満足して終わらず、これからの人生ももっと自由に
好きなように生きていきたい。
なんといっても、まずは、自由な心でいること。
ここからすべてがはじまる。

自由に生きるとは、責任を持って生きるということ。
わがままというだけでは済まない。

自由を勝ち取る人生。
今、この世界には、小さな自由さえままならない人も多くいる。
そのことを忘れず、世界が自由で平和であることを願って、
今日という日を存分に生きたい。

改めて「自由」。この二文字をじっと見る。
自らに理由をもつこと。生きる意味。と、そんな意味も浮かんでくる。

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憧れをもつ、夢を見る、動き出す。

久しぶりに同郷の方と話をする機会を得る。
東京で22年前に出会い、その後、上海への食の現地調査にも
ご一緒した方。
昨年秋のふるさとコンサートがご縁で、久しぶりの再会となった。
あっという間に2時間。20年近くのご無沙汰であったため、お互いの
その後について情報交換。
ま、ひとことで言えば、「いろいろあったのよ」。
でも、そのいろいろを乗り越え、さらにパワーアップされ、のびやかに
いきいきと人生を謳歌されている様子がわかって、とてもうれしく
思った。
「年齢は七掛け、だからまだ42歳よ」と言われ、そこはあまり
ピンとこなかったが、どんなことにも前向き、そこが若々しい。
そしてこれからの人生にテーマをもち、次代に伝えたいことに取組み
愉しみながら生きておられる姿に、感銘を受けた。
その方の場合は、きものや、書道を通じて「和文化」を若い世代に
伝えていくのがテーマだそう。
楽しみながら世の中の役に立てる、とは一番幸せなこと。

心地よい刺激を受け取りながら、私自身も今後の自分の生き方を改めて
見つめてみよう!
そんな前向きの朝。録画してあった中村紘子さんのチャイコフスキー
ピアノ協奏曲第一番の演奏を試聴し、感動。やっぱりすごい、かっこいい。
演奏は昭和56年のもの。というから、まさしく自分の高校生時代に重なる。

当時、あこがれていた中村さんの若き日の演奏ぶりを見て、感動していた。
今も同じ気持ちになる。ああなりたい、ああなりたかった。・・・
でも、過去形で終わり、夢で終わりではなく、
今からでも遅くない。と思い直す。

大勢の聴衆の前で大喝采を浴びるそんな演奏家にならなくていいから、
音楽を通じて、誰かを幸せにすること。そして、独学でいいから、
昔弾きたいと思っていた曲にどんどん挑戦すること。
音楽は聴く歓びだけでなく、自らが演奏する愉しみもある。
そして、その愉しみを少しづつ人様におすそ分けできるように進化
すればよい。

と、七掛けどころか、三掛けの18歳になった気持ちで、さあ、
これからがんばろう。と思えてきた。

憧れをもつ。夢を見て、動き出す。
待っているのではなく、自分から仕掛けていく。

人生は観覧車のように。還暦で1周目。そして今二周目がはじまったばかり。
まだまだ回る。

さあ、中村さんの演奏をもっと研究、そして練習。その時間を作らねば。
そこが課題だ。
人生欲張りに、自由に生き続けよう!

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心にハンカチを。

この春、同世代の方の親御さんが旅立たれることが続く。
そういう年齢なのか・・と思うほどに・・・。

葬儀を済まされて間もない方にお会いする。
メールなどではお悔やみのメッセージをお伝えしていたが
何を送るといいのか・・・。
お花や線香や、それらに交換できるギフトカード、商品券・・・。
それもいいが、何か自分らしいものを。
と思っていたら、ふと、以前作った曲のフレーズが浮かんできた。
東日本大震災の後、生まれた「かもめりぃ」の一節。

♪泣いてない、今は泣いてない。
けれど、いつも 心にハンカチ・・・♪

最初泣いていたけれど、時間が経って、泣かなくなったけど
いつ泣きたくなるかわからないときは心で泣けばいい。
だから、心にハンカチをもっていよう。

とそんな解釈だ。
ということで、ハンカチを送る。
その人がもっていて安心するような、そんなハンカチを選び
贈ることを思いついた。

何年経っても泣きたいときはある。そのとき、このフレーズを思い出す。
と自分の経験も踏まえて・・・。

それにしても、親を失う悲しみは・・・消えないものだ。
悲しみの感情が消えなくても生きるすべを身につけているだけなのだ。
と、改めて・・・。だから、いつでも心にハンカチを。

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モデルデビュー IN 柳ケ瀬?

ちょっと写り込んでいるが、左にある絵に注目。このモデルは私である。
岐阜新聞のロビーコンサートで弾きながら歌っている姿を描かれたもの。
展示されているのは、岐阜の中心街、高島屋のすぐ近所にある八百屋さんの
店内。絵を描いたのは、そこの店長。
そう、最初はこの八百屋さんにお客として来ていた。今も、そうだ。
山菜やつくし・・・等、季節の地場の食材や手作り弁当が並ぶ小さな食品店。
高齢の方に人気である。看板娘も80代、お客様も同世代が多い、昭和を
思わせる味わいのあるお店。
私にとってもなんとも懐かしいレトロな品揃え、素朴な感じが気に入って、
また看板娘の妙子さんが母親と同じ世代ということでの親近感もあり、
母に会いに来るような感覚で、この3年ほど時々寄って、応援している。


そこの店長がなんと絵を描かれるとのことで、グループ展の案内を受けて
作品を見に行ったところ、なかなか精緻な作品で感心した。
店長はアーチストかあ。やるなあ。
聞いてみると、最近になって絵を習い始め、描くようになったとのこと。
年齢は60代後半か。どうやらモノを作ったりされるのが得意な方のようだ。
もちろん才能があるのだ。そうでなければ、という出来栄え。

とても作品づくりに熱心で、「次は何を書こうかと思って・・・」
毎週絵の教室に行き、先生の手ほどきを受けながら仕上げていかれるようだ。
「わたし、立ってピアノ弾いて歌うんですよ」
「へえ、変わっとるなあ。一度見に行こうかな」
それから、店長はコンサートに見学に。演奏ももちろん聴かれていたが、
主目的は、絵のモデルとして成立するかの観察である。
演奏中、何枚か撮影をされ、それから作品づくりがはじまったよう。

3か月もしないうちに、「いいのができとるよ、もうすぐできるわ」
そんな報告も受けながら、そして、昨日久しぶりにお店に行くと、なんと
絵が飾ってある。
「完成したよ~。いいのができたよ」
看板娘が誇らし気に語ってくれる。

この作品。今は、もうひとりの看板娘として、来店されるお客さんを迎えている。
立ちながら、ピアノを弾きながら歌っているマーサ。
こういう姿勢かあ。あまりいい姿勢ではないが、ライブ感は出ている。
また絵をぜひ近くでご覧いただきたいが、細かな描写が素晴らしい。
衣装の皺やピアノの木目まで、実に細かく丁寧に、描かれている。

9月の展覧会に出展されるとのこと。地域の多くの方に見てもらえる
とは、なぜか私自身もうれしい。
絵にはどんなタイトルがつくのか?
それも楽しみ。

このお店は「あざみ」さん。7月で岐阜高島屋は閉店してしまうが、
その近くにあるお店はずっと営業を続けてほしい。
長く看板娘としてお店の末永い存続を願っている。

岐阜のルノアール?はたまた、ロートレック?
あざみの店長の才能に脱帽、尊敬。
描いてくださって、ありがとうございます!

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無人販売ここまで?

新潟市内の雑貨店。外国の町をふらり訪ねるようなそんな気持ちになるお店。プロカントという生活雑貨のお店で、珍しいカテゴリーだと思うが、数年前、起業される際に広報のアドバイスをしたことがあり、それ以来応援しているが、久しぶりの訪問となった。

こんなこじゃれたお店が新潟にあることがうれしく、また公務員から転身されたオーナーの
生き方も好きで、仕事の合間にたずねるのが楽しみであったが、コロナを経て新潟出張の回数が減ったこともあり、なかなか通えない。
桜咲く、良き季節、久しぶりに寄ってみる。万代橋を歩きながら店に向かう。ちょっと旅気分になるひとときだ。

ブルーのお店は、遠くからも目立つ。あったあった、近づいてみると、前なかった看板が追加されている。なんと無人販売も始めたと書いてあり、ときどき有人販売とある。一見、無人販売といえば、野菜とか販売するようになったのかな?と思ったら違っていた。

店主によると、無人の営業時間を設けているのだという。店主がその時間いなくても自由に店を見てもらい、気になるものがあったら、自由に買ってもらう。もちろん店主との会話が楽しみな方は無人のときではなく、有人営業のときに来られたらいい。
従来、営業時間は店主やスタッフはお店にいなければいけない。それがお店の決まりであるが、無人でも販売しているとなれば、必ず店主がいなくてもいい。夜も販売できるので、お客さんも自由に来店できる。
もちろんセキュリティは重要なので、カメラで撮影されているが、見る限り、ひとりで30分以上長居される方、お友達とおしゃべりしながら店内をすみずみまで見ていかれる方もおられ、店主がいないなりの楽しみ方を提供できているようだ。
新しい発想だ。新しい買い物のスタイルだ。
どうやら、ご近所の書店が無人販売をされ、それをヒントにはじめたのだそう。

確かに餃子の無人販売、冷凍食品の自販機・・と無人販売の可能性は広がっているが、
こうした雑貨店でも、十分成り立つのだ。おそらくモノを販売しているというよりは、
くつろぎの時間を提供しているという見方が合っているのだろう。
ウィンドーショッピングの続きに店内に入って、気兼ねなく・・・というのが心地よい
のかもしれない。
従来の発想を越えて、なんでもやってみる。店という世界をどのように提供するか。
知恵を出し、工夫を重ねる。さすが!
がんばっておられるなあ。

今回はこだわりの英国のジャムを購入してみたが、どうやら違う種類のジャムを持ち帰ったようで、店主が自転車で駅に向かう私を追いかけてくれて、無事にジャムを交換。
自転車で万代橋を全力疾走された?今回は、無人でなくてよかった。

海外に行かなくても小旅行を体験させてくれるお店。mietta 。みなとまち新潟にある。
長く永くお店が続くように、心から願っている。

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本気の手作りアニバーサリー稼働!

こんな素敵なチラシができあがった。
携帯メールとファックスと郵送でのやりとりと、友情、つながりでできた素晴らしい
1枚だ。先日、糸魚川に出向き、この節目を逃さず、今やれることをやってみましょう!と背中を押させていただいたこの企画。

お店が閉店するときにコンサートやってください。と冗談めかして?言われたことに対し、
閉めるときはまだ先の先。未来に向かう今こそ、お手伝いしたいから、今年こそやりましょう。25周年は今年しかないのだから!と。そんな感じでお伝えしたら、「はい!やります!」と力強い宣言。そこから一緒につくるアニバーサリーがはじまった。まずはチラシを・・・。ということで、携帯に文案をメール。最初は手書きの予定。店主の文字はとてもやさしくてあたたかい。でも、もっと良くしたいね。ということで、お友達が手伝ってくれてパソコンのチラシに変身。そこからああしたら、こうしたら・・・といつもの悪いコンサル癖?が出て、どうせやるならモードに。
店主とお友達もこちらのおせっかいに応えてくださって、だんだん形が整ってきた。

最初、単色で考えていたのが、気が付けばカラフルに。
「カラーでプリントしたらもったいないので、一色で刷るなら、色紙がいいと思いますので。紫の紙持っていますから、少し送ってみますね」とレターパックで送付。その紙を使ってなんとカラープリントいただいたのがこの画像。
うん、なかなかいい感じ。

店主のマツ子さんは、さすがの行動力で、すでにお客様の予約を取り始めて、「もう半分
埋まりました~。」すごい!「では、早く満席になると後が楽ですね。もうひと踏ん張りがんばってくださーい」マツ子さんの最初のしり込みは、どこへ行ったやら。もう今はやるしかない。やると決めたのだから。その覚悟がアクティブな行動に!

長年変わらずずっと応援してくださっているこの店主の、お店の一度きりの節目に関われることに感謝して、本番までのやり取りも大切にしたいと思う。
お店にピアノはないから、楽器も持ち込む(送り込む)。
この出前コンサートは、こんなカタチにて展開する。

思いついたら、即提案、即行動。人生の時計は止まってくれない。
ハレの日があると、それまでの日常もわくわくになる。人生、そういうものだと思う。
元気なうちに、やれるうちに、やりたいことをやるのみ。
浮かぶのは、お客様と主催者の笑顔と感動・・・。がんばる!

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声を届けるのが第一歩

街頭演説。駅前に街宣カーを止めて、高いところから手をふる、あの
スタイルは昔からどうも・・・である。
しかし著名人などがそこにいると、おのずと人が集まる。
その効果を狙っているのだろう。でも、そこでは何を伝えているのか、話して
いるのかはよく聞き取れない。いわゆる辻説法というスタイルは政治活動
のひとつとして、存在するが、人を集めることに意義があるのだろうか。

むしろ、日常生活の風景。たとえば小さな交差点や駅の出口を出たあたり
でひとり、ふたりで一生懸命語っている人の方が、何を言いたいのかなと
つい、耳を傾けたくなる。

昨日もたまたま、地元の急行が止まる駅の交差点の角で演説する、ある
政党の方がおられた。地味な感じである。そこでもうひとりの人がビラを配って
いる。
ああ、あの党か。前から本当にネーミングが惜しいとずっと思っている党であ
った。姿勢やメッセージは納得できることも多いのに、ネーミングが・・で
人気がないのだろうと自分なりにずっと思っていた。

相変わらず、まあいいことを言っているなあ。でもなあ。
とビラを配っている女性の方の横を通り過ぎようとしたら、
「○○新聞読んでみませんか?」
と、サンプル誌を見せられた。

「あのー、ちょっといいです?ほんとうにおたくの党はさあ、
いいこと言っていると思うけど、ネーミングが時代に合っていないと思うので、
本当に変えた方がいいとずっと思っているよ」
と思わず、その女性に言葉をかけた。話しかけやすい人だったからだ。
すると、その人は
「ええ、実はそう言われる方も多いんです。でも、私たちはあえて、これで
いこうと・・・」
「だから、それだから集まらないと思うよ。時代に合わせた表現があるし。
今どきこの言葉、どこの国?という感じだし、イメージ悪い言葉だと思うし。
本当に名前変えてくれたら、応援するわ」
「確かにそういわれる方も多くて。こういってくださる方が中にいてくださったら
いいんですけど」
と思わず勧誘モード?
「いや、その名前では関わりたくないです。とにかく名前変えた方がいいって。
今日の街頭演説でそういわれた。とちゃんと上に報告してくださいね。
応援したいからそう思っているんで」
と伝えた。
「はい、伝えます。ありがとうございます」
と、そんな会話。笑顔で別れた。

この党がどうこうではないが、このように、こちらからも声を届ける。
そのことが、活動する人にとって、その団体にとっても大切ではないかと思った次第。
自分の考えを、党の考えを発信することはもちろん大切であるが、
政治家の仕事は「聞いて届ける」仕事だと思っている。

小さなコミュニケーションであるが、人がいない街角だからこそ、
気軽に意見が言えること。
このことは大切だ。

たまたま、その党とは関係ないが、
ある県議会議員の事務局代表に、ライバルは?とたずねたことがある。
すると「無関心」だという。
そう、ライバルは別の候補者ではない。
有権者の、民の無関心が一番怖い。無関心では世の中、良くならない。

お互いに聞く、言う。
できたら、顔が見えるところでやりとりをする。
その方が伝わるはず。

そんなことを思う一コマ。
この社会から、民主主義が消えないようにと切に願う。

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まさかの出会い。信長と・・・

葉桜も十分に美しいと思いながらの日曜。京都の寺町を歩く。
目的は、信長の本当のお墓参り。
本能寺跡にもお墓があり、また、大徳寺でも信長の葬儀がとり行われ、そこからほど近い
建勲神社には信長が祀ってあるという話は少しは存じあげているが、その本能寺跡にある宝物館に先日足を向けた際に知った、私にとっての新事実。

それは、阿弥陀寺というお寺の存在。なんでも本能寺で亡くなった信長の葬儀はひそやかにこのお寺で執り行われ、それ以来ずっと信長はそこに眠っているというのだ。
幻の弟と言われている清玉上人という僧侶が、本能寺から信長の亡骸を探し出し、そして、この寺で弔われたとのだという。信長と最後をともにした森蘭丸も同じくここに眠る・・。

という情報を得て、実際にやってきた。
これまで本能寺にあるお墓には何度も訪ねてきたのだが・・・。

いやはや歴史とはロマンすぎる。何が真で、何が偽かは本当はわからない。
これど、今回の墓地の存在を知るに、これは本当ではと思えてきた。
実際、織田家の代々のお墓も信長公の墓の傍らに建立されている。
子孫たちはどんな思いで、代々祈りをささげてきたのだろうか。

信長の曲を書いてきた身としては、次の展開が生まれてきそうな歴史ロマンを十分に
感じることができるお墓参りとなった。

そして、それだけではなく、信長や蘭丸が眠るこの墓地に、あの森光子さんの墓地も
存在していることを訪問して知った。
いやはや、森さんはもしかしたら、ここに信長のお墓があることも知って、ここに墓地を
構えられたのだろうか・・・と新たな妄想がはじまる。

京都には想像を超えるロマンあふれる現実がある。無数にありそうだ。

この葉桜のなか、信長のお墓、そして森光子さんのお墓にそれぞれ手を合わせる。
静かなお寺に、とてつもない、歴史が眠っている。
京都には、そんな場所はいくつもあるのだろう。

信長のシリーズ続編ができそうな気がしてきた。

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