若者と中年。

最近、ありがたいことに20代前半の人達とのやりとりが増えている。
新社会人の人と一緒に仕事をすることも多い。
仕事以外でも、年下の人たちとの接点が増えている。

いわゆるZ世代の人々。デジタルネイティブと言われ、私が生まれ育った
時代とはまったく違う情報、コミュニケーション環境の中で育ってきて
いる彼ら、彼女たち。
昭和生まれの自分など、うまく交流できるのかな?と思っていたら、
なかなかいい感じで協働できている。

確かに、ネット上でのやりとりは、シンプルであり、敬語で対応されない
ことも多く、そこは少しまだ戸惑いもあるが、「いいね」のワンクリックで
返事をすることに慣れている人たちであるので、礼儀を知らないとか
敬語をわきまえていないとか、そういうことではない。
改まったビジネスの場面に遭遇したことがない、経験がないから、知らない。
それだけのこと。だから、気づいたら教えてあげたらいいし、
物事の本質が理解できたら、その後の行動も早い。素直である。

そんなこんなで、今若い人達と一緒にやりとりするのが、楽しい日々を
おくっている。
彼らに発信する言葉には責任をもつ。
いい加減なことは言えない。背中を見られていることは間違いがない。
そのことはちゃんと意識して。大人としての彼らに丁寧に向かい合う。

次代を生きる人たちに少しでも役立つように。
何ができるのかを考え、楽しみながら仕事をさせていただいている。

先日、新入社員のひとりから、
「今尾さんから、モニター越しに、元気が伝わってきます」
オンラインミーティングをする際に、そんなことを言われたことを
思い出す。お互い画面越しに、スマイル交換。
そうか、画面越しにも、元気は伝わる、伝えられるのだ!

そう、デジタルコミュニケーションに慣れている若者たちが
めいっぱい元気に生きること!へのヒントを示せたらいい。

異世代の出会いは、こちらも学びが多い。
そんな機会をいただき、ほんとうに、本当にうれしい。

先輩たちとのかかわりも大切にしながら、
若い人との出会いも楽しませていただく。
まさに、中年。
これからも、まんなかでいることを意識しながら
出会った人たちに、元気を届け続けたい。

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願いごとを改めて。

「短冊が書けた~」と、連絡が入る。
そう、先日行ったコミュニケーションの勉強会での宿題は、短冊にそれぞれの願いを
書くこと。そして7月に入ったら笹が届くそうなので、それを会社の受付に
置いてみんなで飾っていただき、会社の他の方にも書いていただくようおすすめ
する予定。そう、みんなでつくる七夕。会社での小さな恒例行事になればと思っている。

みなさんが書いた短冊を見ると、自分の個人的な願い事を書いている人、世界
平和を願う人、仕事の目標を書いている人、それぞれ個性が出ていて、顔が浮かび、
思わず笑みが出る。
改めて、自分の願いや思いを短冊に書いたり、神社で絵馬に書くときなど、
心の内を文字に表すとき、ちょっとだけ厳かで清らかな気持ちになれる。
そして、前向きになれて、とてもいい。

さて、今の、自分の願いごとはなんだろう。
・・・と考えてみる。
やっぱり、平和な世の中であること。そして、愛にあふれる社会であること。
と、大きくなってしまうけれど、それが生きる上で一番願いたいこと。
そうなるために、自分ができることをひとつひとつ、行動していくしかない。
そのためには、まず健康第一か・・。
なかなか願い事はひとつにまとまらない。

まずは、今日一日が、素敵な日であるように。

そして、毎日、願い事を描いて過ごすといいかも。

今回短冊に書かれた願い事が、全部叶うように、応援し続けたい。

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日替わりハッピーに感謝!

日替わりランチ、日替わりサービスというのはあるが、日替わりハッピーという
発想はどうだろう?
毎日いろんなしあわせに出会えるということ。
今日はどんなしあわせ?
どんな小さなことでも、毎日いろんな歓びがみつかれば、人生バラ色になる。
というのは言い過ぎだろうか?

一昨日もひょんなことから、素敵な縁をいただき、新たな仲間を得ることができた。
そして昨日は、久しぶりに劇団仲間との食事。
本当にゆっくり食事をするなんて、何年ぶり。
その間、コロナもあって、本当にいろいろあったが、
それを乗り越えて、久しぶりの三人での会食。作家と役者とわたし。

あっという間の二時間、
名残惜しいが、また会おう、京都で山口でまた演ろうと約束しながら駅で別れる。
帰宅する前に、久しぶりにあった役者さんから、こんなメッセージが入っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本日は食事会にお招きいただきまして本当にありがとうございました。

久しぶりの複数人での晩ごはんは、賑やかでとても楽しく美味しい時間を過ごさせていただきました。やはりワイワイと食卓を囲むって良いものだなと身に染みて実感致しました。
楽しい場にいられたことを感謝申し上げます。

リクエストを一曲。今、電車の中で女優のアヌーク・エーメが亡くなられたとニュースを見ました。彼女の代表作である映画「男と女」のテーマ曲をリクエスト致します。僕の大好きな映画の一つです。ダーバダ、ダバダバダ♪って曲も大好きなので是非コンサートでやって下さいませ。宜しくお願いいたします。それと、健康診断も宜しくお願いいたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なんだか、役者さんらしい、セリフのような素敵な言葉だ。
部隊の上の彼の声を聴いているかのように、読めた。

元気でよかった、一緒にいたことを喜んでもらえてよかった。
男と女・・懐かしい。大好きな映画音楽。ぜひやってみよう!

と、昨日もこんな幸せをいただいた。
日替わりハッピー。今日はどんなしあわせに出会えるだろう。

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量より質。出会いは未来へ向かって。

最近、またまた新たな出会いをいただき、とても幸せな気持ちでいる。
本当に、そんなことがあるのかと思うような出会いだ。
ある総会。ある思いを持って参加した。そして発言した。
そしたら、会の後にそのことに対して、「私も同じ思いで参加していました」
と声をかけていただき、そこからご縁がつながった。
同じふるさとなのに、大阪での出会い。
岐阜の町を歩いていても、会わなかっただろう。
同じ電車に乗っていても、話しかけられることはなかっただろう。
同じ目的で、同じ時間、同じ場所にいた人とのご縁。
もちろん、発言する、声をかける。その行為がなければ、つながる
ことはなかった。

その後、お会いすることがあった。
同じふるさとで、同じ思いをもっている。というただ2つの接点である
のに、話しはじめたら、ノンストップで話題が途切れることなく2時間半の
時間が経った。
気が付けば、お互い、とても充実した時間を過ごせ、そしてお互い吸収する
ことが多く・・・。その人の人生を応援したい気持ちに包まれた。
ああ、ふるさとにこんな人がいたんだな。
不思議な感覚、ほんわかとした幸福感・・・。

出会い系サイトなど、よく名前は聞くが、出会いはどこで得られるか?
待っているだけで、本当に良き出会いに出会えるだろうか?

素敵な出会いを求めるならば、ただ待っていては始まらないかも。
かといって、ギラギラになっていても、いい出会いにはなかなか巡り合えない
かもしれない。
願えば叶うことは信じているが、まずは毎日を積極的に生きること、
自ら行動すること、五感を磨くこと、そしてコミュニケーション力・・・。
無心にがんばっていると、気が付けば運が開けたり、チャンスをいただいたり
素敵な人に出会うこともある。

日々の積み重ねで、気が付けば良縁に出会うことだってある。
と信じている。

今回も、全く不思議な出会いであるが、またひとり弟が増えたような
そんな気持ちで、心族が増えた感じがして、うれしい。

出会いはある日、突然に。
でも、それはもしかしたら、必然であり、
そして、それは未来に向かって意味のあるものなのだと思う。

出会いの数も大切であるが、
それ以上に、質を高めたい。
品・質ともに素敵な人たちと出会えるように、自分磨きを怠らず。

柳ケ瀬のバラのマークから生まれたご縁。
きっと生涯、心に残る出会いのひとつとなるだろう。

生きる限り、出会いを求めて・・・。
それこそが、生きることかもしれない。

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カタカナいっぱいの中で・・・。

カタカナはもともとは片仮名と書くそうであるが、かなと同じく、表音文字であり
とくに最近では、外来語を表記することに使われる。
情報化社会になり、とくにこのデジタル社会では、英語がそのまま生活に入りこみ、
カタカナが日常会話で飛び交っている。まさにカタカナ・コミュニケーションの時代。

半世紀以上前であれば、目新しかったマーケティングも、セールスプロモーションも
パブリックコミュニケーション、ステイクホルダーといった言葉も、すべて外来語。
意味を深く考えずに、ビジネスの場面で、すでによく知りぬいている言葉のようにして
使っているカタカナ言葉は多い。

最近では、さらにそれが加速し、学生さんの就職活動などでは、エントリーシートなん
て言葉はもう古いぐらい当たり前であるし、リスキリングにせよ、アンラーニングにせよ
・・・。とにかく、とにかく片仮名がいっぱいで、不思議な感覚に包まれることもある。

カタカナで表現すると意味が見えてこない。英語で書けば見えてくる。
たとえば、マーケティングというカタカナは音しか表現していないので、意味は想像できないが、Marketing とあれば、市場に関する言葉だとか、語源はマルシェか、市場を
生み出す活動なのだろうか・・といった具合に意味を考えるようになる。

また最近ではオンラインツールを使ったやりとりのなかで、「メンションしました」と
よく表示されるが、思わず、いったい何の意味?と聞きたくなる。
いちいちカタカナになって表示されることで、簡単なことも複雑なものに思えたりする
こともある。と感じるのは私だけか?ま、デジタル社会とはそんなものか?

私自身、コミュニケーション・クリエイターという、カタカナの職業名にしているが、
時々、生涯この名称でいくのかな?と四半世紀を駆け抜けて、改めて思うところはある。
カタカナのままよりも、もっといい表現はないのか?と思うのである。
コミュニケーション~人と人のつながり、関係性を通じて~幸せな世の中を
つくっていく仕事。という意味はもっているが、一言で言いたいから現在の表現を選んで
いる。けれど、わかる人にしかわからない職業名なのかもしれないとも正直思うところ
もある。若い時はそれでよかったけれど、今になると、もっといい表現があるのではと
思ったりもする。(考え中であるが)

とにかくカタカナがいっぱい。の世の中だ。
新しい言葉だ!と刺激を受けるのもよいが、もともとの意味を確認することを大切に
したい。

外来語をそのまま使うのではなく、自分なりの解釈をしながら、
自分で意味を考え、自分の言葉として、相手に伝わりやすく、わかるように使う。
このことも大切だ。

コンサルタントの仕事では、カタカナ用語を多く使う方も多い。
それらしい感じもするし、言葉の仕事では、こういった知識ももちろん重要だ。

そのことも理解した上で、私の場合は、本質に向かう仕事をしていきたい。
カタカナいっぱいの世の中で、表面的な理解だけでなく、腹おちのする
言動、行動をしていきたい。
言葉だけが泳いでいるのではなく、人の心に響き、人が動き始める、そんな
背中を押す仕事を続けたい。そこにはカタカナはあまり要らないかも・・・。

カタカナという文化。
もしかしたら、海外にはない発想ではないだろうか?
ここは、最近、興味があるところ。

外来もよいけれど、自らの考えをしっかりもつこと。
本質がわかること。
しっかり生きること。

振り回されず、よく考えること。


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生きている間に、もう一度。

過去に撮った写真を時々見直すだけで、タイムトリップになる。
とはすごいこと。
たまたま他の資料を探していて見つけた写真は2016年11月の
ブエノスアイレスで撮ったもの。

この時期、日本で一番遠い国の首都は夏に向かう。
花屋さんは、ピアソラのお墓にもっていくブーケをつくってくれた。


タンゲーラ・カフェのお兄さんたちの笑顔はとても、とても素敵で。
なぜか日本のボールペンに異常に反応していたことも、懐かしく。
カフェトルトーニのお店も目を閉じれば、昨日の出来事のように。

そして、南米のシャンゼリゼとも言われる7月9日通りのオベリス
クの夜景は、タンゴを見た帰りのバスからの様子か・・・。

と、約7年以上の歳月を経ても、くっきりと素敵な思い出が浮かぶ。
ああ、BSAS。南米のパリ、南米のシャンゼリゼ。

今、この国は大変な経済危機のなかにあると、最近のニュースで知り、
とても、とても心配になる。
みんな、元気なのか?みんな、しあわせなのか?

移民が生んだ町は、なぜか大好きだ。
NYも、BSASも。
生きている間に、もう一度、この世界で最も遠い、心の隣り町に
出かけたい。
タンゴが、歌が・・・、あの陽気な笑い声が・・・。
あ、タクシードライバーのハピエルさんのことも、思い出した。
スペイン語で、ザビエルのことをそう呼ぶそうだなあ。

その年に現地で知り合ったガイドのひとみさんに、会いたくなって
きた。

生きているうちに、元気なうちに、再び!あの美しい空に
出会いたい。

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一番幸せなこと、ありがたいこと。

先日、ある知人から連絡をいただいた。近々、会いたいとのこと。
なんでも、今度、つとめる会社の社内ベンチャーに挑戦するつもり
で準備をしているが、相談したいとのことであった。
久しぶりに再会。面談時間が少なかったけれども、コーヒーを飲みながら
30分ほど、今回その方が考えておられる挑戦の内容を確認し、気づく点を
お伝えする。
彼は、熱心にメモを取る。次第に目が輝いてきた。
そのベンチャープランは、なんと私も一緒に参画するような企画になっていた。
その方は、自分の夢を描いた時に、私のことも思い出してくださったのだ。
この人とやりたい!と。
遠路はるばるの距離感であるのに、それでも必要としてくれるその思いに
心うたれた。自分が多くかかわるかどうかは別として、彼の夢が実現するよう
応援したいと強く思った。

長く会っていなくても、いつも一緒にいなくても、その人の記憶に刻まれ、
何かあったときに、声をかけてもらえることが本当にうれしい。

一番幸せなことは、心にとめていただけること、必要としてもらえること
である。
自分に何ができるか・・を相手が知らないと、声もかからない。
幸せなことに出会うには、やはり日々、しっかり自分の存在を伝え続ける
ことが大切なのかもしれない。

もちろん声をかけてほしいから、おつきあいするのではない。
誠意をもって、相手の立場に立って生きていれば、おのずと相手に
伝わっていくと信じている。

その人の挑戦とともに、自分も新たな世界に向かえそうな予感がする。
キーワードは、地方から日本を元気に!自分たちにできることは?

ワクワクしながら、彼の挑戦を見守り、応援し続ける1

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マーサ塾、実施中。

企業さんのコミュニケーション活性化、人づくりに関わらせて
いただいている。
最近は、実務に活かせる研修として、展示会に向けた準備を
侵入社員のみなさんと進めていくということもやっている。
初めて展示会に臨む新人さんが、一生懸命シミュレーション
しながら、現場での対応を準備する姿は微笑ましい。
そして、実際、当日には準備段階で描いていた様子と違う
この発見も想定内。こうして仕事を覚えていく、という
このプロセスに関われることが楽しい。

一方、社員一人一人に寄り添うサービスも実施中。
最近では、将来を担ってほしい管理職候補の人を
ターゲットに、毎週個別に仕事の課題解決についての
相談以外に、今後の自分の進むべき方向について、
話しあう。そんなまさに家庭教師のような取り組み
を「マーサ塾」として進めている。

もちろん経営者や上司には、あらかじめ了解を得て、
というか、「ぜひ、お願いします」とお任せいただいて
いる状態。
日ごろ、業務でご一緒している社員さんではあるが、
改めて二人で話し合う時間をとるのは大変有効だ。

本音で語ってくれる時間をもつことが、その人に
とっても新たな発見になったり、リフレッシュ
になるようだ。

マーサの会、マーサ塾、マーサライブ・・・。
相手に合わせて、いろんなコミュニケーションの
場をつくる。
それができるのが、ありがたい。

目的は関わる人が、組織が、一人一人元気に
輝くこと。

継続はチカラなり。
ぜひ、やりがいにつながり、成果に結びつく
時間にしたい。

こういう時間の積み重ねで、気が付けば
ファミリーのような気持ちになっていくのも
不思議ではあるが、とてもありがたい。

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空港から、空港まで。


東京に住んでいた頃は、新潟はちょっと離れた隣町。
という感覚であったが、名古屋に移ってからは、
「よし!」と気合を入れて向かう、ちょっと遠い町
になった。とはいえ、その遠い感覚も出発してしま
えば、すぐに距離感はなくなる。

今回は飛行機での移動。
行きは、いつもお世話になっている個人タクシーの村木さんに
来ていただき、目的地までお願いする。
70代後半とおっしゃるが、本当に若々しくて、毎回車内に
飾ってある花が楽しみ。初めて乗ったときから、花がおもてなし
という珍しいタクシーであった。
今回は一輪のひまわりに迎えられ、夏気分になる。
車中でいろんな話をしながら、すっかり新潟はわが町になる。
毎日、宝探しの人生を送っておられるという話は本当に
心にしみる。
あっという間に目的地。

仕事をしている間も、新潟ではいろんな懐かしい仲間に
出会える。
やっぱりわが町だ。自然に地元の人と接している自分。
ふと、あの人は元気だろうか?と、佐渡のケーキ屋さんの
ことが浮かんだり、とにかくあの人、この人は?
コロナでご無沙汰していた間に連絡が途絶えた新潟の方の
ことを思い出す。
皆さん、お元気ならば、お変わりないならばいいな。

そんなこんなで、仕事を終えて、空港までふたたび。
今度は、私が新潟に通うことになったときから、ずっと
お世話になっている新潟の妹さんに空港まで送っていただく。
久しぶりの再会、車の中でのコミュニケーションの時間も
貴重である。
仕事のこと、人生のこと・・話題は尽きず、そのまま空港に
着いても話し続ける。

空港から、空港まで。
それぞれ素敵な人に送迎いただき、新潟での1日が終わる。

帰ったら帰ったで、新潟からの連絡が入っている。
ありがたい1日。

また次回も、会わねばならない人、会いたい人に会う。

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「飲水思源」と「有難い」

昨日、仲間とのやりとりで、この言葉の大切さについての言及が
あった。この「飲水思源」は、最初に井戸を掘った人のことを
忘れない、水を飲むときに、水源~設備を作った先人に感謝する
という意味。

水を飲まなければ生きられない。
生きられるのは、先人たちのおかげ。

生きていると、すべてが先人のおかげであることに気づかされる。
自分が初めてやったこと・・なんて、そんなにないのだ。

一方、
「ありがとう」という言葉。
これは、「有難い」という漢字になる。
有ることが難しい。
あって当たり前ではなく、本当はなかったかもしれないこと。
それがある。そのことに感謝しよう。という意味が込められている
と理解してきている。

だから、どんなことでも有難い。
平和であることも、当たり前ではない。
先人たちの絶え間ない努力があって、日本にいる自分たちは
日常生活を過ごしていられる。
有難い日常・・・なのだ。

と、物事の本質をとらえて、日々生きているだろうか?

目先のことだけに追われて、有るのが当たり前、やるのが当たり前。
と先人たちの、先輩たちの苦労に目を向けることなくスルーして
いないだろうか?

と、日々の事象を見ながら、自分の来た道をふりかえってみる。

改めて「飲水思源」の意味。そして心からの感謝。
こういう気持ちをもつことが、謙虚で誠実な行動になるのだろう。

何をするにも、そこを忘れずに生きていきたい。

と、今朝も強く思う。
先人がいて、自分がいる。
あなたがいて、わたしがいる。
というお互いの感謝の気持ち。
そこがなかったら、人間社会は壊れてしまう。

まずは、自分から実践しよう。
すべての先人に感謝し、有難い今日を精一杯、生きること。

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