「水になれ!」に背中を押される

香港の大スター、ブルース・リー。
単にカッコいい、カンフーの名人俳優かと思っていたら、
立派な哲学的思考をもった教養人であることを、先日知った。
アジア人、アメリカ人の血をもち、アジア人のアイデンティティを
探し求め、いきついたのがカンフーだったそうで、
それは単に武術としてだけでなく、まさに精神を鍛える修業であった
ようだ。
そして、その学びは、彼の生き方に大きな影響を与えた。

水のような存在になれ。
水のごとく、生きよ。

これが、ブルースリーが残した言葉だそうだ。

水は入れる容器によって、どんな形にもなる。
そして一定のところにはいない。
常に流れる。止まると腐る。
そして、水は、ときに石をも砕く強い力をもつ。
だから、
水のように、生きろ。

心が震える、思わずガッツポーズをとりたくなる
名言。

今も、自由を求め戦う香港人は、その言葉を胸に抱き
がんばっているのだそう。

私もそうありたい。

水のごとく生きる。
しなやかに、強く、決して流されず。

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なんでも老々の時代へ。

コンサートの依頼が増えてきた。
嬉しい限り。
出前コンサートのチラシの効果があったかどうかは
わからないが、お年寄り向けのイベントへの依頼が
多い。というか、世の中全体が、高齢社会になっている
ので、それも自然なことであるが。
敬老の日に行われる地元の敬老会のコンサートの打ち合わせ。
お電話をいただき、その後ショートメールでのやりとり。
あ、メールをされる方であれば、まだお若いかも?
そして、昨日は顔合わせ。
お世話役の方3名様とお会いする。
敬老の日のイベントも、高齢者の人数が多すぎて、
今はなんと、80歳の人を対象に。ということらしい。
へ?80歳だけの限定イベントなんて、対象者が少ないのでは?
とたずねると、そうでもない。
案内した人全員が参加されたら主催者含め200名以上になる。
自分が子供の頃の敬老会は、対象年齢も65歳以上とか、70歳
以上とかそんな年代からの参加を呼び掛けておられたはず。
年金もそうであるが、敬老会の招待年齢も引き上げである。


それにしても、80歳の方にイベントに来てもらうのも一仕事。
足の問題がある。
免許返納された方が多いので、外出しづらい。こういう方に
どうするのか?
気が付けば、コンサートの打ち合わせ以前に、敬老会の集客に
ついて、チラシの作り方や広報の仕方に一生懸命アイデアを
出している自分がいた。
どうせやるなら、ひとりでも多くの方に来てほしいから。

今回のお世話役のみなさん、72歳の同級生だそう。
まさに小学校、中学校の先輩だ。
一昔前ならば、まさに敬老会に招待される側の人たちが、
今は主催者側で奮闘されている。

なんでも、老々の時代になってきたことを実感する。
身体の変調を抱えながら、まだ元気で意欲がある方が、
地元のさまざまな支援活動に取り組まれている。
そのことに頭が下がる。

今回のイベントの会場は、自分が通っていた小学校
の体育館。
半世紀ぶりに立つ体育館のステージ。
ふと卒業式のときのことを思い出す。
今度は、そこで地元の先輩のみなさんへ音楽の
贈り物。
きっと、両親も喜んでくれるだろう。

日頃の仕事の現場で感じることが少ない老々。
一歩外に出ると、これが今の地方の実態。
まだまだ自分は中年である。
ある政治家が昨日インタビューで、ヤングオールドとか
う言っていたが、オールドはなし。
まだまだ若い。
担う側にいなければ!と思った次第。

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自由を求め続け・・。

香港の100年を題材にした映像を見て、常に自由を求め続ける
香港の人々の歴史に触れ、胸がいっぱいになった。
(と、同時に、日本がしてきたことも・・・。)

自由・・・。
今の自分は、自由に生きていることに感謝しなければ。
と心から思う一方、
まったく自由かといえば、そうでなく、無言で戦って生きてきた
ともいえる一面も。

自由になるように、厳しい道を選んできた・・とそんな
大げさなことはしていないが、とにかく自由であることが、
一番人生のなかで大切であると思い、そうなるように生きて
きたつもり。

たとえば、選択制夫婦別姓の問題。
いつまで、言っているんだろう。
モノごころがついてから、ずっとおかしいと思ってきた
この問題。
今の日本では結婚すると、不自由になる。
自分らしくなくなる。名前をなぜに変えなければならない?
と本気で思ってきたから、
変えなくていい生き方にこだわってきた。
その方が自由に生きられると思ったから。

結婚は法制度であるので、個としての人生の本質とは
関係ない。と思い続けてきた。
結婚しなくても、しあわせのかたちは、創ることができるし
今、まさに自由に自分らしく生きている。
もちろんデメリットはあるが、別にそんなことは大したことはない。

大切なことは、自由に生きること。

ふたたび、香港のこと。
自由で輝いていた、憧れの地、大好きなテレサテンも愛した香港。
九龍と香港の島間を往来していた、あのスターフェリーの姿と
美しいビル群の景色が懐かしい。
限りない夢と可能性を感じた香港。

残念ながら今は・・・。
でも、ずっと何者かに圧力をかけられ続けてきた香港の人は
負けずに生きている。生きるはず。
水のように柔軟に、自由を求め、生き続けるはず。
心から応援している、香港の次の道・・・。

自由が一番の宝。
おかげさまで、多少の不便があっても、今の自分はとてもとても、
自由で、しあわせだ。

そのことは、決して当たり前ではないことを、かみしめたい。

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忙しくなるSEPTEMBER

BERが語尾につく月になると、牡蠣がおいしくなるんだよ。と教え
られた中学生の頃。
果たして、この地球高温化(あえて、温暖化ではなく)の今日も
同じだろうか。きっと違うだろう。
昔は、秋の訪れを感じるうれしい9月であったが、今はまだまだ
戦いの残暑。

その9月、今年はなぜか忙しくなりそうだ。
なんと、珍しく、1か月で5回のステージがありそう。
その規模、長さ、対象、目的はすべて異なるが、急に9月の
演奏依頼が舞い込んできた。ありがたいこと!
企業、組織の周年、定例のコンサート、敬老の日、お彼岸・・・。
連日出演という週もありそうだ。

なぜ、急に9月に?
9月はグラン・ルーのアニバーサリー。17日には27年を迎える。
私にとっては、おめでたい月。
なんだか、今回は記念すべき新しいスタートになりそうだ。
新たな出会い、長いおつきあい、意外な展開・・・。
とにかく、ご依頼をいただけるとは、大変ありがいこと。

思いがけないチャンスを多くいただけ、うれしい限り。
出前コンサートが意外と違う展開で広がってきているような。

今年の夏は、暑さに負けていられない!

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後輩の旅立ち。

今年2024年前半もそろそろおしまい。
なんと時間が経つのが早いことか。

会社員時代の後輩が、今日をもって卒業。
そして起業に向けての道を歩み始めるという。

自分の25年前のことを、くっきりと思い出す。
会社員最後の勤務日のこと。

最終日まで、得意先へプレゼンに行き、
そこで
「今日で私、会社を退職します。今日が最終日です」
といったときのお客様の反応が今も浮かぶ。
ほんとうに、今日でやめるのかなと思いながら過ごした最終日。
そして、最後は今とは違う、昔の京都駅のホームでの壮行会。

上司や部下たちが、送ってくれた夜行列車までの時間。
(なぜか新幹線ではなく・・。)
花束をいただき、駅のホームでみんなで撮影した1枚も懐かしい。
別れたあとの車内での脱力感と、達成感と・・・。

と、今朝そんなことを思い出した。
後輩は希望に満ち、まさに満を持しての今日であると思う。
彼は、今朝どんな気持ちかな。

昨日くれたメッセージは
「最後までつとめあげて、卒業しますね」
大人になったなあ。成長されたなあ。
新入社員の頃のとてもヤングだった彼を思いながら、
今日はなぜか自分も胸いっぱい。

終わりよければすべてよし。
まずは、今日が最高の最終日になるように、心から応援したい。


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知的時間を手軽につくる。

東京日本橋で、ほんの15分、20分時間ができる。
ちょうど、目の前に大きい本屋。
ああ、久しぶり。へえ、本屋は9時半からやっているんだ。
時間つぶしに入ってみる。
そういえば最近、本屋に改めて入るということが少なくなった。
本もAmazonで・・。ということも増えているため、
久しぶりに書店の空間の中に身を置くことは大変新鮮。
ついつい、仕事柄、本の作り手や、売りたい側の意図も考えて
しまうため、まっすぐにメッセージが入ってこないものもある
けれど、純粋に多くの本がずらり並ぶ環境は、タイトルやキャッチ
を見るだけでも、大いに勉強になる。
また、本のデザインを見るという点でも面白い。
ネットでは見ることができない、アナログな知的世界。
検索することももちろんできるけれど、一冊一冊を眺めることで
いろんな想像も膨らんでくる。

今取り組んでいる仕事のテーマに合った本を思わず探す。
ああ、こういう切り口があるのか、とタイトルを見るだけで
すでにヒントがみつかる。
勉強会に行く、講座に出るなど大人の学び方もいろいろ
あるが、本と向き合うだけでも十分勉強になる。

本を読む。
意識しないと、時間は作れないが、ネットに流される日々のなかで
しっかり活字と向き合う時間をつくりたい。
たとえ1日30分であっても・・・。
もちろん電子ブックもよい。けれど、たまに書店に足を踏み入れ
本たちに囲まれる時間も良い。

昨日は、結果的にある経営者の著作を1冊買ったけれど、すでに読む前に
得られた知的好奇心。

これを磨き、自分に火をつける。
図書館も本屋もどちらもいい。
夏休みに図書館に通った日々も懐かしい。
本屋では、今の世界が見えてくる。
その冒険を楽しみたい。

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休刊、廃刊、どこまで。

今年になって、愛読している広報誌・雑誌関連の印刷物の休刊、廃刊が
続いている。
昨日も、またひとつ、あるカード会社から最終号が送られてきた。
これもコロナの影響のひとつ・・か。

最後の表紙こそ、その広報誌らしく、きれいな写真を使って記念号にして
ほしかったが、まっしろな表紙に
「55年間、ご愛読ありがとうございました」
との文字が大きくあって、何とも言えない気持ちになった。
どんな気持ちで最終号をつくったのだろう。
本当に最後だからこそ、いつもどおりお客様がわくわくする表紙で締めて
ほしかった・・・といきなり残念な気持ちに。
それぐらい、終わってしまうということは、読者だけでなく、作り手にも
インパクトがある。いや、作っている方にこそダメージが大きいのだろう。

先日、長崎に生涯暮らし、聖書を印刷する技術を伝え、布教活動と
地元の繁栄のために命を投じたド・ロ神父の拠点に足を運んだが、
あの当時は、印刷はこれから!未来のコミュニケーションツールで
あったのに、100年以上が経過した今は、印刷よありがとう、さようなら!
の時代になってしまっている。
印刷はグーテンベルク以来、世界の三大発明と言われていたのも、
今は昔・・・か。

ではあるが、
デジタル中心の世の中が加速しても、、価値あるメッセージを伝えるため
に、紙媒体は、なくなってはいけない。
どうか、印刷に携わる皆さんも、ふんばってほしい!

一方、地方の新聞社につとめる記者歴のある知人が、新聞づくりに関わって
きたからこその何かをしたいと、今、挑戦を始めようとしている。
こういう人の活動も重要だ。新聞社にできること、記者にできることの模索と
実行!

休刊、廃刊。とても残念であるけれど、もしそうなってしまったら、
最終号こそ、絶対永久保存したくなるものをお願いしたい。
また、そうならないように、あって当たり前。と思わず
丁寧につくり、また作り手の心を大切にして、しっかり受け止めたい。

創刊が続いた昭和後期が懐かしい!
メディアのプロが元気だったころが懐かしい。

真っ白な最終号のページをめくりながら、いろんな思いが沸き上がる。

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葛藤、止揚、成長。

生きるって、なかなか。
と思うことは多い。
きっと自分だけではないと思う。
いいこともあり、そうでないときもあり。
そういうつもりじゃないのに、そうじゃないのに。
と、日々口には出さなくても、心の中で叫びたい
そんなことはある。

一方、やってよかったなあ。伝わってよかった。
ああ、うれしい。生きててよかった。
と思える瞬間もときにはある。

日々生きながら、自分と戦い、世間と戦い、
目の前の課題をひとつづつクリアしながら
次のステップに進んでいる。
毎日、24時間足踏みをしているのではなく
葛藤も含めた、多様な経験を積みながら、
気が付けば長い時間を生きていることに
気づく。
葛藤もせず、乗り越えもせず、であれば
一見、楽ではあるが、それでは生きる甲斐も
ない。

葛藤とは相手に、自分に向き合うところから
生じるもの。
また、意志があるからこそ、思いがあるからこそ
生まれてくるもの。
葛藤とは、生きている証しでもあるのだ。
と、前向きに考えたい。

葛藤しながら、成長する。
そんなことを考えていたら、久しぶりにヘーゲルの
「止揚(アウフヘーベン)」を思い出した。
正・反・合。と表現すればわかりやすいか。
正しいもの、そうでないと思うもの、それらを両方受けとめ、
客観的にとらえながら、さらに発展させること。
賛同できないことも、見る角度によっては、お宝になることもある。
そういう見方もあるのだ。と思えば、世界は広がるのだ。

久しぶりに思い出した。
日々の葛藤を越えて、より高みにいこう。
そう思えば、小さな悩みも成長のタネに思えてくる。

止揚。受け止めて成長すること。
悩める日、迷える日こそ、そんなことを改めて意識したい。

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何事にも終わりがあるから。

十数年ほど、一緒に仕事をしてきた仲間に、毎年一緒に出てきてきた会合の出欠を確認する。
「今年はどうします?」当然、今回も参加されると思ってたずねた。
「20年ぶりに欠席します。自宅で留守番です。どんなことにも終わりはありますね」
との返事。
そう、定年退職したせいで、その会にももう出席しないということだ。

周囲ではいろんな変化がおきている。
雇用延長の制度もあって、定年後もまだ一部仕事を続けているが、かつての現役時代とは、もう違うよ!という意味だ。

「何事にも最後がある」

最近、そのことについて、よく考える。
たしかにそうだ。
ものごと、はじまりがあれば、終わりがある。
今は終わりを意識することが増えている。
これは何とも言えないのだけれど・・・・。それが現実。

何事にも終わりがある。
終わったあとは、何かあるのか?_

と、自分の先を見ながら、どう着地させるのかを真剣に問いかける
自分がいる。

終わりがくるまでの間、どうする?
もちろん、終わりをどこに設定するか?によって、すべて変わってくるが。
でも、終わりは必ず来る。

映画でいえば、FIN、FINE.この言葉はとても好きだ。何とも余韻がある。
こんな言葉が似あうように、
人生もカッコよく終わらないと・・・。

いい結びにするために、今日も終わりを意識して過ごしたい。

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元気に旅立つ1枚のための助手?

母の写真が大変好評で、旅立って3年以上経った今も、「あの写真はいいね」
「私もああいうのが欲しい」という声をいただき、ついに、「いい写真屋さん
紹介してもらえないか?」との相談もいただく。
そんなこんなで、地元で時々ご無理いっているアマチュアのカメラマンの
方にお声をかけて、撮影会を開催することに。
私は今回は、そのモデルさんの表情を引き出す役。
ご本人の向かいに座って、会話をしている感じで、そして時々、「口を
閉じて。」とかいろいろ注文を付ける役。
最初、緊張されていたご本人も、撮影いただいたものを見せると安心して
表情が柔らかくなり、慣れてくる。
途中で衣装も変えたり、場所も変えたりしながら、撮影は順調。
おかげで無事終了。で終われず、「実は、親友が・・・」と、施設に住んで
おられるお友達の撮影の相談まで受けることになる。
「ああ、これで元気に、悔いなく旅立てるわ。娘たちと写真を選ぶわ」
とモデルさんは大喜び。いざというときに、いい写真が用意されていると
気持がずいぶん違うのだろう。
この写真は、モデルさんが着替えている間に、どんな風に映るのかと
試し撮りいただいた瞬間のショット。
人を笑わせていると、こちらも自然に笑顔になるもんだ。

さて、私の最後の1枚は?もう改めて撮らなくていいけれど、時々
撮っておくのも良いのか?それとも、若い時の一番気に入っている
写真がよいのか?まあ、そこに自分はいないから、何でもいいけれど。

元気に旅立つ、悔いなく一生を終えるために、1枚の写真の存在は
大きいようだ。

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