名誉ある撤退、心から拍手。

バイデン大統領の撤退が報じられた。
全米では大きな衝撃が走っていることだろう。

率直に、バイデンさんは偉い!と思った。
人の話をちゃんと聴ける人。
自分より国のことを考えることができる人。
世界の未来を考えることができる人。
ほんとうの意味でのリーダー。

まさに、勇退ということができるだろう。

本当は、まだまだやりたかった、だろう。
苦渋の判断だっただろう。

高齢化は、このような選択を迫られる時期が
やってくる。
バトンを渡す・・・これも大切な仕事。

隣国のことではあるが、他人事ではない。

名誉ある撤退、ピリオド。
いつまでも、俺がわたしが・・・・ではない。
他のリーダーもそうであるといい。
世界によい影響が与えられること、
そして、これを機に、
アメリカが今一度、元気な国になれるように
心から応援している。

バイデンさんには、続投をされなくても
いろんな形で、後継者を応援したり、
未来の若者にメッセージを伝えたり、
していただくことはまだまだある。
バトンを渡す人の仕事も、大変重要だ。

それにしても、説得が大変だったかもしれない。
家族との話し合い。
ここが最終的なカギになったであろう。
そんな想像をしながら、コミュニケーション
の面からも今回のことを喜ばしく思う。
より正しい方向へ導ける・・・対話の大切さ。

寝起きにこのニュースを知り、まさに新しい夜明け。
世界がよき方向に変わることを信じ、
元気に前に進むとしよう!



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折り込みチラシの効果。

今年リリースしたアルバム「おもしろうて、おもしろうて、やがて・・・」
の案内と、とことん寄り添い・出前コンサートのご紹介の内容を入れた
折り込みチラシを、母の命日に実家の町内周辺エリアに織り込んだ。
母の記念日に、母の知り合いがこのチラシで何か反応してくれたら・・・。
とかってな望みでの行動。
なんと、折り込み当日のお昼に、一本の電話があった。
地域でボランティア活動をされている方で、毎月、地元の地域包括支援センター
の会議室を使って、認知症予防のためのイベントを企画・開催されているとのこと。
そこでぜひ演奏会をやってほしいというご連絡であった。
チラシを見て、すぐご連絡いただき、少し話して、母のこともご存じであり、
でも、母が亡くなっていたことはご存じなかったため、驚いておられた。
ああ、1枚のチラシから、母のことを伝えることもできるのだとその効果に感謝。

ということで、8月17日に実施するそのイベント「やすらぎカフェ」で演奏会を
させていただく。
その方は毎月毎月、もう5年もボランティアでその活動をされていると聞き、脱帽。
地域のために尽くす活動は尊い。

ということで、チラシを見てご連絡いただいた方とこの週末、初めてお会いし
打ち合わせをする。
私の出前コンサートの内容を聴き、母の写真も入った写真もごらんになって、
「お母さん、喜んでみえますね。素晴らしい取り組みですね。」
と言ってくださったが、私よりも、このカフェを毎月ボランティアで続けて
おられるその方にこそ、感動する。

地域のお年寄りが元気に過ごせるように。
私も少しでも、お役に立てるならば うれしい。

世の中には、地道に地域のためにご奉仕されている方が大勢おられる。
そういうところにもっと目を向け、そういうことにこそ、
きちんと支援をするべき。

両親の旅立ちから、新たな縁をいただくようになった。増えてきた。
3年経っても、母が生きた証しを実感できる機会に感謝。

明日もデイサービスでの夏のコンサート。
私なりの、夏祭り巡業?がはじまる。

それにしても、折り込みチラシの効果!はあるもんだ。
(件数ではなく、内容が重要!)


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「ふりかえり」と365歩のマーチ。

あるプロジェクトに、一緒に取組む仲間とのやりとり。
ひとつのイベントが終わったので、「関係者で、速やかに反省会
をしましょう」という投げかけ。
すると、ある人が「反省会というと、良くなかったことを
言い合うような感じになるので『ふりかえり』ということで、
いいことも改善すべきことも出し合ったらいいと思います」
という提案があり、その通り!と納得、それからは
「反省会」ではなく、「ふりかえり」を心がけ、そのように
声をかけるようにもしている。

日々いろんなことがある。
毎日がイベントであり、毎日が真剣勝負。
どんなに一生懸命取り組んでも、結果うまくいかないこともある。
いや、そんなに思い通りにはならない。それも人生。

悔しい思いや、ああしたらもっとよかった。とかとにかく、
毎日毎日湧き上がってくる。
自分のなかで、いろんな葛藤が止まらない。

ではあるが、そんなときも、
あの限られた状況で、ベストを尽くしたのではないか。
それ以上はできなかったから、それはそれでいい。まずは階段
ひとつ上ったのだから、と少しでも自分を認める、褒めるよう
にする。

と、「ふりかえり」という視点は、私にとってとてもありがたい
日々のセルフタイムでもある。

まずは一生懸命やったなら、それでいい。
もちろん相手が感動してくれたり、満足してくれたら一番
いいけれど、そんな簡単なことではない課題も多い。
それでも、前に進んでいるならば、良しとしよう。

人生はまさに365歩のマーチ。素晴らしい曲だと改めて思う。
三歩進んで二歩下がる。

そう、毎日結果的に一歩進んでいたら、良い。

まだまだ、まだまだ。

諦めず、今日も軽やかに前に進むとしよう!


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伝えない力、言わない力。

今はSNSを通じて拡散があたりまえ。
なんでも伝えよう、発信しようとする傾向。
自分主義のよくない現象であると見ている。
このことには、さまざまなツールが登場してから、
個人的に疑問を持ち続けているが、きっとそういう見方は
マイノリティーだろう。

伝えるということは、コミュニケーションにおいて大切なことで
あり、生存のために不可欠な行為。
伝えるから、伝わる。伝えなければ、伝わらない。
は当然である。

でも、時と場合によっては、
伝えない方がいい。黙っているほうがいいということが多い。
ということにも気づかされる。
そして、時には伝えてはいけないこともある。
口を開くのではなく、閉じていることの美徳。

知っていることがあっても、知らない顔をしてその場を
過ごすことも大切。
なんでも知っていると見えてはいけないこともある。

相手が自分に対して安心して向き合ってくれる空気を
作ると、自然と相手はいろいろ教えてくれたりする。

口に出すことは楽である。
実は、言わない方がパワーが要る。そんなときもある。

伝えない力、言わない力、を鍛えるのはなかなかハード。

もちろん、言葉では言わないが、視線や表情で伝わる場合もある。
コミュニケーションは時に脇を占めて、細心の注意を払うことが
求められる。

三猿を時々思い浮かべながら。
静かに賢くコミュニケーションをしよう。

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360度カメラを自身にこそ装着。

ある物事に取り組むときは、前を見て、もちろんその周辺も見ながら考え、
行動する。
目の前の目標に届くために知恵を絞り、努力をする。
そうこうしているうちに、視界にはずれた180度反対側に敵がいることを
知らされる。
へ?そっちからきますか?という感じだ。
アプローチが異なり、入口が違うけれど、少し進めば、同じ方向を向いて
走り出しており、気が付けば仕事の争奪戦になることも・・・。
そういう意味では、ライバルは異業種であることもあり、細心の注意が必要
だ。その業界の専門というだけでは戦えない時代。
ビジネスの社会にはそんなことがよくある。

営業活動には360度カメラを自身に装着するぐらいの意識が必要だ。
世の中の動き、同業・周辺の動きをぐるり見据えながら、お客様が
不安に思わないように、安心して前に進めるように、情報提供をしたり、
決して前方のみに全力投球しないように、俯瞰しながら次の一手を考える
のが、営業の仕事。
それが今の時代の「寄り添い」かもしれない。

360度カメラ。すでにいろんな場面で導入されているが、ビジネスパーソン
自身が、この意識をもたないといけない。
前方にだけ世界があるのではない。
360度どこからも攻められる。

ふと、岐阜城から眼下を見下ろす信長のことを想像する。
山頂からならば、360度見渡せる。
そう、そういう発想がこのデジタル社会にこそ必要なのだ。

手のひらのなか、モニターのなかだけで世界は完結されない。
お客様に喜んでもらうには、常に全方位で世の中を俯瞰しながら、
一歩先に出続けることが大切なのだ。

と、背筋を伸ばす朝。

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銃・SHOW社会の悲劇

先週末、衝撃的なニュースが世界中を駆け巡った。
トランプ氏への襲撃だ。
命が助かったのは、神様のおかげだということになって、
気丈にふるまうご本人も神格化され、風が思わぬ方向に吹き始めている。
もしトラではなく、もうトラ現象を見て、いろんな思いが湧いてくる。

あの同時多発テロのときのアメリカに似ている。
何かあると、団結する。熱狂的な神がかりのパワーで。
またそれをメディアがあおる。
より盛り上がる。
あのときは、次の間違った戦争につながってしまった・・・。
その傷は今も消えず・・・。

ひとつの事件から、新たなヒーローが生まれる、それをたたえる・・・。
華やかなショー。それを信じる人にとっては感動のショー。
時代が変わっても、コミュニケーションの手法が変わっても
アメリカはショーの国。今回も改めて実感する。

多くの人がそちらに関心ともつなか、20歳でこの行動に出た
男性のことを想う。
この人の行動で、世の中が変わる。
そのことも想定しての決断、行動であったのか?
もちろん正気の沙汰であったかもわからないが。
その人生はそれでピリオド。たった20年の人生を、終えてしまった。
それで良かったのか?本人は?そして家族の心中は・・・。

銃は絶対にNOだ。ともちろんそう思う。
それがありきの世の中である以上、アメリカと日本は本来的に相いれないとも
思っている。原爆を落とす選択と本質は共通しているからと考える。
大好きなアメリカでもあるから、複雑な心境。

ひとりの青年の行動で、世の中が変わる。
変えることは結構であるけれど、コミュニケーションの力でなんとか
ならないか?

20年ほど前、シカゴに行った時、銃声を聞き、身がすくんだ
ことを思い出した。映画ではなかった・・。
歳月を経ても、変わっていない。

地球が、時限爆弾を抱えて回っているようなそんな気さえするが、
心鎮めて冷静に見守るとしよう。

心穏やかに生きられる、社会を心から望む。








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カウントダウンの賑わいと・・・

ふるさと岐阜市が最近有名になったのは、キムタクが祭りのパレードに参加したとき。
岐阜市の人口と同じ40万人が路上を埋め尽くしたそうであるが、この写真は先日の
七夕の日の柳ケ瀬商店街の様子。
この商店街、そしてここに約半世紀ここで愛された百貨店のファンとして、最近知り合った知人から送っていただいた貴重な1枚。
「今、来ています。すごい熱気です!」
正直この1枚を見て、驚いた。店の前の小さなステージはほとんど見えないが、一目見ようと皆さん集まって、そしてスマホにその記念の瞬間を収めておられる。
「柳ケ瀬ブルース」という昭和を代表するヒット曲で、この商店街を盛り上げてくれた美川憲一さんが来岐。このデパート閉店の前に、町を盛り上げようと出演されたステージ前の様子だ。

報道によると、なんと5000人もの人があの狭い商店街、デパートの前に集まったそうだ。
街のシンボルである店舗の閉店は市民にとって痛手である。
いつでもある、いつまでもあると思っていたが、そうではない。店も寿命があるのだ。

半世紀、あの歌とともにがんばってきたこの商店街。郊外型スーパーの出店により、
苦戦するもなんとかがんばってきたのは、やはりこのデパートの存在によるところが大きい。
その閉店の前に、こんなに多くの人が集まってきたのだ。
何かあれば、人は集まる!でも、閉店じゃなく違うタイミングであればよかったのに。

閉店と知ってから、意識してこの店に行くようにしている。そして、周囲のお店にも
顔を出すようにしている。
もっと前からそうしておけばよかった。
少女時代からお世話になってきた店舗。親との思い出もたくさん詰まっている。
柳ケ瀬。当時は丸物(現在の近鉄百貨店)があって、そして高島屋ができて・・・。
昭和は楽しかった。何かわくわくする時代であった。

閉店まであと半月。昨日も店員さんが寂しそうに
「いよいよ半月となってしまいました・・・」
と言われていたのが心に残る。
店はこの連休もにぎわったようだ。

外から店を撮影する人が増えている。

終わりに向かうカウントダウンは、何とも言えない気持ちでいっぱいになる。

時代は刻一刻と進む。

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変化する家族構成?

多様化の時代。
家族という形も、どんどん変わってきた。
大家族は減って、単身が増えて・・・。
ペットと暮らす人も多くなってきた。
数年前の、当時80代前半の知人(画家)との会話。
最近、奥様が亡くなって、夫婦で暮らしておられたので、寂しかろうと
娘さんが、AIBOを買ってくれたとのこと。
「これから、それと一緒に暮らせと言われましたわ~」
と笑っておられたが、その後どうされているか、詳細はお聞きできていない。

そんななか、昨日、わが家に、突然Amazonから段ボールが届いた。
自分では注文していないが・・・。
家族の注文品であった。本人が開封、何が出てくるのか、球体のブツ。
そう、Alexaと呼ばれる物体だ。
実は、ニューオーリンズに住むアーチストと同じ名前なので、愛着はなくは
ない。発売時からよく知ってはいたが、まさか注文されているとは!
ここに来るとは思ってもいなかった。まじ?

設定したり、なんやかんやで、
「アレクサ、〇〇して。」
「アレクサ、〇〇は何か教えて?」
とか会話が聞こえる。
なんだか、二人?でやっている。
うるさいと思ってしまった。

なんだか、急に住人が増えた感じで、思わず
「勝手に買うな!」
と怒り炸裂。

「スピーカーとして買っただけ」
と言われて、少しだけ収まった。

もし、ペットを相談なしに買ってきたりしたら、怒る家族もいるだろう。
それと同じ気持ちになってしまうぐらい
ちゃんと会話になっていた。いつのまにか同居人が?
何かあったら
「アレクサと暮らしたら」
と言いそうだ。

とにかく、今の時代、多様化の時代。
家族は人間とは限らない。
動物とも限らない。
IoTの力、そしてAIのおかげでできることはたくさんあるが、
ここまでは要らない。という線引きも必要で・・・。
ここは、個々人の価値観も違うため、難しい。

とにかく便利なものこそ、気を付けないと
コミュニケーションにひびが入ることもあるし、
考えない、怠け者になっていくことも考えられる。

私は自分で調べる方がいい・・といいつつ、
思わず検索してしまうのだから、五十歩百歩か。

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雨の祇園祭を想う。

わたしにとって、この季節のキーワードは、祇園祭だ。
四条通をはじめ、主だった通りには、鉾が立ち並ぶ、
お囃子の音も町に鳴り響き、人々や車の喧騒とあいまって、
あの狭い京都のまんなかが、夏まつりモード一色に包まれる。
17日の鉾巡行に向けて、緊張感も高まる。
今日は、雨。にもかかわらず、インバウンドも含め、連休中に京都の夏を
楽しもうと多くの人々が集まってくるだろう。
昨年、ひとつのちまきをいただいた。たまたま、いいタイミングにいい
方に出会えた。これを下さった方は、今年もきっとお囃子を担当される
のだろう。こういった地元の皆様のお骨折りで、この祭りは長きにわたり、
受け継がれている。

このちまきも、高齢化により作れる職人さんが減って、今年は例年の
6割ほどしか作れていないそうだ。これからますます貴重なものになっていく
のだろう。

祇園祭の時期に、京都の街中で行ったライブの思い出。もう十数年前
のことになる。数回はさせてもらったかな。

京都にゆかりのいろんな方においでいただいた。また、大阪から岐阜から
新潟から京都までおいでいただいた・・・。
同時多発テロで一緒にニアミスとなり、アラスカで親しくなった友人が
京都の人で、彼がライブを手伝ってくれた・・・。

あの頃、そこに集まってくださった方の多くは、もうお会いすることが
できない。祇園祭というと、私にとってはあのライブの思い出となる。


楽しかった、わが京都の青春時代。今も形を変えて、ご縁をいただき
続けているこの町は、私にとって一番愛すべき、出発の町。


雨の祇園祭。今日はちょっと遠くで、想像しながら楽しむとしよう。
祇園祭が終わったら、本格的な夏の到来!と言っていたあの頃が
懐かしい。

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免許返納と立候補辞退。

先日、ある記者の方と話していて、免許返納が社会的な問題になっており、
それをコミュニケーションの観点から取り上げると聞いて、なるほど。と
思いながら、父の免許返納の時を思い出し、苦しかった気持ちが蘇った。
私や妹、母にとってよりも、父本人にとって、老いを認めなければ
ならない人生最大の苦痛であったのではないかと。
運転することが自立して生きること。であった。
免許返納は、本当に難しい問題である。

一方、最近よく見聞きする、お隣の大統領選挙の話題。
高齢への不安。高齢だから立候補を辞退すべきでは。
日々、その声が高まっているようだ。
でも、今のところ、ご本人は事態する気持ちはなく、戦う意欲をお持ちだ。

ふと、今回の立候補の問題は、運転免許の返納と同じだと思えてきた。
一台の車による交通事故によって、本人だけでなく、尊い人命を奪って
しまうこともある。現実に年に何件も起きている。
人に迷惑をかけるわけだ。だからやめておいた方がいい。
大統領の仕事は、まさに国という複雑な道を運転し続けるようなもの。
安全な運転をしないと、思わぬ事故になる。
判断を見誤ると、取り返しのつかないことになるのだ。
国際問題から戦争への発展、そうでなくても経済への悪影響・・・。
結果、国のイメージだけでなく、国力を低下させていくことにもつながる。

今の日本だって、安全な運転はされていなくて不安でたまらないのに、
その運転手が高齢で危険な要因を持っているならば、免許は返納すべき。
立候補は辞退すべきであるが・・・。

それを本人にどう納得させ、自ら降りると言わせるか?
諦めさせるのではなく、本人が納得し、決断できる前向きな言い方は?
ここは、やはりコミュニケーションだ。
一番信頼できる人とのコミュニケーションがとても重要だ。

毎日、最近、バイデンさんの顔を見ると、免許返納前の父の顔が
浮かんでくる。
言われる前に、自ら返納する。辞退する。
みんなのために。

気の毒だと思いながら、複雑な気持ちで隣国の行方を見守っている。

何事もよく考えて、自らが決めたい。
人生のクライマックスで一番大切はことは、引き際だ。
いつまでも、俺が私が・・・といっているのは、恥ずかしく、見苦しい。

何事も自らに置き換えて・・・。

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