バラ色の時代よ、永遠に!


ついに来てしまった。
わがふるさと岐阜の繁華街を約半世紀にわたって支えてきてくれた
高島屋岐阜店が昨日、7月31日閉店となった。
出張と重なり行けないため、1日前に、私なりの最後のショッピングを
心置きなくさせていただき、よく通った店の人には、お礼のあいさつをし、
ひとり名残惜しく何度も何度も振り返って、別れを告げた・・・。
本当になくなるのかな・・・。半信半疑の1日前。

そして、昨日の閉店当日朝から、「ああ、今日は高島屋最終日だ。ああ、
最後なんだ」とずっと気になっていた。
催事が終わるのではなく、お店が終わる・・という実感はなかなか湧いて
こない。

今回、この閉店がきっかけで出会った知人(彼とはタカシマヤフレンズである)
が、なんと閉店時間直後に、閉店の様子を画像で送ってきてくれた。
この写真がその1枚。
すごい人が集まって、高島屋の最後を見送っておられる。
「悲しくも美しい終わり方でしたよ。あとで、動画も送りますから」
そして、フレンズは最後の店内の様子や、閉店の瞬間など撮影した動画も
送ってくださった。

 動画はこちら。撮影されたご本人の許可もいただいたため、ここに共有させていただく。                        

高島屋20240731 (youtube.com)

動画を見たら、いやー、泣けてくる。
自分の子供時代からのこと、とにかくいろんな思い出が・・・。
集まられた皆さんも、きっと同じだろう。私は途中、岐阜を離れていたから、
私以上にずっとこの町に住んでおられる方には、本当に身近な存在であった
だろうから、それがなくなる!とはどんなに寂しく、悲しいだろう・・。

「最後に店内に流れていた曲は、
エディットピアフの La Vie En Roseでした。
まさにバラの髙島屋にふさわしく、岐阜がもっともバラ色だった時代が思い出に
なってしまったようです。」
(撮影者のフレンズやっちゃんの言葉)

動画を見たら確かにピアフのラビアンローズ。この閉店の様子を
見たら、胸がいっぱいになってきた。
なるほど、悲しくも美しい終わり方とは、そういうことだ。 

下は7月に入ってから、お客さんが書かれたお店への感謝のメッセージ。
日ごとに増えていった。寂しくなります。ありがとう。1枚1枚見ていたら
これも泣けた。       

                  
商店街を彩ったこの垂れ幕。
お店にご苦労様でした。という言葉。
お店は、生き物だ。街と共に生きる存在だ。
そして
お店は、時代を超えて、お客様に夢と思い出を与えてくれるものだ。
そんなことを、改めて思った7月31日。

名残惜しい。
父や母にとっては、敷居の高かったバラのマークの百貨店。
だから、ハレの日の楽しみでもあったこのお店。
やっぱり、百貨店は楽しい。

終わりは始まりにつながることを信じて。
まずは、心からの感謝を込めて。


カテゴリー: Essay (Word) | バラ色の時代よ、永遠に! はコメントを受け付けていません

半世紀ぶりの体育館で

母校。地元の小学校。岐阜市立長森南小学校。卒業してもう半世紀になろうとしてい
る。卒業してから、入門した記憶はなく、まさに卒業式以来の登校?。
母校の体育館に伺う。
なんと9月16日の敬老の日に、お祝いコンサートを!という依頼をいただいたのだ。
実は、これは親が元気だったころからの悲願のひとつであった。
「おまえがやればいいのに、やってくれたらいいのに」と何度も母はこぼしていた。
残念ながら、生きている間には実現しなかったが、今年お声がかかった。
もしかしたら、出張・出前コンサートのチラシの効果もあったのかもしれない。
両親がいなくなったあと、地道に行ってきたことがいろんなところで、つながってき
たのかもしれない。
その敬老の日コンサートは、母校の体育館で。ということでピアノの調子をみるため
に訪問した。
なつかしの校舎、思い出の体育館。あの頃歌った、校歌の歌詞も掲示されており、
ああ、校歌とは時代を経て歌い継がれるものなのだと自らのその時代を懐かしく思い
出し、思わず口ずさんだ。
写真はステージ上にあるピアノ。もしかしたら、自分の卒業時に使われたときのもの
かも。
もしかしたら、演奏したのは自分だったかも?もう記憶もあいまいであるが、とにか
くここで行われた卒業式のこと、もっとさかのぼって少女時代の自分が頭に浮かんで
きた。
ピアノ、エレクトーン少女の時代。親が必死にレッスンに通わせてくれた時代・・・。


そんな思い出いっぱいの体育館で、そのピアノで、両親と仲良くしていただいた80
歳の方に長寿のお祝いのコンサートができるとは、本当にうれしいことだ。
両親も、にこにこ、会場で一緒に見てくれることだろう。

酷暑のなか、向かった母校では、時代を経ても変わらぬ地元愛と、そこに育つ子ども
たちを熱心に育てる先生たちのご尽力を感じることができた。
昨年150周年を迎えたとのこと。200周年もその次もぜひ残ってほしい。
自分が地元にできること。感謝をこめて。熱い夏。元気にGO!

カテゴリー: Essay (Word) | 半世紀ぶりの体育館で はコメントを受け付けていません

マイノリティの輝きにエール!

バイデンは、偉大であった。よくバトンを渡してくれた。
これで風向きが変わったかと思われる、アメリカの大統領選。
隣国のことで、自分が投票できるわけでもないが、それでも
カマラ・ハリス氏には注目している。実は前回の選挙前から
ずっと注視してきたから、もう5年以上になる。
これから、投票日までいろんな事件も起きうるが、それでも
若者は女性は、そしてマイノリティとされてきた人たちは
それなりの行動を起こすだろうと期待している。

カマラ・ハリス。もちろんバックボーンは違いすぎるが、
それでも同世代であること、いろんな意味で(内容は違うが)
マイノリティのなかを生きてきたという女性、そして子どもを
持たないという点でも共通している。
一番大きいのは、ほぼ同い年という点。
まだまだ力が発揮できる、若さがある。
そして経験も重ねてきているから、説得力もある。
そんなことで、とても期待し、応援している。

裏金問題がどうなった?と言いたくなる日本社会。
不正を正し、悪をなくす。
裏も表もない、透明性ある社会。
そんなことは現実には難しいのかもしれないと諦めかけて
いた矢先のハリスの出馬!

マイノリティ。実は好きだ。ずっとその道を歩んできた。
もともと、メジャーが嫌いだ。束でかかってくる威圧感が嫌だ。
長いものには、巻かれない。
旧来の日本社会、男性がメジャーとされてきた時代に、
オンナとしてではなく、一人の人として、人生を賭けて
こられた各分野の女性先輩たちには心から敬意を、そして
感謝の気持ちを持ち続けている。
そういった開拓者はみんなマイノリティであった。

ぜひ、アメリカが再び、世界のリーダーになれるように。
自国ファーストではなく、自由で平和な世界に向かう
リーダーとして、再び!
そんな思いで、勝手に同級生を見守るように、
カマラさんにエールを送っている。

老害は不要、百害あって一利なし。
そういう意味でも、バイデンさんの今回の偉業は歴史に残るだろう。
だから、カマラ氏には絶対勝ってほしい!

マイノリティ。この視点を大切にしよう。

カテゴリー: Essay (Word) | マイノリティの輝きにエール! はコメントを受け付けていません

世界はひとつ、ならば・・・。

開会式の愛の讃歌と気球には感動した。
歌の力を、改めて確信したから・・・。

そして現実に目を向け、改めてオリンピックのこと。
同じときに、戦争を続けている国のことや、血を流して息絶える子どもを
抱きかかえ困り果てている人のことや、飢餓状態の子供たち・・のことを
どうしても思ってしまう。
また、国別のメダルの数のカウントも、なぜ国で競うのだろう・・とも
思ってしまい、いつもオリンピックが開催されるたびに思う違和感を
今回も、今回は特に強く感じてしまう・・。

豪華なショーにしなくていいから、そこにかけるお金をアフリカの困っている
人たちに。戦争で被害を受けている人たちに・・・。
平和の祭典というならば、別世界の華やかさはほどほとに、本当に世界が
よくなることにもっと貢献を。と思ってしまう。

そんなことを思っているところ、南スーダンの陸上選手の存在を知った。
この方は、単に記録を作るために走りたいのではなく、自分が走ることで
内戦状態にある国がひとつになるきっかけになれば・・と思っての
オリンピック出場だという。
素晴らしい。こういうことこそ、意味がある。

世界はひとつ。ではないと思えることが多い昨今。
せっかくの機会である。世界がひとつになれるように、オリンピックには
その役割を担ってほしい。

オリンピックの歴史においては、開催中は休戦をして競技を行った時代も
あるそうで、素晴らしい。
そういう力こそ、持ってほしい。

経済効果以上に大切なこと。その使命を忘れずに。
どうしても、このことが頭から離れない。

カテゴリー: Essay (Word) | 世界はひとつ、ならば・・・。 はコメントを受け付けていません

「愛の讃歌」とパリ。感動の燃える夏。

パリはやはり、芸術の都だ。
今回のオリンピック開会式だけで、十分にその魅力を発揮した。とくにフィナーレに
向けての構成、演出は圧巻。
この写真は、わがブログのヘッダーにも使用してパリの記念の1枚。残念ながら開会式の写真ではないが、21世紀の始まりに撮影したもの。わがグラン・ルーと、そしてエッフェル塔が向こうに見える。
そして、今回のオリンピック、聖火が点火され、気球が空に昇ったのは、この観覧車があった地点周辺からだ。

映像と地図を見ながら、思わず、興奮した。お!チュイルリー公園、コンコルド広場!!
そしてシャンゼリゼ通り・・・。
わがグラン・ルーの起点が、パリオリンピックの起点。

そしてそして、夜にとくに美しいパリのシンボルであるエッフェル塔から聴こえた「愛の讃歌」には心が震えた。
もし、70年前にパリでオリンピックが開催されていたら、この曲の本家エディット・ピアフが歌っていたかもしれない。
戦時中に開催された前回から100年を経ての、待望の大会。
平和や愛、として地球との共生をも視野に入れた、スポーツと芸術の融合。
もう、それだけでも十分は感動のセレモニーであるが、わたし個人的には、グラン・ルー
の発祥の地パリへの思いがより強く、深くなる瞬間でもあった。

パリは永遠だ。
愛の讃歌は、自分のライブでももっとも、長く歌い続けている曲のひとつ。
だからこそ、余計に今回の開会式には心から感動した。

無駄に、会場を作らなくても、自分たちがもっている建造物をフルに生かして、演出
をする。
だから、イベントが終わったあとも、そこに行けば余韻を感じることができる。

京都と共通点をもつ、歴史未来都市パリ。
やはり、別格である。

以後、ライブで愛の讃歌を歌うときに、語れる話題が一つ増えた。
と、もう私の中で、パリの夏は、これで十分満喫・・・。

それにしても、素人っぽい、解説は不要。マスコミが出演者が喜んでどうする?
と思う、オリンピック関係番組。日本のテレビ業界のレベルを改めて・・。
ただ、ただ、黙って、美しく、見せてくれるだけでいい。
ということで見るならば、海外のチャンネルが良いかも・・・。
と、余計なことまで感じた開会式。

カテゴリー: Essay (Word) | 「愛の讃歌」とパリ。感動の燃える夏。 はコメントを受け付けていません

国とは?を考えるオリンピック開会。

セーヌ川を各国の選手たちが船に乗って進んでいく、風変わりな
入場式でパリオリンピックが始まった。
コロナ前に足を運んで以来ご無沙汰のパリの街並みが蘇り、ああ、
さすが、「おパリ」な演出であると少しの間、みていた。
各国の選手団が笑顔で旗を振り、紹介のアナウンス・・・。
はじめは楽しく見ていたけれど、ふと今戦争している国のことが
頭をよぎって、チャンネルを変えてしまった。
世界各国が結集して、さあこれから、スポーツの祭典。といっている
のに、戦争は続いているのだ。
国どうしが、スポーツを通じて交流する。平和のシンボルとしてのイベントが
どこかしら、限定的な感じがしてきて、複雑な思いに包まれた。
あれはあれ、これはこれ。ではない。
ロシアの選手はどんな思いで、ウクライナの人たちは、パレスチナの人たちは・・・。
また戦争でなくとも貧困にあえぐ国の人、被災している人たち・・・。
それどころじゃない人たちも世界中に多くいる中での、華やかな祭典。
選手たちには、もちろんやる以上、金メダルを目指してがんばってほしいし、
観客に元気のエールを送ってほしい。
華やかな舞台に出られない、見られない、それどころじゃない人もいるという
こともわかって、がんばってほしい。
国という線引きがあるから、オリンピックは楽しめる。
まあ、町内対抗運動会の発展形。と思えばいい。
一方、国という境界線があるから、戦争も起こる。

オリンピック。いろいろ考えさせられる時間にもなりそうだ。

それにしても、雨のエッフェル塔が美しかった。輝くパリ。
一方、不吉な事件もすでに起きているようで・・・。不安もある。

どうぞ無事にプログラムが終了し、閉幕できるように。
願わくば、これがきっかけで戦争が終わる・・・ならば、
やる意味があるこの祭典。
実は、それを一番願っているが・・・。

カテゴリー: Essay (Word) | 国とは?を考えるオリンピック開会。 はコメントを受け付けていません

元気のチューブを絞り出す!

サンドイッチなどつくるときに、キューピーのマヨネーズを
愛用している。なぜか子どものころから、あのチューブに入った
マヨネーズが好きで、冷蔵庫には欠かせないアイテム。とくに
個人的にはマスタード入りのが好みであるが・・。
とくに、最後の方に絞りだす瞬間がなかなか!である。
まだ出る?まだある、まだ使える・・。本当に最後の最後まで
絞り出そうとしている自分が笑える。

同じように、自分を元気のチューブに置き換える。
元気満タンではじまる朝も、いくつかの会議、打ち合わせ、
チェック、原稿作成・・・同時進行、またはスライドしながら、
ひとつづつこなしながら、1日が過ぎる。早朝から走っているが、
夜まで打ち合わせが続くこともあるため、元気が切れない
ようにせねばならぬ。
そんなとき、会議の合間に、濃いめのカフェオーレやアールグレーを
とりながら、チョコレート一粒口に放り込んで、元気のチューブを絞
り出す。
まだ出る、まだ元気、もうひとつ、がんばろう!

まさに元気を振り絞りながら、頑張っている毎日。
暑さに負けずに、今日も元気の素を注入して、チューブ満タンに
走り出すとしよう。
夏バテ知らず!の元気チューブ!で、この酷暑を乗り切りたい!

カテゴリー: Essay (Word) | 元気のチューブを絞り出す! はコメントを受け付けていません

頑張れ、ファシリテーター!

会社がある限り、組織がある限り、何かのテーマについて、集まって
打ち合わせをすることは日常的かつ必要なコミュニケーション活動だ。
その会議をうまく進めるには、進行役と参加者の協力関係が大変重要。
会議は、ある目的を達成するために行う。
その目的を達成しなければならない。
決められた時間の中で、どう議論を進め、結論に結びつけるか。
会議の進行は、ファシリテーターの腕にかかっている。
ファシリテーターの語源はFaciiitate「促進」という意味から生まれている。
促進する人。話し合いを促進する役割である。

目的に合わせて、参加者の意見をうまく引き出し、まとめて、全員が
気持よく合意できる方向にもっていくこと。
このためには、実は事前準備が大変重要となる。
描いたゴールに向かって、メンバーの意見をうまく出してもらうため
にはどのような流れで、どんな資料を使って、合意形成に向けていくか。
シミュレーション、イメージ力が大切になり、リーダーシップも求められる。

今回、ある企業での新しいプロジェクトでの会議。
若手のリーダーがファシリテーターもつとめた。
事前に打ち合わせをしたり、資料を一緒に作ったり、今回はとことん
黒子に徹した。
そして、会議本番を見守る。

頭で描いていた世界と、実際に参加者が集まってくると、様子が
異なる。思っていたように意見が出なくなったり、思わぬところで、
予想しなかった質問が出てきたり・・・。そこでどうしたものか?と
議論の流れが止まりそうになる。
がんばれ、ファシリテーター!沈黙せず、前に進んで~。
心の中で、ひたすら応援する。

そこで助っ人が現れて進行を手伝ってくれたり、いろんな意見が出て、
とにかく活発な意見が出た。
参加者全員が発言できたことは、とても良かった。
そして、話し合った結果、一定の方向にまとまった。
ああ、無事終わった。ほっとした。

会議が終わって「お疲れ様でした!」と声をかけながら、
しばし、一緒に振り返りの時間。
リーダーは、思うように進められなかったと、ちょっと何とも言えない
表情。でも、すごくがんばったし、おかげでちゃんとまとまった。
今後は、こうしたらいい、ああしたらいい。と意見交換。

一緒に振り返りながら、ファシリテーションは会議を重ねる
ごとに勉強になり、力がついていくのだと改めて思った。

コミュニケーション力を身に付けたかったら、ファシリテーターを
自ら担当してみるのもよい。
単に原稿を読んで進行するMCなどとは違い、聴く力も、まとめる力も
重要なのだ。

一生懸命がんばったリーダーを見ながら、このプロジェクトを通じて
きっとこの人は成長する!と確信した。

これからリーダーとして活躍する人には、
ファシリテーションは、必須の課題。
慣れてしまえば、できること。
経験を積んで、改善し続けばうまくなる。

振り返ってみると、今回の会議は
ホンネの発言が出た、いい会議であった。

次回も充実のコミュニケーションの機会になると、期待している。



カテゴリー: Essay (Word) | 頑張れ、ファシリテーター! はコメントを受け付けていません

心亡くさず、笑顔でとことん!

おかげさまで、日々、次々と新たな課題がおりてくる。
そう、仕事とはまさに天からの授かりもののごとく、おりてくるのだ。
次から次へと・・・。
誰かが上で見て、もっといけ。もっとやれ~。もっとできる~と
仕組んでいるのかどうか?わがマネージャーは空にいるようだ。

とにかく1日が、朝予定していたこと以外の対応に追われ、
気が付けば日が暮れるということもあり・・・。
忙しいとは、あえて言わない。
心を亡くすと書くから、仕事でもなんでも心まで亡くしてはいけない。

余裕をもって、やりなさいという意味だ。
だから、次々課題が来ても、ああ、ありがたい。と思って引き受ける
ことにする。
どうやら、自分にとって、仕事とは、ここまでしかできません!もうできません!
というサインは存在しない。

どんな隙間であっても、対応できるならば喜んで!
昨日も急なご相談の電話を何件からかいただいた。
「そうだ、この人に相談したい」と思ってくださっているから
急な連絡があるのだ。
急なご相談こそ、お困りごとだ。

今日もかなりのメニューで朝から稼働だ。
暑いのではなく、熱い1日になりそうであるが、まさしくクールダウンしながら
冷静にひとつづつしっかり、こなしていきたい。

心亡くさず。心を込めて。笑顔でとことん!
気が付けば、暑い夏も過ぎ去っていた・・・そんな秋の訪れを楽しみに!
今日もいざ!GO WEST!

カテゴリー: Essay (Word) | 心亡くさず、笑顔でとことん! はコメントを受け付けていません

非日常になる時間。

実家の近くにあるデイサービスで、3か月ぶりのコンサートを開催。
厳しい夏を元気に過ごしていただくためのスペシャル企画!ということで
事前に主催者(施設)から利用者さんや、ご家族に事前告知。
このご案内が大切だ。当日突然「今日はコンサートですよ~」ではなく
前もって伝え、その日を楽しみに待ってもらって、当日を迎えてもらう。
このプロセスが大切だという。
なんと、今回、おしゃれをしてこられた利用者さんがおられたとのこと。
見たことのないブラウスを着て、ブローチを付けてこられたそうだ。

普段、デイサービスに行くとき、そんな装いはしない。とくに、リハビリを
する施設であるから、普段着が当たり前。であるのに、おしゃれをして
来られた・・と施設の方が喜んでおられた。
「マーサさんの時間は特別なんです。利用者さんにとっては非日常なんです。
そのことが大切なんです」と毎回言われる。
そう、私のこの活動は、お客様にとってはちょっとした非日常、ハレの時間。
「コンサートに行く」というのは、もともとそんな時間だ。

これまで開催していない月曜日に実施することで、初めて参加される方もおられ
新しいお顔も拝見しながら、ひまわりに負けない笑顔で、約1時間のコンサートを
一緒に過ごす。マイクなし、生声でしっかり声を出し、歌い、しゃべる。
コンサート後には、毎月開催されている利用者さんのお誕生会。一緒に歌ってお祝い。
そして、まもなく閉店する岐阜の高島屋で買ってきたお菓子も、皆さんにプレゼント。
利用者さんたちの懐かしい高島屋・・・。一粒のお菓子で思い出してもらえたらと。

泣き出す人、ノリノリの人・・・。いろんな反応をいただきながら、感動と歓びの
声をいただきながら、余韻とともにコンサート会場(施設)を出る。
認知症の方もおられるため、何度も同じ会話をされたり、感情の起伏の激しい方も
おられるが、それは自然なこと。
何度も頷けばいい。一緒に泣き笑いすればいい。

施設でのコンサート活動は、私にとっても非日常の時間であり、将来をみつめる
貴重な学びともなっている。

とにかく、皆さんに喜んでいただけて、暑いけどがんばって来たかいがあった。
この夏からは、なぜかシニアの方への演奏の機会が増える。
お声がかかることに感謝して、できる限り続けていこう。
仕事とは、誰かのお役に立つこと。
私にとっては、ボランティアも立派な仕事だ。
できる人がやる。やれる人がやる。
これからも、ちょっとした非日常のプレゼントをお届けし続けたい。
きっと父母も歓んでくれるだろう・・・。


カテゴリー: Essay (Word) | 非日常になる時間。 はコメントを受け付けていません