日本人の責任感と誇り。

近年、台風、地震さまざまな災害が増え続け、公共機関や物流の流れも
予期せずストップすることも珍しくなくなってきた。
数年前、台風が迫るなか、福岡から名古屋へ向かい新幹線に乗った際、
大雨のため山口あたりの駅で運転休止。その可能性はあると言われての
出発であったし、覚悟していた。
しかし、他の乗客の中で、車掌さんに「いつ運転再開するんだ~」と、
詰め寄る人がいて、そのことに対してご自身もわからないはずなのに、
とにかく謝罪されていたのが痛く心にしみた。そのことは今も鮮明に
記憶に残っている。なんで、車掌さんにそんな風に言うんだ。と、
私はそのお客に対して怒っていたな・・と。

昨日、生ものが届くはずだった。受け取れる時間も指定して、待っていた。
届かないのでネットで検索すると、動きが止まっているようだ。
生ものなので、ちょっと気になってきた。もしも、遅れて不在のときに
持ってきていただくと悪いので、運送会社に問い合わせをする。
最近のコールセンターはAIに移行しつつあるようで、今回も電話受付は
しっかりAI窓口が対応。その後 担当者が折返し連絡してくれるというので
待つこと1時間。

専用携帯から電話が入る。今度は生身の人間担当者が登場!
その方が一昨日の地震により、高速が不通となって、その荷物も遅れて
いるとのこと。すぐ営業所に荷物が届き次第、配送します。このたびは
ご迷惑をかけて大変申し訳ない・・・と説明され、謝罪された。
「いえ、もしそのとき不在で、生ものだからといって再配達になったら
また来てもらわないといけないので、宅配ポストに入れてもらったらいい
ですよ」と言ったら、「いえいえ、生ものですので、直接お届けして、
一緒にご確認していただきたいので、再配達させていただきますので・・・」
と言われる。あ、そこまで責任をもつのだ。
その対応ぶりに改めて、その会社に信頼の気持ちが高まる。

地震、高速道路の閉鎖と、まったく自社に責任がないのに、荷物が届かない
ことについて、とにかく何度も何度も謝罪され、丁寧に対応をされるその
担当の方に頭が下がった。

日本のサービス業は素晴らしい。自分が悪くないのに、謝罪し、丁寧な対応を
する。それが日本の良いところ。相手の立場に立ち、対応できる。
海外で飛行機や電車が遅れる・・・ということはよくあり、そのときに謝罪は
なく、当たり前のことのように、乗客は待つのみ。
と比べると、日本は凄い!
責任感ある仕事をしている、というその姿勢に改めて誇りを抱く。
そういえば、30年前、ある取材に行ったとき「定時運行」は、日本が誇る
琴だと言っていた人がいたことを思い出す。

このお盆休み、そんな対応に追われるサービス業界の皆さんに改めて
感謝したい。

利用者も自分都合で、詰め寄るよりも、「大変だね~。」と、休日に働く人たちに
理解を示し、協力をお願いしたい。(最近は、増えていると思うが)

日本人の責任感。これはこれからも、いい意味で大切にしたいことだ。
とにかく無事に、皆さんが楽しみにされていた夏休みを過ごせるように。

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自分から創り出せる力とモチベーション。

作家としてがんばっている友人との時間は、本当にかけがえのない
楽しみの時間だ。
話題が尽きず、いつまでも話して、いつまでも飽きないで過ごして
いられる。
お互い、言葉のキャッチボールする仕事に関わっているせいか?
価値観の共有をしやすいため、どんな話題でも深く話し合えるせいか?
おそらく、根底に何か通じるものがあるのだと思えてならない。

仕事についてもよく語り合い、何かしなくちゃ!と気が付けば
いつも言っている。
自分から何かをしないといけない。待っているだけの仕事では
ダメ。
依頼いただいて、それに出演するだけ。頼まれたことを書くだけでもだめ。
自分ですべて企画して、全部やり切る。公演はまさにその典型。
私も自分でライブやディナーショーをやるので、よくわかる。
そのしんどさ、その緊張、そしてやりがい。

いくつになっても、自ら創り出す仕事ができるのは、ひとつの
能力だ・・・と信じて、ふたりで、モチベーションを高め合う。

年末とお盆。なぜか東京でも時々あっているが、京都で年に二回
会うこと。これがお互い自らつくる仕事に向かうモチベーション
の機会になっているのかもしれない。

ずっと自分から動き出す。発信する。それがGIVEの人生。

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災いのない世界へ心からの祈りを。

今日は長崎に原爆が投下された日だ。もう79年になるそうだ。
近年、意識をもって関連する資料に接することも増えたが、
もし、今、自分の身の回りで・・と思っても、想像できない世界。
広島の方も、長崎の方も、本当によく耐えて、がんばってここまで
こられたと、頭が下がる思いだ。
長崎の鐘という歌があるが、原爆によってもたらされた影響、人々の
分かれ・・・。聴くたびに悲しみがおりてくる。

真面目に生きていても、ある日突然におとずれる災い。
原爆はあってはならない人災であるが、それ以外にも人びと
を襲う災いはさまざまだ。

昨日も九州で大きな地震。
まだ続くかもしれないと、警戒する。
自然がもたらす災いは、未然に防ぐといっても限界があるから、
完全に避けて生きられるかどうかは、賭けのようなもの。
人災も、遭わないようにしたいけれど、どこにその火種が
潜んでいるかわからないから、これも賭けのようなもの。

同時多発テロも、オウムのサリン事件も、ニアミスで、
なんとかすり抜けてきた。
でも、その危険性は0ではない、深刻な世界情勢である。

原爆投下から時間が経つ。
忘れてはいけないのだ、と長崎の仲間たちが
被爆された方たちの体験を語り続けようとしている。
時間とともに薄らぐ記憶。
人災は人の手で防ぐことができるのだから、
そのために伝え続けなければならない。

今日は、そのことを改めて意識し直す日だ。
長崎に行けないけれど、耳をすませば、
アンジェラスの鐘が聞こえてくるようだ。

あってはならない災いが二度と起きないように。
祈りをこめて。

長崎の友人たちの顔が浮かぶ朝。
苦難の歴史を生き抜いてきている人たちに
改めて敬意を表したい

長崎の空、海そして町は、あの日も今もずっとつながっている・・。

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信頼が一番。

企業にはそれぞれの理念がある。その実現のために、企業活動は日々行われている。
社名はその理念への思いが込められたものであるが、「この社名、よく見かけるな~」
という言葉がある。ネット検索すると、同じ名前の会社がいっぱい出てくる・・という
ケースが時にある。
たとえば「トラスト」という名前を検索すると、へえ、こんなにあるんだ。
とびっくりするが、各社ともそれぞれ命名されるときは、それぞれの思いでその言葉を
選ばれたのだと思うと、この「トラスト」という言葉は、多くの企業にとって大切な
ことなのだ、各社の社長さんはその思いで起業されたのだと、しみじみした気持ちになる。
トラスト・・TRUST とは信頼である。
お客様と信頼関係を育むこと、それを維持し続けること。
これは、表面的なおつきあいだけでは、続かない。
もちろん、出会いはご縁があっていただくものであるが、そこから信頼関係をつくって
いくこと。これが企業存続の要となる。
信頼・・・。私自身も、日頃から大切にしたいと思っている。
信じて頼っていただける関係。信じて依頼される関係。
まずは信じていただけること。
人と言葉が一致していないと、信じていただけない。
やっぱりコミュニケーションの問題にいきつく。
言動一致。信頼への道。
肝に銘じて。
ところで、世界中にこの社名の会社は、何社ぐらいあるのだろう。
興味がわいてきた。

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深呼吸、冷静、俯瞰。

生きていると、どうしても日々いろんなことが次々起こる。
人生はドラマだと、本当にそう思う。
あっちでこっちで、いろんなことに巻き込まれる。

みんな、それぞれ一生懸命に生きているから、まっすぐ前しか見ていないこと
もあり、ときに大変狭い視野での判断や行動をしている場合もある。

それって大丈夫かな?

改めて、その狭い道に一緒に紛れ込まないように、事象を俯瞰してみる。
他の人の意見もきいてみる。
すると、いろんな見方も広がってくる。

そして、あまりに急いで行動しないためにも、とにかく深呼吸。
そして、冷静に事態をとらえるようにする。

とかく走りすぎて間違った方向にいくこともある。
そんなときに、それは違いますよ。少し考えた方がいい。
と、冷静に穏やかに言える人でいたい。

しんどいときこそ、深呼吸して、冷静に。そして俯瞰する。
このトレーニングをすることで、大きな心と、確かな判断をもつことができる。
急がば周れ、焦らず、冷静に。
観覧車は早く回すことが優先ではない。心豊かに楽しくハッピーに回すことが
大切なのだから。



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平和は祭典ではなく、日常であれ。

オリンピックも後半。
マスコミの過剰な反応を見るにつれ、早く平常モードに
戻ってほしいと思ってしまうのは、私だけか。
選手たちのがんばりは、素晴らしく、本当にえらいと思う。
ただ、国別にメダルの数を競ったり、また金メダルをとれなかった
からといって、「申し訳ない」と涙を流す選手を見ると、なんとも
複雑な気持ちになる。
スポーツって何のためにするのか?誰のためにしているのか?
すごい特別なことなのか?と、いろんな思いが入り混じる。

ある報道で興味深いことを伝えていた。
日本では、スポーツは「教育」。お国の管轄もそうである。
だから、こうしなければならない。勝たねばならない。
その道にいない人間からすると、息苦しい感じはする。
一方、アメリカでは「エンターテイメント」であり、フランスでは
「文化」であると。
なるほど、確かにと思う。

自由に自分を表現し、力を存分に発揮して、結果も出る。これが一番。
でも、何かを背負って結果を追い求めるために、歯を食いしばって・・・
というのはどうか?
自由に、自己実現、自己表現。そのための挑戦であればいいが、
何かしんどさがある。これはあくまでも自分の勝手な見方であるけれど。

一方、アーバンスポーツやイースポーツといったジャンルが注目される。
ゆるい感じもあり、またそれがスポーツ?と思う一面もあるが、
それでも障害やさまざまな壁を乗り越えて、「一緒に楽しむ」という
ところがとても良い。
そこが一番大切である。
となると、スポーツとは何か?オリンピックとは何か?
について改めて考えたくなる。

近代オリンピックの功罪については、学生時代に学んだ。衝撃であった。
それが今も続いているのかも。

また、平和の祭典といっているのに、この間も戦争が行われているのは
納得がいかない。オリンピックやっている場合か?とも思う。

なんのため?にやるのか?
世界の皆さんが、国を越えて、
仲良く楽しく、コミュニケーションをするための
ツールがスポーツである。
ただ、それだけでいい。思えてならない。

勝った負けた。
青春の一コマとみれば、それは美しい。
が、こんな大きな装置がなくても、十分に楽しめるはず。

と、毎日、どのチャンネルにも手が止まらず、早く平常にと
思ってしまう。

今日は、広島に原爆が投下された日である。
せめて、その時間に黙とうをささげる・・・オリンピックに
そんな時間が予定されているだろうか?
もちろん、一人一人がそこに気持ちを向ければよいけれど。

平和は日常であればよい。
平和は祭典でなくてよい。そんな特別なことでなくてよい。
何もなくていいから、日々、平和であるようにつとめる。
そのことが大切なのだ。
と改めて思う。
8月6日。今日は広島出身で原子力の研究を続けてきた知人と
再会する。
その方の気持ちに寄り添いたい。

改めて、平和は非日常の祭典ではなく、
あくまでも日常であってほしい。

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若き人たちと出会い、交わる。

何年生きることになっているのかわからないが、
その間に、どれだけの新しい出会いをみつけ、そこからいかほどの
素敵な関係をいただけるか。
この先はわからないが、これまでいただいたさまざまな出会いを
ふりかえると、本当にいろんなケースがあって面白い。
仕事で出会う人がほとんど。上司・部下、取引先としてやりとりを
して、そののち、退職、転職されてもつながっているという方が多い。
それ以外には お店の人とお客さんの関係というのもある。
この関係のままでは、なかなかプライベートな関係にはなりづらい
昨今ではあるが、立場が変わってから、再び連絡をいただき、交流が
始まるということも多い。
最近では、個人情報の問題も厳しくなっているが、お店がなくなって
しまったり、転職されたり、それでもお互い意志をもって、連絡を
録り続けたいという気持ちがあれば、赤い糸は切れることはない。

出会いは、実にさまざまだ。
なかでも、同時多発テロのニアミスのときに出会った人たちとの
ことは今も忘れることができない。
緊急事態下での出会いは、格別なものになる。
もう会えない人がほとんどであるが、あの出会いは自分に大きな影響を
与えてくれた。みなさん、お元気であろうか・・とふと思い出す。

最近は、若い人との出会いが楽しみになっている。
お客として通っている店で、仕事先で、地元でのひょんなご縁で。
20代30代の人たちとのキャッチボールは意外と面白いものだ。
彼らから自分はどう見えているか?も気になり、会話を楽しむ。
年上の方との交流は存分にさせていただき、これからも消えないように
努力を続けるが、
若い世代との対話こそ、学びになることも多い。
不確実な時代を生きていかねばならない若者たちのしっかり前を向いた
生き様を知り、応援する。
自分の若かりし日を思い出しながら、今でも、今からでも決して遅く
ないと改めて前を向く。

先輩たちには、人生の終わり、結び方を学び、
若い人には 彼らに寄り添いつつ、未来への向かい方を学ぶ。

私もまだまだ前に向かっていかねばならないのだから。
出会いづくりを楽しみ、人生をより深く掘り下げる。
若い人が元気に生きられるように。
ほんの少しでも、いい影響が与えられるように。

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何よりうれしい言葉。

ほんとうに、今の仕事は天職だな~と思うことが多い。
やっていて、自分次第で、道が開ける。
自分の個性を生かすことができる。
一重に、それができるお客様と出会いをいただいている
からこそ、仕事ができる。
出会いがなければ、何もないのだから。
なんと幸運な人生なのだろうと思う。

最近、あるお客様から、あるテーマの会議のための事前資料を
送った。会議は翌日なので、責任者からそろそろ返事をいただいて
何かあれば再考せねばと思っていた。
「これでいいですか?」
「すみません。忙しくてほとんど考えられていないですが、
いただいた案で大丈夫です。今尾さんのことは信頼しているので
といったら失礼ですが、今尾さんに任せておけば大丈夫と思って
いますので、よろしくお願いします。」
とのお返事をいただき、思わず心の中でガッツポーズをとってしまった。
「あなたのことは、信頼している」
「あなたに任したら、大丈夫」
この言葉は、私にとって何よりもうれしい言葉である。

信頼されている。
この信頼は絶対に裏切ってはいけない。
期待に応え続けられるように、さらに努力しよう。

もっと喜んでもらえるように。

私はいいお客様に恵まれている。
ほんとうに、しあわせな人生。
ありがたい限り。
求められる限り、走り続けたい。

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浮かんだら、録る。

いつでも浮かんだアイデアを書き留めることができるように、小さな
メモノートを持ち歩く。そんな時代も今は懐かしくなった。
スマホにメモをする。あるいは、「忘れてはいけないから」として、
自分にメールを送る。そんな人もいる。
今はスマホが、日常の場面で自分のもうひとつの?脳として活躍して
暮れている。頼もしい限り。(頼ってはいけないが・・・)

昨日も歩いていて、今週起きたさまざな出来事を思い出していたら、
突然に、曲が浮かんだきた。
作曲は、実は瞬間芸で、浮かんだ!と思った時がすべてだ。

歩きながら、何度も繰り返し歌い続け、忘れないように・・・と思って
駅に入る。ああ、どこかで記録しておかねば・・・。
あまりの暑さに、とりあえず、来た電車に飛び乗る。
あ、しまった。電車の中では歌えないし、録音ができない。
どうしよう、どうしよう。

幸い、その電車はすいており、また駅ごとにさらに人がおりる。
気が付いたら、自分の周囲には人がいない。
「今だ!」誰もいないことを確認して、スマホに向かって、もちろん
他に聴こえないよう注意を払って、さっきから頭の中で鳴っている
メロディをささやき歌い、録音する。
はたから見ていたら、あの人何やってるんだろ?と変な人状態かも。
よし、とりあえず、録れたから、忘れても大丈夫。

そのあと、駅で電車をおりて、冷房の効いた、しかも人がいない
隙間の空間を探して、そこで車内で録ったよりも、少し大きな声で
唄い、再度録音。
誰もいないので、少し大きな声で録る。すると、車内でこそこそ
録ったときよりも、サビに磨きがかかる。いい感じかも?
よし、これで大丈夫。

まず、メロディラインが録れていれば、あとはなんとかなる。

と、突然浮かぶアイデアやメロディ。車内でも、どこででも
まずは書くから、録るへ。

浮かぶというこの瞬間に、生きていることを実感するのも
楽しい。
そして、早くお客さんの前で歌えるように。
酷暑でも、アイデアは生まれるものだ!

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車中で睡眠するなら

移動時間に休息、睡眠をとる。これは、私的には大変効率も良く、
良い手段だ。
車中でパソコン作業をすると、キービードをたたく音も迷惑がかかる
ことを気にしなければならないし、揺れながらの作業はカラダにも
あまりよくない。
何年か前までは、車中でも記憶が新しいうちにとすぐ報告書を書いたり
していたが、必要でない場合、今はあえてやらないようにしている。
むしろ、移動中は少しでも休んで、体力気力を養うために、ゆったりする。
しかし、新幹線では正直、休息ができない。
スピードが速すぎて体のリズムと合っていない感じ。
もちろん多少眠るが、乗り過ごしてはいけないと思いながらであり、
本当の休息になっていない。

一方、在来線の特急は、何かと良いことづくしだ。
スピードも安心できる快適な速さ。
昼間であれば、大きな窓からほどよいテンポで流れていく風景を眺める
のも大変、快適。
そんなこんなで、機会があれば、なるべく新幹線以外の手段を選ぶ。

名古屋を拠点にするようになってからは、とくに近鉄特急が気に
入っている。
とくに、「ひのとり」は最高だ。

移動の疲れを少しでも軽減する時間の工夫。
何に乗るかも、大切な選択。
リニアも長い時間をかけて、建設されているけれど、私には要らないなあ。
もうこれ以上、速いのは結構です。という気持ち。

価値とは何か。
時間の速さを競うだけでなく、時間の価値をもとめたい。
仕事であっても移動は、できる限り、楽しみたい。

それにしても、車中でまあ、安心して睡眠できるのは世界各国比べても
日本だけであろう。しかし新幹線もだいぶ危険になってきたけれど・・・。
そんな点からもローカルな鉄道に注目。大切にしたい。

車中で睡眠をとって、戻ってから夜中まで元気に仕事をする。
そんな日がたまにあるのも、悪くない。

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