ぶっつけ本番の前に。

久しぶりに新潟で懐かしい人たちにお会いし、交流いただき、
そして、演奏もお聴きいただくという場を!と思い立ち、
準備をはじめた。
コロナやいろんな事情で、動けなかったこの何年か。
いつまでも、
「コロナだから」
も言い訳にはできない。
やれることは、やらねば!である。

とはいえ、しばらくご無沙汰していた新潟の皆様との
再会。昔のようにはならない。長く会っていないと
記憶が薄らいだり、距離が空いてしまうこともある。
改めて、細い糸をつなぎ続けることの大切さも感じながら
準備を進めている。
何事も日頃の積み重ねである。

新潟といえば、ということで、現地で活躍する尺八演奏家の
ゲスト出演も、今回もお願いしたいところ。
本当に久しぶりの共演。
やってみようか。やってみるしかない!
ということで、協力いただけることになり・・・
数年ぶりになるかもしれない。
やろうと決めたものの、
お互いに会って練習する機会をもてない。

当日、本番前のリハーサルもむつかしい。
さて、どうするか?
では、オンラインでやりますか?

これこそ、コロナが与えてくれた贈り物。
遠くにいても、会えなくても、事前に音合わせや、打ち合わせは可能。

実際にオンライン上で練習となると、電波の調子で音が出るタイミングが
ずれるため、本格的な練習は難しそうであるが、
それでも何もしないよりは・・・!
ということで、ぶっつけ本番の前にはオンライン。

コロナの間、演奏活動もままならなかった、
出張もできなかった、
そんななかで 新潟へ明日を運ぶ回数は減ったけれども、
また、皆さんにコミュニケーションと感動の場をお届けできる
のはうれしい限り。

自分で仕掛ける仕事は大変だけれど、やりがいもある。
すべての経験をフルに生かして、新たな経験を作っていこう!




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なぜ、今なんだ?

ここんところ、街頭が賑わしい。いい意味では言っていない。
先日も鵜飼の最終日、静かにその様子を見ようとしていたら、
街宣カーが通過。時間がないから、許可されている時間ぎりぎりまで
候補者の声を届けたいのだろう。
静かな時間、場所では、その声は本当によく通るが、迷惑でもある。

週末、投票用紙が届いた。
もう?
役所の方たちが休日返上で準備をされているのだろう。
組織票を集めなければならない団体の人たちも、その運動に駆り出されている。
みんなが、急きょ決められた予定に振り回されて動く。
立候補する人の数を見る。
そもそも、なぜ、こんなに多くの議員が必要なのだろう。
これだけいて、日本がどれだけ良くなったといえるのだろう。
それどころか、私腹を肥やすという信じられない人もいる、この業界。

本当に世の中のために立ちたいという人の仕事でなければならない
仕事が、まったく違う方向に進んでいる。

改めて、なぜ、今なんだ?
信を問う?なんで?
意味不明。

そんなことに使うお金があったら、被災されて困っている人に全額
使うべきだろう。

改めて、的外れなご都合主義なこの現象。
若者たちがどう見ているだろう。
今、仕事で若い世代の人たちとも接しているが、
彼らの未来を、将来を考えても、
彼らにとって良い方向に進んでいるのか心配になる。

とにかくなぜ、今なんだ?
この疑問は消えない。

今やることは、選挙活動ではなく、救済。

そうこうしているうちに、今年も終わってしまう。
能登の人たちが、ちゃんとお正月を迎えられるように・・・。
こっちの方が優先では。

とにかくおかしい。
と言っているだけでは変わらないので、小さなことで
変えられることをしなければ。
だから、選挙にも行かなければならない。
そうしないと変わらない。

変わらなくちゃいけない。



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おもしろうて、おもしろうて やがて・・

昨日10月15日をもって、わがふるさと長良川の鵜飼は今年のプログラムを終了、無事、
幕を閉じた。
いつのまにか、父の病い、そして旅立ちと重なり、長良川の鵜飼は父や母をしのぶ
大切な存在になった。川面に浮かぶ漁火が、鮮やかだった人生を再び照らし、それを
闇が包む・・・。
荘厳であり、はかなくもあり、とにかく美しき永遠の美を感じる瞬間である。

最終日、このフィナーレに立ち会うため、
電車とバスにかけ乗って長良橋に向かった。

鵜飼い船の動きとともに現れる、闇の中の長い光を感じ、わが鵜飼の唄「やがて・・・」
を口ずさみ、橋の上からこの風景を見守る。
6隻の鵜飼い船が集まってくる、「総がらみ」は、個の鵜飼のクライマックス。
父との思い出を空に描いて、もう姿が見えなくなって3年経ったけれど、
またこの季節を送ることになった。
今年は、もう涙なしで、見ることができる。
この場所には愛着と誇りをもっている。
長良川と岐阜城。ふるさとが永遠であることのシンボル。

最終日は花火でこの鵜飼が閉じる。
花火こそ、鵜飼にふさわしい。
おもしろうて、おもしろうて、やがて・・・夏は終わり、冬に向かうのだ。

このフィナーレだけのために、やってきてよかった。
ピンクの花火を見て、思わず、信長も城の上からこの風景を喜んでいる
のでは・・・と。

来年5月まで、この風物詩ともしばしお別れ。
ふるさとよ、永遠なれと願う瞬間。

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オレンジコスモスと回転寿司。

実家の庭のオレンジコスモス。長い猛暑の影響か、今ごろ咲く彼岸花とともに
元気に咲いている。秋を感じる色合いで、じんわり温かい気持にもなる。
この花は、父の葬儀の朝、妹が摘んできてくれて一緒に会場に飾った。
病に倒れ、入院、施設での生活で自宅に帰ることができなかった父へ、せめてもの
気持ということで、祭壇を飾る立派な花たちの傍らに飾った、このコスモス。
この季節、この花を見ると、どうしてもその日のことを思い出す。
オレンジの色は、人生の夕焼けにも見える。

昨日は父の命日。実家でしばし、ピアノ練習をしたあと、このコスモスたちに別れを告げ、
岐阜駅に向かう。日も暮れてきた。
さあ、今日はこのあと、父との思い出にどうふれる?
まもなくフィナーレに向かう長良川の鵜飼を見に行くか?と思ったが、ちょうど、
天皇陛下と皇后さまが来岐されているとのことで、あの界隈は大混雑の様子。
であれば、それはやめて、さてどうするか。

岐阜駅ビルに入り、馴染みの開店寿司の前を通る。すると、ここでの思い出が一気に
蘇った。東京から帰ってくると、いつもここで待ち合わせし、ここで好きな寿司
を注文する。父はここで昼飲みをするのが好きだった。わずか1時間ほどの家族との
交流。ここで食事をするのが楽しいふるさと時間であった。
ここに来ると、ご機嫌であったなあ。ここで会い、ここで別れた岐阜駅時間。

と、そんな思い出をしばらく封印していたが、昨日は蘇り、気が付けば、ひとりで
暖簾をくぐっていた。
家族で座っていたボックス席の見えるカウンター席に一人座って、生中をオーダーし、
父に乾杯。店内を回る寿司を見ながら、親たちが好きだった寿司はなんだったか・・。
と、皿に乗った寿司とともに思い出もくるくる回る。

開店寿司にこんな風にひとりで入ったことはなかったけれど、こんな命日もありか。
他のお客さんが、いろいろ注文している様子を見聞きしながら、両親が元気だった
頃をくっきり思い出し、涙が出そうになると生ビールで流し込んだ。
ちょっといい記念日。こんな供養、こういう記念日もありか。

コスモスと回転寿司。
電車に揺れながら、浮かんだ父と母の笑顔。

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一緒に過ごす1日

今日で、父の旅立ちからまる3年。
前にも書いたが、その時間に実感がない。
もう3年?まだ3年?長くも、短くも感じられるし、5年と言われても
そうかもしれないと思う。だんだんそんな感覚になるのかもしれない。

一度止まった時計は、二度と動かない。

ではあるが、誕生日とともに亡くなった日も大切な日である。

今日はどのように過ごそうかと考える。
一緒に旅した先に出向いてみるか、一緒に行った喫茶店に出かけてみるか、
元気な時の父を思い出す時間とするか・・・。

一方、明日で今年もフィナーレとなる、長良川の鵜飼の様子を見ながら、
父を偲ぶとするか。

最近、歩いているときに思い出すことは多い。
意識的にそうしているときもある。

その人のことを忘れないでいれば、ちゃんと覚えていれば、
その人は亡くならない。
記憶され続けることで、ずっと一緒に生きることができるのだ。

そんな感覚を実感しながらも、
でも、やはり思い出すと、いろんな場面が沸き上がって涙も出る。

今日は父に、免許の返納を促した日。
その2年後が、命日となってしまった・・・。

このふたつが、ずっとセットで思い出される10月14日。

「ありがとう」と、「ごめんね」 の気持ちを抱きながら
父の自慢であった美しき長良川に静かに祈りをささげたい。
この空で、
お母さんと、仲良く楽しく、過ごしているかと
想像しながら・・・。

今日は、父と一緒に過ごす日。

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水を求めた人たちへの祈りを改めて。

国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館という名の建物は、原爆資料館に隣接して在る。たまたま、3年ほど前にそこで被爆体験の朗読会をされていることで立ち寄ったのがきっかけで、それ以来、何度か足を運び、自分の知らない原爆の恐ろしさ、とくに被ばくされた方々の体験について少しづつ見聞させていただき、祈らせていただいている。
この空間は、本当に静粛なる空間で、下界の喧騒とは別世界。
79年前、このあたりは、焼野原になり、恐ろしい風景であったことを一切感じさせない、聖なる空間。
でも、そこには深い悲しみがある。安らかに眠りにつけていない方々の魂もある。そんなことを感じる場である。だから、ここは、亡くなられた人と静かに向き合う空間なのだと
自分なりに心得ている。

この建物、一階には、写真のような水盤がある。
この地で被爆、亡くなられた方々が求めた「水」をたたえる意味があるとのこと。
昼間はこのような姿で、空や近隣の景色を映し出しているが、夜になると、光ファイバーにより1945年に死没された方の数(約7万)の灯りがともるそう。

水を求めた・・・。
この水盤をみるだけで、当時のことを想像し、思わず手をあわせたくなる。
この近所にある川にも多くの方が水を求めて、飛び込んだという。

その世界を想像するには、現地を訪ねるのが一番だ。

どんなに熱く、苦しく、痛く・・・。
戦争は、恐ろしい。という言葉だけでは言い尽くせない。

今回のノーベル平和賞への余韻は続く。
これが戦争の終わり、核兵器廃絶につながるように、今日も長崎の空を思い出して
静かに祈りたい。
そして、運動会が開かれる季節。
平和だからこそ、運動会もできる。

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ノーモア ヒバクシャの思いをともに。

たまたま、先日、長崎の原爆爆心地や資料館、被爆者祈念館界隈を
歩きながら、この銅像の前でたちすくんでいた。
本当に、なんということを・・・。
ここに来ると、いつも現実の恐ろしい世界を想像し、被爆された皆さんの
ことを思う。

また、資料館の玄関や各所にある折り鶴。全国から届けられてくる
平和への祈り。
どれだけ多くの人が、このありえない苦しい経験を二度と繰り返すな
と言っているのに、なぜ戦争が今も・・・。
という悲しい気持になりながら、このひとつひとつの折鶴に込められた
願いに勇気づけられた。

本当に人間はおそか、哀れな存在。
権力をもつ人間ほど、そうなのか。
とやりきれない気持が湧いてくるのをおさえきれない・・・
そんな気持ちでいた。

そんななか、今回のノーベル平和賞の報せ。
ああ、良かった。世界の人に改めて、この教訓を知ってもらえる
機会になる。
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の今回の受賞、
長崎や広島の皆さんは、どんなに喜んでおられることだろう。
活動を長きにわたって続けてこられた、ひとつの成果。
もちろん、これがゴールではない。
ゴールは核兵器の廃絶。核抑止力なんてものも本来は要らない。

絶対に、皆さんのつらい経験が二度と再現されないように、
新たなヒバクシャが絶対に生まれないように。
平和な世界に向けて、声を上げ続けなければ。

今朝、改めて広島、長崎の経験を伝え続けている人達に敬意と
エールを込めて。

ノーモア ヒバクシャ。

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NewsPaperが、好き!

新幹線にはここんところ、連日乗ることが多い。
朝、京都駅に着いてすぐの習慣は、京都新聞の「朝刊」を買うこと。
そして、仕事が終わって、帰り道には「夕刊」を買う。
夕刊は、コンビニによって扱いがないため、元気が残っていれば、
時間があれば、わざわざ歩いて、販売していることが
わかっている店までわざわざ出向いて買う。
それぐらい、地方紙が好きだ。
新潟へ通っている時も、毎度新潟日報を買い、県内の企業さんが
掲載されているかをみつけるのが楽しみであった。
夕刊はなくなってしまい、とても残念。
わが地元の岐阜新聞も、夕刊がなくなって久しい。

朝刊は朝の頭のエネルゲンとして、夕刊は疲れを癒すお供として、
そして読み終わったら、何かを包むためにとっておく・・・。
ニュースペーパーは、とても有用である。

生前、母は新聞紙をどこまで読んでいたかはわからないが、
包紙としてはよく利用していた。
子どもの頃の父が持って出かけていた弁当箱は新聞紙に
くるまれていた。
そんなことまで含め、新聞はマルチコミュニケーションツール・・・。

ネットニュースに惑わされず、
プロがしっかり書いて、カタチに残る、
手に取って読むことができる新聞との向き合い時間を
大切にしたい。
ネットまみれで、情報を流し読みするだけでなく、
しっかりジャーナリストの使命を感じたい。
そして、新聞を広げる瞬間の世界観を楽しみたい。
何が詰まっているのかな。
作っている人たちの顔を浮かべつつ・・・。

ニュースペーパー。
永遠に残ってほしい大切な存在・・・。
朝刊・夕刊‥という言葉も含めて・・・。

そんな気持ちで、昨日の帰り道は、東京駅でコーヒーを買う代わりに
駅のキオスクで販売していた夕刊を全種類買ってしまい、
車内で眺め、そのまま眠りに。。。。
とてもいい時間であった。


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愛のゴッドシスター。

最近、首をかしげたくなるような話題ばかりが続くが、そんななか、
世の中に神様はいる、と思えたのが、例の袴田さんの無罪確定。
この10年以上、裁判が進む折に、そのニュースを複雑な気持ちで
見ていた。本当に死刑なんだろうか?これは?

半世紀もずっと戦ってきた、ご本人と、お姉さん。
なぜか、いつの間にか顔も名前も覚えてしまった。。。

私はこのお姉さんひでこさんを、本当に偉いな。すごいなと
思って応援していた。
人間はここまでがんばれるのだろうか。
信じて戦えるのだろうか。

お姉さんはずっとご本人に寄り添い、励まし、そして弟にかわって
戦ってきた。
絶対に勝ち取ってやる、弟は無実だ。
この信念こそが、この長い闘いを乗り越えることができたのだろう。
見えない権力との闘いは、どんな長いトンネルだっただろう。

疑いをかけられることがなければ、ごく普通の生活ができたものを
半世紀もの間・・・。ご本人も、お姉さんも、そのほかのご家族も
本当にほんとうにお疲れ様でした。

献身的に弟の世話をするお姉さんの姿は、本当に感動的だ。
姉は強い。ゴッドシスター。

お姉ちゃんはいつもしっかりしていないといけない。
弟を妹を、ときに親を・・・守らなければならない。
お兄ちゃんとは違う、やはり母性を感じるのだ。

お会いすることはないと思うが、遠くから、今回の結果を
心から歓び、そのご苦労に対して、敬意を表したい。

人間、正義はかつ。
権力に負けず、あきらめず、戦わないといけない。

そんなことを改めて教えられた。

これからどうぞ、仲良く元気に長く永く
生きていただきたい。
平和で自由な人生を過ごしていただきたい。

ほんとうにお疲れ様でした。

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気合いを気愛にかえる1日。

連日出張の初日は、とくに気合が入る。
よし!今日も行くぞ!という感じ。
二日目も同じ。三日目も同じ。
最終日の場合は、余計に気合を込める。

日帰り出張で、国内かなりの遠方まで往復できる。
名古屋拠点のいいところは、そんなところ。

気合いを入れることができるのは、とても元気な証拠だと
思う。
身体と心に気を巡らせ、心身をひとつにする。
気合いとは、そんな瞬間ではないかと思う。
気合いを入れると、テンションもアップする。

一方、カラ元気について。
以前、本当によくしていただいた作家の知人。
晩年は癌との闘病生活であったが、
それでもがんばって筆を執り続けていた。
そして、
「カラ元気出していこう!カラ元気も元気のうちや!」
と、そんな一文をハガキに添えて、送ってくれていた。
カラ元気も、出していれば元気になる。
今から思えば、
その作家さんは、カラ元気を出そうと、日々気合を
入れてがんばって生きておられた。

「今尾はほんとうに、いつも元気でええなあ」
その作家さんが私にいつも言ってくれたその一言
が蘇る。

気合を入れていたら、周囲にいい空気が伝わって
気愛になるかも?

そう思うと、1日の始まりが、楽しくなる。

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