長寿社会の意義は?

ほんとうに最近のテレビは、本来のメディアとしての
価値を下げてきていると思う。
知りたいことを、正しいことを学べるコンテンツは少ない。

まだネットの方が情報量が多い分だけ、選べる。
テレビ局の経営は本当にむつかしいと察する。
だから、本来のメディアが果たすべき、権力の監視もできずに、
むしろその立場が逆で、会社をつぶされないように、あたりさわりのない
時間つぶしのような番組づくりに追い込まれている。
やりがいがあるのかな、・・と作り手の心情も気になる今日。

アメリカでも同じであるが、テレビを見るのは
ネット弱者であるお年寄り。
時間もあり、外に出なくなる年寄りは、テレビがお友達。
ラジオを聴くご年配の方も多いとも聞くが
いずれにせよ、消費のキーマンではないと思われる人たちがメインの視聴者。
と思いきや、そうではなく、その視聴者であるお年寄り向けの
通販番組が増えている。多すぎる。
いわゆる健康関連商品だ。

腰やひざの痛み・・アンチエイジングのための道具や健康食品・・・。
結びには、お元気に長生きを~
という言葉が添えられているが、
これからの世の中、何のために長寿でなければならないのか
さっぱりわからなくなってくる。

それこそ、生産性がない老人たちが無理して長生きする必要が
あるのだろうか?とも思えてくる。
仕事も遊びも、いろんなことが充実しているから人生は楽しい。
そしてそのお勤めを果たして、少しゆっくりするのも良い。
と、そこまではいいけれど、
だらだら長生きして、寿命だけ伸ばしていっても
意味がない。
エコにも反する・・。
医療産業や健康関連・葬儀市場・・・そういったジャンルの
成長は、人間の幸せから見ると、本来進む方向なのであろうか。

最近、多くのお年寄りに出会い、
いろんな人生の終盤の過ごし方を見て、
幸せとは何かについて、考えさせられる。

今も思う。
自死の選択をされた西部さんのこと。
それは良くないと世間はその応援者をも含め、
否定する向きがあるが、
私には、なぜかとてもよく理解できるのだ。

幸せは、もういいというところまででいい。
生きているのがつらいのに、無理して生きるのは
それは長寿社会の意味が違うと思う。

生きるとは、本当に試練なのだと思う。
ロボットのように簡単にボタンを押せないのだから。

と思う自分も、毎日そっちに向かって年を重ねていく。
生きている以上は、精いっぱい生きたい。
無駄には生きたくない。
と、今はそう思っている。

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