先日、あるドキュメンタリーで、脳細胞学者で詩人の方が、今は亡き奥さまのことを
忍び、生前を語る番組を見ながら、夫婦(カップル)の最後について、考えさせれた。
この方たちは、夫婦ともが詠み人で、その詩が縁で知り合った。
夫婦としての生活をしながら、お互いの作品を誰よりも一番先に詠みあい、批評しながら
お互いの作品づくりを高めていったとのこと。
夫婦喧嘩をしても、詩だけは詠みあったらしい。
その奥様が乳がんに侵され、闘病生活むなしく、帰らぬ人となった。
それまでの間、二人をつないだのは、詩だったようだ。
最後は自宅で過ごされたようであるが、亡くなる直前まで、彼女は詩を詠い、
旦那さんは隣に寄り添い、一緒に録音して、書き記した。
詩が結んだ夫婦の愛。
詩という作品があるから、今も、二人の間には消えない絆があり、
残された旦那さんは、彼女の分もよく生きることを自らに課し、
生きておられる。
その様子を見ながら、夫婦の理想のカタチについて考えた。
この方たちの場合は、詩というものが二人のコミュニケーションツールであった。
こういった夫婦は多くないだろう。
でも、
何か共通の言語、共通の趣味、価値観・・・があると
言う方は多いだろう。
今、自分の親たちを横目でみつめながら、
この二人の結末はどうなるのだろうか?
と思う。
最後、穏やかに、ありがとうね。と感謝して
別れることができるといいが、
そんな日がいつか来ると思っていないほどに、
人が見たら恥ずかしくなる、夫婦喧嘩を繰り返している。
夫婦のカタチ。千差万別。
みんな、それぞれに
いいパートナーと一緒に生きられたらいい。
そして
最後はきちんとお礼が言えるといい。