ある国での不思議な現象。
国のトップを選ぶというきわめて大切な行為。
その人物の質の良しあしにより、国力も低下する。
独裁者の時代は、世界のどこにも、もう絶対に来てはならない。
だから、
国のトップを決めるという大事な選択は、
直接的に国民自身が関わるのが
民主主義としては、きわめて自然だと思うが、
その国では、
国民が直接ではなく、国会議員たちが投票する。
その結果で、国のトップが決まるのだという。
もちろん国会議員は、国民によってえらばれた人たちだろうから、
国民を代表してくれて、国民が想っているように行動してくれたらいいが、
ここが、なぜかずれている。大きくずれているようだ。
国民の多くはこのトップはNO!と思っているのに
議員の中では、そのトップはいいそうだ。
また「ハバツ」と言う不思議な単位?括り?縛りが未だ存在しているが、
そこでなんやら、わいわい。
国民からすれば不思議でしょうがない。
国民の意志が反映されない。政治家ワールドには、何があるの?
議員が国民の代表というならば、そうじゃないんじゃないの?
と、おそらく多くの国民は、その国の政治に不信感、さらには
無関心の方向へ向かっていることだろう。
もっとオープンに。
もっと自由に、
議論が交わされ、いいはいい、悪いは悪い。と
言い合えることこそが、民主主義の原点であるのに、
その国は、時代が逆戻りしているようだ。
税金だけ好きなように使われて、
民意を生かさない、議論を見せない、密室の決めごと。
こんなことがまかり通ると思っている人たちが関わる
国には期待が持てない。
自分が住んでいる国はそうであってほしくない。
と思う、今日この頃。
今日は長崎に原爆が投下された日。
そして終戦記念日が近づくにつれ、
世界史のさまざまな
傷跡を見るにつれ、
今の時代は大丈夫か と強く思うのだ。
私たちが生きている国は、しっかりしてほしい。
今日鳴る長崎の鐘に、今一度心落ち着かせ、
人間のこれまでとこれからについて
悲しみと痛みを背負った全ての人に哀悼の意を
捧げ、考えてみよう。
人間がもう二度と過ちを犯さないように
なるために。