政治家のていたらくには、あきれるばかりだ。
申し訳ないが、血管が湧きたつほど、頭にくることが多い今日この頃。
一部の人を指して、「生産性がない」という人がいるそうだ。
子どもを産まなければ、生産性がない?
それは、まったくの無知であり、見識を疑う。また、人としても尊敬することは
断じてできない。
そして、そういうならば、私もとっくに、生産性はない。
でも、おかげさまで生きているが、生きてていいのかな?
いや、ふざけんな!である。
子どもを産まない人にはいろんな事情がある。
産めない人もいるし、
あえて産まない人もいる。
人間の仕事は、子孫を残すことだけではない。
子どもの数、人口の多さ だけが国の幸せではない。
経済の成長だけが豊かさではない。
人間社会にはそれ以外にも大切なものがある。
それを忘れてしまっている驕りの人たち。
「生産性」という言葉はそもそも そこで使う言葉でもない。
モノづくり、経済活動においては意味をなす言葉である。
人の尊厳、人権にかかわるところで、その言葉はふさわしくない。
ということがわからないのだから、無知である。
人はひとりひとり違っている。
いろんな背景、事情があり、違っている。
多様である。それがいいのだ。
人間にはそれぞれの才能や能力があり、
それをそれぞれが生かすからこそ、
社会が発展するのだ。
芸術家の仕事は、もしかしたら生産性は低い?という見方も
あるかもしれないが、しかしだからこその価値があるのだ。
経済活動、稼ぐことを目的にする、見た目の豊かさだけを
追求する人以上に、創造性を発揮し、人に感動を与えたり
する。だから、存在の価値があるのだと思う。
だから、
生きる上において、生産性がすべてではない。
そんなこというなら、
今の政治家たちの生産性は、どうなんだ?
何でもまず自らを省みて、謙虚に発言すること。
生産性。
使う場所を間違えてはいけない。
少なくとも、人に向けて使う言葉ではない。
そして、
多様性を認め、尊敬と感謝にあふれる
世の中になるようにつとめるのが
真のリーダーだと思う。
とにかく謙虚に、誠実に。
反面教師が多すぎて、
もうそんなのばっかり要りませんけど。