ある方から、日々更新しているこのブログエッセイを人に紹介したい
が、ネット環境がない方もおられるので・・とのことであったので、
では該当ページをプリント、10枚ほどコピーして、そこにマイ
ハンコを押して、郵送させていただいた。
「今日、届きました。
活字になると、価値観が増しますね。」
と、ご連絡が入った。
確かにそうだ。
スマホで見るテキストと、活字で見る文字は見え方が違う。
前者の利便性はもちろん感じている。
いつでもどこでも、流れるような、あふれんばかりの情報、情報、情報。
手軽さは天下一。
でも、読んでいても流れていく感は否めない。
一方、活字になるということは、その紙をしっかりもったり、おいたりして
しっかり読むのだ。だから吸収しやすく、感動もひとしお。
かつて、グーテンベルクの印刷技術により、聖書が印刷され、キリスト教は
教会から外に向かって広がっていった。
これは、活字があったから。
印刷物でなく、スマホだけしかなかったら、キリスト教は
今のように、なっていないだろう。
瞬間広がっても、拡散されても、こんなに長い間維持・継続されるか
どうかはわからない。
いえることは、活字がコミュニケーションを創り、つないできたのだ。
今改めて、
活字の良さを認め合える仲間がいることがうれしい。
紙にふれ、文字を追い、ページをめくり、考えを深める。
このステップを忘れないようにしたい。
そして、何気なく毎日やっているSNSなども、時々プリントすると
その内容の価値も客観的にみることができ、良いかもしれない。
活字で読む、確認するという行為は、頭に心にしっかり刻むことと
同義。
だから、今一度、大切にしたい。