日本人ジャーナリストが残したビデオレター。ニュースでその活動ぶりを知り、真のジャーナリスト魂を感じるところがあった。そしてひとりの人としても、共感するところがあった。「何があっても自分の責任ですから」そう、自分の意思で、行動するのであるから、何があっても自分で受け入れる覚悟がなければ、行動してはいけない。だから、あの人の目は座っていた、目をそらすことができないほど、腹が据わった表情であると感じた。もちろんそれどころではないだろうが、本当の意味でジャーナリストとして生きる人だと思った。
今、そこに行かなければならないのかどうかは、他人からすれば違う見解ももちろんあるだろうが、その人は行かなくっちゃと思った。だから、その人の選択だ。個人の人生の責任と国家の駆け引き。ここでは書けない思いもあるが、私は自己責任で生きる人が好きだ。でも、無事に戻らないと。待っている家族のことを思うと・・。
とそんなことを思っているときに、このジャーナリストの母親の記者会見のことを知り、胸がつまる思いがした。
世間を騒がしていることのお詫びと、救出にあたってすがるような思いと訴えと・・。
社会貢献は親孝行にもつながるだろう、でもそれが危険なことであれば、親不孝にもなりかねない。
お母様の悲痛な心からの叫びが天に届き、事態が改善されることを、心より願う。
のらりくらりと生きている人よりも、正義感ある生き方を貫く人が好きだ。でも、無事に帰ってきたら同じことはしないでほしいとも思ってしまう・・。
でも、真のジャーナリストは生涯を貫く仕事だから・・・。
改めて、自己責任とは。命引き換えでも目的をまっとうすることか、人に迷惑をかけないことか。また勇気とは何か。危険省みず行動することか、とどまることか。
とにかく、とにかくお母さまの行動が情勢を変えるきっかけになることを、水面下で動いているさまざまな人の骨折りが結果を出せることを心から祈るばかりだ。
「何があっても自分の責任ですから」の言葉と、母の勇気
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