「精霊流し」。中学校のときに大ヒットしたさだまさしの名曲中の名曲。その言葉と、あの美しいメロディを覚え、今も忘れないし、あの曲のおかげで自分なりの精霊流しのイメージを持っていた。今回、偶然にも8月15日に長崎に滞在することになり、その精霊流しの当日というまさに記念すべき日に居合わせることができ、生まれてはじめて目の前でその稀有なお盆行事に接することができた。昼ごはんを食べた旅館で、女将が語った。「今日はお天気が悪いので残念だけど、せっかく来られたから見てって、(一部方言間違っていると思うが)。爆竹の音がすごいし、火も飛んでくるから長袖で行って、耳栓もしてってください。おとといからここに泊まっているお客さんの部屋、今日掃除にいったら、部屋で船を作っておられたんで、びっくりしましたわ。ヨソで住まわれて、おばあさんがこっちの方か、亡くなってそれで来られてでしょうね。」へえ?旅館の部屋で精霊船を作るとは?そんなこともあるのか。驚きながら、その後に街に出ると、公園、家のガレージ、川のほとりにいろんな精霊船がおいてあり、生まれて観るものなのでじっくり観察してしまう。昨年亡くなった方のおうちで、あるいは街で出す死者を送り出す船。その船にはお葬式でいただいたお花なども飾ったりその家それぞれで違うようだが、故人の遺影、戒名を書いた提灯などがあり、船の表には〇〇家と大きくかかれ、船の名前はどの船も「西方船」という名前。仏さんたちが向かう旅の方向は西、涅槃はそちらにあるという。おじい様、おばあ様の遺影だけでなく、若くして亡くなった方、またペットの小さな船まであって、いかに長崎の人たちが家族を大切にされ、この行事を毎年維持することは多大な労力が要ると思うが、今日までこの風習が残っていることに感動をおぼえる。夕方になると、街のあちらこちらに爆竹の音が鳴り響き、(長崎は花火の消費量日本一だそう)それぞれの西方丸が、各家庭や公園を出発、長崎港の流し場という目的地へ向かう。遺族らが白や黒の家紋入りの法被やTシャツで車を引っ張り、船のあとをついていく。その周辺で爆竹を子供たちが緊張した顔付きで馴らすのも印象的。
ものすごい音がし、煙が立ち込める。中国の祭りのようでもある。すべての悲しみや苦しみを打ち消すような爆竹の音を聴きながら、これは無事に涅槃にたどり着けよと元気に送り出したい気持ちなのか、悲しみを打ち消すための爆音なのか、涙そのものなのか・・・。なぜかしら涙があふれてくる。さだまさしの曲からイメージしていた世界とはまったく違う、現実の精霊流しを目の当たりにし、あのメロディをハミングしながら、手をあわせ、すれ違う船たちを見送った。
原爆資料館で自分も家族も被爆した人のメッセージが残っていた。「私の精霊流しは誰がしてくれるんだろう」
長崎で生きる人にとって、この儀式は生のピリオドか。
連日、生死を考える機会をいただき、再び長崎が自分の中に強く存在しはじめたことを実感する。
平和で、元気で、そして今を大切に生きること。肝に銘じて東京の夏に戻る。
爆竹は魂の叫びか、悲しみを打ち消す音、それとも?
カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク