解釈と表現。

クラシックという世界は改めて奥が深いと思う。
演奏者や指揮者によって、まったく違う解釈ができ、また異なる表現が生まれる。
元がしっかり構成されているから、何百年経っても、世界中で演奏し続けられて
いるのだろう。
国により、民族により、その指揮者や演奏者の生まれ育った、学んだ環境により
同じ曲でも、まったく異なる曲に仕上がる…そこがクラシックの魅力のひとつかも
しれない。
同じ曲を演奏しても、その演奏者の個性が、人生が出ている。
またそうでなければならないし、そうなるには、一定水準の演奏技術も必要となる。

最近、アジアのピアニストも多く誕生し、世界中で活躍されている。
豊かな経済力がないと、進めないこの世界にアジアの演奏者が参加してくること
になったのは、やはり経済成長とも無関係ではない。
さて、豊かな技術力、素晴らしい指裁き。お見事な演奏・・。
でも、精神性がどこか違うぞ。と思う演奏もある。
バロックなら、バッハなら、もっと淡々と、もっと理性的に弾いた方がいい。
もっと天の声が響いてくるように静かな演奏がいい。
と思わず思ってしまうほど、自分のそれとは違う解釈の演奏にも時々出会う。

これは、その人の解釈の違いであり、正解はひとつではないため、
あとは好みの問題。

と、元気いっぱいのアジア出身の演奏者のバロック演奏を聞き流しながら
やっぱり、本場というのは大切だと実感する。

うまく弾こうではなく、
神と対話する。どんな音を響かせたいかを想像しながら指を動かす。
これは、年齢や人生経験とも関係あるかもしれない。

と、いろいろ解釈を楽しみ、表現を楽しめる。
クラシックはこれからも末永く残っていくだろう。
多くの解釈、多様な表現に挑む人が、
伝統あるクラシックを支えている。

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