黙る正義・見守る思いやり

社会全体のコミュニケーションマナーもルールも、大変混乱していると
思わざるを得ない今日。
世界全体をあるべき方向へ導く役割を担う人は、不在にも思う。
地球全体がアナーキーのようだ。

それこそ、絶対的な存在がいればいいが、これも一筋縄には
いかない。
となれば、ひとりひとりが良心にもとづき、良識にもとづき
コミュニケーションを考え、行動するしかない。

子どもの頃は、教育により親から先生から、
人との関わり方を学んだが、現代は誰がコミュニケーションについて
確かな道を示してくれるのだろう。

今、誰でも発信できる世のなかになり、その容易さと反応の速さに
味をしめた人たちは、自分が世界の中心のごとき、どんどん
発信している。相手がどうだとか、受け手の気持ちとか、情報の質など
関係なく自分の主張をしまくっている。
さも、正義は自分であるかのように。

事件や事故。酷いもの、目を背けたくなる残忍なこと。
知らなくていいことはそのままにしておけばいいのに、
他人の不幸をネタに、自己主張したり正義を振りかざす
のは、、、。
拡散すべきことではないことも、どんどん広がることが
次の事件や犯罪につながることもある。

なんでも拡散するより、黙っている、じっと守る方が正義であり、
優しさであることを、私は肝に銘じたい。

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