「地域」コミュニティとの融和

地域性。その地域の特性のこと。
岐阜に生まれた私には、子供ながらに、女ながらに、いろいろあって
脱出してしまった。

あれから、約35年。
今、改めて ふるさと含め、地域というコミュニティとの関わり方について
気づかされる日々をおくっている。

京都、東京に住み、新潟に通い、台湾に通い・・・。
そこで過ごす時間、関わる人が多くなれば、その土地のことも
わかってくる。
確かにどこも、ふるさととは違っていた。楽さがあった。
自分の背景がなく、自分が単独でいられた。

仕事のやり方や、プライベートでの付き合い方、お酒の交わし方・・・
それぞれの国、地方…実に、そのスタイルはさまざまだ。
わずかな経験からでも、そう思う。

いつも、漂流している自分は、地域性なるものをあまり意識して
人と関わってこなかった。
その人、その人と個別に向き合い、交流してきた。
とくに東京や京都の場合は、それでいい、あくまでも個と個の関係だ。

しかし、
実際、地方に入り込んで、そこの人たちとかかわろうとすると、
そのときは、そこの地域性を考慮する必要が出てくる。
「ここは、こういうところだから」
と言う見えないルールというか、枠というか、縛りがある。
その現実を理解しなければならない。
一人とつきあうのではなく、そのコミュニティへ入っていかねば
道が開けないからだ。

たとえば、いいと思うアイデアをもっていても、いきなり提案すればよいという
ものではない。
これまでの関係を大切にすることも大切な処世術となる。

まずは、その地域に入り込み、そこに生きている人たちを
よく理解すること。
そして、じんわり溶け込んでいくようにすること。
都会のように、おれが、私が俺が・・・と出すぎるのは、そぐわないことが
ある。

そして、
地域性と言っても、一言では括れない。まさに地域によって
違うのだから、地域ごとによく研究をしながら、向き合って
いかねばならない。

まずは受け入れる。まずは認める。理解する。
そこに入り込んで、じわじわと自分らしさを出していく。
また、
地方の人が東京や東京で生きてきた人・集団をどう見ているかも
考えてから言動する必要もある。

何を食べ、どんな風土のもと、歴史のもと、どんな風に
育ってきた人たちなのか。
これらをよく知り、つきあう。

東京もある意味、ひとつの地方である。
ぐらいの考え方でないと、地方でうまくやっていけない
のかもしれない。
それぞれに良さがある。
そこを認め、共存する方法を見出すことが
生きる道となる。

地方に向かうからこそ、見えてきた新たな課題。
可能性を大いに感じたい。

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク