「人生は観覧車」を書く、一筆箋。

「人生は観覧車のように」をテーマにしたオリジナルの一筆箋を
つくった。グラン・ルー20周年の記念のしるしの品。
お世話になってきた方、お手紙書かれそうな、文具がお好きな
方などにお渡しし始めている。

長崎の知り合いの奥さまに、先日お渡しした。
旦那さんは、私が長崎好き人間になったきっかけのお一人でも
ある。
1週間ほどしてから、そこの旦那さんご本人から封書が届いた。
なんだか分厚い。何が入っているのか・・。
2か月ほど前に、喪中はがきが届いていた。お母様が亡くなったと
あり、気になっていたところでもあった。

ちょっとドキドキしながら封書を開けると、
先日プレゼントした観覧車柄の一筆箋に書いた手紙。
ほとんど1冊を使って書いていただいたようだ。
一筆箋とは、長くかかなくても、ちょっと書ける良さがあるが
ちょっとしか書けないので、その気になると、ついつい何枚も
書いてしまうのであろう。
それにしても、1冊書いてしまわれたのだ・・。

この思いがけぬ分厚い一筆箋のお手紙をページをめくりながら、
この送り主の今の状況がわかり、胸が熱くなった。
お母さまを昨年大晦日に失くされ、それまでの介護や
その後の対応などのお疲れや悲しみから、
ご自身の体調を崩され、辛い日々を送っておられたのだ。

手紙に記された、体のたまらない痛みとの戦い。
そしてお母さまとの別れと哀しみ。
元気なお母さんに会いたいと書いてあり・・・
手紙が泣いているように感じた。
でも、手紙の最後に、このたびお孫さんが生まれた、お母様の
生まれ変わりかも・・とあり、喜びが伝わって安堵した。

そして手紙の最後に
「人生はまさに観覧車ですね。私の場合は、母が軸となって
廻っているようです・・・。久しぶりに手紙のようなものを
書いてみました。」
と結んであり、思わずこの手紙をあつく握りしめた。

観覧車柄の一筆箋は、人生を観覧車のように思い出して
そのことを書き表して、人に伝えるためのツールかも
しれない。思いもしなかったが、そんな風に
使っていただいたようだ。

自分が贈った一筆箋に、人様がメッセージを入れて
私に戻してくださるとは・・。
この行動自体も、観覧車のようだ・・。

いろんな人生が私のなかを、周りをぐるぐる回っている。

この手紙の主人に、近々会いに行かねばと思っている。

そして、
元気なお母さまに会いたい・・・・と思っても会えない
この哀しみ、寂しさ・・。
いつか自分もそんな日が来る。覚悟をもち、後悔しないようにと
同時に思っている。

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