「どの宗教でも同じ。『祈る』ということが大切」との言葉。

以前、この先生の名前は耳にしたことがあった。
秋月伸一郎先生。長崎出身の医学者で、自らも原爆の被爆者でありながら、医者として
地元の病院で多くの患者を救い、支え、そして、原爆の生き証人として様々な
メッセージを遺された先生である。
7年前の福島での原発事件後、体にいい食品を調べていた時、長崎の麦みその事を知り、
この秋月先生が、そのことを著作に書いておられることを知り・・・それぐらいの知識
しかなかったのが数年前。

このたび、久しぶりに先生のことをあるインタビューの再放送で見て、感銘を受ける。
秋月先生は、同じく長崎の医者で自ら被ばくされ、奥様を失くしたその悲しみの中でも
多くの人を救った、あの名曲「長崎の鐘」のモデルとなった永井隆博士のお弟子でもおられた
とのこと。
永井博士は敬虔なクリスチャンであった。
秋月先生は、若き日は恩師の影響を受け、浄土真宗であったが、被爆後、そして永井博士や
周囲の熱心なクリスチャンに囲まれて生きるうちに、改宗されたとのこと。
秋月先生からみると、マリアさんは観音さんであり、キリスト教と浄土真宗は自分にとって
まったく違うものというわけでもなく、置き換えることができたという。
結局は、どの宗教でもいいが、祈って赦す・・という行為が大切なのだという結論に
行きつき、長崎の地で生きるには・・・ということでクリスチャンになられたそうだ。

なんと正直な方だろうか。と静かに感動を覚えた。
そして、先生が言われた言葉で強く心に残ったのは、
「私は見た」
ということ。原爆の惨さを、その被害の悲惨さを、苦しみ死にゆく人を・・。
医者だから、いやおうなく見なければなかったという側面も大きいだろう。
とにかく、先生は、自分が見たということが何よりのメッセージ。
だから、自分は生きている限り、伝え続ける・・・。

ともおっしゃっていた。

私も大好きな長崎の町。
これは戦後の長崎だ。被爆後、復興された長崎だ。
その街を、先生は、
よその誰かが来て、作り変えてしまったような感じだ。
とおっしゃっていたのも印象的。

すでにお亡くなりになってしまった秋月先生のこと。
改めて、今からでもしっかり勉強し、
人として生きることについて、考えなおしたいと思った。

何の宗教も同じ。人間は祈るという存在である。

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