平和とは、なんとありがたいこと。涙の実感記念日

平和とは、なんとありがたいこと。涙の実感記念日

若い頃は広島も、長崎も教科書で学んだ以上にはとくに興味がなかったのかもしれない。あるきっかけで、広島にも、長崎にも足を運び、原爆の本当の恐ろしさを知るようになった。とくに長崎には、宗教的な苦悩の歴史に重ねてのこの悲劇。訪れるたびに、人間の弱さ、エゴ、愚かさについて考えさせられ、罪なき人々への仕打ちが許せず、怒りも悲しみも込み上げてくる。このたび、原爆資料館に再び足を運んだ。原爆が落とされる町の候補はほかにあった。なのに前触れもなく長崎に・・・。東洋一といわれていた浦上天主堂も崩壊した。資料館では、その天主堂の外観が再現されているのも、衝撃的である。写真浦上
戦争の爪痕を街のあちこちで見る、知る。放射能の恐ろしさを改めて知る。そして、悲しいのは語り部となっておられる方たちの高齢化。いずれ戦争の悲惨さを経験をもって語られる人がいなくなってしまうだろう。
世界ではまだまだ戦いが続く、日本も積極的平和主義とかいっているが、身の振り方、言葉の発し方ひとつでその平和が崩れてしまうこともよく考えなければならない。
この街にくると、がんばって立ち直ってきた人々のことを本当にえらいと思い、敬意でいっぱいになる。
そして、悲しい歴史をいっぱい勉強したあと、私たちは「ああ、おなかすいた」といって食べる食事を選び、また暑いからといって涼しい場所に移動しようとする。こんな風に意のまま、自由に好きなことができる人生こそが、平和である。このことをもっともっと感謝しなければならない。
8月15日に長崎に来たこと。意識していなかったが、いいタイミングであった。資料館のあるスペースに鶴を折りましょうというコーナーがあった。どこから来られたかわからないが、外国人の方が1羽の鶴を折っていたのが印象的であった。

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