「真のジャーナリスト」に出会う。

現行の報道社会では、記者やライターなどの「ジャーナリスト」
と呼ばれる職業に就く人たちのほとんどは、「報道する」という行為に終わっており、
自らが「ジャーナリズム」を語らない。
そして、ジャーナリズムを語るのは、学者や評論家たち。

あるジャーナリストからこのことを聞かされ、
確かにそうだ。と納得すると同時に、その現実に少し違和感を抱いた。
その多くの語らないジャーナリストたちは、日ごろから「ジャーナリズム」とは何かについて、
考え行動しているのだろうか?
そして、自らの仕事について、どんな意識・使命感をもっているのだろうか?
という点も気になってきた。

おそらく、自分の仕事へ強い信念がある、ジャーナリズム観をもっている記者たちは
組織内での取材・執筆という仕事にとどまれず、いずれ独立するのだろう。
とくに戦地など厳しい現実社会に向かってきた人はそんな環境でさまざま葛藤を
もつだろうし、
経験を重ね、自分の考えをもてばもつほど、世界を知るほどその選択をされる
ことが自然だと思う。
(他の業界でも同じだ)

以前、ある新聞社に勤務される人に職業を英語で訪ねたら
自らを「ジャーナリスト」と言ったので、
いや、ライター・レポーターであり、会社員じゃん。と思ったことが
あった。
そう、ライターやレポーターとジャーナリストは違う。

「ジャーナリスト」とは、権力を観察しながら、真実を伝える仕事であると
学んだ。加えて、その仕事を全うした生き方だとも思う。
単に対象を取材し、上司の顔を見ながら原稿を書くだけの人は、もはや
ジャーナリストとは言えないと思う。

真のジャーナリストでない人には、ジャーナリズムを
語れないはずだ。
知識がある、文字を書く、文章が上手いだけでは、ジャーナリストではないのだ。

今、勉強させていただいている「国際報道」に関する講義の先生こそは、
ホンモノのジャーナリストだと思う。
生のニュースを通じ、ジャーナリズムを語ろうとされているのだ。
私は地政学をもとにしたその世界観に共鳴すると同時に、
世界地図の上の大国の綱引きをつねに想像するようになった。
と同時に、日本のような小国のありよう、世界との繋がりに方についても
危機感をもちながらこれまで以上に考えさせられるようになった。

話を最初に戻す。
ジャーナリストとは、見えづらい世の動きを見せ、世の中の「あるべき見方」を伝え、
問題提起をする仕事でもある。
これは、今の私なりの解釈のひとつ。

人生を、ときには命をかけて、仕事をする人を応援したくなると同時に、
私自身、この目線に共感しながら、自らができることを模索したい今日この頃。

ジャーナリストがジャーナリズムを語る時代へ。
もちろん、似非ではなく、「真の」という枕詞をあえてつけたい。

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