大人と子供は対峙するものではなく、
大人の中にも、「子どもなるもの」は内在すると思っている。
が、社会的な立場が、それを封印することが多い。
だから、笑いたいときに笑えなかったり、
好きなようにふるまえなかったり・・・する。
そう、人は大人になるにつれて、不自由になる。
大人とは我慢すること、大人とは周囲のことを慮ることができること。
それが当たり前だと教えられて育ってきたように思う。
もちろん、一人前の人間として、
常識を持って行動することは当たり前であり、大人気ない行動、
稚拙なる行動は大人である以上
慎むのは世間の常識である。
先日、渋谷の美術館で、チェコのチャベック兄弟の作品展を行っており、
予備知識なく鑑賞した。兄は画家、弟は執筆家。子どもを独自の目線で
観察・表現し、人間の自由について考えさせてくれるアーチストたち。
上の写真は、この兄弟の写真。こんな二人だったからこそ、他にない世界を
表現できたのだろう。「ロボット」という概念を考えたのも弟カレル
だったそうでそれをテーマにした演劇は日本でも「人造人間」として、
上演された。
二人は第二次世界大戦前に活躍し、
そしてナチスにより、活動だけでなく、生涯を閉じることに。
子どもの目線で描かれる、数々の作品には考えさせられることが多く・・。
単に子供を描くのではなく、そこから見えてくる子供なるもの・・・。
これらの探求は、実は哲学的で、深い。
人間の本来の生き方とはの探求につながってくるように感じる。
ふと、自分の中の「子どもなるもの」について考えてみた。
私(たち)の中にはそれがまだそのまま存在しているように思う。
時々、妄想をし、冒険がしたくなり、自由にふるまいたいと
思う。
そして、そのことをこれからも大切にしていこうと思う。
それがあらゆる創作、創造の源泉になると信じるから。
ある時は、
大人になりきれなくてもいい。そんなことを改めて思う
貴重な作品展であった。
チャベック兄弟のこと。もっと調べてみよう。
(写真は松涛美術館での展示室 撮影可能なブースより)