最近、京都探索を心がけている。
昔やっていた仕事の感覚が、余韻が、蘇ったというのも
おかしいが、まさにそうだ。
今、京都のかくれたお宝を探している。
場所、店、人、コト、いろいろ・・・。
そんななか、ある商店街を久しぶりに歩いてみることに。
定宿の近所にある歴史ある商店街なのであるが、
ここ数年、ここを通るのは夜か日曜や、年末年始で
商店街が開店している時間ではなかったため、ちょっと胸が
ときめいた。どんな風になっているかな・・。
狭い道、アーケード。これぞ、京都の商店街。
さりげなく高級食材も、庶民的な惣菜の隣にて
販売されていたりして、創業100年以上のお店も
あったり、なかなか・・・。
外国観光客に占拠されてしまった、商店街にはない
ゆとりもあり、まさにはんなりとした京都。
そんななか、ある店を発見。
「ちょっとしたおもしろいものがあります。
どうぞ中にお入りください」
何気ない、普段使いの言葉が描かれたボードを読み
もう店に入っていた。
まず、一目でこの店には自分が求めていた商品が
揃っていて、「うわ~。こういう店があるんだ」
と嬉しくなる。ここの店主と嗜好が同じか?と。
店内にてその店主らしき人をみつけ、早速話しかけてみる。
気さくな人で、つい、話が進んだ。
そして、名刺交換をするまでになる、そのとき店主の人が
ちょっとした警戒感を・・・。
「あのー、失礼ですけど、宗教関係の人ではないですよね??」
はあ?こっちがびっくり。
「いえ、違いますよ。そんなこと言われたのは生まれて初めてですわ」
どうやら、お店に入ってきて、話をするうちに、打ち解けたかと思ったら
寄付を求めてくるそういう類の人も多いのだと。
自分もそういう人ではないかと店主は思ってしまったようで・・。
コミュニケーションの仕事をしているとか、そういえば、
十字架のペンダントを付けていたりしたせいもあったのかと
あとで思えば、初めての人だったら、私のことをそう思うかもしれないな~と
納得しながら、ひとり苦笑。
もちろん、その誤解は解けて、いろんな共通項もあって、話が弾む。
客商売は、瞬間にその人を見極めなければならない。
もしかしたら、万引きする人もいるかもしれないし、
今回間違えられたように、その筋の人かもしれないし・・。
でも、言うのは勇気がいる。
「ごめんなさいね。ほんまに、そういうのがたまにあるんで。」
ちゃんと話をし、素性も伝え、安心していただけたと思う。
それにしても、
「宗教とちがいますよね。」
という切り出し方も、京都らしいなと思い、改めて笑えてきた。
いやー、京都は面白い。
一方、その店主が会話のなかで、
「うちは仏教なんで、今はやりのツィッタ―とかなんとか映えとか
いらんのですわ。地道にこつこつですわ」
とおっしゃったのも、とても面白かった・・・。
そんなこんなで、おなじみさんになりたいお店の一回目は
強烈な印象で、めでたし、めでたし。